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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



twitterを始めてみました。
想定されている利用法とはちょっと違う使い方をしている感じですが、何となく面白さが分かってきました。やられている人がいたらお知らせいただけるとありがたいです(私の友人やこのHPをご覧になるような方は、あまりやってなさそうですけどね・・・)。
使っているうち、このHPの記事程度の内容なら、twitterのつぶやきで足りる気がしてきた(笑)。
それではさすがにさびしいので、構成や主題ぐらいに気をつかって、少しは付加価値のあるものを書くようにしたいと思います。

twitterを始めたら、ブログを移転したいという気持ちが一層強まりました。
このgooブログではtwitterのタイムラインの表示ができないんですね。
gooブログには昔から不満がありました。youtubeの動画の貼り付けもできないし、更新したら時系列にアーカイブを作ってくれてもよさそうなのものを(他のブログではみんなそうなっている)、そういう機能も見当たらない。おかげで自分でいちいち作らないといけない。
長年利用しているサービスですが、ちょっと不親切にすぎるなあと、長いこと思ってきたところです。
といっても、どこがいいのか、移行も面倒そうだし・・・といざやろうと思うといろいろ悩みます。よいアドバイスがあったら教えてください。

それにしても、だんだん慣れてきましたが、140字でものを言うのもまた技術ですね。ブログのときにも思ったことですが、こういう技術が重視される中で、得られるものと失われるものが出てくるような気がします。

・・・

さて、今月号(3月号)の法学セミナーに「オバマのアメリカ」という特集が出ています。
この手の記事におなじみのジャーナリストや政治系の有識者の時事的なお話ではなく、法学者がその専門の視角から論じているのがなかなか新鮮です。米国と法学の両方に興味のある人には特にお勧めです。
ただ紙面の制約上深みに欠けるのが残念でしたね。政治や時事よりも、法学者の政治任用や法哲学の潮流の記事にもっと紙幅をさいて欲しかったところです(この種の記事で最近のものだと、渡辺将人さんのレポートが面白かったです)。

(言うまでもなく米国は最も「法化」の進んだ社会の一つ。そして法は西欧近代思想を特徴づける最大の産物の一つです。この話に限らず、どんな位置付けにせよ、法は欧米を語る上で必要不可欠な要素と思います。)

特集の中では、米国の「リベラリズム」の最新の動向も語られていますが、このリベラリズムを批判する有力な思想に、コミュニタリアニズム(「共同体主義」と訳されることが多い)というものがあります。

※リベラリズムは、ここでも何度も触れてきたテーマですが、一応注意を要する点を述べると、米国の「リベラル」というと、普通は、上記の特集の記事を含め、米国固有の歴史的含みと政治的文脈があり、(これも米国固有の)「保守主義」と対立する概念を指しますが、ここでいうリベラリズムは、そうした歴史性や政治性とは少し離れた(ただし関連性は非常に強い)哲学的な意味(特に正義論の文脈)での「自由主義」を指します。
(前期の)ロールズやドゥオーキンをご存じの方であれば、そのへんをイメージすると分かりやすいと思います。
(ちなみに、特集では、駒村圭吾教授が、前者を「歴史的政治的正調リベラリズム」、後者を「理論的哲学的真正リベラリズム」と呼んで区別している。)
興味ある方は前に書いた記事もご参照下さい。

先日、このコミュニタリアニズムをテーマにしたちょっとした勉強会に参加する機会がありました。
コミュニタリアニズムは、日本ではあまり取り上げられることがないので、耳慣れないかもしれませんが、米国では80年代から注目を集めてきた思想です。
非常におおざっぱに言えば、さきほど述べたリベラリズム -おそらく現代において最も影響力のある思想であり、日本においても、ほとんどの人が自明のものとして受容している思想ですが- が唱える個人の自律に対して、その前提とする「個人」とは、原子のように孤立した個人であるとして、その設定の限界を指摘し、共同体がもつ意義を再評価するというもの。
その多くは、ジョン・ロールズというリベラリズムの巨人(その『正義論』)に対する挑戦です(この文脈で、リバタリアニズム(「自由至上主義」「自由放任主義」などと訳される、現代米国でも極めて有力な思想)と一緒に論じられることも多い)。
共同体だなんて、今の時代あり得ないだろうとか、アリストテレスやアーレントの共通善の思想をイメージして、新しい話でもないのでは?というのが、初めて聞く人の大方の反応かもしれません。
(あるいは米国の共和主義を想起する人もいると思いますが、それとは強い関わりがあります。その点については、以前にも紹介したジョン・G.A. ポーコック『マキァヴェリアン・モーメント』が参考になります。)
たしかに古代の哲学者や米国の建国の父がモデルとしてあげられますが、単なる古い思想の復活ではありません(全体主義や有機体論とはまったく異なるものです。)。今の時代にまったく適合しない思想ではおそらくありませんし、むしろ、現代米国のコミュニティの機能といった、他の思想ではとらえきれていないアクチュアルな問題をつかまえていることが、これからあげる本を読むと分かると思います。

ここから本題、のはずでしたが、twitterの話もあり(笑)長くなってしまったので、次回に回します。

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コメント
 
 
 
難しい!けど、面白い! (Alice)
2010-02-25 15:52:37
 法哲学とか社会思想史とか政治思想史とかに疎い私からすれば、難しいお話です。
 それでも、面白いと感じるのですから、すごいですね。私のようなど素人が読んで、「難しくてよくわからないから、つまらない」となるのではなく、「難しいけど、面白いから、もっとよく知りたい、頭の中で、思想の系譜を整理してみたい」と思わせる力量というのは、本当に素晴らしいと思います。

 私は、経済学を少しかじっていたときにも、経済思想史や経済史は表層的にしかやっていませんから、これから書くことは、そっちの分野から見ても、外れたことかもしれませんが。

 「自由主義」と「保守主義」といった概念には、昔から、人によるゆらぎが大きいと感じて批判的に見ていました。

 私は、哲学的な意味(特に正義論の文脈)での「自由主義」に、関心を持ったのですが、この場合は、アメリカの民主党支持者のようなリベラリストとは異なる思想であるのは、わかりますが、経済思想の上での「自由主義」とは重なるように思われました。それは、合っていますか?
 ジョン・ロールズというと、公共経済学に対する影響くらいしか知りませんが、そこから察しても、個人に重点を置く思想という感じがします。
 しかし、そうだとすると、アメリカの民主党支持者のようなリベラリストとは、真逆の思想のようなイメージになってきます。
 実際には、そんな単純な区分ができるものではないでしょうが。素人には、全くもって、全体像をつかむのが難しい分野です。

 「コミュニタリアニズム」に至っては、『「コミュニズム」の親戚ですか?』状態になってしまいます。
 したがって、「共同体主義」が、「社会民主主義」とどう違うのかわかりません。
 「共和主義」というと、「君主制」に対して反対する政治体制を支持する思想のイメージが、強く、アメリカでいうと、「イギリスからの独立」に関する思想のニュアンスを感じてしまいます。
 ですから、「えっつ、共和主義と共同体主義が同じようなものなの???」という感じで、いまいち、思想体系の整理が・・・(T_T)

いいかげん、時間の余裕を作って、やじゅんさんのお勧めの本を読んでみたいですが、能力的に、当分無理そうでして・・・(^^;)
 
 
 
gooブログについて (russiandrian)
2010-02-28 01:57:24
やじゅんさん、いつも楽しく読ませていただいています。

私もgooブログ使っていますが、youtube動画の貼り付け方としては、
1.貼り付けたい動画の右側にあるURLとembedのうち、後者の四角で囲まれた文字列の部分をクリックする。
2.そうすると色んな選択肢が登場しますが、それらをいじらず、先ほどの文字列を反転させてコピー。
3.これをgooブログのブログパーツ変換機能で変換させれば、ブログに貼り付け可能な文字列を作成してくれます。
4.これを記事の、動画を貼り付けたい箇所にコピペ。
で大丈夫だと思います。

お忙しい中沢山の本を読まれ、日々研鑽をつまれているやじゅんさんを本当に尊敬します。これからもブログにツイッターに楽しみにしています。

それでは。
 
 
 
簡単な整理 (やじゅん)
2010-03-01 13:05:26
>Aliceさん
いつもありがとうございます。
毎回、自己満足に終わってしまってるな・・・と思っているので、そんな風に感じていただけるとうれしいです。

経済思想の「自由主義」は、アダム・スミス型の市場重視、小さな政府といった古典的な思想ですよね?
哲学的リベラリズムは、普遍的な概念である(ことを目指す)意味で、米国の政治的(党派的)リベラリズムとは異なりますが、財の再配分の重視に帰結する点で、かなりの部分重なり合います。実際、ロールズは、70年代の登場時点では、リベラルの理論的指導者のような存在でした。つまり、古典的な意味での経済思想の「自由主義」とは違うものと思います。その「自由主義」に近いのはリバタリアニズムと思います(そしてリバタリアンは基本的には米国の「保守主義者」に属する)。
「個人」に重点を置くのはそのとおりなのですが、リベラリズムの想定する「個人」とは、「自律」や「平等」といったある実体的な内容を含んだ概念なのです。その「個人」の内容の実現のためには、国家が積極的に介入することが許されることになります。これは「積極的自由」「カント的自由」の実現とも言えます。これに対し、リバタリアニズムは「消極的自由」つまり純粋な自由放任それ自体を価値とします。つまり同じ「個人」や「自由」という言葉を使いながら、違う前提に立って論じているわけで、ある意味象徴の奪い合いのようなことがおこっています。これが議論を分かりにくくする一因と思います。

「共和主義」ですが、これは、ギリシャ・ローマから始まり、中世・近代初期の欧州の市民的ヒューマニズムに表現された、近代西欧民主主義のバックボーンをなす思想で、私的利益の集合には尽きない「公共善」(public good)を想定し、その実現を目指す「市民的徳」(civic virtue)を説くものです。この思想は、自由主義や民主主義とは、相反するものではないし、重なり合う部分も多いのですが、ローマの共和制を見てもわかるとおり、これらと必然的に一致するものでもありません。

米国についていえば、民主主義がこうした(ローマ的)共和主義と(ロック的)自由主義のいずれを基調としてきたのか、あるいはすべきかについては、歴史家や思想家において一つの論点をなしています。(この論争は、米国の建国史が、欧州世界の延長(政治的にはイギリスからの独立であっても世界観としては欧州の一部)にあったのか、まったく別の米国的伝統の始まりとしてとらえるかにも関わる部分でもある。)

共同体主義は、この古来からの共和主義の現代版とも言えるものです。おそらく現代の共同体主義者は、有名な人はすべて、個人の自由は認めています。ただ、その自由とは、共同体から切り離して独立に論じられるものではない、と指摘したいのです。その意味では、全体主義や共産主義とはまったく異なるもので、むしろリベラリズムに近いところがあります。

勘違いや理解不足もあると思いますが、現時点での自分の理解はこんなところです。
問題提起をしていただいて、自分の頭の整理にもなりました。ありがとうございます。
 
 
 
励みになります (やじゅん)
2010-03-01 13:05:48
>russiandrianさん
はじめまして。
暖かいお言葉、ありがとうございます!!

なるほど、youtubeの貼り付けはできるのですね。しかし、かなり込み入ってますね・・・gooブログは基本的にこういうことをやらせたくないのでしょうか。

正直なところ、移行はかなり面倒くさそうなので、できればここにとどまりたいです。twitterのタイムラインを何とかして欲しいですね。待っていればいずれしてくれるのかな。。。

そんなお言葉をかけていただけるほど、大したことはしていないのですが、とてもうれしいです。これからもどうぞよろしくお願いします。
 
 
 
ありがとうございます (Alice)
2010-03-03 08:43:39
ご丁寧に教えて下さってありがとうございます。
「なるほど」と得心することもあれば、「そこが少し複雑でわかりにくい」ということもありました。
そこで、ちょっとまたコメントさせていただきます。

>経済思想の「自由主義」は、アダム・スミス型の市場重視、小さな政府といった古典的な思想ですよね?

大体はそんな感じです。アダム・スミスやデヴィッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミル、アルフレッド・マーシャルらの古典派と、レオン・ワルラスやアーヴィング・フィッシャーなどの新古典派をざっくりと纏めた感じで用いております。新聞などの一般用語としての「自由主義経済」をイメージしております。アルフレッド・マーシャルが古典派か新古典派かは、その人の主観によるでしょうが。

>古典的な意味での経済思想の「自由主義」とは違うものと思います。その「自由主義」に近いのはリバタリアニズムと思います

なるほど。財の再分配を重んじるとなると、確かに異なりますね。

>普遍的な概念である(ことを目指す)意味で、米国の政治的(党派的)リベラリズムとは異なりますが

そこのところがどうもわかりません。「普遍的な概念」というのは具体的にどういうことで、どのように党派的リベラリズムと異なるのでしょうか。

>リバタリアンは基本的には米国の「保守主義者」に属する

ここのところもわかりにくいのですね。経済学部でやった政治学の入門編レベルでは、「キリスト教民主主義」「自由民主主義」「社会民主主義」というのを習いました。
アメリカにおいて「保守主義」が「自由主義経済」となじみやすいのは、わかります。
日本では、ケインズ学派やその影響を受けている経済心理学や経済物理学、ニュー・ケイジアンが「保守」を名乗る政治家やオピニオンに好まれるようです。
それに比べれば・・・という感じはしますが、どちらかというと欧米の「保守主義」には「キリスト教民主主義」を感じます。
キリスト教重視、伝統重視、家族を社会の基盤とみなし、家族の団結を重んじる、同性愛は認めない、中絶は反対、移民を大量に受け入れることに批判的、やや女性蔑視(オンナは家を守れ!!)、アメリカの場合だと、銃の保持を認めろというのがプラスアルファでくっつく。
そういった感じです。
しかし、それらは、必ずしも「自由主義経済」に結び付くわけではありません。
どちらかというと、「自由民主主義」の方が結びつくように思われます。
「自由民主主義」なら、女でも移民でも同性愛でも、能力があるのものは大歓迎。
中絶もOK。家族の団結より、個人の選択する権利を重視する。
「自己責任」だからこそ、「選択は自由」が基本。
「キリスト教民主主義」は同じ宗教の経済的弱者に寄付とかしちゃいそうです。

>リベラリズムの想定する「個人」とは、「自律」や「平等」といったある実体的な内容を含んだ概念なのです。

迫害者を救えとか、機会の均等よりも結果の均等といったことでしょうか?
 
 
 
Unknown (Alice)
2010-03-03 09:01:55
長くなったので、切りました。すみません、うまくまとめられなくて。

>「共和主義」ですが、・・・私的利益の集合には尽きない「公共善」(public good)を想定し、その実現を目指す「市民的徳」(civic virtue)を説くものです。

これは新鮮な驚きでした。「ギリシャ・ローマから始まり、中世・近代初期の欧州の市民的ヒューマニズムに表現された、近代西欧民主主義のバックボーンをなす思想」だということについては、そう理解しておりました。
しかし、私は正直、「共和主義」をもっと薄っぺらい思想かと誤解しておりました。
民主主義ならば、別にイギリスのように「王室」があっても構わない。
「共和主義」は「共和制」や「共和国」につながるもので、概念的にはかなり「民主主義」に重なるけれども、「共和国」を名乗る国で民主主義が実現していない国は沢山あり、基本的に「王室」「皇室」を残さずに、全て市民で政治を行うことを旨とする。
そう考えておりましたが、「公共善」「市民的徳」を説くとなると、もっとずっと奥深い思想だったわけですね。
しかし、そうなると、特に「自由主義経済」と矛盾するものでは、なくなってくるようです。
「自由主義経済」は政治の介入を嫌いますが、政府を介さない市民の自発的な相互扶助には積極的に支持をしていたと記憶しております。

しかし、そうなってくると、

>共同体主義は、この古来からの共和主義の現代版とも言えるものです。

というのが、よくわかりません。
共和主義は、「リベラル」と矛盾しませんが、「自由主義経済」とも矛盾しないように思えます。

また、「共同体主義」って、「社会民主主義」とどうちがうのだろう?というのが、やはりよくわかりません。

もちろん、「共産主義」「無政府主義」「全体主義」との違いはわかりますが。

素人ですので、そちらの分野を勉強している方には常識のことでも、よくわからないことだらけです(^^;)
お忙しいと思いますので、スルーしてもかまいませんから。 
 
 
 
アバウトな整理です (やじゅん)
2010-03-06 02:33:08
>Aliceさん

また、興味深いご指摘ですね。なるほど、と思いました。

>「普遍的な概念」というのは具体的にどういうことで、どのように党派的リベラリズムと異なるのでしょうか。

ご存じのとおり、古典的な経済思想の自由主義は、身分制社会から解放された均質的・合理的な「個人」像を前提としたものであり、封建社会の規律を脱した取引の自由、契約の自由と軌を一にするものでしたよね。この自由主義は、欧州ではバークに代表される「保守主義」に対抗する思想でしたが、身分制社会を経験しなかった米国では「保守主義」として位置付けられました。その後、貧富の差の拡大につれ、社会的安定のため、富の再分配による「平等」の実現、社会福祉政策が必要となりますが、それを明確に提示したのが政治的「リベラリズム」、特にフランクリン・ルーズベルトの民主党が提示したニューディールでした。この意味のリベラリズム(≒社会民主主義)は、基本的には民主党の政策思想と一致するものであり、便宜上「政治的」リベラリズムと呼びます。

政治的リベラリズムは、経済学(厚生経済学)のような社会科学においては先端的な思想で支えられましたが、哲学的には、分配の理論を提示することができない功利主義と卓越主義が強力な思想の時代の中、保守的な自由主義の思想家としてハイエクらがいるのに比べれば、体系的な理論が不在でした。特にジョンソン以降民主党リベラルが失墜する中で、哲学的基盤の要請は高まります。その状況の中で、分配的正義を純理論的な哲学として提示したのがロールズだったのですね。彼は「正義」を至上とする確信から出発して、その一般的構想としての「正義の二原理」を明らかにし、そこで考えられる「自由」とは何か(rationalではなくreasonableな自律)、法システム・経済システムとは何か、というまったく新しい組み立ての議論を展開します。このような社会政策や米国ローカルの党派性と離れて、普遍的な哲学として分配の必要性を説くものが「哲学的」リベラリズムということです。

>欧米の「保守主義」には「キリスト教民主主義」を感じます。

前述の通り、まず欧州と米国の「保守主義」は分けて考える必要があると思います。
保守主義の源流には様々な要素がありますが、欧州での一つの主要な要素がカトリシズムであることは間違いありません。ただカトリシズムの位置付けは非常に複雑で、政治的にどう扱うかは国によっても時代によっても異なります。
米国の場合は、プロテスタンティズムですが、多元的な宗派に分かれていて、欧州のような統一的な宗教思想を指摘することは困難と思います(そこで「セクト/チャーチ」や「市民宗教」といった概念で説明がされます)。保守主義の要素の中にキリスト教があることは間違いないですが、欧州とはかなり事情が異なります。70年代までは穏健な「市民宗教」的イメージであったと思いますが、80年代から宗教右派の力が強くなるので、時代によってもその位置付けが異なり、保守主義との関係は具体的に見ないとなかなか難しいと思います。
これらのキリスト教思想が、経済政策とどう関わるかは、難問というか、今の自分にはちょっとよく分かりません。たしかに救貧政策には結びつきそうですが、それこそ(政府ではなく)自分達、コミュニティの自助の問題として扱う面もあるでしょう。通常「保守主義」の経済政策を決めるのは、上記の市場重視かリベラリズムかという対立軸が主で(少なくとも米国の場合そう考えて問題ないと思います)、キリスト教との対応関係という形ではおそらくいちがいに答えは出せないのではないかと思います。

>共同体主義

これは、「その2」で書きますが、共同体主義の一つのポイントは、①(哲学的)リベラリズムの言う自由で独立した個人なんてあり得ない、なぜなら人間は環境(共同体)に影響されて育つからだ、ということと、②リベラリズムのいう「正は善に優位する」という考えはおかしい、まず「善」、すなわち善き生き方を考えるべきなのだ(これはまさに共和主義の言う「徳」につながります)、ということです。
これは、公共性をどう考えるか、という根源的な問題で、そこから自由経済か社会民主主義かのどっちだ、という問題には、おそらく直接には対応しないでしょう。そういう意味ではちょっと議論の座標軸が違うということかと思います。

ちゃんとチェックしないで自分流の解釈を書いているので、間違いも多いと思います(苦笑)。大体の感じで受け取ってください。
 
 
 
ご多忙にもかかわらず、返答ありがとうございました (Alice)
2010-03-06 10:57:39
 やじゅんさんは、実務家としての勉強もお忙しいのに、どうも申し訳ありません。

 こんな素人の質問に丁寧に答えていただいて、感謝いたします。

 お陰で、すっきりしました!!
 もちろん、わかった気でいるだけで、本当のところは何もわかっていないのでしょうが(^^;)

日本の保守主義がヨーロッパの保守主義とは異なるということはわかっていましたが、ヨーロッパとアメリカもずいぶん異なるものですね。

 お陰様で、ようやく頭の中がクリアになりました(^o^)
社会科学の一分野である経済学の学部と修士にいたくせに、「歴史」と「思想」に疎くて、ご迷惑をおかけいたしましたm(__)m
歴史と思想と法律、会計は超適当だったつけがきているようです(^^;)

理論に精通した実務家のやじゅんさんのさらなる活躍に期待しております(^0^)/
それでは、また。






 
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