For English, check ABOUT ME below the CATOGORY on the right.
やじゅんのページ/The World according to YAJUN



ときどきびっくりする言葉を耳にしますね。
例によってなんのこっちゃという始まり方ですが、世代やちょっとした時間の流れで、色んな言葉が生まれては消えていきますよね。今日はそのへんの話をします。

私は、別件があって人の誘いを断るときに「ベッケンバウアーです。」とオシャレに返すのが好きなのですが、これは結構古いというか、死語の部類に属しますよね。ベッケンバウアー自体が70年代のサッカー選手ですし。
まあ、そんなことも承知しながら、あえて自分より若い人に使うわけです。
そうすると、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)・・・『24』のことですか?」
「それはジャック・バウアー」
「哲学者でしたっけ?」
「それはショーペンハウアー」
などというお約束のやりとりになり、オヤジ扱いされて終わるわけです。

ところが、先日朝に情報番組を見ていたら、何でもいまは「ギャル喫茶」なるものが流行っていて、たぶん「メイド喫茶」「執事喫茶」からの流れを組むのだろうと推測しますが、それはどうでもいいとして、そこでは壁に「ギャル語」なるリストが貼ってあるそうです。
その中に、なんと「ベッケンバウアー」があったのですよ
これ、死語とかオヤジギャグとか言われたけど、めぐりめぐって最先端にきてるやん!と軽く興奮。その勢いのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。俺は旧人類ではなくてむしろ最先端にいたんだと。

まあとにかく、この「ギャル喫茶」に出ている「ギャル語」がなかなか興味深い。中でも個人的にインパクトがあったのは、「超レシーブ」でしたね。これはなかなかうまいと思いました。さっそくそのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。そしてしばらく「超レシーブゥ!」というメッセージをしばらくの間お互いに送りつけ合いましたよ。意味ですか?「レシーブ」を直訳してみてください。

話はまだ終わりません。この言葉を知った翌日に、たまたま20代の女性と話す機会があったのです。さっそく得意げに、「ベッケンバウアー」「超レシーブ」を使ってみました。知っているだろうと思って。そしたら、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)」
・・・あれ?なんかいつもおなじみのリアクション?
それどころか、そもそも「レシーブ」の意味も分からない人もいたりして、逆に軽いカルチャーショックでした。

じゃあ何が流行っているのか?と聞いてみると、今一番流行っている言葉は、なんでも怒ったときに「ぷんぷん丸」「ムカ着火ファイアー」「カムッチャッカインフェルノ」などというのだそうです。ソースとしてこんなツイッターのサイトを見せられました。
これは私の方が、
「???」「なんだそれ??」
となる番でしたね。

いや、私は、若い人たちが使う日本語は乱れているとか、そんな風にくさす考えをもったことは一度もなくて、むしろ、「チョベリバ」とか「ホワイトキック」とか、こういう造語はよくできていると思うというか、その発想と語感のセンスにはそれなりにリスペクトの念を抱いていたんですよ。「超レシーブ」にもこれに通じる感動がありました。
でも、「ぷんぷん丸」って・・・音の響きだけ?何のひねりもないというか・・・もはや幼児が話す片言の類ですよね。
あ、でもよく見たら、ムカ着火とかカムチャッカにかけているのか?もしかしたら、俺が気付かない、何か隠されたメッセージかリンケージがあるのか?でも、「レシーブ」すらピンと来ない人に、カムチャッカとか分かるのか?インフェルノなんて、イタリア語だけど、そんなに普及してたっけ?
・・・もう、どうでも良くなってきましたね。まあ、もちろん、最初からどうでもいい話なんですけどね

ここまでが、最近あった話として伝えたかったことなのですが、ただ、一つ社会的に興味深かった点を付け加えれば、若い人は思った以上にツイッターから情報を得ているんだな、ということです。
現代の若い人たちが日常的に情報の授受を行う場は、LINEとツイッターでほぼ尽きるようです。
これは意外と盲点というか、私ぐらいの年齢(30代半ば)以上の人たちには思った以上に理解されていない状況なのではないかと思います。

以前、ブログは便利だし、自分もこうして書ける場ができたのはありがたいけど、本に比べると文章が短くて、だんだん長いものが読まれなくなるんだろうなあと書いたことがありました。私が書くブログの文章すら一般標準から見たら相当長い方ですけど(だから読まれない(笑))、それでも伝統的な本や論文と比べたら短い。せいぜい随筆の類ですよね。
ところがツイッターはわずか140字。LINEに至ってはスタンプを使えば文字すら読み書きしません。そして若い人はもうこれだけで足りている。なんかもうどんどんコミュニケーションがシンプルというか記号のやりとりになってますね。
別にこれが一概に悪いというつもりもないです。長々と要点のないおしゃべりをするよりは、端的にポイントをつく表現にはなるでしょうし、スピードはずっと速くなりますよね。ただ、やっぱり思考の厚みは減るでしょう。色んな意味で現代的なんですね。
こんな言語とコミュニケーションの変化、ある意味、この後紹介する『昨日までの世界』の話でしょうか。強引か。

以上が、「ベッケンバウアー」に始まり、「ぷんぷん丸」に終わって思ったことでした。

前回の記事で、次回は米国について書く、とか言ってましたが、まさかこんな話がこんなに長くなるとは思わなかったので、また次に回します。
なんか、来る来る詐欺みたいになってますが。
まあ、もともとこんな感じでふざけたくだけたHPだったので、よくあることですから、昔から読んで下さっている方には特に違和感ないかもしれませんね。
とりあえず今週一週間がんばりましょう!(として強引に締めくくり。笑)

・・・
最近読んだ本。

■ ジャレド・ダイアモンド 『昨日までの世界』
『銃・病原菌・鉄』以前の記事にも書いたが、この本のタイトルの元ネタは、アルフレッド・クロスビーの『Germs, Seeds & Animals(病原菌・種子・動物)』。)、『文明崩壊』に続く、進化生物学者が語る文明論。
伝統的社会と現代社会との比較という主題を「空間の分割」、「紛争」、「子どもと高齢者」、「危険とそれに対する反応」、「宗教」、「言語」、「健康」という切り口から論じる。
「空間の分割」では、交易の記述において、おなじみの贈与と返礼について述べられるが、ここは文化人類学の金字塔モース『贈与論』、マリノフスキ『西太平洋の航海者』を思い出しながら読みたい。
「紛争解決」では、現代の司法システムについての記述が厚いが、ここは聞き慣れた法社会学の議論に文明論の風味を加えただけで目新しい発見なし。
「高齢者」では、伝統的社会と比較しての米国における高齢者の地位の低さ、食と性のタブーが高齢者を有利にするための規範という指摘が新鮮。以前にマリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(通称ATT)について書いたときに現代アフリカの政治慣習としてのgerontocracyに言及したが、その具体例も多く挙げられる。
「宗教」では、デュルケーム、ギアーツ、フレイザー、パーソンズ、ティリヒなどなじみ深い碩学の論が次々に紹介され、手軽な頭の整理になる。宗教の役割の歴史的変化と定義の説明は巧妙。
「健康」で述べられる西洋の食料史と高血圧・糖尿病は自分にとってなじみのなかった分野で、良い導入になった。
テーマごとに独立しているのでとっつきはよいが、反面、構築性の高かった前二作の骨太さは薄れた印象。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 飯島参与訪朝... アメリカの時... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
 
この記事のトラックバック Ping-URL
 
 
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。