古典的なリアリズムの理論について言えば、国家の目的はその生存であり、国家は自己に内在する権力欲と他国との相互不信から軍事力などハードパワーの追求や領土の獲得などによって影響力の拡大に走るという考え方に基づいています。しかし、その前提の根拠となる国際社会の構造について考えてみれば、それがリアリズム的分析が当てはまった(と見られる)第二次大戦前あるいは冷戦前と比較して、現代の状況がそれらと大きく異なることは自明のことでしょう。国際社会の制度化や経済的な相互依存によって、領土獲得のために戦争を起こすという行動の合理性は大きく低下しました。もちろん国家間には様々な紛争の原因があるのは事実ですが、その態様はかつての国家間のパワーの競い合いという次元とは大きく異なっています。そもそも、多元的な主体が混在して影響力を及ぼす現代の国家の行動がそれほど単純なものなのかという疑問もあります(Graham Allisonの『Essence of Decision』は個人のパーセプションや組織の力学が意思決定に与える影響を明らかにした名著です)。そういった現実の態様を見極めるには、大上段の理論やモデルに縛られるのではなく、実体的なデータや情報を真摯に追う目が重要なのだと思います。
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(1)「封じ込め」の主体と対象
誰が中国の「影響力を排除する」のかという問題です。日本単独でしょうか。日米共同でしょうか。私自身は、中国の影響力を限定的にすることは日本のみならず対象となる国が利益をえてなおかつ中国の選択肢が狭まることによって結果的に中国政府の意図が実現しないことがむしろ中国にとっても長期的利益につながることに限定した方がよいと思います。国内では少数意見だと思いますが、大戦後の封じ込め政策と現在の極東・東南アジア・南アジア・中東の情勢はまるで異なります。これらの地域への日本の影響力はあまりに濃淡があり、日本単独ではもちろん、日米さらに大英帝国つながりを含めても、個別の国に対する関与は複雑なものにならざるをえず、場合によっては中国と組むことすらあるでしょう。記事では封じ込めの対象が中国であることは自明であるとされていると思いますが、ことはそれほど単純ではないと思います。また、仮に中国を対象とする場合にも、中国の影響力を排除すべき国・地域と日本(あるいは同盟諸国)の利害が一致することが大前提でこれも自明ではないと思います。
(2)仮説と検証
モデル分析に関するご批判は概ね妥当だと思います。過度の抽象化が一人歩きするのは、危険です。しかし、これは検証のプロセスが欠いている場合で国際関係論で仮説の検証がどのような手続きを経ているのかは知見がないのでわかりませんが、仮説と理論を区別すれば、仮説を立てること自体は必要な作業だと思います。それが、より詳細な地域研究からえられた実践的な知によって裏付けられている方が好ましいと思いますが、それはむしろ検証の側面で反映されるべきだと思います。問題を単純化すること自体は、国際関係以外の分野でも議論を透明にするためには不可欠な作業でしょう。社会科学では仮説と理論の区別が自然科学ほど厳密ではないので難しいのかもしれませんが。
(3)過去の研究の蓄積
実証科学の分野では専門家は既存の研究を論理構成から実証レベルまで様々な分野で検証を行います。後から来る人は、先に道を進んだ人との相違を様々な形でアピールしなければ、専門家として生き残ることはできません。しかし、古典的な理論で十分な近似がえられる場合、古典的な理論を用いることはなんの問題もありません。新規な理論は、専門外の人にはわかりにくいことが多いでしょう。専門家が自らの見解を専門外の人に理解していただく場合に専門家と同程度の知見を求めることは専門家として恥ずべきことです。古典的な理論がよい近似を与えるのならば、それでよい。やじゅんさんがご指摘の問題点は感情論を古典的な概念で表現しているだけではないかと思います。
(4)蛇足
対中関係の基本は、向こうが敵対的な態度をとった場合に、日米同盟が中国に無謀な賭けをさせないことで十分だと思います。露骨に言えば、中国に名誉ある逃げ道をそれとなく作ってあげることです。集団的自衛権の行使を認めることは、日米同盟が双務的になる要ですが、中国相手に行使する事態が生じるリスクを低下させるでしょう。さらに、アメリカ以外の国とも共同で軍事行動ができる選択肢が広がれば、広い意味でのアジア地域の安定化に大きく貢献すると予想します。日本の大戦略は、日米同盟を双務的にして他の変数がぶれる幅を極めて小さくする。これで十分だと考えます。
ケナンがナショナル・ウォー・カレッジ時代に行った講義を読んでいて強烈に伝わってくるのは、「米国はソ連との政治闘争を進める備えができていない」という切迫した意識です。
拙者の場合、このケナンの切迫した意識に通ずるものを日本が対中政策に際しても持てるかは、かなり重要な点であると思います。拙者は、多くの対中強硬論には批判的ですけれども、その理由は、そうした強硬論が「外交の機微」を解しない粗雑なものと映るからです。
を、触れられないのですか。ヒトラーやロシア革命に、欧米の大富豪が資金的な援助をしたの
は周知の事実ですが、中国についてもしかりです。
国際政治を語るうえでは、キャロルキグリーを避けてとおることはできませんが、専門家のみ
なさんは、キグリーを故意に無視しているのか。本当に知らないのか。???
http://www.uedam.com/のサイトの掲示板によく登場される、クルードオイルさんが紹介されて
いた、ロバート・トンプソンを知りました。アメリカは「20世紀を通して、したたかに帝国
拡張政策を取り、各政権がいきあたりばったりに外交政策を進めたのではなく、帝国主義推進
のための青写真があった」が妥当と考えられ、これを見極めるには、キグリーの研究が必要に
なります。
しかしキグリーについて説明されているサイトは、http://www.uedam.com/やhttp://tsudukukana.blog18.fc2.com/くらいしかありません。
暖かいお言葉、どうもありがとうございます。そう言っていただけるとブログ冥利に尽きるというものです。またよろしくお願いします。
>Hacheさん
とても興味深いコメントでした。いつもながら自分の思索を見直す良い刺激を与えて下さいます。おっしゃることに異論ありません。根っこの部分の認識はほとんど同じなのではないかと思います。
細かいところですが少し意見というか補足的なコメントをさせていただきます。
1.「封じ込め」
私は中国に対する牽制や「影響力の排除」の意義をかなり限定的にとらえていて、「封じ込め」という言葉を使うこと自体があまり好きではありません(「日中関係について思うこと」はそういう意識で書いたつもりです)。
ただ、「封じ込め」が決して敵を打ち負かすような戦略を指すものではなく、自国の安保・経済上の利益を脅かす動きを無効化する戦略として考えれば、そういう言い方もできると思い、記事を書きました(自己目的化しがちな「日中友好」の幻想から離れ、醒めた目を持つ意味もあると思います)。
実際に何をするのか考えれば、中国が日本にとって具体的な脅威となるケースについて具体的に検証し、それらに対しては毅然たる態度と対策を貫く一方、基本的には、これまで何度も述べてきた通り、中国が日本と利益を共に追求できるような環境を作ることが求められているのだと思います。
(また、軍拡にせよエネルギー開発にせよ移民にせよ、中国が中長期的視野に立って一枚岩のように謀略を進めているという見方には疑問があります。私は場当たり的・国内政治の妥協の産物という側面もかなり強いと思います。そうであれば、中国に対する牽制や「影響力の排除」をどのように進めるべきかについては慎重な検討が必要と思います。)
いずれにしてもアプローチの中身(サブスタンス)こそが重要であって、全般的な政策を「containment」と呼ぶか「engagement」と呼ぶか、あるいは今風に「congagement」などと呼ぶかというのは言葉の問題に過ぎないと思います。
2.他国との関係
中国に対する戦略が米国をはじめとする他国との関係を無視して進められるものではないというのはおっしゃる通り、重要な視点です。
ここで何と言っても重要なプレイヤーは東南アジアや欧州ではなく米国だろうと私は思います。
この点思うのは、現在ほど、米国の反対を懸念することなく、日中が接近して協力的な関係を進めることができる状況は、おそらく戦後の歴史の中でなかったということです。これこそ米国が日本をゆるぎないパートナーと信頼してくれる「かつてなく良好な日米関係」の賜物であり、その貯金は、米国に対して譲歩なり報酬なり何かをしてくれることを期待するのではなく、アジア外交の主導権を握ることに使うべきだと思います。私が以前、「中国とどう接するかを考える際には、米国の反応を慎重に考慮せざるを得なかった時期もあったかと思います。しかし、今の日米の良好な状態からすれば、日中が友好を深めることに米国がネガティブに反応する心配は少ないと言って良いでしょう。むしろ、米国は、日本が中国との関係を安定させつつ、アジアにおいて積極的な役割を果たすことを期待していると思います。この意味では、今『最高の状態』と評価される日米関係は、アジアにおける外交のオプションを広く確保する好機を提供していると言えるのではないでしょうか。」「米国、中国、日本それぞれの国の状況と関係を見れば、そうした外交を展開する余地は十分にあり、日本にとってはむしろチャンスとして考えられるのではないかと思います。」と述べたのは、そうした趣旨です。まして、今の米国はアジアに十分なリソースを割けず、日本の自発的な役割を期待している節すらあります(これも珍しい状況です)から。
また、台湾海峡や軍拡の問題に対処する(ある意味「封じ込め」る)上では、米国と一致団結してプレッシャーをかけるのは極めて重要と思います。この点における日米の利害は一致しており、連携はスムーズで、日米同盟強化に役立つ効果もあるほどです。「2+2」もHacheさんご指摘の集団的自衛権もそのための重要なツールであり、大いに推進するべきだと思います。
ただ、少し脱線しますが、他国との関係が果たす役割は、無視はできませんが、過大評価するのも禁物と思います。次に掲載する「東アジア共同体」の記事でも述べますが、私にはどうもマルチの枠組みに過大な期待が寄せられる傾向があるように感じられます。例えば、過去の問題の解決のために、米国など中国以外の国で日本の取り組みをアピールするべきだという意見も有力ですが、それはまったくその通りと思います(中国系米国人など海外におけるアジア系の言論の影響力も無視できません)。しかし、そこに過大な期待をかけるのはどうかと思うのです。海外における日本の評判が悪くなるのを防ぐダメージ・コントロール以上のものは結局のところ期待できないかもしれません。なぜなら他国から見ればつまるところ他人事であり、興味は限られていますし、しかもセンシティブな問題にあえて首を突っ込むことも難しく(他の国々が同様の問題を抱えていたとして、我々が興味をおぼえ、介入しようと思うでしょうか)、また中国が外国の世論をどれほど気にするか疑問もあるからです。日中間で解決をするのが難しいから、多国間での取り組みに期待するかのような向きがあるように感じるのですが、やはり本質的には二国の問題であるように思います。
この件に限らず、本当に重要な外交の多くはマルチよりもバイ(か強い利害関係を有する数ヶ国)で決まるものです。搦め手から攻めることも重要ですが、最後は真正面からガチンコで向き合わざるを得ないと思います。
3.仮説と検証など
この点について、Hacheさんのような方にとっては、私の言っていることなど分かりきったことの繰り返しで、たぶんnothing newなんだろうと思います(笑)。
抽象化や新しい学説が持つ意義はまったくその通りだと思います。微視的な分析が重要と言っても、一定の方向性を持った視点がなければ、トリビアの寄せ集めになってしまいますよね。それに、実用という観点から離れてアカデミックに真理の追究に努めることも大事だと思います。
ただ、ご指摘の通り、自然科学と違って社会科学はどうしても実証の部分が弱いという面はあると思います。特に国際政治の理論がretrospectiveな(後付けの)理屈に過ぎないという批判はよく指摘されるところで、例えば経済学であればまだ政策やビジネスの担当者にとって役に立つツールとなる余地があるのでしょうが、多くの外交政策担当者は国際政治の理論よりも具体的な利益の比較考量などを中心にすえて考えていると思います。
抽象論に意味がないとは言いませんが、「話半分」に聞くべきであり、少なくとも、パワーや勢力均衡といった地政学的な見方を優先して、現実にその国で起こっているミクロの動きを軽視することは不適切かと思います。現代史や政治の動きを見る上では、理論よりもまずハードファクトを整理した叙述的な資料を押さえることが重要と思いますし、特に政策を考える際には「神は細部に宿る」とでも言うべき慎重な緻密さが求められると思います。
4.蛇足
まったく異論ありません。私の場合、もっと日中関係を建設的なものにするべく「攻める」余地があるのではないかと思っていますが(それは2.で述べた通り基本的には日中二国間の問題として取り組むべきと思います)、枝葉の部分であって、基本的な姿勢はHacheさんと変わりないと思っています。
非常に面白いお話だったので、くどくどと書いてしまいました。またどうぞよろしくお願いいたします。
>雪斎さん
お忙しいところ、お心遣いありがとうございます。
100%アグリーです(ぐっちーさん風)。
ケナンの論文の目的の一つは、第二次大戦からのソ連との協力関係の継続を楽観的に期待する風潮にカツを入れることだったのですよね。一方で、ケナンのアプローチは教条的ではなく非常に柔軟、現実的で、それがため分かりやすく強く一貫した姿勢を求める論者からは、二枚舌とかコウモリのようだと批判されたように思います。しかし、これはまさに雪斎さんがおっしゃる「外交の機微」を理解する実務家ならではの見解であり、現実は「仮想敵との戦い」とか「競争」といった一面的な見方で割り切れるような単純なものではないということを意識した結果だろうと思います。
私も「ソヴィエトの行動の源泉」というタイトルは非常に味わい深いと思っています。このことについてまた別の記事を書こうと思っています。
「中国の行動の源泉」を考え「切迫した意識」を持つために、雪斎さんのような方からのご発信は大変な意味があるのだろうと思います。今後ともご指導のほどよろしくお願いします。
>通りすがりさん
お言葉どうもありがとうございます。浅学ですので、ご教示とてもありがたく思います。
Carroll Quigleyは米国にいた頃、色々なところで言及されていて(ジョージタウンの友人から聞いたこともありますし、最近訪日したSteven Yates氏も論じられたようです)、私も抜粋は読んだことがあります。これほど昔の人が今なお影響力を持つのは驚きです。抽象的な理論ではなく、事実に立脚する実証的な記述は「陰謀論」で片付けられないものがあると聞きます。
米中関係については、時代の変遷や国民党と共産党の違いもありますし、なかなか一口に言えないところがあると思うのですが、どうなのでしょうか。(ただ、マーシャルによる国共内戦の仲裁のように、当時の米国が決して単純な反共自由主義ではなく、共産党に対する融和的な見方が知識人のみならず有力者にもあったことは重要であり、だからこそケナンの主張は意義があったのではないかと思います。)
<本コメントは22日に投稿していましたが、日本語がおかしいところが多かったので一部修正しました。>
もしこちらの記事が「日本の外交姿勢として必要なものは何なのか」をテーマに書かれているとすれば、読んで感じたのは:
1.日本としての外交的立場・戦略の一貫性
2.歴史・事実認識の積み重ねによるその立場の正当性アピール
ということなんでしょうね。
2に関しては、先日も歴史学者の友人と話しましたが、ここに来て「両大戦前後」の日本外交史へ光を当てようという若手(60年代生まれ以降)の挑戦が目覚しい、とのこと。やはりそれ以前はある種の呪縛に囚われた世代であり、この手の試みは実は日本では珍しいんだそうです。
1に関しては、外務省と政府、そして自民党内のごたごたを見る限り、まだまだという気がします。密かに民主党前原氏の試みなんぞは、従来の「主義主張はいいから、利害で党!」という訳の分からない日本の政治思想を打ち破ってくれるものと期待しています。
外務省は、一度解体するしか、もう手はないかもしれませんが、政治がそれだけ一貫したものになれば彼らも変わらざるを得ないでしょう。
後は、これだけ「マイナス」だったものが「ゼロ」地点に届こうとする努力までも「ナショナリズム」とレッテル貼ろうとする欧米メディア対策でしょうか。
コメントどうもありがとうございます。私も毎回ドキドキしながら書いています(笑)。
歴史は「科学」であると同時に国家の「武器」になることも事実と思います。政策に携わる人たちは、あらゆることを日本の利益と引き付けて考える責任がありますから、ある意味自分本位に考える必要もあるのでしょうね。そういう意味でも、ご指摘の通り、現実主義に基づく議論が受け入れられるようになった昨今の流れは、基本的には良いことなんだろうと思います。
非常に現実的な議論に駄レスで恐縮なのですが、小泉総理に「後に控えているのは、怒らせなくても怖いのばっかだよ。俺のときに手を打った方が、後悔しないと思うけど」と笑顔で迫って頂いたほうが、よかったりしてと思ったりします。
「封じ込め」関係でキッシンジャーの『外交』を読み返していたのですが、アメリカのナイーブさと自分を窮地に陥れてからの恐るべき回復力にあらためて感嘆しました。対中関係に限らず、アジア諸国との関係は、言辞は低くして、利害計算さえ間違えなければそれほど難しいとは思わないのですが、アメリカだけは難しい。中国相手に間違えても国が滅ぶことはなさそうですが、アメリカ相手に間違えると、やはり大変です。
真面目な議論の後で申し訳ないですが、一言。ぜーリックさん、かわいそう。
米国への対処の難しさは重要な指摘ですね。怖い国だと思いますよ。一番気をつけないといけない、言い換えれば、大事にしなくてはいけない国ですよね。
ゼーリックさんも大変でしたが(笑)、こちらの期待にこたえてくれるのはさすがですね。