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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



松井秀喜ワールドシリーズMVPですか。これは大変な快挙ですね。
日本シリーズはというと、先日、ブッシュ前大統領が日本シリーズの始球式をやってましたね。
ずいぶん前に書いたことがありますが、この人は本当に日本のことが好きなんですよね。同盟という観点からすれば非常にありがたい大統領であったと思います。まあ、ありがた迷惑になるという面もなくはなかったと思いますが。。。

同盟はといえば、最近ちょっと思ったことを述べてみます。

政権発足以来の鳩山総理や岡田外務大臣らの言動を見て思うのは、ちょっと言葉が軽すぎるんじゃないかな、ということです。

よく分かりませんが、思ったことはそのまま言うということを基本姿勢にしているようですね。 岡田大臣は会見でもそんな趣旨のことを言ってました。
正直は美徳、情報開示が民主主義、という考えかもしれませんが、どうなんでしょう。
全部思っていることを言うというのは、ある意味思考停止とか責任放棄になる場合もあります。

たとえば、ちょっと前、鳩山総理が、日米同盟の再検証をする旨述べたという報道がありました。

首相「日米同盟を再検証」 参院代表質問
 参院は29日午前の本会議で、鳩山由紀夫首相の所信表明演説への各党代表質問に入った。首相は日米関係について「日米同盟は日本外交の基軸だ」と指摘したうえで、日米安保条約改定から50年を迎えるのを踏まえ「日米同盟のあり方について包括的なレビューを進めていきたい。(同盟を)中長期的な視野に立ち重層的に深化させる」と述べ、同盟関係を再検証する意向を示した。
(日経 10月29日)

この発想自体ちょっと疑問がありますが、それはまあ譲るとしても、こんなの表に言うもんなんですかね。こちらが米国の方から同じことを言われたらどう思うでしょう。

それぞれの国が主権国家として独立していて、自分の利益を追求するのは当たり前のことだし、そういう意味では自己本位でいいんです。でも、地域の問題や地球規模の問題のように共有する利害関係というのはあるんだし、信頼関係を築くことがそれ自体自分の利益になるというのも事実です。
それを考えれば、「独立国家だから自分の思うようにやる」なんて思ってても言う必要なんてないし、むしろ有害になることすらあります。
(もちろん、リーダーが独立国家としての気概を語ることは、選挙に影響する問題ですし、それだけではなく、国民の意識と連帯を高めるという本当の意味で政治の問題でもあって、それが単なる政局の道具に尽きるものとは個人的には思いません。むしろ国の公的な機能の一つという考え方も十分あり得ると思います。でもそれも、絶対的なものではなくて、他のいろんな利益とのバランスを考えてやるべきものでしょう。)
まあ、考えてみれば、これは政治の問題だからという話ではなくて、我々が生きている日常の人間関係、社会においても当たり前、言うまでもないことですよね。

それから、首相、外務大臣、防衛大臣の言動を見ていると、横の調整がまったくないのが明らかですね。この不整合はあり得ないほどすごい。
こういうのは、一見すると本質的な問題ではないようで、実際は非常に重大な影響を及ぼす話です。
特に普天間基地の問題については、相手方の米国からすれば「こんな連中ととても交渉なんてできない」という印象を与えるでしょうね。誰と話しても無駄と思われますから。本当にやらなくてもいいバカらしい失点になってしまいます。

・・・
せっかくなので、言葉の問題のみならず、ちょっとだけ実質に踏み込むます。
基地の問題、最初にあれだけ合意をひっくり返すと大見得を切りながら、実際に交渉にあたるとやっぱり・・・という展開ですよね。
前にも書きましたが、これも、なんか、まずは相手に文句言ってみました、でもダメでしたという、とりあえずやってみました感が激しく漂うんですね。

政権をとる前なら大風呂敷もある程度はしょうがない。でもいったん政権をとったらやはり責任をもった言動をしないとまずいでしょう。最初からダメと分かっているものをダメ元でやってみるというのは下策ではないでしょうか。これも政治だからという問題ではなくて、組織や社会の常識の話として。

米軍再編と基地問題について何度か書いたことがありますが(これとかこれ)、本当のところ私のような素人なんかには何も言えないような複雑で難しい話なんですけど、一つだけ言えるのは、彼ら(米国)はなんと言っても世界戦略を考えているということです。
米軍再編というのは日本だけの話ではなくて、アジア、欧州、中東、米国本土、すべての安全保障の核となる地点を巻き込む話なんです。もちろん一国の内政の話ですから、企業の利益、雇用、組織の論理といったドメスティックな利益も重要ではありますが、そうは言っても世界の警察、安全保障を支える超大国、彼らにとってはグローバルな安全保障を背負って判断する問題ということです。そんな前提で欧州や韓国ともガシガシやってきたわけです。
これに対して、日本としては、とにかく国内の負担の配分をたてに交渉に臨んでいるようにしか見えませんよね。
そうだとすれば交渉の前面に立つ人にしてみれば本当につらい話です。
あちらの世界戦略に対抗できるような自前の安保の哲学やグローバルな安保の戦略なんてものは日本にはないとしたら、よほどの交渉材料を用意しないと、下手したら交渉どころか陳情に堕しますから。
この状況で理屈も方針も材料なく文句ばかり言うようでは、向こうからすれば、身内の事情も調整できずゴネているだけの連中にしか見えないでしょうね。

もちろん、だからといって迎合すべき問題ではないわけで、主張すべき利益は主張し、言うべきことは言う必要があります。
ただ、まずは現実がこういう厳しい構図にあることを分かった上で、覚悟をもってやらないとダメだと思うんですよ。
少なくとも、国内での調整もできないうちに、「対等な関係」とかきれいな言葉をつかって、甘い希望的観測を表に出して、あれこれえらそうに注文をつける状況にはないと思います。
本当にやるなら、それこそ血を見る覚悟で、正面を向いて沖縄の人たちと話し、結論を先延ばしにせず、峻厳な決定を下し、その重い重い責任を未来まで背負わないといけないのです。
ある意味、これこそ政治にしかできないところ、おそらく本当の意味で政治の価値が問われるところなんです。でも、そこまでやる気概と実力がある人が、昔と違って今はなかなかいないというのが現実なんでしょうね・・・おそらく。

・・・
それにしても、国務省の報道官が脅しに近いコメントを出したり、岡田大臣も直前で訪米を中止したり、こんな日米のやりとりは少なくともこの10年くらい見たことがありません。
まもなくオバマ大統領来日ということですが、どうなることか、プロレス的関心からも目が離せません。

・・・
「英語の勉強法」からまたそれてしまいました。次回は元に戻ると思います、たぶん。笑

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加藤駐米大使がプロ野球コミッショナーに就任することになったとのです。

プロ野球コミッショナーに加藤・駐米大使就任へ(2008年04月09日)
 プロ野球の新しいコミッショナーに、駐米大使を近く退任する加藤良三氏(66)が就任することが、確実になった。6月に開かれる予定の臨時オーナー会議で正式に承認される見通しだ。
 加藤氏は野球通として知られ、駐米大使として、大リーグの試合で始球式を何度も務めている。外交官出身のコミッショナーは、過去に下田武三氏がいる。
 現在、コミッショナーは空席で、昨年1月に退任した前任者の根来泰周氏が代行を務めている。プロ野球の最高責任者が1年以上も不在という異例の事態が続いていた。
    ◇
■日米球界に幅広い人脈
 プロ野球のコミッショナーに就任することが確実となった加藤良三氏は、野球通として知られる。
 駐米大使として戦後最長期間の記録を持ち「ミスター日米外交」と呼ばれる一方で、ソフトバンクの王貞治監督や巨人の長嶋茂雄元監督とも親交がある。06年には王氏とハンク・アーロン氏の日米本塁打王を大使公邸に招いて再会の橋渡しをしたり、昨年までに大リーグで始球式を8度経験したりと、日米両球界に幅広い人脈を持つ。
 さらに、その野球知識を生かして米政府要人との深い関係を築いているのも特徴だ。大リーグ好きのジョージ・ブッシュ米大統領とも野球談議に花を咲かせたことがある。
 球界は今、人気の頭打ち、経営が悪化する球団が出てくるなど、課題は山積みだ。その中には有力選手の大リーグへの流出など、国際的な問題も増えた。
 昨年1月末で根来泰周コミッショナーが退任してから、国際感覚を持ちながら、これら諸問題に専従で取り組んでくれる人材をオーナーたちも探していたが見つからず、空位が続いていた。野球好きで外交手腕もある加藤氏の名前はずっと候補に挙がっていた。今回、駐米大使の退任が決まったことで、コミッショナー就任が実現した。
(出典:asahi.com

驚きですね。それにしても駐米大使からコミッショナーになった人なんていたんかいなと思ってたら下田武三大使。最高裁判事もやった人です。もうあらゆる局面で前に出てくるな(笑)。時代のいろんな側面を象徴したスケールのでかい方だったのでしょうね。

私もワシントンDCに住んだことがあるので聞いたことがありますが、加藤大使の博識は有名でした。緻密な方らしく、データをおさえているのはもちろんのこと(それはもうあらゆる統計を把握していたそうです)、選手の構えのくせやらテレビに映らない守備の動きやらの評論家顔負けの実技・技術面の造詣も深いのです。始球式も何度かこなし、見事な球を投げていました。またご自身が見たり聞いたりしたエピソードといった独自の情報を蓄積されていて、ある意味故山際順司氏、二宮清純氏、玉木正之氏といったプロの評論家にも匹敵するレベルなのではないかと思ったものです(言い過ぎ?)。さらに日本野球のみならず(というかそれ以上に)メジャーに詳しく、その知識は日本で数本の指に入るのではないかと思うほどです。私もそこそこ野球の知識があるので、「この人はどれほどのマニアか」と見極める力はあると思っていますが、正直この大使の右に出る人にお目にかかったことがありません。

日銀総裁の人事が天下り問題とリンクされて混乱していましたが、加藤大使の就任は誰からも責められることはないでしょうね(日銀総裁とプロ野球コミッショナーの職務の違いはおいといて)。人間力を生かした見事な転身と思います。昨今のメジャーと日本野球との交流などを考えれば、まさしく前職の力も活かせるわけですし。民間ベースでの「ベースボール外交」によって日米関係にも良い影響がおよぶのでしょう。あまり前に出すぎると周りの負担が増えるかもしれませんが、お人柄から推測するにそういう心配もあまりなさそうですし(たぶん)、その意味でも適任そうです。実際の事情は知りませんが、ご本人にとっても周りの人にとっても非常に幸せな結果だったのではないかと推測します。

前に「プロフェッショナル」という記事を書きましたが、肩書や役職といった組織の一部としての力を超えて、その人個人ならではの力が発揮され、評価されるのは、私はとてもすばらしいことと思います。まったく違う世界にある身ながら、自分もかくありたいものだと素朴に思いました。

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<先に「その1」「その2」をお読み下さい。>

前回は、日本が民主国家であるという理由で米国が無条件に味方になってくれるという見方はナイーブすぎる、日本としては、価値観の重視を含めて、あくまで自国の利益にとって何がプラスになるかという現実主義的な思考が重要である、といった趣旨のことを述べました。

くどいようですが、日米関係は日本の外交にとって間違いなく最重要のイシューです(いや、本当にくどいな~(笑))。日米同盟から得るものは日本の平和と繁栄にとって不可欠のものであり、この二国間関係を固めるだけで日本の外交の6~7割は決まるといって過言ではないでしょう。しかし、日米関係だけを維持すれば日本の外交問題が全て解決するというものではありません。日本の目的は日本の利益の最大化であり、米国との協力も世界全体の平和もそのための手段です。その目的追求のためには中国や韓国といった国々とどう付き合うかも真剣に考えざるを得ないし、それはアジアの大国としての役割を国際社会から期待されている日本が果たすべき責任でもあると思います。これらの国々との関係をしっかりしたものにすることが米国や他の国々との望ましい関係につながる面もあると思います。そのやり方は色々ありますから、局面によっては中国を一種の競争相手と見なして、その力を意図的に下げるのも一つの考え方ではあるでしょう。

ただ、欧米人と日本人は親近感があるとか、同じ思想に立脚した日米の友情は不滅といった文化論的・観念的な親和性を強調することには、ちょっと違和感というか、不安をおぼえるときがあります。そうであれば良いと個人的には思いますが、本当にそうなのか、その思いが一方的なものでなければ良いのだが、そんな風に思ってしまうのです。「日本人と米国人と中国人」「米国におけるエスニシティ」でも少し述べましたが、米国はあらゆる人々を受け入れる移民の国であると同時に、多様なバックグラウンドを吸収ではなく多文化主義として「並存」させている国です。そこにいると、自分のエスニシティ(=バックグラウンドの一部)が「アジア」であることを否応なく認識させられます。

そして、「米国における日本の存在感」「日本のことを米国に伝えることの大切さ」で述べたように、米国にとって日本は大事な存在であるとはいえ、重要なパートナー群の一つに過ぎず、他のパートナーと比較して特別に重視されている国とまで言うことは、私には正直言ってためらわれます。米国がどのような存在か、彼らから見る世界がどのようなものかを考えれば、特別な親近感を抱くことは、ちょっと一方的な、ある意味楽観的で都合の良い見方のような気がするのです。だからこそ米国との関係が、言葉のみならず実利の一致の追求をともなった不断の努力なしに続くものではないことを、何よりも米国との関係を重視すべき日本は、むしろ忘れるべきではないと思います。米国が日本を無視できない、否応なく日本に頼らざるを得ない、そうした状況を作り出すことで、言い換えれば実利的な見地から日本が主体的に米国を巻き込んでいくことで、そのパートナーシップを強めていく、そんなスタンスが重要な気がします。

・・・

かつては、言論界には「左翼」的な風潮が主流を占め、「日米関係は重要だ」と声高に唱える人が眉をひそめられるような空気があったのではないかと思います。その中で日米関係の重要さを訴えてきた人の判断力や勇気に私は敬意を表します。私がこれまで米国の正確な姿を伝え、特に肯定的な側面を強調しようとしてきたのも、おそらくそうした風潮が今なお日本には根強いという前提で、それが非武装中立論や自主防衛論という形で、米国を排除する方向に日本を向かわせる力があるように思ったからです(イラク戦争によって嫌米感情が強まっているという懸念もありました)。

しかし、昨年の4月に日本に帰ってきて、こうした伝統的な反米論が後退し、日米関係や自衛隊の重要性がしっかり認識された現実主義的な考えが主流になってきたことを強く感じました。おそらく、これからの日本における議論は、日米同盟や現実的な安全保障の考え方を前提とした上で、その中でどのような道を選択するのかという点に論争が集中していくのではないかと思います。それ自体は非常に合理的で自然なことであり、望ましいことだと思います。

・・・

ただ、その流れの中で、私が漠然と思うのは、こうした昨今の現実主義の高まりが、日米の協力関係を打算ではなく友情や信念に基づくものであると頭から思いこんだり、米国その他の「パートナー」との関係を重視するあまり、それ以外との国との関係を対決姿勢をあえて求める単純な見方が存在するのではないかということです。同盟国との「友情」や非同盟国に対する「毅然とした対応」が自己の利益の最大化につながる戦略から生まれるものであれば良いですが、それ自体が目標となるのは個人的にはどうかと思うときがあります。

アジアとの関係について言えば、かつての北朝鮮賛美のように、思想的な偏向や印象操作によって、奇妙なアジア主義や感情的な友好論が唱えられてきたことは事実と思います。アジアの同朋意識や「日中友好」といった感情的・文化論的な愛着を強調し、政策に反映させるのはおかしいと思いますが、逆に同様に感情的・文化論的な理由で排除に向かうのもどうかと思いますし、同時に、感情的な親米論が先行し、国家の政策にも影響するようになるのも、ちょっと違うような気がします。この問題は、観念論的にゼロかオールかで割り切れるものではないと思います。

・・・

これまで米国の良いイメージを強調してきた私が言うのもなんですが、米国もユートピアではありません。自明のことだと思いますが、どうしようもないところも沢山あります。私はどちらかと言えば、伝統や権威に対する敬意が強く、カウンターカルチャーやためにするかような体制批判に対する懐疑や抵抗感の強い人間です。しかし、だからといって米国の共和党やブッシュ政権のやり方が全て正しいとはまったく思いませんし、それに対する批判や反省にも理があり、また価値のあることだと思っています。個人的には、「何が正しい」とは一口に言えない、多様な思想が混在する複雑な姿こそが米国の魅力であり、好きな理由でもあります。余談ではありますが、中国も異様な国であることはよく分かりながらも、そのどうしようもないカオスも含め、面白い国だと思います。

しかし、個人的な好悪の感情と国としての対応は、当然のことながら区別しなければならないものです。米国人のアバウトな感覚が合わないと思うのは自由ですが、日本は米国と大切なパートナーとして付き合うべきですし、中国の文明の面白さに惹かれても、中国が日本にとって脅威となる現実から目をそむけるわけにはいきません。主権国家として望ましい行動をとるためには、毅然とした態度とか道義性といった美学や精神性よりも、泥臭くても地に足が着いた、冷徹で乾いた打算を忘れるべきではないと思います。そうした現実主義・機能主義・唯名論的な思考(「外交政策の考え方に関する雑感」も参照下さい)があってこそ、米軍再編にせよBSEにせよ拉致にせよ国連改革にせよ東アジアの地域協力にせよ、日米が連携すべき具体的な問題に対して有効なアプローチをとることができ、それが真の日米同盟の実体化につながるのだろうと思います。

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今日は暑かったですね。洗濯物を干すのが気持ちよかったです。軽くテニスしただけでえらく日焼けしました。夜は久しぶりにカレーを作ってみました。一回作ると冷凍なんかして3食ぐらい持つのが不精者にはぴったりです。

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<先に「その1」をお読み下さい。>

前回は、日米関係があたかも自明のものであって、米国に気を遣う必要はないとする主張に対する疑問について述べました。

一方で、昨今はこれとは逆に、むしろ、「日本と米国は同じ価値観を共有するパートナーである。価値観を共有しない国が結束することは当然である。共有しない国に対しては常に協働して対抗するものである」とする論調が強まってきているような気がします。

これまで「嫌米?親米?」などの記事で述べてきた通り、米国は日本にとって最重要の国であり、かけがえのないパートナーであるべき国だろうと私は思っています。個人的にも米国は好きな国です。しかし、だからと言って、日本が米国と運命共同体であることを所与のものとしたり、あるいは日本人と米国人の間には特別な友情があって、日米の友情はゆるぎないと考えることには、そうなのだろうか、そう考えて良いのだろうか、という違和感をおぼえます。それは、さきほどの「米国は(約束があるし、日本が大事だから)日本を裏切らない」という考えと案外通じるような、一種の楽観主義のような感じがするのです。

・・・

前回にも述べたように、同盟とか協力関係というものは、究極的にはお互いの利益が一致という一点において担保されるものと思います。友達だから、友情が大切だからというナイーブな感情も、もちろんそれはそれで確かに認められるのですが(最近では「米国の普遍性と特殊性」で触れたように、ウィルソン主義やネオコンのような一種のイデオロギーへの傾倒が米国の外交の一側面であることは事実です)、基本的には主権国家の行動が国益に基づくものである現実から離れるわけにはいきません。

具体的な例を挙げてみます。「米軍再編と普天間基地移設」で少し書きましたが、日米間で長きにわたって議論されてきた在日米軍の基地と構成の変更の問題は、米国からすれば、冷戦時代の軍事態勢を抜本的に見直し、新しい国際環境に順応させることがそもそもの出発点でした。一方で、日本からすれば、米国の新しい安全保障政策にパートナーとして協力すると同時に、あるいはそれ以上に、自衛に適切な環境を整えること、また沖縄の負担軽減など国内事情を改善することが非常に重要でした。

両者の利益は必ずしも相反するものではなく、お互いを補完し合う、プラスサムになる形はあります。例えば、米国は「米軍を歓迎しないところよりも歓迎するところに優先的に基地を置くようにする」という方針を明らかにしましたが、日本にしてみれば、沖縄に過大な負担がかかり、住民感情の悪化が基地の能力の低下につながることを懸念していたのであり、それは日本にとっても渡りに船の話であったわけです。こうした日米の利益の一致は、以前から専門家や実務者の間では分かっていたことなのでしょうが、それが望ましいことだと分かっていても、いざ開始するとなると様々な問題に波及し、膨大なリスクや事務負担が予想されることから前進しなかったのだろうと思います。それが今回米国がトランスフォーメーションという戦略的にも国内的にも説明がしやすい大きな視点から、基地と兵力構成の変革に取り組む決断をしたことで、事態が動き出したのは、両国にとって貴重な機会が提供されたと見ることもできます。

ただ、日米それぞれが最も利益を最大化できる状況がまったく重なるとは限らないわけです。例えば日米間で合意された米陸軍司令部の座間への移転は、純粋に日本の国防という視点からすれば大きな意味はなく、米軍の「不安定な弧」を中心とする地域に展開するための拠点作りを見据えたものと見られます(どのような経緯からこの案が出されたのかは交渉に関わる話なので何とも言えませんし、また陸の連携を強化するという広い意味ではもちろん日本にとってもプラスではあるのですが)。一方、空軍司令部を日本からグアムに引っ込めると言われた米国の当初のパッケージ案は、日本の国防に深く関わるものであり、空自の反対もあって実現に至らなかったと言われています(久江雅彦『米軍再編』参照)。日本の防衛が米国にとっても重要であることは間違いない事実ですが、そうは言っても、実際に何かが起こったときにどこまでの被害が許容できるかについて、日本の考えと一致するとは限らないと思います。これは日本の防衛を完全に人任せにすることはできず、自らの主体的な思考も求められるという、当たり前でありながらこれまで自覚されることの少なかった現実の裏返しでもあります。

・・・

同盟の維持の核が利益の一致にあるという現実は重いです。自由と民主主義という価値観の共有が果たす役割は大きいとは言え、それが同盟の担保のすべてと考えることはできないと思います。「外交政策における合理性と価値観」「自由と民主主義の価値観と世界」で、冷戦後の世界においては自由と民主主義の価値観が普遍的なものと認められ、各国の外交を決定づける大きな因子となっていると述べましたが、それは理念的・道義的観点からだけではなく、そうした価値観を重視することが結局はその国にとって利益に適うという現実的な観点から来るところも大きいかと思います。例えばアイゼンハウアーの時代から重きを置かれ、レーガンの時代まで続いた反政府勢力によるクーデターの支援や秘密工作のようなやり方は、現代においてはコストとリスクが高すぎて割に合わず、また、民主主義国との政治的に安定した関係や経済的相互依存こそが自国の利益にも適うということが自覚されるようになったのではないかと思います。

こうした考えに立って、少し見る角度を変えれば、非民主国家との間でもその国が満足できる利益を収穫できるのであれば、何も「オール・オア・ナッシング」の思考で単純に排除する必要はないし、適切とも思えないわけです。例えば「日米同盟とアジア外交」で述べましたが、米国は中国を敵として扱っているわけではないと私は思います。非民主国家だから信頼関係や協力には限界はあるが、役立つ存在であれば活用するし、収穫を得るために許容できる範囲のリスクなら見逃す。多少のブレはあっても、そうした現実主義的・機会主義的なスタンスが基調をなしていると思います。

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日本が民主国家であるという理由で米国が無条件に味方になってくれるという見方はナイーブすぎると思いますし(もちろんインドに対する米国の姿勢に現れているように、それは一定程度の真実ではあるのですが)、日本としても、価値観の重視を含めて、あくまで自国の利益にとって何がプラスになるかという現実主義的な思考が重要と思います。非民主国家の中にも、北朝鮮のような独裁体制から中国のような集団指導体制もありますし、情報のオープンさなども異なりますから、これらを一義的に取り扱うことはできず、それぞれの現実に応じた細かい対応が必要ではないかと思います(「外交と予見可能性」も参照下さい)。また、次回述べますが、そうした冷徹な計算こそが、日米の関係を本当の意味で強固なものとできる要素なのではないかと思います。

<なんか、うまくまとまるのか怪しくなってきましたが(笑)、一応、次回で最後の予定です。>

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軽い話が続いていましたが、今回はちょっとまじめな話をします。ちゃらんぽらんなブログですが、たまには重い話もしてみようということで(笑)お付き合いいただければ幸いです。

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以前「日米同盟の維持」でも少し述べましたが、巷では、「日米同盟は米国の利益に適うから存在しているのであって、日本が同盟の維持のために米国に気をつかう必要はない」といった意見を耳にすることがあるように思います。こうした意見は、最近はずいぶん状況が変わってきたような気もしますが、いまだに根強く残っている気がします。前回の記事とやや重複する部分もありますが、この点について思うところをあらためて述べてみたいと思います。

・・・

まず、「同盟」という形式的な合意があれば安心、という考えに落とし穴があることを忘れてはならないと思います。国際約束は国内社会における契約と類似のものとして扱われますが、一元的な法の執行機関が存在しない国際社会においては、ごく一部の例外(強行法規など)はあるとは言え、当然のことながらその合意の実行は当事国の意思にかかっています。同盟を支えるのは、合意文書などではなく、お互いの利益が一致するという現実と連帯感という実質的な要素であることは忘れてはいけません。

そして、この利益というのは、これも当たり前のことなのですが、国それぞれによって異なるものであり、完全に重なり合うことなどあり得ません。「外交と予見可能性」でも述べましたが、お互いすれ違ったりバッティングする国益をうまく整理し、可能な限りプラスサムの関係にもっていくことが外交の真髄だと私は思っています。それが不可能であれば、あらゆるチャンネルを通じて調整する、場合によっては利益を共有する他国と組んだり、国際法を使って相手が与える不利益をヘッジすることも重要です。

いくら同盟やガイドラインによって、紙の上で詳細な取り決めがあっても、この国益の調整がかみ合い、パートナーとしてやっていく強い意志がお互いになければ、現場においてその取り決めが想定しているような形で意思疎通が実現することは極めて難しいでしょう。それが安全保障や緊急事態に関わるものであれば、致命的な問題にもなり得ます。

一例を挙げれば、現在日米関係は非常に良好ですが、それは陸自のイラク派遣の際、米軍から親身に立った情報の提供をしてもらえたことにつながったという声もあります。一方、日本同様に米国と同盟を結んでいる韓国は、昨今の米韓関係の悪化を反映してか、米軍からの情報提供はなかなかスムーズにいかなかったという話もあります。

こうした言わば「同盟の空洞化」のリスクは、他人事であると言い切ることはできず、冷戦後90年代半ばまでの日米の「同盟漂流」の時期を見れば、そうした危険がなかったとは言えません。米国は日本を防衛する義務があると約束しているから、それを守るのは当然とか、米国にとって日本はなくてはならない存在だから安心だとか、そういう考えに私は不安をおぼえます。ただの文書である「同盟」を実体化させるためには、同盟国双方が同じ方向を向いて利益を共有し、連帯感を作り出すことが必要不可欠です。日本が米国をパートナーとし、自らの安全保障にとってなくてはならない存在とするのであれば、そのための努力は必要ということです。

次回から、米国にとって最良の同盟国の一つである日本が、少なくとも政府レベルにおいて、米国とどのように付き合うべきなのか、抽象的な話ではありますが、なるべく最近の事例を取り上げながら、一つの考え方を述べてみたいと思います。

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1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の合意によって決められた普天間航空基地の移設問題の解決方法が、ようやく日米間で合意を見ました。これによって、長年にわたり日米間のトゲとなっていた米軍再編問題が、解決に向かって大きく前進することが期待されます。元々普天間基地の返還は、日米とも現在の政権が発足する前に決定されていた事項であり、米軍のトランスフォーメーションとは文脈の異なる問題でした。しかし、結果として、普天間をクリアしなければ米国の安全保障のトップ・プライオリティであるトランスフォーメーションが進まない状態となり、事態を前進させない日本側に対する米国の不満は、「最高の関係」にあると言われてきた日米関係に影を落としてきました。

「2+2」を目の前に控えた今回の交渉では、来日したローレス国防副次官やヒル国防総省日本部長が沖縄の関係者と直接接触するなど、米国の気合にはちょっと前のめりなくらい並々ならぬものがあったようです。ラムズフェルド国防長官の訪日が実現しなかったことが、事務方の必死な思いを強めたのかもしれません。報道によれば、事務レベルでの調整と政治的判断の複雑な絡み合い、普天間返還合意以来の防衛庁と外務省の相互不信、小泉首相と旧橋本派との関係、強力な政治的リーダーシップの不在、防衛庁次官の個性、地元の反対運動と着工をめぐる利権など、様々な利害の衝突があり、厳しい状況にあったようですが、粘り強い交渉の末、日米が妥協点を見出せたことは、小泉政権の大きな成果と言えると思います。もちろん、移設が実現するかどうかはまだ分からず、日本にとっては本当の試練が待っているのでしょうが。

米軍再編は、日本国内では関心が低いようですが、安全保障問題としては最重要のイシューの一つです。再編によって、機動的な軍の運用を目指す米国は、日本をより効率的な前線基地として利用できるようになり、ミサイル防衛の情報共有や共同研究、相互運用性の向上を通じて、自衛隊と米軍の「一体化」も進む(とはいえ、法的・技術的な障害から、実際のところどこまで「共同作戦」ができるかは疑問ですが-日本はbilateral(二国間協力作戦)はやるが、joint(統合作戦)はやらない(イラク多国籍軍における自衛隊のように「指揮」下には入らないが「統制」下には入る)というのが基本的な整理だと思います)という意味で、日本の防衛のあり方にも大きな影響を及ぼす問題です。日本特有の伝統的な安保アレルギー的な反発が予想されて然るべきですが、これまでのところ、専守防衛の観点からの批判は不思議と少ないようです。やはり基地の負担軽減が現実的な収穫として重視されているからでしょうか。

それにしても、最後の段階で米国が日本側の主張に合わせて妥協してくれたのには率直に驚きました。もっとも、最後の日米両サイドの提案の違いは、米国にとってはかなり細かい次元の話ですから、国防長官はおおまかなラインだけ了解して最終的な許可を出したのかもしれません。本件は、世界規模の米軍再編の中では一部を占める問題に過ぎませんし(日本だけがなかなか再編が進まないという事情はありますが)、米国内のメディアの取り上げもほとんどありません。むしろ、米国においては、国内基地の閉鎖が地域住民の雇用に与える影響が主要な関心事項であり、自らの選挙区の基地が閉鎖される議員は猛反対しています(前回の大統領選に民主党候補として出馬したリーバーマン上院議員はその急先鋒です)。ある意味で、日本国内と同様、再編そのものに対する一般的な関心はそれほど高くないのでしょう。

#なお、日本との交渉を担当する高官としてローレス国防副次官とヒル国防総省日本部長がしばしばメディアに登場しています。二人ともランクとしては官庁の局幹部相当になりますが、ローレス国防副次官はCIA工作員出身のアジア専門家で(主な担当は韓国)、政治任命に当たるハイレベルの官僚のため、官僚と言っても日本と比べると政治的リソースは大きいと言えます。ヒル部長はマンスフィールド・プログラムで防衛庁で一年勤務した経験がある日本語堪能ないわゆる「ジャパン・ハンド」です。本件のような高度に政治的な問題については、決定は相当高いレベルで行われるため、事務レベルでの人的なファクターが左右する余地は限られていると思いますが、テクニカルなイシューであることも事実ですから、事務的な情報の上げ方一つが結果を左右することもありえますし、その意味で現場での裁量も大きく、重要な役割を担っているとは言えるでしょう。

#ちなみに、実務レベルでの米国のアジア専門家には、軍人やCIA出身が多いことに気づきますが、これはこれらの組織の人事はきっちりしたローテーションが組まれていて、ある人が一旦あるコースにつくと、同じ地域に関わる勤務を繰り返すパターンが多いからです。在日米軍経験者の多くは「アーミテージ一家」として「ジャパン・ハンド」の中核を形成していますし、CIA出身者としては、中国大使・台湾事務所長・韓国大使などを歴任したジェームズ・リリーが大物「チャイナ・ハンド」として有名です(リリーもローレスも工作員時代にCIA所長だったブッシュ元大統領と親しくなったと言われています)。

<次回は、この話に続ける形で、ブッシュ政権の近況について思うところを述べます。>

【補足】
文章の最後のパラを一部変更しました(11月29日)。

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<先に(その1)をお読み下さい。>

以前、「日本のイメージの変質」で以下の通り述べました。

「日本に関心のある人は貴重な存在です。一部の限られた人が日本のイメージ形成に大きく影響を与える面もあります。こういう日本に関心のある識者を大切に扱って、積極的に正しい情報を流してあげることは重要だと思います。それは、ハウエル卿のような親日家だけではなく、ジャパン・バッシングをする人も例外ではありません。「Containing Japan(日本封じ込め)」を論じたジェームズ・ファローズなどにしても、少なくとも日本をウォッチしている意味では、無関心な人よりもよほどありがたい存在なのです。これを敵視するのではなく、誤解があればそれを解き、正確な情報を伝えるなどして、取り込むように対処することが重要だと思います。」

このように述べた背景には、(その1)で述べた事情があります。米国においては、ジャーナリストや国際政治学者といった専門家・知識人でさえ、日本のことだけを考えていれば良いというわけにはいかないので、日本については、想像以上に多くの人が情報不足の状態にあります。ブレジンスキーのような専門家でさえ、ことあるごとに「日本は核武装するかもしれない」というのは(私は講演でそう述べるのを聴いたことがあります)、日本の細かい内部事情までフォローする余裕がないからだと思います。

そういうわけで、日本のことを知らない米国人に日本のことを教えてあげることには大きな意味があると思います。しかし、関心のない人を惹きつけるのは容易なことではありません。私は留学していた頃、日本のことをよく知らない学生との交際を広げるように努めました(何も日本のためと言うわけではなく、どちらかと言えば、英語の学習や米国の実像の探求という利己的な理由からです)。その中で親友になった一人は、私と出会うまでは、日本語と言えば「英語化している日本語」の中で一番最後に挙げた単語しか知らないような男でした。そういう人が、私と親しくなったことをきっかけにして、日本語を勉強しようと思うほどになったのは、個人としても日本人としても大変嬉しいことでした。

これは余談になりますが、日本に関心のない人に日本のことを話すには、何かとっかかりがあれば便利です。この点、『ラスト・サムライ』『ロスト・イン・トランスレーション』『キル・ビル』のヒットや『ガンダム』がテレビでやっていたこと(「日米の性描写の比較」を参照)はありがたいものでした。また、私は米国人と比べると髪が長くてくせ毛だったので(注:日本では普通の長さです・・・米国人のおしゃれについては近くお話します)、友達から「コイズミのようだ」と言われました。小泉首相のルックスは「パンクのようでクールだ」と彼らは思っており、お世辞で言っているつもりのようでしたが、やや困惑しました。「日本のイメージの変質」で挙げた小泉首相のキャラ立ちも、話のとっかかりとして重宝するという一例ですが、ありがた迷惑のところもありますね。

ともあれ、米国において日本のことを取り上げてもらって、存在感を示すというのは重要なことだと思います。大変なことですが、海外で活躍する日本人が増えていることですし、最近の前向きな日本のイメージの創出やポップカルチャー人気などをうまく活用して、地道に努力していくしかないのかなと思います。

ただ、一点補足すれば、何より大きな役割を果たすのは、やはり国と国との関係でしょう。「日本は米国にとって頼れる友人である」というイメージが浸透することが、本当の意味での対日理解を深めることに貢献するはずです。それは一朝一夕にしてできるものではありません。「日米同盟の維持」でも述べましたが、絶え間ない努力が必要だと思います。米国にとって揺るぎない友人としての立場をキープしているのは、世界でも英国ただ一国だと思いますが、その状態に至るには長い歴史の積み重ねがあったのです。イラクの自衛隊派遣が決定されたとき、苦しんでいた米国は、党派を超えて感謝の声を寄せました。ブッシュ大統領がことあるごとに「日本は立派な国だ。コイズミが好きだ。」と言ってくれるのは、日本のことをよく知らない人たちに日本の存在を想起させる上で、大変ありがたいことです。現在日米関係は非常に良好と評価されますが、それを大切に維持し育てていくことが何より重要だと思います。

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「米国における日本の存在感」「日本のイメージの変質」の記事とコメント欄で触れましたが、米国で日本の正確なイメージを伝えるのは、思ったよりも大変なことです。なぜなら、日本に関心を持っている米国人は限られており、米国の一般人の多くは正直言って日本のことをよく知らないからです。上記記事のコメント欄での(@A@)さんのように、日本のことは正確に理解されているのだろうかと疑念を抱くのは、無理からぬところでもあります。

例えば、留学中にこんなことがありました。ある授業で、先生が「核兵器を持っている国は米国以外だとどこでしょう?」と質問しました。一番前にいる生徒がすぐに手を挙げました。彼の答えはこうでした。「日本!」・・・一応、大学院の授業です。この授業は理系の人向けなので、おそらく国際関係を専門にしている学生ではないと思いますが、一般レベルでの日本に対する理解はこの程度なのか、とちょっとがっかりしたものです。

しかし、ある程度致し方ない面もあるかと思います。米国から見れば、日本という遠い極東の島国は、グローバルなビジョンの中の一角に過ぎません。国際関係やアジア地域を勉強したことのない普通の米国人に「アジアと言えばどこを知ってる?」と聞けば、十中八九「中国」と答えるはずです。ジョークなのか本当の話なのか知りませんが、「世界で一番有名な日本人は?」というアンケートの一位は「ブルース・リー」、二位は「トヨタ」だったそうです。日本が中国の一部であると思っている米国人もいます(別に悪気も他意もなく、単に関心がないので無知なだけです)。

また、近年、日本に対する関心が落ちているのも気になります。かつて、日本の経済力は畏怖の対象となり、日本研究が一つのブームになりました。しかし、日本経済の停滞以来、元々下地にあった「アジアの大国と言えば中国」という認識が強まり、それは中国の経済発展と共に膨らんできている印象があります。日本のポップカルチャー人気はありますが、米国全体において日本のイメージを押し上げるほど強いものかは分かりません。

留学やビジネスをしたことのある方は、そんなことはない、米国人には国際関係の教養があるし、日本のこともよく知っている、と反論されるかもしれません。しかし、「ブッシュのサポーターはどこに?」で述べた通り、多くの日本人が通常接する米国人たちは、国際的な感覚を持っている人たちであり、それは米国人全体の一部に過ぎません。日本びいきの人は確かにいます。そうした人たちと話すことは心地よいものです。しかし、それは米国人の中でも例外的な存在であることを忘れてはいけません。親日的な人たちとだけ交際し、それをもって米国人一般のイメージを作ることは危険です。

よく米国人は海外に関心がないとか、世界地図を見てもどこの国がどこなのか全く分からないほど無知であるとか揶揄されます。これは一面当たっているとは思います。しかし、だから米国人が日本のことを知らないのも無理はない、という単純な話ではありません。例えば、日本人で中東や東欧や南米やアフリカの地理を把握している人がどれほどいるでしょうか?一般的に言って、地図を見てすぐにピンとくるのは、やはりアジア地域でしょう。世界の地理や事情をどれほど理解しているかどうかは、結局のところ自分とどれだけ利害関係があるのかどうかに依るのです。日本にとって最重要の地域は米国とアジアだと私は理解していますが、米国にとっては、中東、中南米、中央アジアなどにアジアと同じかそれ以上に死活的な利益があるのです。また、中国の存在感は、近年の経済力の伸張という要素のみならず、歴史的背景から見ても、実は日本をしのぐものがある、と見た方が私は正確だと思います。このへんの認識のギャップには気を付けるべきだと思います。

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一連の「嫌米?親米?」記事前回の記事(日本の対米外交:その1)を見て、「やじゅんはゴリゴリのイデオロギー型親米派である」という印象を持った方がいるかもしれません。米国が好きか嫌いかと問われれば、私は「好き」と答えます。また米国が日本にとって最も重要なパートナー国であって、日米関係が日本の外交の主軸であることに疑いは持っていません。しかし、「嫌米?親米?」序論で述べた通り、日本が米国についていくことを所与としてこの結論を出したつもりはありません。また、このことをもって「日本は米国だけを見て、ついていけば良い」という主張するつもりもありません。

今回は、日本とアジア、特に中国との関係について手短に思うところを述べてみます。

米国に次いで、日本が重要視すべき地域は、私はアジアだと思います。日本は太平洋国家であると同時にアジアにおける国家でもあります。ここには安全保障の上でも、経済の上でも、死活的利益が存在します。また日本が大国として仕切ることができるフィールドであり、世界にもそれが認知されています。アジアにおいて日本はどういう役割を果たし、どのような秩序を築くことを目指すべきなのか。これは決して無視することのできない外交上の大問題です。

特に、今日本にとって最も見過ごすことのできない問題は、中国との関係でしょう。長きにわたってアジアにおいて抜群の存在感を示し、日本との間で複雑かつ濃厚な歴史を共有し、近い未来に経済大国にもなろうとするアジアの大国中国と、どのような関係を築くのか。この問題は、日本が米国と上手に付き合っていくことだけでカバーされるものではありません。

私は「日米は同じ価値観を共有するパートナー同士である」と強調しました。今、日米関係は非常に良好です。価値観の共有という認識は両国のリーダーにしっかり確保されているように見えます。そして、最近の日本の防衛大綱や2月の「2+2」の共同宣言の文言などを見ると、(価値観を共有している段階にはない)中国に対し、日米両国が団結して、警戒しつつ接するイメージが浮かび上がっているかのように見えます。

中国が民主国家でないことは事実です。昨今の中国の軍拡は特に台湾との関係で大きな懸念を日米に与えています。こういった様々な中国の問題点を考慮して、日米が団結する構図は必ずしも間違ったことではありませんし、日米が連携を強める上でも良い機会を提供しているように思います。しかし、この構図を絶対のものとして、あたかも日本は米国との連携を強め続ければ大丈夫、それによってアジア外交も決まる、と考えることには大きな落とし穴があるように思います。

一つの問題として、米国が中国と敵視とは言わないまでも距離を置く現在のスタンスが、どれほど実体のあるものなのか、今後も継続するものなのかどうか、という論点があります。近年の経済発展からの関心の高まりというありきたりの視点だけでは十分ではありません。歴史的なつながりからしても、米国人が「アジア」と聞いてまず思い浮かべる国は中国です。この中国の存在感は、近年、実体面においても明らかに増しています。「日本の存在感」でも触れた通り、中国語を学ぶ米国人は増える一方です。経済的相互依存は劇的に深化しています。中国の非民主的な体制は、他の危険な独裁国家と比較して、容認しがたいほど問題のある体制とは見なされてはいません。米国にとって中国がマージナライズされるべき存在でないことは確かです。

(少し昔の話になってしまいましたが、4月8日にバウチャー国務省報道官から米中間の定期的高官協議(regular senior-level talks)を開催するとの発言がありました。上記の考えに立てば、米国のこうした動きに何の不思議もありません。)

日米関係は重要であり、これをしっかりさせれば日本の外交の大部分は完成すると言って過言ではないと思います。しかし、この確固たるパートナーシップはお互いの努力もさることながら、根本において利害が一致する一点において確保されるという点を忘れてはならないと思います。かつてのニクソン訪中やクリントンの日本通過のように、米国が日本を置き去りにする形で中国に接近する可能性が全くないとは言えません。各国が自らの国益を中心に行動することは当たり前のことです。そういう状態になったときに日本が損するとすれば、それはそういう状況に対する準備を怠った日本が甘いと言われても仕方ないのです。であれば、日本も自らが米国との関係とは別に、中国との関係をどう主体的に動かしていくか、真剣に考えなければなりません。

もちろん、日本にとっても中国は重要な存在です。対中輸出は日本の経済回復に大きく貢献しています。北朝鮮問題の解決に向けて中国が果たす役割を軽視することはできません。中国の経済発展がこのまま続けば、真の意味での大国として、世界の中心の一つに位置することになるでしょう。世界中の国が中国とどう付き合うかに多大な注意を払うようになります(すでにある程度なっています)。そのような国とどのように付き合い、アジアの秩序を築いていくのか、日本自身にとっても極めて重要な問題です。

それでは、どのように中国と接していくべきなのか。これは色々な論点が絡み合って、大変に複雑な話になりますので、ここで具体論に踏み込むことは避けます。ただ、基本的には、友好的な関係を安定させ、国際社会に関与させ、こちらの都合の良いように取り込むという姿勢で臨むべきと思います。

もちろん中台間の緊張や軍拡には厳しい目を向ける必要があります。過去の問題や領土、エネルギー開発等の利害が衝突する問題について、相手の都合にあわせれば良いというわけにはいきません。また、中国が民主国家でない以上、本当に信頼できるパートナーとして扱うことには限界があります。この点、防衛大綱や2+2で見られるとおり、現在日米がとっている戦略に誤りはないと思います。しかし、それは中国と「敵対」する姿勢をとることを意味するものではありません。中国との対立を深めて日本が得るものはないことを念頭に置かなければなりません。利害が衝突する場面においては、実際のところ何が脅威なのか、求められる行動は何なのか、感情的に中国を「敵」と見なすのではなく、冷静に見極める必要があります。

中国とどう接するかを考える際には、米国の反応を慎重に考慮せざるを得なかった時期もあったかと思います。しかし、今の日米の良好な状態からすれば、日中が友好を深めることに米国がネガティブに反応する心配は少ないと言って良いでしょう。むしろ、米国は、日本が中国との関係を安定させつつ、アジアにおいて積極的な役割を果たすことを期待していると思います。この意味では、今「最高の状態」と評価される日米関係は、アジアにおける外交のオプションを広く確保する好機を提供していると言えるのではないでしょうか。

抽象論にとどまっていますが、言いたかったことは、「日米関係は日本にとって最重要のイシューであるが、日本の外交は対米一辺倒で尽きるべきものではない」ということです。親米派を自認する方の中には、日本はとにかく米国との関係を安定させれば良い、その軸が定まれば自ずとアジアにおける外交も決まってくる、と明言する人もいまず。しかし、いかに米国が大切な友人だと言っても、米国にいつも頼ることはできるものではありませんし、米国に頼るだけでは道が開けない局面もあります。その主なフィールドはアジアにあると思います(ちなみに、日本の外交の重点地域については、「日本の対米外交:その1」のコメント欄で卑見を述べていますので、ご興味のある方はご覧下さい)。

(アジアについて言えば、韓国も重要な国ですが、基本的に同じ民主国家・パートナーとして、ある程度すっきりした関係を築いており、それを推し進めることに異論はないという意味で、中国と比べれば複雑さが少ないという理由から、あえてここでは言及しませんでした。機会があればまた論じてみたいと思います。)

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これまでの「嫌米?親米?」シリーズでは、米国をどうとらえるべきかという事実認識を中心に、私なりの視点を紹介させて頂きました。今回は、今までの議論からちょっと踏み込んで、日本の対米国外交政策について少し考えを述べてみます。

「世代の感覚」でも少し触れましたが、昨今の現実主義的な議論の高まりにともない、日米同盟の重要性は、現代においては、一部の安全保障専門家のみならず一般国民レベルでしっかりと認識されているように見えます。

ただ、その一方で、日米の関係についてあまりにも楽観的な見方を見受けることがあります。日米同盟は、世界で最も成功している一例であり、両国相互に利益をもたらすものだから、これが存続するのは自明であるかのように見る考え方です。日米同盟を維持し、機能するものとして存続させていくことは、それほど易しいものではないと私は思います。以下、雑駁ですが、所感を述べてみます。

・・・

米国は自国の利益に基づいて自国の軍隊を日本に駐留させているので、米国は撤退することはない、だから日米安保体制を維持するためにことさらに日本が米国に対して気をつかう必要はない、という主張があります。

これは冷戦の時期にはまだ成立する余地があったのかも知れません。米国は共産主義陣営という明確な敵を想定し、世界戦略の上でアジアに自らの軍事力を展開するフィールドを確保する必要があったからです。

しかし、冷戦が終結し、一極構造と複雑なアジアの国際環境が出現した結果、もはや冷戦期の単純な議論は通用しなくなりました。米国で日本からの米軍撤退論が出てきたのも冷戦後のことです。日米同盟を堅持するには、日本が主体的にその強化を考えなくてはいけなくなったのです。

(ちなみに、非武装中立論や「世界市民」思想といった戦後左翼の主張は、冷戦構造の中で、日米安保体制が日本の国土の安全を保障するという状況を所与の前提とした上で、その現状に甘えながら、現実から遊離した言葉を発していたに過ぎないと思います。冷戦の終結はそれがもはや言葉にすることもできない幻想であることを明らかにしたのです。)

また、平和憲法を保持し、一切の軍事的貢献を行わないとする戦後平和主義の主張は、日本人の深層心理に強く食い込んできました。これも、冷戦期に日米安保を自明のものと想定し、また日本が弱々しい国である限り通用した議論だったのだと思います。

自らの安全保障の問題を他人事のように米国に一任し、経済的繁栄だけを追求すれば良い時代は終わったと思います。「仕方なく米国に従属する」という消極的な考えではなく、日本自身が、北朝鮮や中国の軍事的脅威にどう取り組むかを考え、テロ戦争にどう臨むのかを考えなければいけません。そのためには米国との協力関係が、本質的に重要な役割を果たします。

例えば、イラクへの自衛隊の派遣について、日本は北朝鮮の脅威があるから米国に従わざるを得ないという意見があります。私はそういった矮小化した物の見方で日米の関係を見るべきではないと思います。イラクをどう見るのか、テロ戦争にどう臨むのか、その文脈で日米同盟をいかに維持・強化するべきなのか、その中で日本が果たすべき責任は何か、そう言った大きな文脈における主体的な決断として考えるべきでしょう(「自衛隊のイラク派遣の期限延長」記事もご参照下さい)。同じことは、集団的自衛権の議論についても言えると思います。お付き合いという次元ではなく、まず日本が何をしたいのか?そういった主体的な思考が重要なはずです。日米関係の重要性はその中から導き出されます。

超大国だとか、世界の主導権を握る国だからと言っても、米国も一主権国家に過ぎません。日本が自分の国の利益をまず考えるように、米国もその利益を第一に考えるのは当然のことです。その中で、米国が日本にとって都合の良い形で主導権を発揮し、その米国を日本のパートナーとして惹きつけていくには、日本はそれなりの努力をしないといけないと思うのです。日本の自衛隊の派遣は、イギリスや韓国といった他の同盟国と比べて、決して突出したものとは言えませんでした。しかし、今の米国政権は、これまで築いてきた日本との信頼関係を重視し、日本がどれだけ苦しい決断をしたのかを理解してくれたから、あれだけ感謝してくれたのです(この記事この記事の中で述べたように、現政権に知日派が多く存在していたことも幸運だったと言えると思います)。

これまで何度も述べてきた通り、私は米国を善なる存在であるかのように扱う気はありません。しかし、世界の中でパートナーとしてつき合う上で適切な存在であるとは思います。だからこそ、日本は米国とどのようにつき合っていくのか、どのように協力した関係を築くのか、長期的な視点に立って考える必要があると思います。そして、日本が米国との関係を重視するのであれば、米国が日本を信頼できるパートナーである見なすことになるよう、日本もそれなりに努力することが必要であると思います。

<次回は「日米同盟とアジアとの関係」について述べます。>

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