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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



 
セブ島でのダイビング(ジンベイザメとギンガメアジ・トルネード)

遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
年末年始はセブ島で過ごしました。
ダイビングでは、ジンベエザメ、ギンガメアジ・トルネード(2年前に粟国島で見て以来)など大物を見ることができ、カウントダウンはシャングリラホテルで迎えました。こう書くと派手に聞こえるかもしれませんが、泊まったのはド田舎の安宿のようなところで、実態はバックパッカーに近かったです(笑)。


(こちらは粟国島で見たギンガメアジ・トルネード)

昨年は色々なことに挑戦することができましたが、一方で、まだまだ不十分、己の未熟さを思い知らされる一年でもありました。
今年は飛躍の一年にしたいものです。やりたいことだけは沢山あるので、とにかく気合を入れて目一杯やりたいと思います。

・・・
こちらも遅れた話題になりますが、安部総理の靖国参拝。
米国の「disappointed」という反応ですが、言葉の意味をあれこれ詮索する必要はないと思います。要するに、米国としては賛成しないというメッセージを伝えるのが趣旨で、それに尽きるものでしょう。
これが日米間の大きな問題になるとは思いませんが、一方で、少なくともこの10年間くらいの日米関係において、これほどストレートな表現のパブリック・ステートメントは見た記憶がありません。日米ほど実務者間に成熟したチャンネルが維持された関係であれば、この手の対外的な発表においては、非常に緻密な事前の配慮と(必要に応じ)すり合わせが行われるのが通常ですが、この表現は関係者にとっても結構驚きだったのではないかと思います。
たとえばアーミテージやマイケル・グリーンが政権にいた頃であれば、こういうメッセージの内容や伝え方にはならなかったような気がするんですよね。ケネディ大使着任は華々しくクローズアップされましたが、現政権の東アジアチームとの付き合いは、やはり一筋縄ではいかないということかもしれません。

ちなみに、靖国参拝は百田尚樹氏が安部総理に進言していたそうですね。
映画『永遠のゼロ』、安倍総理は年末にご覧になっていたようですが、私も年始に見ました。
以前の記事にも書いたとおり、原作は、既知の素材でおおむね尽きる内容ではあったものの、構成の巧みさと胸を打つ文章の数々が強い印象を残す作品でした。映画は、この原作の魅力を最大限に引き出していたと思います。戦闘描写の臨場感、岡田准一の精悍さ、ラストシーンの残酷な美しさが心に刺さります。
それにしても、こういう戦争の真っ只中の生を描く作品は、昔からいくつもの作品があって、それほど珍しいものではなかったと思うのですが、こうして最近の作品として見ると、不思議に新鮮に感じられるというか、物語感が強くなった気がしますね。映画の中でも、三浦春馬が若い人たちに戦争の認識のギャップを説く場面がありました。自分としても、たとえば零戦や艦船にある表記がすべて漢字とカタカナで統一されている映像を見たとき、世界で戦う技術を自前で作り上げたことの凄さ、そこに至る血の滲むような努力と誇りに対して、何も目新しいことでもないのに、不思議と遠い世界を見たような気持ちになりました(村上龍の『五分後の世界』などで描かれた日本人の誇りと美しさも思い出されます。)。これが歴史になっていくということなのでしょうか。
また、戦争賛美とか右傾化を反映しているといった指摘もあるそうですが、原作・映画ともに、そういう印象は受けなかったですけどね。繰り返しになりますが、この程度の雄々しさやロマンを扱う映画は昔からありました。むしろ、現代的に抑えられているというか、『硫黄島の手紙』(以前の記事)ぐらいドライな描写であったように思います。日本の文化や誇り、祖国を守ろうとした尊い気持ちは、特攻も含めて、もっと素直に受け入れても良いと思うのですが。

ゼロの映画と言えば(強引ですが(笑))、映画『ゼロ・グラビティ』。
これも凄い映画でしたね。人間の作り出す映像もとうとうここまで来たのか・・・と衝撃を受けました。
これはもう見て下さいという他ない作品ですが、ちょっと面白かったのは、ヒューストンのオペレーターがエド・ハリス。『ライトスタッフ』(ジョン・グレン)と『アポロ13』(ジーン・クランツ)の勇姿がよみがえります。ま、この映画では声だけなんですが。これ以外に登場する俳優はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだけ。とにかくひたすら宇宙の力押し。まあ、今まで見たことのないようなとんでもない作品でしたね。

・・・
最近読んだ本。

■ ニック・レーン 『生命の跳躍』
生物進化に革命的影響を与えた10の発明(invention)として、「生命の誕生」、「DNA」、「光合成」、「複雑な細胞」、「有性生殖」、「運動」、「視覚」、「温血性」、「意識」、「死」を取り上げながら、進化の歴史を描いてみせる壮大な作品。
いずれのトピックも数冊の専門書を凝縮したかのような密度で最先端の知的成果を詰め込んでいる。通俗的な科学書にありがちな結論の単なる提示にはとどまらず、論争となっているポイントを真正面からとらえて深掘りする。最先端過ぎて結論が出ておらず、そのまま書いておしまい、という部分すら多々ある(現時点の科学ではここまでしか分からない、ということが確認できる。)。
「生命の起源」の説明(最後の共通祖先(LUCA)とクレブス回路)から「DNA」の生成に続くが、通俗的な科学書で語られるレベルのDNAの説明(ワトソンとクリックからゲノムプロジェクトまで)を軽く通り越して、さらに先にある聖域であるコードの解読に突き進む。「光合成」と酸素は、前著『生と死の自然史 進化を統べる酸素』、「複雑な細胞」(真核生物)は、前著『ミトコンドリアが進化を決めた』の内容を凝縮した観。「有性生殖」では、異性とのセックスのもつ神秘(コストの大きさ)という刺激的な問題提起とその回答の試みがなされる。「運動」では筋収縮のメカニズムがこれほど現代的な課題であったのかと驚かされる。「視覚」では眼の発明がカンブリア爆発を生むほどの大きな意義があったこと、「温血性」では温血動物の利点がスタミナ(有酸素能力)にあることが説明される。「意識」は、チャーマーズ、デネット、ラマチャンドラン、ダマシオ、オリバー・サックスらの著作や以前紹介したハンフリー『ソウルダスト』を読んだ人にとってはなじみ深いクオリアや意識のハード・プロブレムが掘り下げられる。「死」においては、死の存在理由が体細胞の生殖細胞への隷属にあるという仮説に唸らされる(前著で紹介済みではあるが。)。サーチュイン遺伝子とカロリー制限との関係やフリーラジカル老化説も、メカニズムを含めて詳しく解説される。
高度な内容を限られた分量に詰め込んでいるため、基本的知識の説明は容赦なく省略されているが、その分読み応えは抜群。論旨は正確で明快なので、上記著者の他の著作や『キャンベル生物学』『ケイン生物学』といった基本書、フォーティ『生命40億年全史』などを参照しつつ読むと良い。 

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ときどきびっくりする言葉を耳にしますね。
例によってなんのこっちゃという始まり方ですが、世代やちょっとした時間の流れで、色んな言葉が生まれては消えていきますよね。今日はそのへんの話をします。

私は、別件があって人の誘いを断るときに「ベッケンバウアーです。」とオシャレに返すのが好きなのですが、これは結構古いというか、死語の部類に属しますよね。ベッケンバウアー自体が70年代のサッカー選手ですし。
まあ、そんなことも承知しながら、あえて自分より若い人に使うわけです。
そうすると、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)・・・『24』のことですか?」
「それはジャック・バウアー」
「哲学者でしたっけ?」
「それはショーペンハウアー」
などというお約束のやりとりになり、オヤジ扱いされて終わるわけです。

ところが、先日朝に情報番組を見ていたら、何でもいまは「ギャル喫茶」なるものが流行っていて、たぶん「メイド喫茶」「執事喫茶」からの流れを組むのだろうと推測しますが、それはどうでもいいとして、そこでは壁に「ギャル語」なるリストが貼ってあるそうです。
その中に、なんと「ベッケンバウアー」があったのですよ
これ、死語とかオヤジギャグとか言われたけど、めぐりめぐって最先端にきてるやん!と軽く興奮。その勢いのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。俺は旧人類ではなくてむしろ最先端にいたんだと。

まあとにかく、この「ギャル喫茶」に出ている「ギャル語」がなかなか興味深い。中でも個人的にインパクトがあったのは、「超レシーブ」でしたね。これはなかなかうまいと思いました。さっそくそのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。そしてしばらく「超レシーブゥ!」というメッセージをしばらくの間お互いに送りつけ合いましたよ。意味ですか?「レシーブ」を直訳してみてください。

話はまだ終わりません。この言葉を知った翌日に、たまたま20代の女性と話す機会があったのです。さっそく得意げに、「ベッケンバウアー」「超レシーブ」を使ってみました。知っているだろうと思って。そしたら、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)」
・・・あれ?なんかいつもおなじみのリアクション?
それどころか、そもそも「レシーブ」の意味も分からない人もいたりして、逆に軽いカルチャーショックでした。

じゃあ何が流行っているのか?と聞いてみると、今一番流行っている言葉は、なんでも怒ったときに「ぷんぷん丸」「ムカ着火ファイアー」「カムッチャッカインフェルノ」などというのだそうです。ソースとしてこんなツイッターのサイトを見せられました。
これは私の方が、
「???」「なんだそれ??」
となる番でしたね。

いや、私は、若い人たちが使う日本語は乱れているとか、そんな風にくさす考えをもったことは一度もなくて、むしろ、「チョベリバ」とか「ホワイトキック」とか、こういう造語はよくできていると思うというか、その発想と語感のセンスにはそれなりにリスペクトの念を抱いていたんですよ。「超レシーブ」にもこれに通じる感動がありました。
でも、「ぷんぷん丸」って・・・音の響きだけ?何のひねりもないというか・・・もはや幼児が話す片言の類ですよね。
あ、でもよく見たら、ムカ着火とかカムチャッカにかけているのか?もしかしたら、俺が気付かない、何か隠されたメッセージかリンケージがあるのか?でも、「レシーブ」すらピンと来ない人に、カムチャッカとか分かるのか?インフェルノなんて、イタリア語だけど、そんなに普及してたっけ?
・・・もう、どうでも良くなってきましたね。まあ、もちろん、最初からどうでもいい話なんですけどね

ここまでが、最近あった話として伝えたかったことなのですが、ただ、一つ社会的に興味深かった点を付け加えれば、若い人は思った以上にツイッターから情報を得ているんだな、ということです。
現代の若い人たちが日常的に情報の授受を行う場は、LINEとツイッターでほぼ尽きるようです。
これは意外と盲点というか、私ぐらいの年齢(30代半ば)以上の人たちには思った以上に理解されていない状況なのではないかと思います。

以前、ブログは便利だし、自分もこうして書ける場ができたのはありがたいけど、本に比べると文章が短くて、だんだん長いものが読まれなくなるんだろうなあと書いたことがありました。私が書くブログの文章すら一般標準から見たら相当長い方ですけど(だから読まれない(笑))、それでも伝統的な本や論文と比べたら短い。せいぜい随筆の類ですよね。
ところがツイッターはわずか140字。LINEに至ってはスタンプを使えば文字すら読み書きしません。そして若い人はもうこれだけで足りている。なんかもうどんどんコミュニケーションがシンプルというか記号のやりとりになってますね。
別にこれが一概に悪いというつもりもないです。長々と要点のないおしゃべりをするよりは、端的にポイントをつく表現にはなるでしょうし、スピードはずっと速くなりますよね。ただ、やっぱり思考の厚みは減るでしょう。色んな意味で現代的なんですね。
こんな言語とコミュニケーションの変化、ある意味、この後紹介する『昨日までの世界』の話でしょうか。強引か。

以上が、「ベッケンバウアー」に始まり、「ぷんぷん丸」に終わって思ったことでした。

前回の記事で、次回は米国について書く、とか言ってましたが、まさかこんな話がこんなに長くなるとは思わなかったので、また次に回します。
なんか、来る来る詐欺みたいになってますが。
まあ、もともとこんな感じでふざけたくだけたHPだったので、よくあることですから、昔から読んで下さっている方には特に違和感ないかもしれませんね。
とりあえず今週一週間がんばりましょう!(として強引に締めくくり。笑)

・・・
最近読んだ本。

■ ジャレド・ダイアモンド 『昨日までの世界』
『銃・病原菌・鉄』以前の記事にも書いたが、この本のタイトルの元ネタは、アルフレッド・クロスビーの『Germs, Seeds & Animals(病原菌・種子・動物)』。)、『文明崩壊』に続く、進化生物学者が語る文明論。
伝統的社会と現代社会との比較という主題を「空間の分割」、「紛争」、「子どもと高齢者」、「危険とそれに対する反応」、「宗教」、「言語」、「健康」という切り口から論じる。
「空間の分割」では、交易の記述において、おなじみの贈与と返礼について述べられるが、ここは文化人類学の金字塔モース『贈与論』、マリノフスキ『西太平洋の航海者』を思い出しながら読みたい。
「紛争解決」では、現代の司法システムについての記述が厚いが、ここは聞き慣れた法社会学の議論に文明論の風味を加えただけで目新しい発見なし。
「高齢者」では、伝統的社会と比較しての米国における高齢者の地位の低さ、食と性のタブーが高齢者を有利にするための規範という指摘が新鮮。以前にマリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(通称ATT)について書いたときに現代アフリカの政治慣習としてのgerontocracyに言及したが、その具体例も多く挙げられる。
「宗教」では、デュルケーム、ギアーツ、フレイザー、パーソンズ、ティリヒなどなじみ深い碩学の論が次々に紹介され、手軽な頭の整理になる。宗教の役割の歴史的変化と定義の説明は巧妙。
「健康」で述べられる西洋の食料史と高血圧・糖尿病は自分にとってなじみのなかった分野で、良い導入になった。
テーマごとに独立しているのでとっつきはよいが、反面、構築性の高かった前二作の骨太さは薄れた印象。

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新しい仕事を始めて3ヶ月。だいぶ環境に慣れてきました。
短い期間ですが、毎日新しい経験ができて、恵まれた環境にいると感じています。一つ一つの仕事について自分の力量に依るところが非常に大きくて、何をやるにせよ、自分のしたことがそのままダイレクトに結果につながる。それが目に見える。こういったところが良いですね。これは前職ではなかなか味わえない経験でした。

仕事といえば、「何をするか」という内容はもちろん大事ですが、それとともに、あるいはそれ以上に、「誰とするか」が大事ともいいますね。
これは、今の自分の状況に照らしても、何となく分かるというか、共感するところがあります。
今の仕事のいいところは、各人の目指す方向や目標が千差万別で、それぞれが自分なりの道を追求できるところです。自分はかくありたいと思うモデルを見つけることもできる。一方で、この人は自分の行きたい方向とは違う、でも尊敬はできるし、刺激を受ける、と感じることもできる。みんなが一方向を目指す(前職のような)環境に比べると、お互いの個性を尊重し、刺激し合うことができる環境にあると思います。

今思うと、これまでの人生においても、人との出会いは自分にとって大きな意味をもってきました。

先月は15年ぶりくらいに高校時代からの旧友と再会しました。彼は、英会話スクールGABAを創業した後、海外に住んで核融合エネルギーを支援する投資家になっていました。

私は、どっちかというと、大企業の経営者や官庁の幹部のように、社会的に尊敬されたり、成功者と言われるよりも、小さくてもいいから、今まで誰もやったことがないようなことをやる人に惹かれるんですね。誰とも比較されないような、オリジナルな存在になりたいと思う方なのです。
大きい組織を離れて新しいキャリアを追求したのも、前にいた場所では、どこまでいっても自分の先輩に追いつくのが精一杯で、今まで誰もなったことがないような人になることはできない、ということが分かったからでした。
そんなこともあって、この旧友に対しては深い尊敬の念を抱いています。もう自分には手の届かないような大きな存在になってしまいましたが、幸いにして、会えば高校時代に戻った頃の感覚をおぼえます。気楽に話しながら、色々刺激を受けました。

同じように、独自の道を追求しながら立派な仕事をされていて、接するうちに、自分にとって人生の師匠のような存在になった方に、このHPでも何度となく言及してきたぐっちーさんと阿川尚之さんがおられます。

ぐっちーさんのことは、もはや今さら書くこともないので省略しますが(笑)(最近は著書も売れて絶好調ですね。)、阿川さんは、ソニーで勤務した後、米国にJD留学し(米国人向けロースクールプログラム)、米国と日本でロイヤーとして活躍した後、作家として米国論などの著作を手がけ、慶応教授になった方です。ワシントンDCで外交官の経験もしています。

※米国留学のときのご経験を書いたのが『アメリカン・ロイヤーの誕生』。これから留学する方に特にお勧めしたい本ですが、留学を終えた人、そうでなくとも、米国に多少とも関心のある人であれば、誰に対しても新鮮な刺激を与えてくれる名著です。また、米国大使館駐在時の経験を書いたのが『マサチューセッツ通り2520番地』。この本の中には私も数か所登場します(笑)。

妹さんはテレビにも登場する阿川佐和子さん。
先月、日経新聞の夕刊に自らの半生を語る連載がありましたが、面白かったですね。ご本人がおっしゃっていることですが、何か一つのことについて、ものすごい専門的知見があるわけではありません。それでも、文章にせよテレビでの振る舞いにせよ、印象に残る発信をして、見る側に何か考えるヒントを与えてくれます。
阿川尚之さんも、書かれている本は、もちろんいずれも優れた作品であり、専門的な知識や思考が詰め込まれているのですが、玄人の視点から一つ一つのことを拾い上げれば、それほど斬新なことが書かれているわけではないことにありません。目を開かされるような新しい発見や凄い資料があるわけではないのです。それでも、いったん読めばグイグイ引き込まれます。本当に重要なエッセンスをしっかりと確認することができます。何よりも、読んでいてワクワクするのです。

・・・
かつて、自分は、専門的知識をきちんと提供できる文章を書かないといけない、そういう自分が「本物」と自信をもっていることでなければ言えないし、価値もない。それに、今までどこにも書かれていない新しい何かを書かないといけない、と思っていました。このブログでもそういう葛藤を何度となく書いたことがありました。でも考えてみたら、読書にせよ話を聞くにせよ、人のプロダクトを鑑賞することは、一種のコミュニケーションなんですよね。

以前「本をたくさん読む方法」という記事で、書かれた情報をそのまま吸収するタイプの読書(passive reading、ショーペンハウアーが批判した読み方)と書かれた情報を自分の思索の一材料とする読書(active reading)という分け方を述べました。前者の読書についていえば、細かく正確な知識を効率的に整理した本が重要ということになります。私の仕事で関係する専門書はそういうものですし、レファレンスブックもそういったものです。一方で、後者についていえば、細かさや知識の先端性は、必ずしも不可欠なものではありません。むしろ、それが読み手の思索の妨げになるなら取り除いた方が良いこともある。逆に、読み手の思考を刺激するなら(前者の本の場合には無駄とされて省かれるべき)物語を持ち込んだ方が良い。重要な点を絞り込んで骨太でシンプルにしたり、逆に無駄なエピソードなど盛り込んだ方が役に立つわけです。

体系的・目の前の課題の克服に役立つという意味で実践的な知識を効率的に得ることはもちろん大事です。でも、断片的・間接的であっても、読む人に刺激を与え、次の行動や思考を促進する文章であれば、一つのコミュニケーションの形としてそれなりの意味があるのかもしれません。最近そう思うようになりました。
そんなわけで、何となく自分のしたいことに向けて一歩を踏み出そうかなと思うようになりました。
とかなんとか言いながら、一方で、仕事があわただしくなってくると、こんなことをあれこれ考える余裕もなくなってくるような気もしています。
今現在自分がすべきことは、何より目の前のことに一生懸命向かうことです。だから、これはこれでいいのかな、という気もしています。
いつにもまして何を言っているのかよく分からない文章になってしまいました(笑)。すみません。そのうちもっとクリアーに話すことができるよう精進を続けたいと思います。

何はともあれ、とりあえず、今回の記事は今年8本目。去年の記事本数を上回るという初期の目標を達成したということで、良しとしましょう。

※この記事を書いたあと気づきましたが、RSSリーダーの登録数が急激に増加していました。更新の頻度が上がったからでしょうか。それにしても、日々の閲覧数に変動はないので、どこかに紹介されたとも思えず、ちょっと不思議。何にしても、閲覧数より購読者数が目安になると思っている自分には励みになる発見でした。

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最近読んだ本。

■ ダニエル・カーネマン 『ファスト&スロー』
ノーベル経済学受賞者が語る人間の判断と意思決定の理論。
行動経済学(意思決定)の古典として扱われるであろう本書だが、何と言っても面白いのはベースをなす心理学(判断)の部分。人間のバイアスは感情ではなく認知装置(連想記憶に基づく現実世界モデルの構成、驚き、因果関係、自動反応という脳の働き)そのものに内在する。連想、見たものがすべて(個から全体を考えるプロセス)、置き換えとレベル合わせ、記憶の書換えといった認知の特性(分かりやすさと一貫性、因果関係の呪縛は、タレブ『ブラック・スワン』でも語られるテーマ。カーネマンもタレブから大きな影響を受けたという。自由意志と因果関係という普遍的な問いに対しては、物理的因果関係と意志的因果関係を切り離すことで解答を試みる。)、そこから導かれる代表性(事前確率の無視、標本サイズの無視、偶然性の誤解、予測可能性の軽視、妥当性の錯覚、回帰の誤解)、利用可能性、アンカリングといったヒューリスティクス。日常何となくおぼえる違和感を言語化し、それを支える精緻な理論とデータが続く。その論の運びは重厚にして鮮やか。例えば相関と平均回帰のクリアーな説明は、統計になじみのない人には衝撃を与えるだろう(最近出た西内啓『統計学が最強の学問である』は、統計に興味をもった人にとって良い導入となる。)。
直感、スキルとはつまるところ記憶(認識)であり(ハーバート・サイモン)、何が真に信頼できるスキルなのか深掘りするパートも面白い。『ビジョナリー・カンパニー』『エクセレント・カンパニー』といったビジネス書や政治評論の不毛を一刀両断する切れ味の凄さは痛快ですらある。
前半の「判断」と比べると、後半の「意思決定」(合理的主体・期待仮説への批判、参照点と損失回避)は、これが行動経済学の神髄部分ではあるのだが、新鮮味が少なかった(もっとも最後のパート「経験する自己」と「記憶する自己」は面白い。)。
キャス・サンスティーンのOMBでの仕事、ヒューリスティクの弊害防止の観点からの組織の意義、アルゴリズムの威力など、行動経済学がどう実践(政策)に生かされるか具体的に説明される部分は読み応えがあった(ファイナンスへの活用についてはマルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー』にも優れた言及があった。)。エコンではなくヒューマンを支える思想としてのリバタリアン・パターナリズム(自由に伴うコストへの社会による対応)は、行動経済学が法学と接続するポイントでもある。法学者であるサンスティーンとリチャード・セイラーの『実践行動経済学』も紹介される。単独評価と並列評価の不一致に関連して、陪審員の並列評価の禁止の逆説性が一例として挙げられるが、法に関わる人には考えさせられる問題提起だろう。

■ ジャレド・ダイアモンド他 『知の逆転』
ジャレド・ダイアモンド、ノーム・チョムスキー、オリバー・サックス、マービン・ミンスキー、トム・レイトン、ジェームズ・ワトソンという、このHPでも何度となく紹介してきた知の巨人たちのインタビュー集。
この6人を選んだセンスは素晴らしい。もっとも、インタビュー集という性質の限界もあり、これらの人々の著作になじみのある読者にとって内容面での刺激は乏しい。人生の意味やインターネットを主題にするインタビュアーのこだわりも自分にはしっくりこなかった。とはいえ、まったく知らない人にとっては、新しい知の世界のとっかかりとなり、読むべき文献を手っ取り早く知る上で使いやすいガイドとなるだろう。

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ハンマーヘッドシャークの大群@与那国島

新年明けましておめでとうございます。

ちょっと驚いた、というかあきれたのですが、去年は7本しか記事を書いていなかったのですね。
新年の挨拶を書こうと思ったら、あれ、前に書いたのはそんなに前ではなかったような気がするぞ、と思ったので、気づきました。
記事を沢山書くことにあまりこだわりはないのですが、それにしてもこれは情けない。とりあえず今年の目標は去年の記事数を上回ること。今決めました(笑)。

昨年末は、引越、パラオ、与那国島でダイビング、さらに沖縄本島で挨拶回り、その後ぐっちーさんと一緒に岩手県に行くなど、あわただしく過ごしました。

 
待ちに待ったハンマーヘッドシャーク。必死に食らいつく。

 
再び訪れた海底遺跡。

昨年は、ほとんど研修で一年が終わりました。これまで述べてきたように、そのうち10ヶ月くらいは沖縄にいました。
それも全て終了し、今年から本格的な活動が始まります。
これまで色々な形で関わってきた世界、職場ではあるので、まったく真っさらな状態からのスタートというわけでもないのですが、新しい世界への挑戦、自分の理想に近づく第一歩ではあります。そのことを思うと胸が躍ります。

まずは新しい活動に全力を投入したいという気持ちです。少なくとも一年は、24時間365日仕事に没頭するぐらいの気持ちで臨みたいですね。
もっとも、仕事に集中する中で、書きたいことは自然についてくるような気もします。
ここ数年はインプットというか傍観者的に情報に接することが多く、それもあってなかなか筆が進まなかったのですが、これからは再び能動的な立場になり、刺激も多くなるでしょうから、かえって書く頻度も増すように思います。たぶんですが(笑)。
書きたいことのイメージはあるので、あとは経験を積みながら、色んな人と話をして、考えを深めてみたいというところです。マイペース、好きなときに好きなだけ書くというスタンスに変わりはないのですが、もう少しアウトプットを意識してみたいと思っています。

そんなわけで、簡単な近況報告になりました。
新年の抱負も、毎年述べている自然体のスタンスに変わりはないのですが、とにかく今年は萌える!じゃなくて、燃える!ぐらいシンプルにとどめます。
私を直接知っている方で、ご無沙汰している方は、ぜひお気軽に声をかけていただければと思います。
仕事の話でもそうでない話でも、飲みでもゴルフでも大歓迎です。

ということで、本年もよろしくお願いいたします。

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最近読んだ本。

■ ダニエル・ヤーギン 『探求-エネルギーの世紀』
『石油の世紀』で有名なヤーギンの最新著作。
湾岸戦争後の新しい世界、エネルギー安全保障、天然ガス(LNG、シェールガス革命)、電気(インサルの送電網、ニューディール)、原子力、気候変動、再生可能エネルギー(風力、太陽光、バイオ、地熱、水力、VC、オバマ政権、中国)、省エネ(スマートグリッド)、自動車(蒸気、エタノール、電気)など、石油と歴史に主眼を置いた前著と比べ、テーマは広く最新の問題もカバー。福島原発事故もフォローされている。
歴史的な視点は健在で、大きな流れと見取り図を見渡せる。中央アジアのパイプラインをめぐる駆け引きはピーター・ホップカークの名著『ザ・グレート・ゲーム』を思い返せばイメージがふくらむし、GE(PWR)とウェスチングハウス(BWR)の軽水炉の主導権争いはエジソンとウェスチングハウス(ニコラ・テスラ)の電流戦争の再現とみるのも面白い。

■ 黒木亮 『エネルギー』
サハリン2、アザデガン、中国航空油料事件を軸に国際エネルギービジネスの現場を描く経済小説。
黒木亮は、ジャンルとしては城山三郎や高杉良の流れを組むのだろうが、彼らや真山仁などよりもドライで抑制の効いた筆致に特徴がある。この作品も、小説の体裁をとってはいるがほとんどノンフィクション。経産官僚や外務官僚の動向、ワシントンDCのベルトウェイやイラン内政の描写など内部にいた自分も納得できる生々しさ。人間ドラマやマクロの視点に頼らず、事務的ですらある個別の細かい動きに集中しながら、スケールの大きな物語を骨太に紡ぎ出す手腕は見事。
古くなった記述もあるが、ダニエル・ヤーギン『石油の世紀』、藤和彦『石油を読む』のように、歴史と見取り図を知る上で今でも参考になると思う。
『巨大投資銀行』など同じ著者の他の作品も密接に関連しているので併せて読むと面白さが深まる。

■ ウォルター・アイザックソン 『スティーブ・ジョブズ』
ペーパーバックで安くなっていたので読んだ。
真新しい話はないがよく整理されていて、バウハウス的な機能美を目指すジョブズの姿勢がマッキントッシュからiクラウドのデザインにつながっていることなど、ジョブズの仕事を有機的な連関でとらえることができる。パーソナル・コンピュータからクラウド、オープン対クローズドのテック史をあらためて見渡す上でも有益。
それにしても初代マッキントッシュ、発売されたときのブームをおぼえているけど、こんなに不完全な製品だったんだなあ・・・。

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(沖縄での自分のマンションからの風景。沖縄の雲は美しい。大好きだった。この風景が見られなくなると思うと切なくなる。)

私を直接知っている方へのご報告ですが、今月26日に那覇を出て、東京に戻ることになりました。
10ヶ月という短い時間でしたが、たくさんの素晴らしい人たちと会い、色んなことを経験しました。その一つ一つがかけがえのない思い出になりました。自分にとって新しい故郷ができたような思いがします。お世話になった方々とは、これからも親交を続けていければと願っています。
東京にいらっしゃる方々におかれては、しばらくぶりになりますが、忘れられていないことを祈っています(汗)。よろしくお願いします。

It's finally time to leave Okinawa. On Wednesday 26th, I'm going to leave Naha for Tokyo. Although I lived here for only 10 months, I met so many wonderful people and gained a lot of experiences.
Every single moment of my life here turned into a precious memory. I believe this place has now become my second hometown.
I'll definitely come back "home" quite often. I would appreciate it if you could take your time to hang out with me. In fact I'm coming back as early as December. If you come to the Tokyo area, please let me know.
I can't feel anything but gratitude for everyone around me. Thank you, thank you so much.
(The photo below was taken at dusk just before my room on the 9th floor. I love beautiful clouds in Okinawa, which I'll certainly miss in Tokyo...)

・・・
最近読んだ本。

■ ブライアン・グリーン 『隠れていた宇宙』(2011)
『エレガントな宇宙』『宇宙を織りなすもの』に続くB.グリーンの最新著作。
ひも理論、時空論に続き、今回は多宇宙(multiverse)を中心とする最先端の宇宙論を展開する。
一般相対性理論から導かれるパッチワークキルト多宇宙とインフレーション多宇宙、ひも理論(余剰次元)を加えて導かれるブレーン多宇宙、サイクリック多宇宙、ランドスケープ多宇宙、量子力学から導かれる量子多宇宙、ブラックホールと情報理論(エントロピー、最小情報容量)から導かれるホログラフィック多宇宙。これらの多宇宙に関する議論をまとめて知ることができる。
ここで紹介される現代物理学の最高峰は、観測不能な知的創造という点でもはやSFと変わらない。その発想の飛躍と結晶化には哲学的・文学的なロマンすら感じられる。著者がノージックの哲学に世界観を揺さぶられたというエピソードも示唆に富む。
光速度不変の原理と不確定性原理を脅かした最近の発見(「世界観をめぐる論争」でも触れた。発見自体は後で否定されたが。)を見てもわかるとおり、この世界は数年で議論の様相が変わってしまう。その最新の状況をフォローしてくれているのがありがたい。最近話題になったヒッグス粒子についてもインフレーション多宇宙の説明の中で言及される。
議論の前提となる相対論やビッグバン、ひも理論の解説もあり、これら理論の応用を知ればかえって理解もしやすくなるから、最初にこの本を読んでから前2作を読むのも良いと思う。
余談になるが、素粒子物理学の権威で、あと数年生きたらノーベル物理学賞をとったとも言われる故戸塚洋二東大教授は大学の部活の先輩。この方のブログは、ガンとの闘病の記録が有名だが、科学入門、自然や世界の考察も読み応えがある。平易な文体の中に厚い思索と暖かい思いやりが込められていて、胸を打つ。

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もう5月。早いですね。沖縄はゴールデンウィークの連休から梅雨入りしましたが、かえって天気が良くなりました。
連休では、本島北部で2泊、宮古島で3泊しました。
北部では伊江島に行ったりゴルフしたりバーベキューをしたり。宮古島ではゴルフしたりダイビングしたり。まあさながら部活の合宿のように体力を使う毎日でした。ハードでしたが、やり切った感はありましたね。

だいぶ前になってしまいましたが、セネガルの大統領選、なんとか現職のワッド大統領の三選が阻まれましたね。
ワッドが勝者のサルに祝福のメッセージを送ったのは立派。これでアフリカに誇るべきセネガルのガバナンスが守られました。こういう当然のことがなかなかできないのがアフリカですからね。
しかし、これで、一度大統領選出馬を表明しながら、ワッドが敗北すれば音楽を続けると言っていた国民的英雄ユッスー・ンドゥール、彼の政界進出はおあずけですね。

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最近読んだ本。

■ ミシェル・フーコー 『ミシェル・フーコー講義集成8 生政治の誕生』
数あるフーコーの知的遺産の中で、地域を超えて、現代においてなお(現代だからこそ)最も現実に活かすことのできるものは、「生-権力(bio-pouvoir)」ではないかと個人的には思う。
(現実に役に立とうが立つまいが、面白ければどうでもいいのだが(実際フーコーのプロジェクトの多くは性質上実践から遠い)、フランスのような国は、実学から遠い思想、哲学、歴史を語る知性が統治エリートとなって実務も捌くところだから、こういう視点もまんざら野暮ではない、と思う。)
現代福祉社会は、フーコーの言う「生を与える権力」(近代以前の「死を与える権力」との対比)、「生の政治学」という統治性(gouvernementalite)の概念で巧妙に説明できる。給付行政が自由を奪うという逆説は、日本を含む先進国が直面する現代的問題(沖縄も一つの例)。その理論化と規律は大きな知的挑戦で、現代公法学においても熱いフィールドとなっている。
この本は、1979年におけるコレージュ・ド・フランスでの4ヶ月間の講義の記録。生政治の理解の前提となる自由主義と統治理性を現代史(『知の考古学』からの方法論)と同時代の経済思想(オルド自由主義、シカゴ学派の新自由主義に重点)を重ねつつ語る(こんな講義をタダで一般開放するのがフランスのおそるべきところ)。
『言葉と物』で語られた西欧の思考の転換(表象と人間)が統治術の世界でも姿を現す。30年も前の言説にもかかわらず、先に述べた自由の逆説という現代的問題(「統治の過剰」)の意識をもって読むと、また新たなものが見えてくる。時代を経てますます説得力を増すテクストの凄さを思い知らされる。

■ 木村榮一 『ラテンアメリカ十大小説』
お手軽に南米文学のエッセンスを味わえる便利な本。
コンパクトな書評の中に、翻訳の大家である著者ならではの哲学(歴史の断絶・欠落と時間の洞察がポイント)、時代と地域を超えた縦横無尽な文学論が光る。カイヨワ、ジョージ・スタイナー、開高健等、ラテンアメリカ文学以外で言及される作品も興味深い。
ブラジル文学が入っていないのが残念なところ。余談になるが、自分にとってブラジル、「南米」の熱さを最初に感じさせてくれた作品は、高校生のときに読んだ船戸与一『山猫の夏』。世界への関心と冒険心を激しくかき立てられた。興奮のあまり、大学に入った後、グアテマラでスペイン語を学び、メキシコとキューバを回った。どうしようもなく無邪気で楽しかったあの頃。
船戸作品で一番好きだったのは『砂のクロニクル』。日本人でもこんな壮大な物語が描けたとは。血と硝煙の果てに訪れる、詩情に満ちたラストシーン(表題の言葉が初めて登場する)は忘れがたい。

■ 川合康三 『曹操 矛を横たえて詩を賦す』
曹操に関する本は、正史を含め随分読んだが、この本は、武人、政治家、詩人という多彩な姿をバランスよく論じている。
吉川幸次郎『三国志実録』は言わずとしれた不朽の名著。堀敏一『曹操』は最新の研究までフォローした参考文献が良い。三国時代全体からとらえるなら最近出た講談社の『中国の歴史4 三国志の世界』(このシリーズはどの巻も読み応えがある)。『蒼天航路』は表現力が素晴らしい(たとえば、曹操は風采の上がらない小男で、それにまつわる渋いエピソードもあるのだが、この作品は、曹操をこれ以上ない絶世のハンサムに描きながら、随所で、実は容姿に恵まれないことを暗示し、それを逆手にとってカリスマを引き立たせるという絶妙な表現に成功している。そのディテールにこだわりながら物語を盛り上げる手腕の見事さは、正史や学問的研究を知れば知るほど伝わってくる。)。
高島俊男『三国志 きらめく群像』は、その軽い装丁からは想像もつかない濃密な内容を含んだ好著だが、中でも皇帝と詩との関係を論じた章は最高に面白い。
数ある曹操の名詩の中で、自分が一番好きなのは「歩出夏門行」。秦始皇や唐太宗を自分より下に見た帝王・毛沢東、その彼すら認めざるを得なかった壮大な気概と詩才(以前書いた記事「毛沢東と現代中国~ユン・チアン『マオ』」参照)。中華最高の英雄だからこそ描ける精神の美がここにある。

■ 古屋兎丸 『インノサン少年十字軍』
穢れを知らず、聖地を目指す少年たちの十字軍。その栄光と末路を描く歴史絵巻。
非情な展開と凄惨な描写。その果てに訪れる奇跡と静謐。それは目を背けたくなるほど痛ましく、そして美しい。
万人に勧められる作品ではない。ただ、中世とは、むきだしの力が横行し、暴力と嗜虐、非合理に支配された世界だった。同時に(だからこそ)信仰に依存し、精神世界と日常の現実が分かたれない時代だった(フーコーのいう「表象の空間」に通じる)。その、途方もなく暗く、しかし神、魂、永遠が人々にとって真理だった、失われた世界の姿をこの作品は伝えてくれる。
作品中の少年たちの扱いに違和感をおぼえる人には、フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』を勧めたい。中世において、年少者は、知恵も力も劣る不完全な大人(動物)としか見なされなかった。純粋無垢とされ、成長されるまで庇護されるべき存在としての「子供」が誕生するのは近代である。

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嘉手納基地の中を走る

先週末、沖縄マラソンに参加しました。人生初マラソンです。

その二週間前、名護ハーフマラソンに参加していました。日頃10キロくらいは軽く走っていたので、ま、21キロなんて余裕でしょ、と思って、前日も朝まで飲んでいたのですが、これが完全な油断。10キロを普段と同じかそれより速いペースで走るという愚行もあり、12キロ過ぎたあたりで足が動かなくなりました。それでも、歩くことだけはしまいと意地を張り、なんとか2時間そこそこで完走。とにかく足が痛かった。息が上がるというより、足の筋肉が大変なことになるんですね。ただ、あとでフルマラソンをやって思ったのですが、遅いペースでも歩かないで走り通したというのは、実は正解でした。

そんなわけで、教訓を得て走った今回のフルマラソン。
筋肉のサポートのためにコンプレッションスーツ上下も着て万全の状態。これ、体にぴったりフィットして筋肉の無駄な動きを抑えるウェアなのですが(勝手に「ガンツスーツ」と呼んでいました笑)、結構効果がありました。
とにかくペースを抑えることに気をつかいました。おかげで嘉手納基地に入る30キロ地点ぐらいまでは快調。しかし、38キロぐらいになって、いよいよ足の重さにたえられなくなります。ここからは歩いたり走ったり。しかし、この段階になると、いったん止まったり歩いたりした場合、走り始めるのが滅茶苦茶きついのです。どんなに遅くても、とにかく足は動かし続けた方が良いのですね。ということで、歩いたのは1キロぐらいで、あとは何とか走り通しました。タイムは5時間オーバーでしたが、まさか自分が人生でマラソンをやるなど、沖縄に来る前は想像もしていなかったので、やりきっただけで満足でした。

マラソンでは、嘉手納基地の中も3キロほど走ります。
基地と言えば、仕事で絡むことがあり、先日は辺野古にも行きました。
ここ最近、ラムジー事件の判決が出たり(驚きの実刑判決!)、環境アセスメントがもめたり、防衛局長の講話が問題になったり、野田総理の訪問があったり、色々起こってますね。
環境アセスメントや講話については、こういう問題が起こることは、他省庁ではちょっと考えられないところです。「沖縄の冬」で紹介した『普天間交渉秘録』でも触れましたが、防衛省というところは、こんな不器用というか素朴なところがあるんですよね。

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ところで、明日(現地時間26日)、アカデミー賞の受賞式が行われますね。
「Documentary Short」の候補の中に、『Saving Face』という作品があるのですが、この映画の監督、なんと私の留学時代からの友人なんですね。
Facebookで教えてもらいましたが、本当にびっくりしました。
受賞していればパキスタン作品としては初の快挙という。
大学院にいる当時から、映画を作って賞をとったりして、まあ色んな意味で破格な人でしたが、パーティーが大好きな今時の女の子でもありました。バカ騒ぎしたり、計量経済学の課題を手伝ったりしてあげたのがなつかしく思い出されます。
明日が楽しみです。

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映画といえば、ジャック・ケルアックの『On the Road』が今年映画化される(た?)らしいですね。
監督はロードムービーの名手ヴァルテル・サレス。『セントラル・ステーション』は今はなき恵比寿ガーデンシネマで観ました。いまだに強い印象が残っている作品ですが、あれはもう10年以上前になるのか。
ビートジェネレーションは、自分にとって、ヴォネガットやアーヴィングとともに、生々しい、リアルなアメリカの世界の象徴でした。子どもの頃から親しんだ映画や音楽から垣間見えた米国の姿、その原風景がそこにはあった。
ビートの映画といえば、『ビートニク』(チャック・ワークマン1999)は映像が良かった。『死にたいほどの夜』(スティーブン・ケイ1997)はキアヌ・リーブスがやたら気合入っていた。『裸のランチ』(デヴィッド・クローネンバーグ1991)は普通にクローネンバーグの作品でした。

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それと、シリア。すごい状況が続いてますね。
ホムスのみならずアレッポまで衝突が拡大しているとのこと。両方とも、父親のアサドの時代ですが、行ったことがあります。あの普通に機能していた、それなりに近代化した都市が、ここまで混沌に陥るのを見ると、何とも言葉を失います。
シリアのみならず、サウジや湾岸の国々も、昔から言われていますが、一見安定しているようで、実は非常に危ういところがあるんですよね。特にサウジのようなエネルギー的にも地政学的にも極めて重要な国にこんな混乱が起きたら、日本もただではすまないでしょう。怖ろしいです。

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最近読んだ本。

■ ニーアル・ファーガソン  『マネーの進化史』
原題は「The Ascent of Money」。BBCのドキュメンタリー「The Ascent of Man」のもじり。
(1)マネーと信用制度、(2)債券市場(ネイサン・ロスチャイルドとナポレオン戦争)、(3)株式市場、(4)保険(「戦争福祉国家」としての日本の国民皆保険、ピノチェトとシカゴ・ボーイズの年金改革)、(5)不動産市場(『素晴らしき哉、人生!』、ファニー・ジミー・フレディから証券化)、(6)国際金融市場(チャイメリカ)の歴史を俯瞰する。タレブ『ブラック・スワン』やバーンスタイン『リスク』以前の紹介記事参照)のグローバル・ヒストリー版の趣。
興味をもった人は以下の動画(ファーガソンへのインタビュー)を見るのも良いでしょう。56分でこの本のエッセンスがつかめる。



■ ニーアル・ファーガソン  『憎悪の世紀』
散漫過ぎて新鮮味もなし。ただ序章とWWⅡ以降のまとめ方はまあまあ面白い。ブローデルのように現代史の教科書としては使えるかも。

■ ジャック・アタリ  『21世紀の歴史』
ポリシーメイカーとしても活躍する博学の経済学者・思想家・作家が描く歴史と未来と政策。
前半は20世紀までの世界史(グローバル・ヒストリー)の描写。人類の歴史を動かしてきた権力者は、宗教人(典礼)、軍人(皇帝)、商人(市場)だったが、個人主義(自由)の追求が市場民主主義の支配を生んだ。中心都市の変遷(ブルージュ、ヴェネチア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、NY、LA)を軸に歴史の動きを説明する。ポール・ケネディ『大国の興亡』やニーアル・ファーガソンの著作を彷彿させる内容。
そして21世紀の歴史に入る。米帝国の秩序は没落し、超ノマド(専門能力を駆使して劇団型・劇場型企業を形成するクリエイター階級)は中心都市の存在しない超帝国(国家の弱体、マネーの支配)の管理者となる。その後に起こるのは個人(下層ノマド)による超紛争(資源紛争、反グローバリズム、宗教原理主義)と超民主主義。最後に(実は一度も中心都市となっていない)フランスへの政策提言を述べる。
アタリは、ミッテランの補佐官、欧州復興開発銀行総裁、サルコジ政権の「政策委員会」のトップを務めた。政治屋ではなく、こんな本を書く知性が実務まで手がけてしまうのがフランスらしい。それが機能するのかは別として。

■ 浅田次郎  『中原の虹』
前の記事で紹介した 『蒼穹の昴』 に続く清末歴史小説。
ここまで脚色が進むと講談か少年漫画かと思ってしまう。『蒼穹の昴』ではまだ歴史そのものの醍醐味を感じることができたが、こちらはもうファンタジーの世界。
『蒼穹の昴』は日中共同ドラマになったが、この作品も中国人が見ることができるとしたら、どう感じられるのだろうか。

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浜比嘉島の初日の出

だいぶ遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

ここ最近何度か書いているとおり、昨年11月から沖縄に来ています。 東京には今年9月頃戻る予定なので、1年近く滞在することになります。人生においてなかなか経験できることではなく、貴重な機会を生かして、できるだけ沢山のことを吸収しようとしています。

新年の感慨、というのも特にないのですが、例年どおり無理に頑張って(笑)述べてみると、最近感じるのは、気持ちが楽ということです。

一つには、自分がやりたいと思っていることに素直に取り組むことができる、ということがあります。
その中には、温暖な環境で、好きな勉強や読書をし、旧知の人たちから新しく出会う人たちまで色々な人たちと交わり、豊かな自然の中でランニング、ゴルフ、ダイビングも気軽にできる、という日頃の生活の快適さから、将来に向けて、研鑽を積み、自分を成長させることも含まれます。

今まで経験した世界では、目の前の課題に対処するので必死で、またそれで足りるというか、先々のことを考えても仕方がないという面が強かったようです。自分本位の仕事の回し方やキャリアを追求することは基本的に難しい、わがままは本来的には許されないところでした。
その代わり、色々な世界を見て、経験することができ、非常に面白い環境でした。また、大きな仕事、特に公益に関わる仕事には、個人の思い入れがふさわしくない性質があるのはしょうがないことで、意思決定を行う正当性のある主体を絞り、組織的に動くことは、ある意味当然のことでもありました。
今思えば、難しいことを考えず、どんどんわき上がる面白い課題に身を投じていれば、それで十分幸せだったのかな、とも思います。私は、苦労やシニカルに感じることがあっても、知的好奇心が満たされれば満足なタイプの人間でしたし。
でも、自分とは違う世界で、自分がやりたいこと、正しいと思うことをわがままに貫き通すような人たちが、まぶしかったことも事実でしたね。
今は、やることのすべてが自分が選んだことであって、自分のためになるものであり、責任もすべて自分にかえってくる。なんとなく、将来のビジョンのようなものが見えてきて、それに向けて努力できる。あるいは、まだはっきりとは見えなくとも、探求することができ、それが許される。そんな感覚をもっています。
前は、先のことを考える必要もないし、安定もしているから、ある意味ではぬるい環境なんだろうけど、でもなんかしんどかったなあという気持ちがありました。それは、自分だけでは手に負えない、責任も自分だけでは負いきれない、ということがあったためのような気がします。それに比べると、今は結構楽なのです。

ただ、そうはいっても、前にやっていた世界に忘れがたい魅力、愛着があったのは事実です。それだけのやりがいを自分のがんばりだけで見つけられるのかどうか。今考えるべき話でもなく、杞憂かもしれませんが、これからも考えてみたいところです。

それと、もう一つは、プライドの問題。
若い頃は、結構負けず嫌いでした。正直に言えば、周りの人たちより上に行きたい、馬鹿にされたくないという気持ちがかなり強かった方だろうと思います。
また、周りにいる人たちも、自分以上にギラギラして、能力も高い人が多くて、良い意味でも悪い意味でも緊張感に満ちた関係がありました。
自分を周りに認めさせたい。それは、特に、自分自身との戦いというよりは、周りの誰かよりも上に立ちたいという、相対的な優位を重視したものであったようにも思います。
最近は、そういう感覚がすっかりなくなりました。何というか、他人の目があまり気にならなくなったのです。なんでですかね。環境が変わったからか、年をとったからなのか。
良い方の理由を考えれば、色々な人に会い、色々な世界に接したから、ということがある気がします。狭い共同体の中にずっといると、どうしても、ゴシップや人間関係ばかりに目が行って、それが本業よりも大事なテーマになってしまったりするものです。能力に自信のあり、名誉欲の強い人たちの集まりであれば、なおさらそうなります。今までの自分の環境においては、そういうタイプの人が多かったように思います。そんな共同体から一歩出て、広い世間を見れば、つまらないことにこだわっていたものだな、と思いますね。
今でも、自分が好きな人や尊敬する人に対しては、好かれたい、認められたいという気持ちはあります。でも、自分が興味がない人に対してアピールする気はないし、優れた能力をもつ人でも、自分に興味をもっていない人に対しては、やっぱりどうでもいいや、という乾いた気持ちになりますね。一昨年の年頭の辞でも書きましたが、結局、「来る人拒まず。去る人追わず。」なのです。

てなことを何となく思いました。いつもながら、まとまりがないですね(苦笑)。
とにかく、今は非常に気持ちが良いということです。明るい気持ちで新年を迎え、そのまま良いペースで今年を過ごしたいと思います。

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新年といえば、大河ドラマ『平清盛』、見てみましたが、前評判どおりぶっとんでいて面白そうですね。第三者の回想で始まる冒頭や映像の雰囲気が『龍馬伝』に似てるなと思いましたが、スタッフが同じとのこと。
キャスティングが豪華ですね。ちょっと濃すぎなくらい笑。
平忠盛は中井貴一。実際の忠盛は斜視でしたが、そこはスルーの模様。「殿上闇討」(平家がデビューする章段)では、その斜視をネタにされ、「伊勢へいしはすがめなりけり」と貶められながら、見事に危機を切り抜け、昇殿を果たす様が描かれます。忠盛の器量と武士の新風を示す秀逸なエピソードです。これが描かれないのはちょっと残念。ま、しょうがないか。
そんなわけで思い出した本。

■ 石母田正 『平家物語』
戦後歴史学の泰斗による平家論。
著者の代表作『中世的世界の形成』にあった強烈な精神性は感じられず、やや自由な文学論になっているところもあるが、記述は手堅く、手っ取り早くポイントをおさえられる。

■ 海音寺潮五郎 『武将列伝』
■ 同 『悪人列伝』
歴史小説の大家による評伝集。
源平については、悪源太義平、平清盛、源頼朝、木曾義仲、源義経(以上『武将』)、梶原景時、北条政子(以上『悪人』)が登場。
史料解釈の振り幅と、その中で発揮される創作者の挑戦がテンポ良く語られる。作家の醍醐味と苦労が分かる作品。

■ 浅田次郎 『蒼穹の昴』
歴史絡みということで併せてご紹介。
清末の人物群像を描いた歴史小説。中国版『坂の上の雲』(そういえばTVドラマは見たかったのだがチェックする機会がなく断片的に見るのに終わった。そのうち通しで見たいものだ。)という趣もある。
官僚と宦官の二人を主役に据えた着眼の面白さ。特に序盤の科挙と浄身の説明は巧みでなかなか読ませる。この点については、宮崎市定『科挙』と三田村泰助『宦官』を併せて読むと良い。
脚色が過ぎてもはや史実が名残をとどめないところもあり、時代小説の雰囲気に近いが、それを言うのも野暮というもの。
もっとも、小説にするまでもなく、清末、辛亥革命の時代は、猛烈に面白いのである。旧体制と近代が激突し、中華の偉大で歪んだ文明を震撼させる激動の瞬間、面白くないはずがない。日本の歴史小説と比べてなじみが薄いこともあり、この作品の伝える文学ロマン的な面に目がいきそうだが、そこにとどまることなく、ベースにある史学的考察に親しむとなお面白い。

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私を直接知っている方へのご報告ですが、11月下旬から那覇に行くことになりました。8~10ヵ月ぐらい滞在する予定です。まさか自分の人生で沖縄に住む日が来ようとは思いもよりませんでした。とても楽しみです。沖縄に来られる機会がありましたらご連絡ください。

そんなわけで、せっかく沖縄に行くのならと、上海から帰ってきてすぐにサイパンに行って、ダイビングのライセンスをとりました。
ダイビングといえば思い出すのは映画『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン1988)。
主人公ジャックは傷ついて心を閉じてしまった人。でも潜ると誰もついていけない。神秘的で誰も(もしかしたら彼女も)理解できない孤独な天才。ジャン=マルク・バールの、青い炎を静かに燃やすかのような演技が光りました。しかし、そんな主役を食う魅力を見せたのがエンゾを演じたジャン・レノ。丸眼鏡に漲る野性、傲岸、そしてその奥にある優しさ。それまで見たことのないタイプのかっこよさでしたね。
この主人公ジャックのモデルであるダイバー、ジャック・マイヨールによるスキン・ダイビングの記録は何と100メートル。こないだサイパンで自分が潜った深度はスキューバなのに17メートル。同じ人間とは思えませんね(笑)。
でも、ジャック・マイヨールは本当に心を病んだ人で、その最期は自殺だったんですよね。あの映画のジャックのfragileなイメージとダブって、切ないです。

それから、自動二輪の免許もとりました。
ずっと興味はあったのですが、震災後のボランティアで二輪が重宝されたと聞いたのと、沖縄での生活で利用するかもしれないと思ったことが一つのきっかけになりました。
バイク自体に強い思い入れがある方ではないですが、漫画の『バリバリ伝説』は好きでしたね。世界編も良かったですが初期の青春時代が個人的には一番好きでした。

そんなわけで、なぜか、にわかに資格づいています。もっとも、いずれも仕事に生きるものではありません(笑)。そっちの方もぼちぼちがんばっていきたいと思います。

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最近読んだ本。

■ ウンベルト・エーコ 『バウドリーノ』 
昨年(2010年)に待望の翻訳が出たエーコ4作目の長編小説。
12世紀の中世を舞台とする奇想天外な冒険譚。架空の人物バウドリーノが、パリ仕込みの論理学、哲学、神学等の学識とハッタリを駆使しながら、皇帝(バルバロッサ)、教皇、イタリア都市、ビザンツ、イスラム、歴史家(オットー、ニケタス)等に自在に絡み、十字軍、イタリア戦争等の歴史的事件を動かしていく。
虚構と史実が織り混ざって物語が展開し、その合間に膨大な中世の事物、思想、精神構造が語られるのは、『薔薇の名前』から発揮されてきた著者の本領だが、この作品では、嘘つきの主人公によって、歴史の捏造がメタ的に捏造される(そして最後に葬られる)点がさらなるアクセントを加えている。これにより、権威を引きはがすことで真理に迫る精神の特質と、歴史とは人にとって意味を見出されるときに初めて存在するものであることが浮かび上がる。
豪快でロマンに満ちた冒険を描くエンターテイメントとしても楽しめるが(バルバロッサの死をめぐる終盤のどんでん返しは劇的)、歴史に親しみながら読むと汲めども尽きない面白さを味わえる。

■ サイモン・シン 『暗号解読』
暗号の開発と解読は、言語学、数学、情報理論・工学、量子力学等を総動員した知性のぶつかり合い。古代から現代に至るまで天才たちの頭脳戦は歴史をも左右してきた(その戦いの性質ゆえに悲劇的な生涯をおくった者も多かった)。その歴史を描いたノンフィクションの傑作。
暗号解読と同様の手法によってなされた古代文字(ヒエログリフ、線文字B等)の解読という偉業、高度情報社会を支える技術としての役割も最先端の情報(素因数分解、量子コンピュータ、量子暗号)とともに語られる。
その壮大なドラマは物語としても十分に感動的だが、通俗的なエピソードに終わらず、暗号の構造と解読手法を具体的に解説しており(「史上最強の暗号」と称する懸賞問題もある)、実質的・科学的な理解も深めることができる。他の作品もそうだが、著者のストーリーテリングとサイエンスの魅力を伝える力量は抜群。

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とりあえず生存報告です。

地震が起きたときは建物の4階にいました。激しい揺れに驚いて、すぐに外に出ました。本棚の本がすべて飛び出し、重いコピー機まで動き、壁に傷が入ったためか粉が吹き出し、ちょっと現実離れしたような異様な光景でした。
その日は電車、バス、タクシーいずれも利用できず、ビジネスホテルなども一杯の様子でした。近くに住んでいた友人宅で一夜を過ごしました。
翌朝、家に戻りました。本、PC、テレビ、食器などほとんど壊滅したかと思っていましたが、なぜか何事もないかのように平穏でした。建物が良かったのか、あるいは一階だったからかもしれません。

東北地方の深刻な状況をみて、心が痛みます。
私の周りでは、火災は発生しているようですが、知る限りでは大きな被害はないようです。ただ、余震や原発の影響は心配です。
政府や電力会社の対応が完璧とはいえないのかもしれませんが、必死にやっているということは伝わります。まずは自分にできること、情報収集であったり、節電であったり、ちょっとした備蓄であったり、もしものときの準備であったり、普段の生活を続けることであったりしますが、それを一生懸命やろうと思います。

それにしてもメールと電話が通じない中、コミュニケーションツールの中で一番役だったのがツイッターだったというのが驚きでした。あまり携帯で見ないので気づかなかったですが、Facebookも同様に役立っていたのかもしれません。近年の情報技術の格段の進化は、意識しにくいですが、わずか数年前と比べても、こんなにも違うものかと思います。

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The earthquake was a tremendous disaster. Fortunately my family and I are all OK. I hope all of my friends are safe and sound as well.
Since all transportation was halted, I crashed at my friend's apartment on Friday night. I was afraid that my room would be a total mess in my absence but found it unexpectedly kept organized when I came home.
It seems that the Tokyo area has not been seriously damaged. Somehow people have managed to control the situation. However we still have to keep on the alert against aftershocks. Accidents in nuclear power stations are greatest concerns at present. This website may be of some help to keep up with a reliable source of information.
It is distressing to see how people are suffering in devastated areas. I just hope things will not get any worse and affected people will be secured as soon as possible.
I received a number of warm messages from my friend at home and abroad. I cannot appreciate their thoughts and prayers more. It is truly encouraging to hear people around the world express profound sympathy for us.

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