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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



ちょっと前のことですが、米国にいたとき、中曽根康弘元首相のお話を聞く機会がありました。

もう85才にもなるのに、堂々と話す姿に感銘を受けました。一番印象的だったのは、首相の靖国公式参拝についてのご意見でした。ご存じの通り、中曽根氏は現職の首相として初めて公式参拝した人ですが、アジア諸国の感情(というか、胡耀邦の要請ですが)を配慮して、一度きりで参拝をやめたことは、あまり知られていないかもしれません。

このことに話が及んだとき、中曽根元首相は、日中韓を中心とする北東アジアの協力関係を築くために、この問題に固執することは適切ではないと判断したとおっしゃりました。そして、A級戦犯を分祀した方が良いと思う、という自説に言及しました。私が、いくらA級戦犯だからと言っても、既に亡くなった方にそうした対応をとるのは適切でしょうか、と率直な疑問を投げかけたところ、中曽根元首相はこのような趣旨のことをおっしゃりました。

リーダーは責任をとらないといけない。一国の決定に責任を持った者は、歴史に裁かれなければならない。自分を含め国民はA級戦犯の人たちのために戦争に身を投じなければいけなかった。彼らには一般の英霊と別にとるべき責任がある。

この一言には目を覚まされる思いがしました。
一国の総理大臣になった人だからこそ言える、重い重い言葉のように思いました。

・・・

インターネットが普及している現代、一人一人の国民が、クリック一つで個々の政策の是非を投票し、その多数決で国の方針を決めることは、技術的にそう難しくないと思います。アテナイ式の直接民主主義、ルソーの主張する人民(プープル)主権論です。
しかし、これは判断が分かれるところでしょうが、私はそうした民主主義が一国の制度として適切なものとは思いません。
例えば、税金や社会保障といった、痛みを分かち合わなければいけない問題について、自らの利害から離れた立場から、個々の国民が正しい判断を下せるものでしょうか。

日本は、間接民主主義を採っていますが、それはポピュリズムに甘んじることなく、特定の利益を代弁しない、国民の統一的な意思を代表する国会議員が、国家の方針を決めるべきである、という理念に基づいたものと解釈されます。そして、内閣総理大臣は、議院内閣制の下、国会議員の選挙の中で選出されます。

「民主主義は交代可能な独裁制である」というシュンペーターの言葉は、国の決定に責任を持つことの正当性を有する者(リーダー)を作り出し、それが平和裡に交代できるという民主主義の「メカニズム(制度的仕組み)」の側面を説明したものです(民主主義それ自体が何らかの実体的な価値を必然的に含むものではないとする理論を提示したといえます)。

トクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』の中で、米国における「平等化」の発達に驚き、肯定的に評価しながらも、それがもたらす多数者専制の病弊を指摘し、その危険を回避するための制度として分権と独立した司法権について述べ、知的「貴族政治」という言葉を使っています。

また、マディソンは『ザ・フェデラリスト』第10篇の中で、「人民による政治の下で多数者が一つの派閥を構成するときには、派閥が、公共の善と他の市民の権利のいずれをも、自己の支配的な感情や利益の犠牲とすることが可能になる。」として派閥の弊害について説明し、直接民主政においてはこの弊害を正すことはできないと主張しています。

(ちなみに、憲法学では、「国民主権」の「権力性の契機」に対する「正当性の契機」という言葉で説明されます。深く立ち入りませんが、誤解のないよう付け加えれば、もちろん、有権者が実際の権力を行使するという側面も軽視されるべきではありません。間接民主主義に立つ日本国憲法においても、多くの直接民主主義的装置が設定されています。憲法改正のための国民投票、地方自治制度などがその例であり、行政国家・福祉国家が問題視される現代において、その意義はむしろ高まっていると言われます。ただ、私が一つ述べておきたいことは、間接民主主義は直接民主主義の「代替手段」ではない、ということです。本来はアテナイ式の直接投票が理想であって、巨大な国家では技術的観点からそれは無理だから、仕方なく間接民主主義を採用している、と理解する人もいるかもしれませんが(それはそれでルソー式民主主義を標榜する人にとっては正しいのですが)、それは間接民主主義の意義を見落とした議論です。その考えに立てば、インターネット時代においてアテナイ式投票が可能になれば、直接投票を採用すれば良いということになりますが、私は最初に述べた通り、そうすべきではないと思っています。)

民主主義によって選出されたリーダーは、時として一般国民の多数が望むことと違う判断をすることもあり得ます。
昨今の例では、イラク戦争、自衛隊派遣の問題がまさにそれに当たると思います。様々な議論と対立する意見があります。正直言って、何が正しいのか、今の時点で決定的なことを言える人はいないでしょう。
しかし、私は、世論と違うから、という理由だけで国の決断を責める気にはなりません。

むしろ、世論に阿るリーダーこそ尊敬に値しないと思います。
例えば、最近亡くなったパレスチナ解放のリーダー、アラファト氏。歴史に残る存在であろうパレスチナ独立の闘士に対し、雑誌「諸君」1月号で、山内昌之氏が厳しい目を向けています。山内氏によれば、アラファトは、「革命家から政治家に脱皮することに失敗した」存在であり、人々の期待(群集の欲望)にこたえることに終始して、真のリーダーとして決断すべきチャンスを何度も逃した、その責任は重い、と厳しく批判されています。

また、米国大統領の中でも傑出した存在であるリンカーンやフランクリン・ルーズベルトは、時として民主主義を踏みにじるかのようなやり方で、超法規的措置を発動し、強権的なリーダーシップで国を救いました。
これらの例は、結果論としてギリギリ許されるもので、決して良い例として認めるべきではないかもしれません。
しかし、いずれにせよリーダーの評価は、そのときの国民感情ではなく、中曽根元首相が述べていた通り、歴史が審判するべきものなのだと思います。
リンカーンもFDRも、今でこそ米国史上最も偉大な大統領の一人として評価されていますが、在任当時は最も激しい批判にさらされた大統領でもあったのです。

・・・

リーダーというものは、厳しい存在だと思います。
自分自身の下した判断で、夥しい人の運命が決まり、間違いがあれば、その責めを生涯一身に受けることになります。
中曽根元首相が述べていたA級戦犯の話は、その厳しさを反映したものだと思います。
それは、国のみならず、ビジネスの世界でもどこでも同じことでしょう(ただ、ビジネスの場合、会社に利益をもたらすことができるか、という一点において正当性が確保される、という点が、政治と比べて明確で分かりやすいし、責任も取りやすいのかと思います)。

最近の情報技術の発達は、インターネットを通じて、2ちゃんねる、ブログ、メルマガ等々の多様な表現手段をもって、「世論」が形成されている観があります。
確かに、昔と比較して一人一人の意見がより分かりやすく把握できるようになったことは良いことですし、政治にも反映・活用できれば素晴らしいことだと思います。
しかし、近い将来、こうした媒体と直結して、自分をプロモートする、てらいなくポピュリズムを体現した人物がリーダー候補として現れるかもしれません。そういう輩は、民主主義を代弁しているように見せかけて、実は意思決定者としての責任を放棄しているのだと思います。
これからどんなリーダーが現れ、国民に選ばれるのか、注意深く見守っていきたいところです。

【補足(8月15日付)】
本記事は、分祀についての議論を参考に、リーダー論一般について述べたものです。念のため申し上げると、コメント欄を見て頂ければ分かりますが、私自身は分祀については、実現可能性も含めて懐疑的です。

コメント ( 21 ) | Trackback ( 4 )



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コメント
 
 
 
知らなかった (やすゆき)
2005-05-20 01:22:20
中曽根元首相がA級戦犯分祀論者であったとは、知りませんでした。

靖国神社の話は、毎年夏に甲子園の如く盛り上がるものですが(失礼)、今年は特に要警戒です。
 
 
 
保守合理主義者の姿 (standpoint1989)
2005-05-20 08:25:20
中曽根元首相はそういう突き放したところを持っておられる方ですね。

何が国益か、何をまず優先すべきなのかを考えておられればこそのご発言でしょう。

戦後、天皇退位論も主張したという機能主義的な眼差しを嫌う人も多いのでしょうが。

中曽根元首相でさえ「左翼」になってしまう民族的怨念、あるいはそれがポピュリズムかも知れませんが、最近そういうのにばかり関わってしまっているせいか、右傾化はともかく、精神主義への傾倒の風潮に懸念は感じています。
 
 
 
Unknown (さくら)
2005-05-20 09:56:44
私も「一度お祀りしたものを分祀するのは難しいのでは」と思っていましたが、中曽根大勲位の「歴史法廷の被告人」としての思い、リーダーとしての責任感を聞くと、深く再考させられました。



A級戦犯と決めたのが日本人自身であったならとも思いますが、個人に責任を負わせないのが日本人の国民性ですし、よかったことも悪かったこともembraceするというのは個人の美学でしかなくて、国民全体に対して責任を負う国家は、個人の倫理感や責任とは違うものだ・・・とわかってはいるのですが、いつも複雑な気持ちになります。ぼんやりしたコメントですみません(>_<)

 
 
 
本来当たり前の意見だと思います (mitsu)
2005-05-20 11:34:39
中曽根氏の靖国感はそれほど特殊なものでしょうか?真っ当な国家、特に民主主義国家であれば、国民全体が当然持つべき政治家と兵士との間の距離感ではないかと私は思います。氏の立場でそのようなことをきちんと言葉に出来るというのは大したことであるとは思いますが。

戦後の長い時期、偏った社会風潮の中で旧軍関係者の方・遺族のみなさまにとって「アメリカにA級戦犯にされた人も英霊なんだ」ということはきっと救いになったんだろうと思います。社会としてもバランスの取り方として必要だったのでしょう。ですが、日本は常任理事国入りを目指し、世界の平和に主体的に関わろうとしてます。今だからこそ、「政治家は兵士を戦場に送り込み、その死に正義を与えるかどうかに責任を持つもの。ゆえに兵士とは別の歴史の審判を受けねばならない」という当たり前のことを考えてみても良いのではないでしょうか(これは本来A級戦犯云々とは別の話だと思います)。
 
 
 
Unknown (Baatarism)
2005-05-20 15:29:35
ふと気になったのですが、A級戦犯にならなかった第二次大戦当時の軍や政治の指導者は、靖国に祀られているのでしょうか?

本来、靖国神社は戦争で命を落とした人々を祀る場所ですから、戦争で死ななかった軍や政治の指導者を靖国に祀るのは、A級戦犯であろうがなかろうが筋違いではないかと思うのですが。
 
 
 
Unknown (トッポ)
2005-05-20 22:49:17
枝葉末のことと承知の上で指摘させていただきます。

まず中曽根氏の公式参拝についてですが、リーダーとしてあまりにも軽率な行為でした。中韓に付け込まれる隙を与え、現在に至るまで解決に至っていません。

彼はこの点についてどれほど責任を感じてるのか、私は聞いたことがありません。



そして分祀についてですが、宗教用語で言う分祀はいわゆる「カットアンドペースト」ではなく、「コピーアンドペースト」でして、A級戦犯を祀る社が増えるだけでなんにもなりません。じゃあ強制的に分離できないか、となりますが、法治国家であり、宗教の自由が認められている以上、難しいでしょうね。政治が宗教に介入することは、逆も容認する事態になりかねませんし、健全な状態ではないでしょう。



つぎに、「リーダーはさばかれなくてはならない」というのも疑問があります。A級戦犯の中には政治家ではなく軍人も多数おり、日本を率いて裁かれたのはごく少数です(あえて言えば東条英機のみ)。十把一絡げにA級戦犯=リーダーとするのは誤りでしょう。



もちろん、我が国としてもあの時代を総括し、何が良くて何が悪かったのか、きちっと検証するべきでしょうが、その過程で個人を断罪することは避けなくてはならないと思います。



>A級戦犯にならなかった第二次大戦当時の軍や政治の指導者は、靖国に祀られているのでしょうか?

ちょっと質問の意図がわかりかねますが、例えば自殺した近衛文麿は昭和殉難者として祀られています。



>軍や政治の指導者を靖国に祀るのは、A級戦犯であろうがなかろうが筋違いではないかと思うのですが。

それについてはいろいろとややこしい事情が絡んでますが、私としては「勝者に一方的に殺された人々だから、種種の事情を考えればやむをえなかった」と思っています。まぁ靖国に祀る必要は(今から考えれば)なかったでしょうけど。
 
 
 
歴史の審判 (Hache)
2005-05-21 05:56:15
「歴史が裁く」という主張をする方は、しばしば自ら歴史を裁いてしまうことが少なくないように思います。もちろん、歴史にたいする評価は人の数だけあってよいと思いますが、歴史を裁くのは不可能でしょう。
 
 
 
Unknown (mitsu)
2005-05-21 13:15:02
「歴史を裁くのは不可能でしょう」ということには全く同意します。その人間にとって不可能な行為を(本来靖国の祭主であるべき陛下のご内意に叛いてまで)強行したのがA級戦犯の合祀ではないでしょうか。トッポさまご指摘の通りA級戦犯とされた方々の中には日本を戦争に導いたということではなく特定の方面での作戦を指揮したことが理由としか考えられないような方もいますが、それでも彼らは戦場で死んだわけではありません。

私は個人的には「トップの無能はそれ自体が罪である」という立場に近い考え方の持ち主ですが、「方法はともあれアジア人によるアジア解放のための行動であったから積極的に評価すべき」という考え方も、「巡り合わせで運の悪いときに運の悪いポジションに就いただけで彼らは彼らなりにベストを尽くしたと思う」という考え方もあってしかるべきだと思いますし、議論は尽くすべきでしょう。ですが、そういう議論の対象になりうべき人々を(戦争に対する個々の評価を超えて)絶対的な敬意を払うべき無名戦士の墓に祀るということはやってはいけないことだと私は思います。
 
 
 
Unknown (トッポ)
2005-05-21 20:46:41
>それでも彼らは戦場で死んだわけではありません。

まぁ揚げ足取りにもなりますが、戦場で死んだ人間だけが祀られているわけではありません。捕虜となって抑留中に亡くなられた方々も祀られています。シベリア抑留死亡者が代表的ですね。

A級戦犯(B,C級もですが)が祀られているのはまさに、これに該当する、としたためで、なぜそうしたのかといえば、「勝者によって一方的に捕らえられ、処刑、獄死した人達」であるからという理由です。これはA級だけでなく、B、Cも絡む話なのですが、遺族補償(遺族年金というやつですね)の問題が発生し、これを解決するためにこのような解釈がなされ、関連法が施行された経緯があります。

これが是か非か、となるとまたいろいろな意見があるかと思いますが、そこはぐっとこらえていただいて、事実経緯としては大雑把にこのようになっています。

あ、あとA級は「平和に対する罪」、B級は「通常の戦争犯罪」C級は「人道に対する罪」となっています。蛇足になりますが、たとえば南京事件で告訴された将軍はA級として裁かれていますが、C級が本来は妥当かと私は思います。



で、私の靖国戦犯合祀に対する意見は「もう合祀しちゃったし、どうしようもないね」が正直なとこです。mitsu氏の意見も分かる部分もありますが「だからっていまさら言ったところでどうしろと?」というのが本音ですね。





>その人間にとって不可能な行為を(本来靖国の祭主であるべき陛下のご内意に叛いてまで)強行したのがA級戦犯の合祀ではないでしょうか。

歴史を裁こうとして戦犯を祀ったわけではありません。戦時被拘禁者扱いにしたら気がついたら祀られていたんです。このあたりはもっと詳しく調べてみないとどういう法的根拠で祀られたのかわかりませんが、大雑把に言ってしまえばそういうことです。
 
 
 
靖国問題は難しいです (まったり)
2005-05-21 20:50:47
やじゅんさん 初めまして。

カワセミさんの所からたどりつきました。

靖国のホームページを見ても、靖国自体がある意思を持って特定の歴史観を主張しているのは確かです。

A級合祀がその歴史観によって強行されたことも事実です。

靖国問題は日本国内の問題として、感傷や情緒に流されずに明朗な対処をするべきと思います。



リーダー論とは内容が異なりますが、靖国について少々考えたことがありましたのでTB送らせていただきます。

 
 
 
中身の濃いコメントが・・・ (やじゅん)
2005-05-22 23:03:23
今回の記事に対する反響の大きさに驚きました。色々な角度からコメントを頂き、とてもためになりました。読者の方の間での意見交換まで読ませて頂き、新しい展開に嬉しくなりました。



>やすゆきさん

私も知りませんでした。おかげで中曽根さんの前で汗をかく羽目になりました(笑)。最近出版した著書(『日本の総理学』だったかな?)に私がうかがった話は全部書いてありました(講演などでも同じことを述べているのを何度か聞いたことがあるので、自身の仕事を集大成・体系化している様子ですね)。



>standpoint1989さん

こんにちは、いつもお世話になっております。



中曽根元首相というとタカ的だとか国粋的なイメージもあるようですが(実際右翼とのつながりなどもあるのでしょうけど)、表に出ていることを見る限りでは、かなりバランスのとれた考えの持ち主なんですよね。時代ゆえにそれが異端に見えるときもありましたが、今見ると常識的なことばかりです。ご指摘の合理的・機能的、あるいは実務的という形容があっている気がします(反面、本人は哲学的・思想的側面をアピールする面も強いように思います)。



>さくらさん

HPを拝見していますが、長島議員が愛読されているとのこと。すごいですね。サマーソニック、私も行ってみたいです。



分祀について、私もこの問題について結論めいたものは出せません。いずれにしても、その是非は別として、今の時点では政治的コストが高すぎるので、少なくとも遺族の世代が変わるまでは現実的に無理ということなのでしょうね(と書いていたら20日付け読売新聞に遺族会の世代交代に関する記事を見ました)。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050520it15.htm



この問題は、私のような者が結論を出すものではなく、最終的には国民全体で決めるべき話なのだろうと思います。それを承知の上で、外交的利害に焦点を当てた個人的意見を言えば、首相が公式に靖国参拝を行う必要はないと思っています。



>mitsuさん

そうかもしれませんね。私個人は、どうも死者に鞭打つようなことは酷に感じるような、感傷的な部分もあるので、複雑なところがありますが、本来リーダーとは責任をとるべき存在なのでしょう。犠牲になったのは国民なのですから、国民はそういう方向に日本を持って行ったリーダーを責めるべきなんでしょうね。ただ、それが普通に理をもって考えればもっともな話とはいえ、現実にはなかなか容易ではないということでしょうね。



>Baatarismさん

色々なところでお見かけしている気がしますので、はじめてのような気がしませんが、こんにちは。



ご指摘の点は理解します。筋道をつけて考えれば、その通りかと思います。しかし、ここまで政治化された問題は、筋をもってのみ決定できるものではないという現実もあるのかと思います。やはり、日本国民(とその付託を受けるリーダー)がどう考えるかが重要なところなのかと思います。



>トッポさん

私も、中曽根氏があっさり行動を翻すところは、結構「軽いなあ」と思いました(そう突っ込むことはできませんでしたが(笑))。しかし、彼は在任中、中韓との関係をうまくハンドルしていましたし、誤りを認めることをおそれない現実主義は評価できるかと思います。



東京裁判も靖国合祀も、各論に立ち入ると色々な論点がありますよね。ただ、何にせよ、どのように検証とけじめをつけるかは、本来は日本国民自身が主体的にするべき話だったのでしょう。歴史や政治の動きのために、そうならなかったことは、それはそれで仕方なかったことだと思います。それではこれから何ができるか?それを考えることが重要だと思います。私は、歴史や宗教を根本から考え直すような大きな話ではなく、首相の参拝とか、神社の状態とか、すぐに取りかかれるような部分から見直すことが適切だと思います。特に、とりあえず問題になっているのは対外的なメッセージの部分でしょうから。



>Hacheさん

そうですね。そういう無謀なことを試みる人は、大体しっぺ返しをくらうものと思います。雑談に走ると、中華の歴史は為政者の正統化という伝統がありますが・・・歴史とは何か?と考えることは面白いものですね。



>まったりさん

TBありがとうございます。大変参考になりました。これからどうぞよろしくお願いします。



私もこの問題は、国際面での影響が現実的に大きな要素を占めているとはいえ、本質的には国内問題だと思います。難しい問題ですね。
 
 
 
A級戦犯は誰のカテゴライズか (一読者)
2005-05-23 14:41:08
中曽根氏の次のコメント「リーダーは責任をとらないといけない、一国の決定に責任を持った者は、歴史に裁かれなければならない、自分を含め国民はA級戦犯の人たちのために戦争に身を投じなければいけなかった」は元首相の言葉として情けなく思います。なぜか?A級戦犯というのは我が国が定めたカテゴリーでなく、戦勝国が戦勝国にとって誰が「A級戦犯か」を決めたものです。我が国にとって、真に責任のある戦犯を、いつ誰が決めましたか?本当にあの10数人のために戦争に身を投じたのですか?この点、我が国は真の責任者について国家として責任追求を行っていないではありませんか。極めて困難な作業かもしれませんが、それを行うのが一国の「リーダーの責任」であるのにそれを棚に上げた中曽根氏の言葉にはガッカリしました。
 
 
 
そうですね (やじゅん)
2005-05-24 00:18:09
>一読者さん

これまでのコメント欄に述べた通り、歴史のあやとは言え、戦勝国のやり方にも日本国民の対応の仕方にも問題があったことは、私も残念なことだったのではないかと思います。このことは、中曽根氏も分かった上で言っているのだと思います。言わんとするところは、一般的な意味での「リーダーの責任」であり、現実の態様して、そのことが靖国合祀とはそぐわない、ということだったのではないかと思います。答えになってないかもしれませんが、私も他人の考えを忖度しても仕方ないので、こんなところで。
 
 
 
歴史の面白さ (Hache)
2005-05-24 00:28:54
>やじゅん様

「歴史とは何か?」という問いは、私には荷が重過ぎるのですが、アメリカの大学で人文・社会科学の分野で歴史学者の地位が高いというお話を歴史学の専門外の先生から伺ったことがあります。最近は、近現代史に偏りすぎている感はありますが、日本人も歴史好きですね。『信長の野望』や『三国志』などのゲームがこれだけ売れる国も珍しいかもしれません。



うーん、私では論点を整理できそうにないので、別の機会に論点を整理していただければ、幸いです。

 
 
 
私も素人ですが (やじゅん)
2005-05-24 23:42:10
>Hacheさん

論点の整理・・・これは相当な難題ですね(笑)。

歴史の意味は、人間の根源的な部分に関わる非常に興味深い主題だと思います。聖書、ヘロドトス、司馬遷、ヘーゲルなど、先人の歴史に対する考え一つ一つを理解するだけで、味わい深いものがあります。

歴史学は、もともと哲学や社会学との境界線が曖昧な分野でした。ただ、現代史について言えば、ハード・ファクトの集積から丹念に記述していく手法が確立し、一つの体系として完結している観がありますね。政治外交史とか歴史叙述と言った方がいいかもしれません。私の知る限り、米国においては、欧州と比較してこういった歴史叙述家的な人が多い気がしますね。
 
 
 
Unknown (さくら)
2005-05-25 10:56:29
やじゅん様の記事にも大いにinspireされて、このところ考えていた靖国参拝について書いてみました。やじゅん様ご指摘の「ここまで政治化された問題は、筋をもってのみ決定できるものではないという現実がある」という見方に、私も同感です。政治化された問題は政治決着が必要なのではないかと思うのですが、私の頭ではいい知恵は浮かぶわけはありませんでしたが(^_^;)トラックバックはらせていただきました。靖国問題は国内問題であるとつくづく思う今日このごろです。



サマーソニック、気になりますよね♪
 
 
 
勉強になります (Hache)
2005-05-26 00:37:14
ヘロドトスは「想定の範囲内」でしたが、聖書がでてくるというのはちょっと驚きでした。聖書を読んでいると、古代の話とは思えない節があります。仏典やコーランを読んでいないのは最近になって恥じているのですが、これらの書を読んでも聖書と同じ体験ができるのかもしれないと感じております。人間がたかだか数千年で本質そのものが変化するわけではないという意味では私は非常に保守的です。



ただ、進歩史観が完全に否定されたのかといえば、そうは思えないです。従来の進歩史観は、その時代を基準に歴史を裁き、現在、あるいはその史観が理想と考える社会を正当化しようとするという点で一面的であり、視野を狭くしていたと思います。もっと素朴に歴史で繰り返し生じることと不可逆的な変化を区別することは、歴史を理解する上で大切なことだと思います。



アメリカの実証主義には頭が下がります。個別の分野や頭のひらめきという点ではヨーロッパは侮れないと思いますが、総合的に見てアメリカの優位が崩れることはないだろうと思います。



とりとめがなくなってきたのでこの辺でいったん打ち切ります。せっかく論点を提示していただいたのに、消化不良で恐縮です。
 
 
 
中曽根元首相の提案を支持する (タイガー戦車)
2005-06-05 09:54:56
皆様のご意見を拝見していて、大変勉強になります。

私は毎年、8月15日には靖国神社へ参拝に行ってます。

時間があれば、靖国神社へ行き、英霊の皆様に祈りを捧げています。

私は「A級戦犯だから東条英機氏を分祀するべき」とは思いません。

東京裁判は戦勝国による敗者を裁く不条理な裁判でした。



が、それとはまったく別の視点で考えるとき、

東条英機氏は敗戦責任をとり、終戦の日に自決するべきだったと思います。

日本政府の最高責任者だった東条氏の開戦の決断により、結果的に膨大なる死者を出し、国土も焼け野原になりました。

もちろん、当時の国民もマスコミも戦争を煽るようなことをしたので、それなりに責任はありましょう。

でも、政府のトップたる東条氏には、最終的には敗戦責任を負わせばなりません。

まさに中曽根氏の指摘は正しいと思います。

中曽根氏は、保守本流の大物です。

左翼の言い分には説得力はありませんが、

保守系政治家の中曽根氏の発言は説得力があります。

命令を出した者と命令を受けて戦場で戦死した英霊とは、本質的に違います。

靖国の遺族の中にも、命令を出した東条氏と命令を受けて亡くなった肉親が同じように祀られていることに、

違和感を覚える人もいるでしょう。



ただ、中国や韓国の圧力に屈するような形で「分祀」するのはマズイので、日本の面子が保てるような形で、

昭和53年以前の靖国神社に戻すことは出来ないのでしょうか?

やっぱり、昭和受難者といって東条英機氏を合祀したが、

トラブルの原因ではないでしょうか。

中韓の内政干渉は腹立たしい限りですが、敗戦責任がある東条氏を靖国に祀ったことは、日本人として複雑な思いがします。

靖国神社はあくまでも、一般戦没者に限定するべきです。











 
 
 
そうですね (やじゅん)
2005-06-05 18:26:06
>タイガー戦車さん

分祀以外にも、一般追悼施設の建設というアイディアもありますね。もしかしたら、他の方法もあるのかもしれません。今の時点ですぐにできることも含めて、色々な可能性を考えることが重要だと思います。
 
 
 
Unknown (古いものですが)
2005-06-06 00:44:35
初めて書き込みします。古いエントリーに失礼します。実はわたしもたまた機会に恵まれ中曽根氏の講演を聞くことが出来ました。講演自体はわたしには少し期待外れ(もう少し過激な発言を期待していたので)でした。



わたしは、靖国へのA級戦犯合祀と首相参拝の議論は、法律論、宗教論、風習や慣習(死者に対する姿勢、諸行無常vs易姓革命、息をするようにうそをつくetc)、あの戦争の位置づけ(悪い戦争なのか)、裁判の位置付け、更にはあの戦争を誰が起こしたのか、そして何よりも感情の問題(親を殺された!)、という幅広い問題、が、混然と混ぜ合わさっているところに問題がある気がします。いろいろなエントリをみましたが、これらを整理し解きほぐして説明したものは皆無でした。



あの戦争とはどこからどこまでなのか? あの戦争は悪いのか? 悪いとすればその理由は? あの戦争を決断したのは誰なのか? 



例えば東条英機について確かにアメリカとの戦争開始についてその当時首相だった彼に責任があるかもしれませんが、では中国との戦争についてはどうなのか、韓国併合についてはどうなのか(戦争だけが問題ならば韓国には一切の発言権はないからです)。



戦争というものが国際法上認められていてそれに従って宣戦布告したものを「悪い」と位置づける理由は何なのか?(中曽根氏の発言もあの戦争は「悪い」ことを前提にしていますが、「なぜ」「どこが」悪い?)



実はA級戦犯に戦争開始の責任を取らせた方が「簡単」で「わかりやすい」気がします。これらひとつひとつを解きほぐすという作業よりも。逆にA級戦犯も実は戦争の被害者だ(だから靖国へ)、という位置づけにすれば、では誰が真の責任者?ということになり、天皇のところに戻ってくるでしょう。だからA級戦犯に全てをかぶらせた方が決着がつきやすい気がします。それが天皇とマッカーサーとの手打ちなのかと思います。



わたしは他の人と全く違うのですが、戦争という手段が本当に当時最善の手段だったのか、あるいは真に止むを得ない手段だったのか、という点で疑問を持ちます(そういう検証すらしていない)。そして「負ける戦争」をした、ということ、及び中曽根氏の含意のとおり(他国民に被害をもたらしたからではなく)日本国民に多大な損害を与えた、ということで、当時の指導者達は責任があると思っています。それはベトナムにもイラクにもつながります。昨年ケリーがブッシュを責めていたのは、より広範な国々からの支持を得ていれば、イラクでの米兵の犠牲もアメリカの出費も少なくて済んだのに、という議論でした。



だからわたしは戦争開始決定のメカニズムに興味を持っています。ドイツやイタリアのように一人の狂った独裁者のせいではないわけで、なおさらなぜあの戦略(=戦争)をとったのか、を国民としてもっと研究し知るべきだと思っています。(もっとも一番簡単な説明は中国や韓国がしているように、「日本人は残虐で人を殺すのが好きだから」というものですが)



まあ中曽根氏について言えば所詮風見鶏だったわけです。ライバルが先に首相になって一方ニューリーダーと呼ばれた次世代が成長していなかったその間隙をぬって5年首相が出来たと言う幸運さだけなのに。小泉首相はだから「私的」ニュアンスを強くしているわけです。



長くなり大変失礼致しました。また今後のエントリを楽しみにしてます。

 
 
 
古いエントリでも大歓迎です (やじゅん)
2005-06-08 23:17:52
>Unknownさん

大変興味深いお話をありがとうございます。考えさせられるところがありました。



戦争によって多数の人命が失われたことは、日本国民にとっても関係国にとっても不幸なことであり、国がそうした決断をとったことについては、責任のある人たちがいたことは事実だと思います。



その責任は、まず日本国民が問うべき問題であると私は思います。同時に、他国との関係において、国際法の基準に従って問われるべき責任も存在します。この点、東京裁判を含む軍事裁判が、実体・手続両面において瑕疵があり、また天皇責任を含む種々の問題について、「裁判」という形式をとりながらも、政治的な処理がなされたことは事実であったと思います。



しかし、サンフランシスコ平和条約締結を通じて、日本は裁判の結果を受け入れました。国家として考えるべき政治的・法的な責任論はこれにより決着したのだと思います。



Unknownさんのおっしゃる通り、戦争がなぜ始まったのか、その意味は何だったのか、検証を深めることは重要です(実際、これまで多くの人たちが真剣に論じてきたと思います)。しかし、歴史や思想の問題としてこれを論じるのは自由だと思いますが、国家がこの問題をまき返すのであれば、日本は国際社会を巻き込んだ根本的な再考に直面しなくてはいけません。それは、戦後60年の平和と繁栄を享受してきた日本国民が望むことではないと思います。結局、政治は可能性の技術であり、現実との折り合いをつけつつ進めざるを得ません。



その流れをもって靖国も見るべきだと思います。私は靖国参拝について国民それぞれが自分なりの感慨を持つことは自由だと思います。首相が参拝するべきかどうかは日本人が決めるべきことです。しかし、政治家として、外交問題として考える際には、日本がこれまで選んできた道を認識し、日本の国益にとって意味のあることなのかどうなのかを考えるのが筋ではないかと思います。
 
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