4.韓国製品の話はとても重要な指摘だと思います。車と電化製品の分野における韓国財閥の進出は目覚ましいものがあります。イメージはまだまだ「安かろう、悪かろう」ですが、かつてのmade in Japanの進出力に近いものがあるかもしれません。それから、これは余談ですけど、米国の韓国料理レストランは、mitsuさんご指摘のアメリカナイズされたものが多いと思いますが、そういうところで日本料理とのフュージョン系を狙っているのもよくありますね。店名が「Hibachi」だったり(これは韓国語化した日本語かもしれませんが)、寿司が置いてあったり。
1. Chan Ho Park: baseball player. used to be LA Dodgers but now with Texas Rangers. 2. Seri Pak: LPGA professional golf player 3. Dae-jung Kim: (you know who ^^) 4. Woo-seok Hwang: stem cell researcher, Seoul National University professor in biotechnology, cloning pioneer.... 5. Kun-hee Lee: chairman of Samsung Group
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ところで、「浪花節」仮説ですが。
接写は、これが楽しいと思っているのですが、どうなんでしょうね。
お久しぶりです・・・と言っても毎日情報を発信されている雪斎さんの文章を拝読していると、勝手ながら身近にいるかのように感じてしまうのですが(笑)。
浪花節仮説は楽しいです(笑)。雪斎さんの「赤い河」のたとえなど、米国人にも話せば喜んでくれそうな気がしますね。私の敬愛する阿川尚之さんは、米国で一番気持ちよく過ごせるところは南部であるとよく話していました。
(浪花節といえば、これはまったく別次元の話ですが、重光葵の英語が「浪花節のような英語」(=よく分からない英語)と酷評されたことがあるのを思い出しました。うなるように話していたということか。)
良くも悪しくも、米国人の純粋さ、ナイーブさというものは、欧州の斜に構えた雰囲気とずいぶん異なる気がします。反知性主義の伝統や直情径行など一概に良いと言えない部分もありますが、日本人のみならず外国人から見てつき合いやすいというところは大いにあると思います。
仕方ないので雑談をします。私は今ニューヨークに住んでいますが、文化の面での他のアジア文化圏、特に中国系・韓国系の影は不思議なほどに薄いです。どちらも人口・購買力共に日系を圧倒しているはずなのですが…。ニューヨークの若者向けのレストランガイドTimeOutでは、Japaneseが14ページに対しChineseが7ページ。食べる値打ちがある料理を出す店の数という視点からは日本人の目から見ても比率は逆だろうと思うのですが、アメリカ人に訴求できるレストランの数はこんなものなのでしょう。他の文化分野ではもっと比率は悪くなる気がします。
一つ分からないので質問なのですが、現代の(大陸)中国人でも、アメリカの文系の大学院に来るような人は中国の古典思想について充分な知識を持っている、例えば四書五経に老荘、二十四史あたりは一通り諳んじていたりするんでしょうか?僕の廻りの中国人はあまりその辺に詳しくなく、「非林非孔の後に育った人に中国古典の話を聞くのは現代インド人に仏教の話を聞くようなものかなぁ」などと思っていたこともありまして教えていただければ幸いです。
はじめまして、
横からで恐縮ですが、お伺いさせてください。
「米国の中の日本人」といえば、イチロー、松井秀喜のような人物は誰でも考え付くと思いますが、「米国の中の中国人、韓国人」というのは、誰が有名なのでしょうか。こういう象徴的な人物の存在は、結構、大事だとおもわれます。
私は、「浪花節仮説」に批判的ですが(笑)、日米で共有しているのは、自由と民主主義という価値もさることながら、「もてる国」という地位とそこから生じる余裕だと思います。ネットでは反中国・反韓国の極端な議論がもてはやされますが、リアルでは「困ったちゃんだなあ」という反応がほとんどです。日本人はだいぶ成熟してきていると思います。おこがましい表現で恐縮ですが。
中国人で松井・イチローのような位置にあるといえばNBA・ヒューストンロケッツの姚明選手になるのでしょうか。選手としての活躍は松井やイチローを凌ぎますし人気もある選手ですが、アメリカのメディアで「中国人の代表」として扱われているかというとどうなのでしょう。地域の文化を背負っているという意味ではジャッキー・チェンを筆頭に香港の映画人の方々がいらっしゃいますが、彼らへの評価が香港・中国の現代文化への興味に繋がっているかというのも、うーん。
韓国人はどうなんでしょう。ごめんなさい。すぐには出てきません。
最近当地で放映されたニューヨーク市クイーンズ区を舞台としたTVドラマで主要人物20人の中にアジア系が1人しかいないという話がニュースに取り上げられました。ちなみにクイーンズ区の人口の3分の1は中国・韓国系を中心としたアジア系です。その記事では他のTVドラマや映画などでアジア系の取り上げられ方を分析し、アジア系の配役は比較的若い男性、眼鏡を掛けていて細身で秀才だけどちょっとオタク入っていて…というものばかりで、黒人やヒスパニックに比べてもステレオタイプに偏っていると述べていました(ソース失念!申し訳ありません)。多くのアメリカ人にとって、アジア人は今ひとつ「顔の見えない」存在ではないかと思います。
ただ、韓国については面白いことに、この2年ほどでマンハッタンに「アメリカ人相手の韓国家庭料理の店」がぽつぽつとながら出来はじめてきたのです。韓国人・日本人相手のいかにもという焼肉屋ではなく、「ソウルでお洒落な店ってこんな感じなんですけどニューヨーカーの皆さんも分かってくれますよね」と言いたげな店。もちろん韓国がそれなりに豊かになったことも原因なんでしょうけど、2年前という時期が三星が携帯電話で一定のブランドイメージを確立した時期に一致することと無縁とは思えません。国家のソフトパワーというのはなんだかんだ言ってコンシューマー製品のブランドパワーに依存するのですね。
>mitsuさん
興味深いご指摘どうもありがとうございます。
1.米国でのアジア系のプレゼンスについてですが、NYが米国の中でも特殊な地域という点には注意が必要かもしれません。一般的に言って、アジア系スーパーの数や充実などを見る限り、やはり中国系は相当強いと思います。例えばカンザスのような中部の田舎に行くと、アジア的要素を見出すことがほとんどできませんが、それでも中国系スーパーマーケットは存在します。この地域における非アジア系にとって「アジア」はこの中国系スーパーでしかないということになるでしょう。ワシントンでも、日系スーパーは小売店が数件あるだけで、大型店は中国系か韓国系になります(ので、私は日系スーパーはほとんど利用しませんでした)。
韓国系は、基地の関係から思ったより移民が多いですね。彼らは結束力の強さに特徴があり、多くの大都市にコリアタウンを作っている印象があります。例えば焼肉やカラオケに行こうとすれば、いくつかの都市に住んだ私の経験では、まずコリア地域に行きます(韓国系米国人については、コリアタウンの他にも宗教右派とのつながりなど、興味深い側面が多々ありますので、そのうち独立した記事を書いてみたいと思っています)。ちなみに、この結束した地域を作り出す傾向は、ベトナム系にも見られる気がします。
ただ、特定の地域に集中することは、その地域に行けば強いプレゼンスを感じ取れる一方で、排他的とは言わないまでも非開放的な雰囲気を作り出す面はあると思います。彼らは彼らのフィールドで生活が完結するため、あえて外と交わる必要がなくなるからです。エスニシティを跨いだ領域で活動する必要はなくなると、地域外でのプレゼンスの薄さにつながるような気がします。
韓国と比較すると、中国系はその国に同化する傾向が強く、また日本系は民族的に結束する傾向が薄いため(コミュニティはあってもタウンを形成することは少ないと思います)、どちらかと言えば、薄く広く拡散している気がします。中華料理や日本料理が米国の中にすっかり溶けこみ、またmitsuさんのおっしゃる情報誌に日本の情報が多いのも、このことが関係しているのではないでしょうか。つまり、中華料理はあまりにも当たり前に存在していることからかえって目立ちにくい面があるでしょうし、また中華料理も韓国料理も特定の地域に密集し、そこに生活する人達だけで商売が成り立っている面もあると思います。
(一方で、日本のポップカルチャー人気でも述べた通り、日本文化が妙に米国人の琴線に触れている部分は確かにあって、過大評価は禁物である一方、非常に嬉しいところではあります。例えば、日本語の「オハヨウ」や「サヨナラ」はアジアのことを知らない米国人にも知られていたりしますが、同じ意味の中国語や韓国語がそれほど知られていなかったりします。)
2.現代の中国人の若者の古典の教養については、私も知っている限りでは、学校の授業でやっている程度で、それほどきちんと読んではいないと思います(毛沢東選集を持っている人は意外と多いような印象)。我々の源氏物語や平家物語との距離感に近いのでしょうか。ただ、読まれていないにしても、その精神や思潮は生活の随所に影響を与えるものですから、古くから続く中国人のメンタリティというものはあまり変わっていないのではないかと思います。それから、歴史好きであることは確かです。ちゃんとした正史は読まないまでも、略史や小説は人気があります。これも正統の連続の歴史観、人治主義の秩序の考えが根強く残っている部分と関連があるように思います。
3.雪斎さんへのご回答にあったTVドラマですが、昔黒人について全く同じ指摘がなされたことを思い出しました。むべなるかな、という感じですね。アジア系は絶対数の少なさもあって、マージナルに見られるときはあると思います。黒人がBETを持ち、ヒスパニックの放送が増えているように、アジア系も数が増えれば状況が変わってくるかもしれません。あと、地域差もありますから、例えばカリフォルニアなどではちょっと違いますよね。
4.韓国製品の話はとても重要な指摘だと思います。車と電化製品の分野における韓国財閥の進出は目覚ましいものがあります。イメージはまだまだ「安かろう、悪かろう」ですが、かつてのmade in Japanの進出力に近いものがあるかもしれません。それから、これは余談ですけど、米国の韓国料理レストランは、mitsuさんご指摘のアメリカナイズされたものが多いと思いますが、そういうところで日本料理とのフュージョン系を狙っているのもよくありますね。店名が「Hibachi」だったり(これは韓国語化した日本語かもしれませんが)、寿司が置いてあったり。
>雪斎さん
mitsuさんへのご質問ですが、大変面白い視点ですね。
mistsuさんのおっしゃるとおり、ヤオの存在感はかなり大きいと思います。イメージとしてはカンフーも大きいですよね。ブルース・リーやジャッキー・チェン、ジェット・リーを挙げる人も多いと思います。歴史や思想に興味のある人は、孔子、孫子、老子に異様に憧れていたりします。『マトリックス』などカンフーと老荘思想に相当影響を受けていますし、米国人に「Confucius (or Lao-tze) says...」などと思わせぶりに話すと、妙に感心されたりすることもあります。
韓国人については・・・大リーガーは数人いるので知られていますが、難しいですね。試しに何人かの米国人の友人に聞いてみたところ、やはり大リーガー以外は思い浮かばない様子でした。ただ、これは米国人がエスニック・バックグラウンドに無頓着のところも影響しているようです。パクが中国系だと思っている米国人も沢山いるでしょうが、悪気あってのことではないと思います。
>Hacheさん
中国も韓国も近代国家としてはまだまだ若いということだと思います。ただ、日本も果たしてどこまで「成熟」していると言えるのかどうか。成熟していると願いたいところですが、私はまだまだ中国や韓国を他山の石として見るべき部分が大きいと思います。自戒の念も込めて・・・。
>ぐっちさん
はじめまして。以前TBを頂いたときから拝読させて頂いております。大変勉強になります。ソ連にいらしたのですか。それはすごい。
ぐっちさんが記事に書いておられた中国の日本語の借用などを見ても、いかに日中がお互いに強い影響を及ぼし合っていたかが分かるものです。周恩来らも河上肇の本から共産主義の理論を学んだそうですから。こういう密接なつながりは非常に大事なことだと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
好奇心に駆られて、「日本人はどうですか?」と聞いてみたのですが、やはり日本人はずっと開放的というか、学生としてみたときに日本人同士でつるんでいることがほとんど無い、とのことでした。カナダ国内における中国人と日本人を比較すると、日本人は全員外国語会話に支障が無く、つまり必要なだけの教育を母国で受けてきた人のみが渡航している。一方、中国系はそうではないので、結果的に自分たちで閉鎖的に固まって居住せざるを得ないのだろう、と分析されていたのが印象に残っています。
中国の反日デモより私が良心の危機を感じたのは拉致問題でした。「横田めぐみさんがいると北朝鮮が主張している精神病院というのは共産圏でいえば強制収容所と同じでありまして」などという話を伺うと、「金正日、逝ってヨシ」と感じてこれはあやういと思いました。拉致問題はどこか日本人のあやうい琴線に触れるので家族の方々には誠に申し訳ないのですが、現在ぐらいの扱いに抑えないと危ないかもと感じます。
本題からあまりにそれて恐縮ですが、米国留学経験者からやじゅん様と逆の印象を聞いたこともあります。私自身は、その人が○○人であるかということより、個人を単位としてしか見ておらず、日本人どうしでも付き合いやすい人もいれば、そうでない人も少なくなく、外国人も同様だろうと平凡に考えております。
興味深いお話ですね。
留学生について触れられていましたが、一世か二世かでまた違うところもあるかもしれません。一概に言うのは難しいとは思いますが、エスニシティによって、住んでいる国に同化するか、同じバックグラウンドの人と固まるかは、ある程度傾向がある気がしますね。
日系人は、概してその国に同化する傾向が強いと思います。最近は変わってきた気もしますが、イノウエ議員とか、マイク・モチズキとか、標準の米国人以上に日本に厳しいコメントをつけてくることもあったりします。期待感の表れかもしれませんが。
一方で、南米の日系人は、日本人街を形成し、(特に昔は)皇室への畏敬の念や伝統文化の維持に力を入れていた面もあるようです。当然のことでしょうが、住まう環境によっても差があるということでしょうか。
ところで、アジアの中では、グローバルな商業活動・移民については、中国人とインド人が突出している印象が私にはあります。ユダヤ人もそうですが、古くから蓄財を肯定するエートスとでも何か関係があるのでしょうか。
>Hacheさん
他山の石については、一般的な意味で私たちも努力しなくてはいけませんね、という檄?程度のものでしたので、特定の問題を念頭に置いていたわけではありません。イメージしていたのは、民主主義を昨日させるために、政治家もメディアも国民一人一人も一生懸命頑張らないといけない、という一般的なお話でした。
ただ、私の心配の一つは、中韓の動きに対する日本国民からの感情的な反発ですね。Hacheさんがおっしゃる通りで、私も昨今の中韓の行動の中には、お互いにとって決してためにならない、自己破壊的で無茶苦茶なものが多々あると思います。しかし、だからといって、無茶苦茶に対して、心ない中傷によって非理性的な反発をすることが建設的だとは思いません。テロですらその発生には背景があるように、彼らの無茶苦茶にもそれなりの理由があります。その全てに日本が責任を負っているとは思いませんが、日本だけで解決なり緩和なりできるところがあるのもまた事実だと思います。それをきちんと理解して、ではどうすることがお互いにとってためになるのかを考えること、それを相手に分かってもらう努力を続けることが何より重要だと思います。それには時間も必要でしょう。日本人には忍耐と理性に基づく計算が求められると思います。
拉致問題については思うところがあるので、ちょっと記事に書いてみようかと思っています。私は北朝鮮という国家に対して何のシンパシーもありませんし、いずれ滅びるべき体制だと思います。しかし、拉致問題の進展については、ある種の向こうの事情も怜悧な視点で考える必要もあるのではないかと思います。これも中韓の話と同じで、何をすることが結局プラスになるのかを、冷徹に計算することが求められていると思います。
日本の選択を支える国民の一人一人が、以上に述べたような理性的な判断ができるかどうかは、日本が最終的にどのような選択をするにせよ、非常に意味があり、望まれることだと思います。もっとも、Hacheさんがおっしゃる通り、日本人は十分成熟しており、私の心配など杞憂かもしれません。そうであれば誠に結構なことだと思います。
ある国民がどのような傾向があるかどうかは、やはりそれなりのバックグラウンドがあるからこそ言えるものだと思いますから、その事情を色々分析することには、それなりの意味があるのではないでしょうか。ただ、ある傾向が全ての国民に当てはまるわけではないのは当然のことですし(私もそのような言い方を避けてきたつもりです)、Hacheさんのおっしゃる通り、国民一人一人をとれば、結局個人次第であるという視点は忘れてはならないと思います。
絶対数が少なく容貌が溶け込みにくいアジア系は、無意識にせよ見た目が同じでも出身国人のような後進性を抱えているのとは違うのだというのを周囲にアピールし、アメリカ的で無いものを拒否するというのをアイデンティティとして求めるパターンになりやすいです。
さらに注意すべきは上と矛盾するようですが、アジア系移民の出身国との精神的紐帯の強さです。先の大戦で日系二世、三世は忠誠先を日本とするかアメリカとするかで問題にしましたし、フィリピン、韓国、台湾の民主化を支援したロビー活動の資金は二世、三世を含む移民からの献金です。海外の反日運動には移民にこうした精神的土壌があることも一因でしょう。
(国を見捨てざるを得なくなっての移民というより、出稼ぎ意識の移民というほうが実態に即しているのかもしれません。ちなみに日系が出稼ぎ意識での移民でなくなり、一層の同化が進んだのは移民禁止法以降は母国文化を伝えるニューカマーが集団的にはほとんどいなくなり、また第二世代以降が移民集団の中で多数になると同時に成人世代として社会の中心になったからです。)
貴重なご教示ありがとうございます。
二世が出身国に厳しい姿勢をとる背景にご指摘の事情があることは、よく言われるところですね。
特に前回のコメントで述べたイノウエ議員やホンダ議員、(私の恩師でもある)スタンフォードのダニエル・オキモト教授のような年配の世代は、若い頃ずいぶん偏見に苦しめられたそうで、意図的に日本や日本語の勉強を避けたりしたそうです(先の大戦について言えば、イノウエ議員は勇猛果敢な米兵として活躍し、右足を負傷し、英雄視されました)。今はだいぶ状況も良くなったと思うので、モチヅキ氏のような若い世代はそこまでの経験はないのだと思いますが。
とにかく中国朝鮮半島の国にも民主化志向の人々がおり、これらの人々とは会話を楽しむことができる。
日系アメリカ人について初めて読んだのがダニエル・オキモト教授の著作でした。
人種、文化、などで外交を判断するのは危ういということでしょう。人種が同じでも日系アメリカ人の忠誠先はアメリカですし、金正日は映画寅さんシリーズの愛好者と聞きます。
外交の一手段としてソフトパワーですが、外交政策への影響としては民主主義を採っている国においてのみでしょうし、たとえ民主主義の国でも重大な外交政策の立案、決定には影響がないでしょう。独裁政権は民衆の意見は無視できますし、他所から見れば共通の文化と歴史を持ち、王室がお互い縁戚関係だったヨーロッパですら戦争に至っています。
WW2以降においてはイデオロギーの違いこそが決定的なものとなり、ソ連がロシアになった今もこれが変化しているとは思えません。共産主義の脅威は低下しましたが、自由、平等、博愛、法治といった近代的価値へ異議を唱える国が無くなったわけではありません。こうした国の多くが国境変更も唱えていることに注意すべきでしょう。
たとえ短期的には国益を損なうように見えても近代的価値を外交の判断の基準に置くべきでしょう。例えが極端ですが、沖縄からアメリカの軍事基地をなくすため日米安保を破棄し、中国と軍事同盟を結んだところで沖縄が日本の領有でありつづけるかは疑問です。
日本外交のアピールあるいは弁護も近代的価値を掲げ、これを共有する国や人と連携するべきで、この価値に異議を唱える国や人に対しては粘り強く対応していくしかないでしょう。
つまり外交を是々非々でおこなうということで、例えば日本人が中国で法に触れたなら中国の国内法には服すべきですが、人権侵害の無い範囲でという但し書き付きになります。
硬軟どちらにせよ、どうも日本人は外交で妙に力みがちになりやすいですから、こうしたどちらつかずに見えるやり方は人気がありません。このブログで現実主義的外交を発信しておられるのには敬服しています。
中国が抱える課題の一つは一党独裁の体制でしょうね。複数多党制が認められるには遠い道のりになるのでしょうが、少なくとも今の状態がいつまでも続くとは誰も思ってないということは言えるのではないかと思います。
>0083さん
深甚なご指摘、どうもありがとうございます。大変考えさせられるところがありました。
私も0083さんのおっしゃることに同感です。ほとんど付け加えることはないのですが、非近代の段階にある国家が近代化に向かうよう、慎重にねばり強く取り組むこともまた重要かと思います。基本的には国内問題ですし、関与する範囲も限られている話ですから、期待を高く持つことはできませんが、少なくともそういう問題意識を持つことは大切なのではないかと思っています。
過分なお言葉も頂き、励みになりました。今後ともよろしくお願いします。
「不規則発言」6月12日の記事は、非常に興味深いと思います。交渉をより欲しているのは北京であるということ、譲歩を行うと国内(共産党内部)が抑えられないほど胡錦涛の指導力が弱いこと、かまってもらうには騒ぐぐらいしかないことなどが垣間見えます。このような相手に奇策などは不要で普通に対応していれば問題なく、現にそうなっていてそれで中国が損をしたところで私たちのあずかり知らぬことでしょう。
韓国については米韓同盟さえちゃんとしていれば、反日で構わないと思います。竹島問題をアメリカのボスに持ち出すのはみっともないと思いますが、これも日本からはどうにもできない問題です。中韓いずれの国に対しても日本側が動かすことができる変数とできない変数があって、両者を的確に区別してベストをつくすしかないだろうと思います(対外政策全般に言えることだと思いますが)。現在の日本外交は、全体として無理がなく、民意が現行の外交政策を支持しているとはいいがたいものの、無理な要求を政府に突きつける可能性は低いと見ております。
中国の民主化には過剰な期待をもたない方がよいと思います。反日が好転するとは思えないですし、台湾にたいする政策も変わらないのではと思います。価値観が違うからといって外交が成立しないわけでもないでしょう。他国のよい変化を伸ばすというやじゅん様の考えを全否定するつもりはありませんが、まず、その変化が日本国にとって得なのか損なのかという利害計算がまず優先すると思います。利害計算に感情や理想を優越させると、途端に危険な状態になると思います。
凡庸でなおかつ他国に冷たい意見で恐縮ですが、付き合いにくい国と付き合ってゆくにはこの方が楽だろうと考える次第です。
冷たいことはないと思いますよ。私だって、別に中韓に対して優しく接しようとしているつもりではなくて、ただ単に日本にとって得なことは何かを考えているだけですから(とは言え、中国は別として、韓国と仲良くなれないのはお互いにとって非常にもったいないことだと思うのですが)。
私もHacheさんのおっしゃることに異論はありません。なんと言っても、相手次第のところですから、今日本としてできる行動は限られていますし、表に出ている動きを見る限りでは、政府の対応もおおむね問題ないと思います(もっとできることがある気も個人的にはしますが、本質的な問題ではないと思います)。結局、中国も韓国も異常な状態にあるわけですから、基本的には冷静にできることを粛々と進めて、時を待つしかないでしょう。
ただ、昨今のネットや雑誌の論調を見ると、どうも「ここで中韓をやっちまえ」的な言論が多くて、それに辟易するのですね。いかに相手が無茶でも、そこをとことん追い込むことに意味があるのか考えた方がいいのではないかと。何も戦争や将棋のようなゼロサムゲームをしているわけではないのですから。相手の弱みにとことんつけ込め、という権力政治的な発想自体が古いと私は思います(もちろん尖閣や台湾海峡などハードな交渉が要求される局面もあるのですが、それが日中関係の全体を占めるように考えるべきではないと思います)。いずれにしても、無用の心配なのでしょうか?
中国については、まず民主化の前に近代化が必要なんでしょうね。そのうちそれなりの形が出来てくるのでしょう。何十年もかかりそうですが(笑)。これは余談というか、半分冗談なので真剣にとって頂く必要はないのですが、中国がまともな国家になったら、米国は日本や韓国を相手にしなくなるかもしれませんね。
韓国については、いみじくもご指摘された米韓関係が今とても不安な状態にありますね。米国の危惧は相当なものです。前韓国大使のヒル現国務次官補は、大使在任中韓国側からの評価が非常に高かった人ですが、元々アジア専門家ではなかったこの人が六者会合を担当するようになったことを見ても、米国の気遣いがみてとれます。大きな視点から見れば、反日以上に現在問題視されるべきは米韓関係かもしれません。
1. Chan Ho Park: baseball player. used to be LA Dodgers but now with Texas Rangers.
2. Seri Pak: LPGA professional golf player
3. Dae-jung Kim: (you know who ^^)
4. Woo-seok Hwang: stem cell researcher, Seoul National University professor in biotechnology, cloning pioneer....
5. Kun-hee Lee: chairman of Samsung Group
やっぱりパクですか・・・しかし、金大中以外の人たちはとても米国人が知っているとは思えないですね。韓国人の友達もそう言っていました。
岡崎先生の近代外交史シリーズはどれも勉強になるのですが、最も好きな感を強いて挙げれば、『幣原喜重郎とその時代』です。日本は島国であり、世界最強の海洋国家と同盟を結んでいれば、政情も民心も安定するというのは、ミサイル技術などで安保環境が変化してもやはり変わらないと思います。失礼な表現ではありますが、少々跳ね上がりが突飛なことを言っても、大勢には影響を与えないと思います。ただし、同盟の双務性が高まった場合、日本人の血が流れることにたえられるのかは、予断を許さないと思います。
突飛な話で恐縮ですが(この話題を持ち出すために突飛なことを言っても大丈夫と書いてきたような気もいたしますが)、中国の古典を読んでいてこれほど優れた知性を生み出した地域でなぜサイエンスだけは生じなかったのかという疑問が10年近く考えても答えがでないのです。うまく表現できないのですが、客観性というものにたいする西洋の姿勢はまだ、日本人だけでなくアジア人が吸収していかなくてはならない貴重な文化だと思います。以前、日本の外交政策の優先順位をめぐってやじゅん−カワセミ論争がありましたが、基本的にはやじゅんさんの優先順位に共感を覚えます。ただ、文化という点で見ればカワセミさんの意見に賛同する部分が多いです。ハイエクの『隷属の道』を読んで共感したのは、個人主義と「真実の終わり」でした。感情や先入観に囚われず、現実を直視するという精神という点で日本を含め、アジアは後進的だと感じます。
留学経験のある知り合いに聞くと、英国・米国問わず、人間関係の距離感を感じるようです。「腹を割って話す」ことが大好きな日本人からすると、醒めた印象を受けるのかなと思います。お供で英国に行ったときには、なんて楽なんだろうと感じる反面、厳しい人たちだなあと思いました。相手の知性によって信用できるかどうかを明らかに値踏みしている感じで厳しい反面、彼らに認めてもらいたいという向上心をかきたてられます。もっとも、上流の方はやはり心優しくて直截な表現はしないでいろんなヒントを出してくれて本当に勉強になりました。
サイエンスが発展する土壌として自由が不可欠だと思います。クラシック音楽を聴いていると、少なからず自由な精神への憧憬を感じます。ポリフォニーからホモフォニーへ音楽の様式が変化しても、多くの古典音楽に共通する歌心を感じます。バッハのパルティータ第2番のシャコンヌを聴いていると、やはり自由を求め、人間を理解するにはそれを超えたより高貴な何かを求める精神を感じます。私の手に入る範囲ではストラッドではミルシテイン、ジュスではシェリングの演奏がよいように思うのですが、低音ではストラッドでは表現できない部分が、高音ではジュスでは表現できない部分があって不満です。オイストラフが全曲の録音を途中で止めなかったら、また違った音色が聴けたのにと思います。
完全に主題からそれてしまって誠に申し訳ありません。Hacheは西洋かぶれなので書き出すと、とめどがなくなるので止めます。どこかで勝海舟が「国というのは個人がとりやしない。打ちから壊して西洋人にくれてやるのだ」と座談で述べていて、思わず「これだ!」と思ってしまいました。日米同盟があり、日本とアメリカは自由と民主主義という価値観を共有しているといっても、西欧社会がローマ帝国崩壊後、呻吟しながら千年以上もかけて培ってきた遺産を日本人が自分のものにすることなどできないでしょうし、無理に西洋人と肩を並べようとする必要もないし、不可能でしょう。肩の力を抜いて彼らから真剣に日本人なりに学んでゆけばよいと思います。
いえいえ、私も考える機会を提供して頂いて、大変ためになっています。ブログの醍醐味というものかと思います。非常に示唆に富む文章でした。コメント欄にとどめるのがもったいないくらいです。Hacheさんもブログを作られてはいかがでしょう?
人気blogランキング、すごいですよね(笑)。正直、ここに並んでいることが怖いです。あまり他のブログを見たことがありませんが、「アジアとの関係が重要だ」とか言っているのは、私だけなんですかね。
突飛なお話について、私も非常に関心のあるところです。私もHacheさんと同じ考えです。西欧の知の発展に素直に敬服し、アジアの思想の後進性を認めています。過去の記事でも、そのことにちょこちょこ触れてきたつもりです(この記事でも「日本の思想の基軸のなさ」という表現をしました)。
なぜそうなったのか?ということには色々な理由が考えられます。一つには、絶対的存在を認めることを避けてきた思想の伝統があると思います。西欧においては、唯一なる非人格的な絶対者を「神」として考える宗教あるいは哲学が科学を発展させる基盤になってきました。ユダヤ教やスピノザやアインシュタインがイメージした「神」とは、人格神ではなく、全ての現実をコントロールするある種の法則であり、これを数学と実験という手段をもって探求することが科学の発展を促したのです。また、人間の認識を絶対的なものとしてとらえる経験主義の伝統は、ラッセルらの論理哲学が量子論の基盤を提供することにつながりました。宗教から発したこうした思想哲学が、数学や論理哲学のような全ての人間が平等に議論できるベースを提供し、知の蓄積と発展を生み出したことが西欧思想の強さの一つの要因だったと思います。
丸山真男は日本固有の思想の「無限抱擁性」と「思想的雑居性」を「無構造の思想」の原因としていますが、これはまさに日本人が絶対的存在を想定することを避けてきたことの裏返しでしょう。中国の儒教は基本的に倫理学、道教は処世術・民俗信仰であり、やはり絶対的な真理を追究する宗教や哲学ではありませんでした。また、西欧が内部における多元的な主体同士の絶えざる抗争に加え、オリエントなど異なる民族・宗教を有する存在と衝突を含む多様な接触を経験し続け、攻撃的に思索を深めていったのに対し、中国や日本が外部との接触を断ち、一つの秩序に安穏と閉じこもって現状維持・安定の哲学の完成に努めたことも、「アジア的停滞」の一つの原因かと思います。仏教の唯識や朱熹の宇宙論はそれを克服する可能性を秘めていたようにも見えますが、結局マージナルなものにとどまり、継承発展がなされなかったのだと思います。
「和魂洋才」という方便を使って、西欧の思想は「技術」に過ぎないとし、アジア主義思想の価値を説くのは、一種のイデオロギーの暴露に過ぎないと思います。科学は決して単なる技術ではなく、西欧の誠実な知の営みが生み出した偉大なプロダクトです(例えば物理学は認識論哲学の最先端といって良いと思います)。こうした傾向が西欧思想の部品的な取り入れと消化不良を引き起こしてきた面もあるかと思います。西欧の知の営みの凄さを正直に認め、部品的にではなくきちんと受容する努力が大切だと思います。
思想の歴史的背景を考えることは、実は現代の中国を考える上でも非常に重要ではないかと思いますね。
岡崎氏やクラシック音楽の話もためになりました。クラシック音楽は私も好きなのですが、詳しくないので、Hacheさんや雪斎さんやカワセミさんの話を参考にさせて頂いています。しかし、こういうお話をすると、何というか、非常に刺激になって、やる気が出ますね。
この考えが正しいのか、それともまだ十分近代化するだけの時間が経っていないからそう見えるだけなのか、そこで中国や韓国に対する見方が分かれるように思います。
理性的に考えれば後者が正しいと思うのですが、反日運動の激しさを見て前者の考えに惹かれる人も多いのでしょうね。
そういう見方もできるのでしょうね。霊性とか感性と言われる感覚的なものについては、その国・民族特有の歴史や状況によって蓄積されたものがありますから、近代化を経ても残る部分はあるでしょう。日本も例外ではないと思います。
しかし、民主主義や人権といった近代の理念は、そういった感覚的な部分を超えて、普遍的なロジックを持っていることは今や世界中で認められていると言って良いと思いますから、そこはそれぞれの国で時間をかけてきちんと受容され、それと両立できない要素は、基本的には弱まっていくのかなと思います。
例えば、中国について言えば、人治主義・秩序の正統性に対する根深い信仰があるように思いますが、その中の近代的理念と両立しない部分は、長い年月をかければ、感覚的には残るにせよ、実際の政治には影響しなくなる気がします(希望的観測?)。
ということは、反中、反韓的な主張をしている人は近代理念の普遍性を信じておらず、世界が近代理念が通用する地域(欧米、日本など)と通用しない地域(中国、朝鮮半島など)に分裂すると考えていることになりますね。
長期的には中国や朝鮮半島にも近代理念が浸透してこの考えは成り立たなくなるのでしょうが、それには何十年かはかかるでしょうし、その過程においては大きな危機もあるでしょう。
だから、短期的にはこの考えにも説得力があるのでしょう。
そのため、短期的な事態に不安を持っている人が、反中、反韓的な主張に飛びつくのではないかと思います。
なるほど。Baatarismさんの考察、とても参考になりました。
ただ、相手が危機感をおぼえさせるからと言って、拒絶すれば良いという考えが必ずしも正しいとは言えませんよね。嫌な相手だから排除するという発想は、共産主義とか全体主義のような自由主義の価値観に真っ向から攻撃してくるイデオロギーに対しては戦略として有効かもしれませんが、果たして中国や韓国がそういう状態にあるのかどうか。危機感があると言っても、対話を拒否する発想が、単なる不安感から来ているに過ぎないとしたら、やはりお互いが傷つくだけの非生産的な結果に終わるのではないでしょうか。
水曜日(7月6日)の朝日新聞に掲載されたエズラ・ボーゲル氏のインタビューはなかなか面白かったです。同氏の言っていることがいつも正確とは思いませんが、今回は大筋的確な分析をしていると思います。(少なくとも米国の専門家からこう見えるというくらいの参考にはなります。ただ、こんな古い人を引っ張らざるを得ないところに日本専門家の人材不足が透けてみえますね。)
>unknownさん
それは「近代」のどの部分を批判するかによると思いますね。もう少し具体的に説明して頂ければと思います。
>嫌な相手だから排除するという発想は、共産主義とか全体主義のような自由主義の価値観に真っ向から攻撃してくるイデオロギーに対しては戦略として有効かもしれませんが、果たして中国や韓国がそういう状態にあるのかどうか。
反中、反韓的な主張をしている人は、中国、韓国の反日ナショナリズムが、日本のナショナリズムのみならず、近代的価値観を否定する価値観であると考えているんでしょう。反日ナショナリズムは、古代から連綿と受け継がれた中華思想と対日蔑視に基づくものであり、近代的価値観ではないのだから、拒絶すれば良いというわけです。
でも、考えてみれば近代的価値観を否定した国があれだけ経済的発展を遂げるはずはないですから、韓国、中国ともすでに相当な程度、近代的価値観を受け入れているはずです。
あと、反日ナショナリズムにしても、侵略や植民地化の経験が、国家を樹立する際にナショナリズムの基盤として使われた結果、反日思想とナショナリズムが結びついたのであって、中華思想や小中華思想の影響は限定的だと思います。
日韓、日中とも非常に強い経済的関係を持つようになり、さらに文化的関係も強まっているわけですから、相手を拒絶してよいはずはないんですけどね。
関係が強まった結果、日中韓のいずれでも、関係が強まったことに対する不安も強まって、その結果ナショナリズムが強まっているのでしょう。ただ、日本のみならず中国、韓国でも、日本との対話を拒否しようとする動きが強まってるように見えるのが、悩ましいところです。
前のコメントに書こうかと思ったのですが、韓国はもちろん、中国でさえも、民主主義や人権という価値観自体は認めていると言って良いと私も思います。したがって、Baatarismさんが提起された、反中、反韓的な考えの人が抱くと思われる「危機」のおそれは、必ずしも適切な認識ではないと思います。
中国が米国から自国の人権侵害を批判されるとき(例えば以下URL参照)、中国が米国における人種差別等を批判するという方法で迎え撃つところなど、まさにその象徴的な一例と言えます(中国は、人権の重要性を言外に認めながら、現実的には色々な事情があって、完璧な達成は難しいものでしょう?という論法をとっているのです)。
http://blog.goo.ne.jp/junyastone/e/010d3ff67dfcdbc1d03815b416aad82d
反近代の思想は、中国や韓国においては現れていない、少なくとも多数の人々を巻き込むほどのしっかりした形にはなっていないと思います。そうした動きは、むしろ、西欧におけるポストモダンや、日本における「近代の超克」や新浪漫主義、アジア主義などに明確に見られましたし、これらの考えの多くが反動的な性質なものに過ぎないとして批判的に克服されている今、中韓にそうしたムーブメントが起こるとは考えにくいでしょう。まして、Baatarismさんもご指摘の通り、両国とも近代的発展によって大きな恩恵を享受しているのですから。
むしろ、これから10年20年単位のアジアの状況を考えるのであれば、中韓両国が一流の近代国家として成長していくことに日本として対処する必要はないのか、という問題意識も意外と大切なのではないかと思います。これはアジアの安定と日本の政治・経済上の利益にも適うという観点から、基本的には大変結構なことだと思いますが、反面、アジアにおける日本の存在感の低落につながることは十分あり得ると思います。であれば、日本として、米国との協力関係をより確固としたものとしながら、同時に、独自に中韓両国とのしっかりした関係を築くことの重要性もよく分かるのではないでしょうか。いずれにせよ、遠い未来の夢物語のような話ではありますが(笑)。
「日本のみならず中国、韓国でも、日本との対話を拒否しようとする動きが強まってるように見えるのが、悩ましい」というのはもっともなことです。非常に大きな要素として、彼ら自身の内政問題が絡んでいるので、如何ともし難いところがありますし、大変残念なことです。しかし、日本が自分の力で状況を改善できる余地もあるのですから、一生懸命できることをやる他ないと私は思っています。
私自身、中国の民主化や北朝鮮の近代世界への復帰の過程で、一度は危機が起こると思ってますし、その時は最悪の場合、戦争もあるんじゃないかと考えています。ただ、それでも中国や朝鮮半島との関わりを絶つことはできないと考えていますが。
また、反近代の思想についても、北朝鮮は反近代だと言えますので、それに接近している韓国の動きには不安を覚えます。また、中国でも反日運動がもっと激化すれば、かつての日本のような反近代的思想が広まっていくのではないかと心配しています。韓国も中国も民族主義の高まりが不安材料ですね。
将来的には中国や韓国が一流の近代国家となった時のことも考えないといけないのでしょうが、今はその前にどんな事態が起こるかを考えた方が良いと思います。
楽観論は禁物、もっともなことです。北朝鮮をめぐる問題を中心に、想定される危機に対して十分な備えをすることは極めて重要ですね。
日本は見かけこそ異なりますが、近代精神発祥のヨーロッパと要所において(例えば所領=私的所有権を認める封建制などの)共通点があるので近代精神の受容に成功したのだろうと思うのです。(共通点については多くの歴史研究者が指摘しており、兵頭、別宮暖郎の近代精神を受容する素地としての考察は弊コメントも影響を受けています)
では、こうした環境、歴史を持たない国々がどこまで近代精神を自ずからのものにできるかについてですが、素地のあるヨーロッパや日本ですら50年、100年単位で育んできたことを考えると、後退もありうるという最悪の想定も入れて対処すべきではないでしょうか。それでも人道主義的立場からは、やじゅん様のおっしゃるとおり関与は必要とされるでしょうが。
古代、帝国主義時代のように近代精神を持つ諸国の領域を非近代の諸国へ広げるか、あるいは住民殲滅で亡くせば簡単ですが、そうもいきませんのでまずは非近代の地域に近代精神諸国が自由を強制して(!)近代精神の有効性を学ばせるぐらいしか手立てを思いつけないですし、これですら非近代側からのテロの長々とした流血を受けつつでしょうから気の滅入るかつ道程の長い話しです。
ご指摘の通り、各地域それぞれの歴史と事情があるのですから、一筋縄にはいかない話でしょうね。
日本の近代化の成功の要因は、幅広い社会層にわたる教育水準の高さなど色々あったのでしょうが、思想の柔軟性という特性も重要であったのではないかと私は思います。だいぶ上の方でHacheさんへのコメントで述べた、日本固有の思想の抱擁性と雑居性ですね。
まず中国ですが、この国の抱える多様さと国内の発展段階の差は、未来像を極めて読みにくくしていると感じます。そして世界的にみても、前近代に周辺諸国を支配するか強い影響力を持った帝国を形成した歴史を持っている国は、近代的な国民国家として振舞う時に未熟な面が見られます。今日先進国と呼ばれる国は、人類の歴史は17〜18世紀のどこかの時点でリセットがかかっているという共通認識がありそうですが、それを受け入れ難い国々故の問題か、と思うこともあります。
韓国に関してはまた別の問題があります。この国は歴史的に、自国の置かれた立場以上に過大な要求をする傾向があります。世界的に見ればこういう国はたまにあり、分かりやすい所を強いて挙げれば、セルビアあたりでしょうか。テロ賛美の傾向があるあたりもやや共通するところでしょうか。これも普通に戦争して勝てないという状況が常態化していると陥りやすい陥穽でしょうが・・・・・
これがアセアン諸国あたりになると、個別の問題も比較的近代国家の発展ラインが容認する誤差範囲に包含されそうに思います。北東アジアではややそれから逸脱する可能性があるという懸念を感じます。どの付近に違いを求めればいいのかは難しいところですが、やはり他者に責任を転嫁する他罰主義の罠に陥るかどうかが一つの鍵ではないか、と考えています。これは中東やアフリカでもそうかもしれませんが。自由や民主主義の適用が韓国や中国に対して友好かどうかという話になれば、国民ベースとしてはそれは充分可能だと言えるでしょう。個人的には、ベートーヴェンの音楽を聴いて感銘を受ければ近代人とか思っていますので。(苦笑。しかしこの作曲家はなぜか各国文化や人種・性別の差にあまり影響されず世界的に受け入れられる)しかし政治の論理として他罰主義が蔓延している場合、そこから脱するには時間がかかるかもしれません。
そして歴史とは残酷なもので、旧ユーゴとか、フィンランド、チベット、タイといった様々な国の歴史を思うと、ある時代のある歴史的決定が、軽くその国の数十年、数百年の運命を変えてしまう事があると感じます。それはその時代の国民意識である事もありますし、一政治家のたった一言の決定かもしれません。歴史は長期で見ると合理的な方向には流れます。しかしそれが数十年の場合と、数百年の場合では、その国や近隣国で今を生きる人々ののやるべき事は違ってくるでしょう。
具体的に韓国を挙げてみます。その場合、ほぼ米韓同盟次第と結論して構わないでしょう。これが維持されている場合は、歴史でどのようなブレが発生しても最後の抑えとなって近代的な発展コースに乗ると思います。そして、この問題については私のブログでエントリを起こしたこともありますが、米国側からはこれを切る可能性は少ないでしょう。しかし米韓同盟が破綻した場合はどうか?少なくとも短期的に起こる現象として、経済が破綻し、大きな社会不安が発生します。良くて長い停滞、悪くすれば内戦か対外戦争でしょう。日本としては両方の可能性を考えておかねばなりません。もちろん、多少の問題があっても米韓同盟の維持を望むべきですが。
モダンを経過しなければポストモダンに至る事はありません。何らかの形でショートカットしようとする国は後を絶ちませんが死屍累々です。古典的には近代精神の受容は社会の発展段階の問題であり、農業の生産性など、自然条件の拘束が大きかったように思います。結果的には旧モンゴル帝国の領域は条件が悪かったと言えるかもしれません。しかし今は、中程度に発展した国ならそこの苦労はしなくては済みます。今日の先進国が必要とした時間が不要になり、短い時間でキャッチアップ可能です。しかし精神的態度としてはほぼ同じものが必要です。それを理解できるかどうかで運命が分かれるのでしょう。
こんにちは。いつもながら読ませる文章ですね。深遠な考察、とても勉強になります。「他罰主義」は排外的ナショナリズムと通じるものがある気がしますね。
近代化について、自分なりの考えを整理して、そのうち何か書いてみようと思います。私ごときには荷が重過ぎるような、かなり複雑な話ですから、相当浅薄な所感になってしまいそうですが。カワセミさんのお話も参考にさせて頂いています。
日本の近代化の評価については、戦前からの思潮の変遷と議論の蓄積を見ることが重要だと思います。特に60年代から70年代にかけて相当レベルつまった議論がなされていると思います。
欧州における反近代の思想については、佐々木毅の『プラトンの呪縛』が面白かったです。
個人的には、「ベートーヴェンの音楽を聴いて感銘を受ければ近代人」のこころが気になりました(笑)。丸山真男がベートーヴェンを愛したことを思い出します。Hacheさんやカワセミさんの話を聞くうち、クラシックが私の音楽鑑賞を占める部分が大きくなってきました。影響されやすいのです(笑)。