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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



(その1)の続きです。

カント以降、認識をめぐる議論は新たなステージに突入します。
一つの大きな発想の転換は議論の対象を事物や観念ではなく言語としたことです(「言語論的転回」(「linguistic turn」:ローティによる表現)。この手法をとったのがフレーゲ、ラッセルらとその後の分析哲学者です(フッサールとソシュールもこの文脈に含めて整理する考えもあります)。このアプローチはウィトゲンシュタインの「論理空間」という概念による世界記述に結実したところで一つの区切りをなします(ただしウィトゲンシュタインは後になってポストモダン的な方向に考え方を切り替えます)。

これとは別のあらたな発想は、理性を前提にした近代の議論そのものを考え直すことです。それを意識的にやったのがポストモダンですが、実はすでに19世紀にニーチェがそれに近いことをやってました。彼は認識論に対して従来の人たちとちょっと違う角度で切り込んできます。この人は非常に色んなことを言っていて、それをどう解釈するかで大変な争いがありますが、根本にある思想は「力への意志」という概念です。この考えを認識論の議論にあてはめると人間を含む万物には力を求める本能的な意志がある、だから認識もその本能を前提になされるということになります。そうすると経験(理性を有する自律した個人が得る「経験」)から得られる事実もすべては解釈に過ぎないことになるため、今までの議論はすべて再構成を迫られるわけです。

(余談ですがニーチェは若い人に(哲学に興味のない人にも)人気があります。それは彼の文学作品のようなスタイル(アフォリズム形式とも言われます)によるところも大きいと思います。もともとワグナー評論に見られるようにニーチェは独特のロマン主義的美学をもっていました。この人の著述形式はカントの徹底的なまでに体系化された文章やラッセルの無駄をそぎ落とした峻厳な文章とはある意味対照的です。理論や体系ではなくいわば「詩」によってその人の想像力を刺激し、惹きつけている面もあると思います。)

こういうニーチェの思想は、色んな理由があって、生前は相手にされませんでした。しかもその後ナチズムに影響を与えたとされ危険な思想ともみなされました。しかし彼の思想はハイデガーらにより再解釈され、さらに半世紀以上たってからフーコー、ドゥルーズらポストモダンの思想家に評価されます。その反近代・反理性の考え方が共感され、彼らの思想の一つの源流として再解釈されたわけですね。

さらにいうと、ルソーも、一般的には西欧近代を代表する知性と考えられていますが、実は文明による人間の退行、自然回帰というこの当時ではめずらしい反近代的・反西欧文明的性格を備えた思想をもった人でした。これも構造主義の思想家に再評価されます。ちなみにこういう思想を『エミール』という本に書いたルソーは危険人物とみなされ逮捕状を出され、亡命を余儀なくされます。

ところで古典というとプラトン、アリストテレスを思い浮かべる人も多いと思います。実際この古代ギリシャの思想はいまなお色々な人に影響を与えています。上記のニーチェもプラトンに大きな影響を受けています。
プラトンとアリストテレスと聞いて、漠然と古代ポリス的民主主義、共通善としての徳というものを思い浮かべる人も多いと思いますが、実は両者は全然違う文脈で影響を与えているのですね。
プラトンの思想には実は全体主義との親和性があります。その部分がニーチェに共感をおぼえさせ、戦間期のドイツの思想家(その一人が古典文献学者としてのニーチェの未来を閉ざしたヴィラモーヴィッツ)に影響を与え、一部の自由主義者からは危険な思想と見なされました。一方アリストテレスはアーレントのような共和主義的自由を真の自由と考える人たちから評価され、上記のプラトンを支持した全体主義的な思想家からは批判されています。

■ 佐々木毅 『プラトンの呪縛』
こちらは、そういったテーマを、おそろしく濃密な内容で描いた本です。

自由とは何なのかという問題を考えるときこういう古典は今なお色んな示唆を与えます。

こんな風に、あとから発見されてあらたな意味を付与されて復活される思想、よむたびに発見がある本というのは面白いものだと思います。そういう厚みのある思索を内容とするものが古典であり、今なお人を惹きつける魅力がそこにあるのではないかと思います。

私自身がグっとくる体験をしたのは(何度も書いてますが)トクヴィルの『アメリカの民主政治』という本です。米国に住んでいた当時、何かがひらめいたりもやもやした問いがあって自分なりに答えを考えていたときこの本を読んだらかなり驚きました。自分の考えたプロセスや答えがほぼそのまま書いてあったからです。150年以上も前のちょっと米国を旅行しただけのフランス人が書いた本なんですけども。

思った以上に長くなりましたが、ものすごくおおざっぱな説明なので、正確さを欠くことはお許し下さい。しょせん素人の与太話、趣旨をくんでいただければと思います。

ここまで読んで下さった人は、何をこいつはこんなどうでもいいことを書いているのかと思われたかもしれません。そう言われるとそうですよね、と実は私も思ったりします(笑)。ただ、なぜどうでもいいのか、何がどうでもいいのか、書いているうちにちょっと考えたら、なにがしか着想がわいてきました(←懲りない)。気力と時間があったら書いてみたいと思います。

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コメント
 
 
 
おひさです^^ (forrestal)
2009-03-25 04:41:39
どうも御無沙汰しております。私も私事、いろいろありましたが4月からまた、大学院に戻ることにしました。ブログも細々、再開するつもりです。

古典はおもしろいですね。私も大好きです。いつも新しい発見がそこにあって、人間の営みというのはそう変わらないのだなぁとか思ったりします。

ポストモダンで自分をモダニストと言ったのは、恐らくリオタールぐらいだとは思いますが、フーコーなんて好きですね。彼の作品を歴史的には間違っているという批判を目にしたことがありますが、フーコーの言いたいことは、そんなことではないですよね。ロゴス中心主義、近代化という解放が実は、主体性を奪っているとか、そういう見直しなんですよね(もちろん、他にもあるんですけど)、フーコーとデリダの論争は読みごたえありです。ギデンズなんかはポスト・モダニストを批判こそしてませんが、彼はハイ・モダニティという言葉を使ってますよね。ハーバーマスに至っては目的論だと思っていますが、ウェバーを使いながら、生活世界と合意形成の重要性を説いてますね。

私は、システム論が好きでルーマンの影響を強く受けてますが、あれも、実は、現象学的な構築主義の世界ですかねえ。

ラッセルの西洋哲学史は結構笑えましたw ただ、数理哲学で、ラッセルの下にいたのがヴィっトゲンシュタインですもんね。

私も専門ではまったくないので、ただの素人の与太話ですけど。

また、よろしくお願いいたします。
 
 
 
おかえりなさい (やじゅん)
2009-03-26 10:57:15
>forrestalさん
ブログ再開おめでとうございます。
google readerで確認させていただいておりました。
大学院では何を専門にされているのでしょうか。

具体例に満ちた貴重なコメント、ありがとうございます。
デリダのデカルト論もまさに古典の再解釈ですよね。
私の場合、趣味もありますが、同時に、専門分野を中心にして知識を広げたいと思ってます。以前は国際的な事柄を専門(実務ですが)としてましたが、最近は法なので、そのつながりからいろいろ勉強することが多いです。ルーマンは法社会学の絡みでなじみが深いですね。
近代思想もポストモダンも歴史も法の視点から見るとまた色んな発見があります。ロゴス中心主義や科学の思考から脱却を図ることは容易ではなく、一般論・抽象論を述べるだけでは文学に終わる気もするのですが(それもひたすら逃走すればいい、解は必要なくプロセスがあればいいということかもしれませんが。ただそれでは学問の世界、純粋な知的営みとしてならいざしらず、実務や政策につなげるのは困難でしょうね。確信犯とも思われますが。)、自由や平等といった抽象的観念の定義そのものが議論の中核となり、手続そのものにも意味のある法の世界ではこうしたポストモダン含め現代の哲学思想に実践的価値を見いだせると感じるときがあります。

ラッセルの西洋哲学史は結構表現が面白いですよね。啓蒙書ということもあるのでしょうがレトリックにユーモアを感じます。こういうところも好きです。

forrestalさんのこれからの発信を楽しみにしてます。
 
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