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やじゅんのページ/The World according to YAJUN




かんべえさん(10月7日)が書いて下さったとおり、先週は久々の面子で同窓会。色々とめでたいことがあり、お祝いをさせていただきました。とても楽しかったです。

これまで何度か書いてきましたが、私は、実務つまり現場での実践をすることを前提として、その枠を超えて、目の前の事象・課題の外にある世界に目を向ける好奇心のある人、人になにがしかの影響を与える知を提供できる人に憧れるんですよね。偏屈かもしれませんが、実戦を経験していない人の理屈には抵抗があって、どうも口だけの人に見えてしまうことが多いのです(もっとも実際には、口だけに見えるのは、実戦云々より、まずその内容のせい、という方が多いかもしれません)。あるいは、実務の経験はなくとも、ある分野をとことん突き詰め、学識にせよ技能にせよ、現場にいたかどうかなんて問題にならないぐらい専門的知見があって、現場の方からその知見を求められる人、そういう人を私は尊敬するのです。
そんな人は世の中にそうはいません。でも、私は何人かお会いしたことがあります。私生活においても仕事の場でも色々な出会いがありました。
ただ、前の仕事も、(この場では詳しく書きませんが)ある意味では現場を体験でき、自分で物事を動かしている、しかも日々の生活を超えた知識・経験を蓄えることができ、とても面白かったのですが、その一方で、ある意味では現場を知らない、自分で動かしているような気がしているだけ、知識に関してもどこまでいっても自分は素人、そんな、何ともぎくしゃくした思いがありました。世界が広がるにつれ、自分に合った生き方を考えざるを得ないように感じました。結果として、人からは「何を考えているの?」と言われるような生き方を歩んでしまったようです。でも、今選んだ道は自分なりに色々考えた結果です。幸い、この道はかなり自由度が高く、ベストなのかどうかというよりは、自分がベストなものにできるかが問題となる世界のようです。
まだまだこれからですが、志だけは高くして、自分が理想とするものに一歩でも近づけるよう努力したいと思っています。日々の課題に真摯に向かい合いながら、同時に、自分の枠の外への好奇心を大事にし、広く世界を意識して、自分を高めたい。その上で、できれば面白いことを発信し、何らかの形で公益にも貢献したい。ちょっと言うのもおそれおおいですが、尊敬する師匠阿川尚之さんを心の目標にがんばろうと思います。

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独り言が長くなりました。本題に入って、「ロンドン紀行」の続きです。

<パリ>
ロンドンでの研修後、ユーロスター(実は乗るのは初めて)でパリに移動。ここでは、前職の先輩にお会いするためにお昼を食べました。
この人は、10年以上もロンドンとパリで働いている、自分のいる世界では稀有な日本人。そのチャレンジングな姿勢、活躍には大いに刺激を受けました。
先輩の家の近くのポンピドゥーセンターなど、マレー地区をぶらついたのみ。でも食事は最高に素晴らしかったです。

  

<ブリュッセル>
ブリュッセルにはこれまで行ったことがなく、またここでも前職の先輩がいたので、お会いする目的もあって訪問。



この都市は、小国ベルギーの首都というよりは、もはやEUすなわち欧州の首都ですね。
ベルギーという国は、その小さな国力にもかかわらず、強国と渡り合いながら、知恵を出すことで経済を発展させ(一人あたりGDPは毎年世界20位以内、日本とほぼ同じ)、政治的にも存在感を示してきました。

欧州は、すでに経済的も社会的にも安定・成熟し、アジアや米国のような高い成長を維持することはなかなか難しい状況にありますよね。しかし、その中でも、EU統合に代表されるように、知恵を出して、ある意味壮大な実験に挑もうとしている。移民の受け入れやユーロによる資金移動、貿易、投資の促進によって成長を支えることもその例なのでしょう。また、貿易や競争等のルール作りを主導し、自分にとって都合の良い制度を作ろうとする。最近のユーロを見てわかるとおり、(ほとんど崩壊寸前のような)かなり強烈に痛い目に遭うこともあるでしょう。でも、こうした姿勢自体は、日本にとっても参考になると思うんですよね。成熟した経済、社会の中で、どのように国を発展させていくのか。これからは中国インドの時代などと言われますが、たしかに、世界経済における役割の分担というものはあって、高い経済成長によって世界を牽引するのは彼らの役割になるのかもしれない。しかし、成熟した先進国が、低成長を余儀なくされるとすれば、それを前提としていかなる社会を築き、役割を果たすべきなのか。こういった点は、(「The Economist」7月30日号の「Turning Japanese」というネガティブな形容も含めて)欧州も日本も課題を共有しているように思います。

知恵を出すと言えば、一つのテーマはFTA。これについては、韓国が先行してすでにEUとの間で協定を結んでおり、7月に発効しています。韓国に遅れをとった日本は、EUとの交渉を開始したところですが、すでに韓国の製品が市場に入ってきているEUとしては、かなり固い姿勢を見せていると聞きます。
そもそも韓国の企業は、最初から国内市場ではなくてグローバル市場を見て戦略を立てているんですよね。あれだけ小さい国なので国内では儲からない。そして産業ごとにかなり独占の度合いが強いので、国内競争に消耗することなく、効率的に国際競争力を高めることができる。そして、「セネガル紀行」「マリ紀行」で述べたように、ものすごい積極性をもって、途上国を含め海外市場に進出しようとする。産業によっても違うので一概には言えないですが、「ガラパゴス化」と言われるように、高い技術力と創造性をもちながら、国内市場を重視してグローバル市場に打って出ることができない日本と比べるとちょっと対照的ですね。
今回のFTAについても、何となく両国の姿勢が反映されている気がしました。もちろん、日本は農業が常に大きな壁として立ちはだかりますよね。様々な意味で「開国」がキーワードとされてきて、もう10年以上たっている気がしますが、こういうところこそが、真に政治的なリーダーシップを期待される部分なのではないかと思います。

<ブリュージュ>
ブリュージュには日帰りで旅行に行きました。
ここは中世そのままの町並み、雰囲気が残っているということで、観光地として非常に人気が高いところです。



欧州の旅行において私が好きなところは、中世の世界を味わえるところですね。城、教会、美術館。いずれも中世以来の長い歴史を感じ取るところに魅力を感じます。
美術についていえば、中世の絵というと、宗教画と宮廷のための肖像画が多い中、ベルギーの画家であるブリューゲルやデューラーは、日常の生活を描いていますよね。フィクションや虚飾のないリアリティを見せてくれるところに強く惹きつけられます。
中世の絵画は、高階秀爾『名画を見る眼』続編もいいですね)、三浦篤『まなざしのレッスン』、ジェームス・ホール『西洋美術解読事典』など見ながら鑑賞すると楽しいですね。美学的・理論的に見るなら、エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究』、図版を見るなら、ウンベルト・エーコ『美の歴史』『醜の歴史』『芸術の蒐集』も良いですね(高くて買うのはちょっと大変ですが)。

<アムステルダム>
アムステルダムは、日本に帰る便がアムステルダム発だったので、せっかくならということで滞在。
とてもエキサイティング、ここでは詳しく書けませんが、ある意味カオスな町ですね。さる理由でこの町が大好きな米国の友人からは、旅を締めくくるにはとても良い場所だな、と言われました。

  

とりとめない感じになりましたが、今回の旅行記はこれで終わりです
欧州は久しぶり、というか今まで仕事上あまり縁がなかったところなので、学ぶところが多かったです。また行きたいものです。

なお、10月12日から一週間ほど上海に行きます。北京や広州には最近数年で何度か行きましたが、上海は10年ぶりぐらい。
また面白いことがあったら書いてみたいと思います。

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最近読んだ本。

■ トール・ノーレットランダーシュ 『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』
計算(情報、論理、認知)、コミュニケーション(外情報、脳、ビット数、心)、意識(自由意思、私/自分、利用者の錯覚、神)、平静(ガイア、宇宙、カオス、人工生命と法則/学習・創発、フラクタル、情報社会=情報(暗黙知)の欠如)という切り口から、近現代の研究を豊富に紹介しつつ(著者はジャーナリストなので独自の発見を述べるものではない)、意識という現象(幻想)の科学的洞察を行う。
哲学、歴史、宗教、スポーツ・芸術(ラウドルップのプレー、ボーアの西部劇評論の比喩による無意識のパラドクスの説明は面白い)を含め、カバーする範囲の広さ、該博な知識には感心する。色々詰め込みすぎてとっちらかっている観もあるが、各論的に目新しいことがなくても(結構古い話も多い。それはそれで面白いが、注意が必要。)、積み重ねて総合して見えてくるものがあるという趣。

■ マイケル・ポランニー 『暗黙知の次元』
故あって再読。機械論、holism、創発(emergence)、生命論は心の哲学、無意識の科学に通じる(ほぼ裏表の)議論と確認。「暗黙知」や「創発」は『ユーザーイリュージョン』でも引用されている。
マイケル・ポランニーは『大転換』で有名な経済人類学者カール・ポランニーの弟。栗本慎一郎氏の紹介が有名ですね。サイエンスと人文学の異なる分野で学を究める兄弟。湯川秀樹、貝塚茂樹、小川環樹みたいなイメージですかね(勝手な印象)。

■ 野矢茂樹 『哲学の謎』
時代を超えて哲学者を悩ませ続けるるアポリアを対話形式で紹介。どれも有名な論点だし記述も簡潔だが、ジャーゴンや哲学史に言及することなくズバリ本質をつく。その上での野矢先生の自問自答が味わい深い。
同じ著者の『哲学・航海日誌』は、より多くの論点をより深く掘り下げている。もっとも著者の問題意識と自問自答は一貫している。

■ 田辺保 『パスカル 痛みとともに生きる』
思想家、科学者、キリスト者(ポール・ロワイヤル、ジャンセニズムとの関わり)としてのパスカルの人間像、『パンセ』の世界、読み解き方を解説。
苦しみに満ちた人生から、人間の偉大と悲惨を思うに至る。シモーヌ・ヴェイユの生き様と思想に通じるという。エリ・エリ・レマ・サバクダニの境地か。

■ エリック・ベル 『数学をつくった人びと3』
だいぶ昔に読んだ本だがポアンカレ(前の記事参照)の章があるのでクロネッカー、リーマン、クンマー、デーデキント、カントールの章とともに再読。この本の惜しいのはヒルベルトとゲーデルの記述が薄いところ。

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「マリ紀行」の続きです。

ロンドンには3週間いました。ここでは、自分が勤める組織の本社で、仕事(研修みたいなもの)をしていました。

国際的な仕事をした経験はありましたが、日本人がまったくいない環境で、外国人(主に英国人)とまったく同等の立場で働くというのは初めてのことでもあり、なかなか面白い体験ができました。特に、1,000人を超える人たちが一つの高層ビルに働くという、巨大な組織の動きを見るのは、この業界ではなかなかお目にかかることができるものではなく、非常にためになりました。

  
左:ダブルデッカーのバスの2階からの風景。彼方に見えるビル群が職場。 右:32階のオフィスの風景。

ロンドンには10年くらい前に行って以来だったので、町もずいぶん変わっていました。
テート・モダン、新市庁舎、ガーキン、ヘルター・スケルター(建設中)といったところはなかったですね。全体的に、organizedされたというか、綺麗になったような印象があります。もっとも、地下鉄は相変わらず狭くて暑くて小汚い様子でした。

  

観光は、昔行ったときになかったテート・モダンなど見たぐらいで、それほど熱心にしませんでした。その代わり、音楽や劇をよく見ました。
プロムスを聴きに行ったり(「シベリウス6番」、オラモ指揮、王立ストックホルム・フィル、「グリーグ・ピアノ協奏曲」、アリス=紗良・オット)、ロイヤル・オペラ・ハウスでのバレエ(「アンナ・カレーニナ」、マリインスキー・バレエ)を見たり、グローブ・シアターでシェークスピア劇(「お気に召すまま」)を見たりしました。

  
左:ロイヤル・アルバート・ホール。プロムスの会場。 右:ロイヤル・オペラ・ハウス。

  
左:グローブ・シアター。シェークスピアの時代そのままに再現した劇場。映画『恋に落ちたシェークスピア』を思い出す。 右:ボロ・マーケット。

あとは、色んなマーケットに行ったり、夜な夜な職場やバーで酒を飲んだりしてました。

それから、古くからの友人に会えたのが良かったですね。結構ロンドンに住んでる人が多かったのです。ある意味、これが一番の収穫であったかもしれません。

特筆すべき点としては、滞在中に、暴動がありました。
家や車が燃えるショッキングな映像もあり、日本でもずいぶん報道されたのではないかと思います。
ロンドン市内で略奪が起き、しかもそれがどんどん拡大したのは、見ていて、本当に驚いたというか、恐ろしいことでした。
英国のような成熟した社会でこんなことが・・・と思いますが、一つの要因には、移民の増加とそれに伴う社会の変化、失業率の上昇などがあるといわれます。
ご存じのとおり、欧州は、欧州統合という壮大なプロジェクトを推し進めており、昨今はまさにユーロが問題となっているところですが、そのプロジェクトの一つの目玉は、人の移動の自由化です。労働市場の流動性を高め、国境を超えた企業活動を容易にし、経済成長に資するところは大きいと思いますが、反面、社会の変化、不安定化という負の側面も受け入れざるを得なくなっています。
今回、私は自分が住んでいたところも含め、マイノリティや貧困層が多く住むエリアに訪れる機会が多く、10年前と比べてどうとはたやすく言えないのですが、なんとなくこういう現実を肌で感じたような気がしました。そして、今回起こった暴動は、まさにそんな現実がはらんでいた問題の顕在化であったような気がして、こんなのにぶち当たってしまったのは不運なことでしたが、それはそれで貴重な体験ではありました。

次回は最後、「欧州(フランス、ベルギー、オランダ)紀行」です。

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最近読んだ本。

■ ナシーブ・タレブ 『ブラック・スワン』
最近といっても、結構前に読んだ本ですが、映画『ブラック・スワン』を見たこともあり、(映画とはまったく関係ないんだけど笑)再読。
各論(統計学、科学哲学)においては目新しい点は少ないし、叙述のくどさもあるけど、ここ数年出た本の中では群を抜く面白さ。
金融、経済、統計に関心がある人のみならず、歴史、知性、懐疑、経験、帰納、予測、認識論、心理学、人間に興味のある人であれば誰でも楽しめる。人によっては世界の見方が変わるような刺激を得られるかも。
この本の訳者はスティーブン・レヴィットの『Freakeconomics』(『ヤバい経済学』)も訳している。ちょっと古くなったが、これも同様の関心がある人には楽しめるはず。訳も丁寧でなかなか読ませる。
不確実性と統計については、やや古いが、ピーター・バーンスタイン『リスク 神々への反逆』も、歴史的視点から把握できるものとして楽しめる。本書と重複する部分もあり、理解が深められる。副題の「Against the Gods」がとてもクールですね。

映画『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー2010)は、前述のとおり、本書とはまったく関係ないですけど、最近見ました。
主人公の動作・環境の描写、音楽、細かいカット、スローモーションの使い方とか演出が『レクイエム・フォー・ドリーム』『π』とそっくり。ほんとにクセの強い監督ですね。

■ アンリ・ポアンカレ 『科学と仮説』
■ 同 『科学の価値』
■ 同 『科学と方法』
■ 同 『晩年の思想』
ポアンカレの科学思想集四部作。中でも、「科学と仮説」は『ブラック・スワン』でも大きな紙幅が割かれ絶賛されていた歴史的論文。
ポアンカレは、言わずとしれた数学、物理学の巨人。トポロジーを確立し、アインシュタインより前に相対論、ボーアより前に量子論を考え出していた。
しかし、それだけでなく彼は、四部作に書かれているように、科学哲学、認識論、知識の哲学、論理学等においても、当時の最高の知性バートランド・ラッセルはおろか、現代人であるタレブを驚愕させるほど徹底した懐疑主義・経験主義を展開していた。20世紀初めの時点でカオス理論を予見し、『空間の謎・時間の謎』前に書いた記事参照)のメインテーマである関係説の力学(絶対時空の否定)にも踏み込んでいる。
実際読んでみると、その明晰で包括的な内容は、現代においても遜色ない。この時代にここまで語り尽くしていたのかと思うと言葉を失う。

なお、『世界の名著・現代の科学1』『世界の名著・現代の科学2』は、1970年に出た古い本だが、「科学と仮説」(ただし第三部が収録されていない)を含め、物理学、化学、生物学、数学、科学哲学において歴史に名を刻む超ド級の論文が約30本も詰まっている。数学の基礎論をめぐりポアンカレと激突したヒルベルトの論文「公理的思考」も入っている。人類史上に残る偉大な知性の対決を論文で見るのはスリリングである。湯川秀樹、作田啓一、井上健の科学思想史の解説も素晴らしい。お買い得。

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「セネガル紀行」の続きです。

マリには6日間滞在しました。

首都バマコに着いて、その日のうちにモプチに移動(後述しますが、このバスが不意打ち的に夜行バスになりました笑)し、モプチをベースにして、バンディアガラ(ドゴンの村)とジェンネに日帰り旅行するという形をとりました。

マリは、UNDPの人間開発ランキングでも最下位に近い国で、世界の最貧国の一つです。

ガバナンスは、90年代はじめにクーデターがありましたが、それ以降は極めて安定しています。
このクーデターに参加し、元首となった軍人アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(通称ATT(アー・テー・テー))は、現在の大統領です。しかし、クーデターからずっと居座ったわけではありません。彼は、元首に就いた後、1年後に民政移管を実現し、すぐに権力の座から降りたのです。そして、10年後、正々堂々と大統領選に立候補し、当選しました。「セネガル紀行」で述べたとおり、権力の座に数十年も居座る為政者が多い中、自らを律して民主主義を実現し、公正なプロセスで再び国の指導者となったATTは、まさにアフリカの良きgerontocracyの体現者といえます。マリ国民の支持は絶大であり、今回私が旅行した中で会ったマリ人の中で、彼を悪く言う人は一人もいませんでした。

また、マリ人は非常にまじめで、優しい人が多いです。
今回の旅行でも、フランス語がろくにできない私に親切にしてくれた人は数多く、バスの案内をしてくれたり、ひまつぶしの世間話に付き合ってくれたり、軽いご飯をくれたり、帰国後メールをくれたりしました。旅行者を騙したりぼったくるような人もほとんどいません。そのホスピタリティには深い感銘を受けました。
そして、なんと言っても子どものかわいらしさが格別です。マリの子供たちは、なぜか皆外国人が大好きで、「サバ(こんにちは)!」「トゥバブ(white=白人の意味。黒人以外は皆こう呼ぶ。)!」と言って、猛烈に手を振って、どんどんこちらに集まってきます。物乞いをする子どもは一人もおらず、ただ純粋に好奇心と親しみの情から接してくれるのです。握手をして、一緒に写真を撮ると、それはもう大変な喜びようです。この純粋無垢なかわいらしさには、本当にやられました。

  

政治が安定し、人々もまじめであれば、発展してもいいんじゃないか?と思うかもしれません。しかし、砂漠ばかりで、とにかく国土が貧しく、産業が発達しないようです。セネガルなどと違って、海がないのも大きなハンデとなっています。貿易が大きく制限されますから。ASEANを見ても、島嶼国と内陸国ではその発展に雲泥の差がありますよね。気の毒ですが厳しい現実です。

マリの文化は、独特な魅力があって、世界的によく知られています。
音楽では、世界的に人気のあるミュージシャンとして、サリフ・ケイタが挙げられますね。「セネガル紀行」で述べたユッスー・ンドゥールらはグリオ(吟遊詩人)出身ですが、サリフ・ケイタは、マリ王国の王族出身といわれており、西アフリカでは珍しくグリオ出身ではないミュージシャンです。首都バマコには、私も好きな彼のアルバム『Moffou』と同名のライブハウスがあり、自身ひんぱんに演奏しているそうです。私も行きたかったのですが時間が足りませんでした。

観光資源は充実してます。
ハイライトの一つはドゴンの住むバンディアガラ。ドゴンは、独特の神話体系をもち、古代からの生活を維持している民族で、文化人類学者マルセル・グリオールの研究で有名になりました。今回、ドゴンの村をいくつか訪れましたが、そのある意味原始的な生活は他で見ることのできない魅力があります。「バンディアガラの崖」と言われる居住地域にある巨大な断崖は、圧倒的な景観を誇っており、世界遺産となっています。かつてドゴンはこの崖のかなり高い位置に土の居住施設を作っており、そのいくつかは今でも見ることができます。この居住施設も、神話をモチーフにした彫刻などが施されており、なかなか神秘的で味があります。

  

他、泥のモスクで有名なジェンネ、ニジェール川下り、古代都市ティンブクトゥも有名です。

  

ティンブクトゥは、その不思議な音感から、言葉だけは聞いたことがある、という人も多いと思います。ポール・オースターの小説に『ティンブクトゥ』もありましたね。そんなわけで非常に有名なところですが、今回は時間がないのと、アルカイダが活動している地域ということもあって、残念ながら訪問できませんでした。ただ、ティンブクトゥには、誰もが過剰な期待を抱く傾向があるらしく、そのため、英語のスラングで「dissapointment」を意味するそうです。そこまで一般名詞化するのも逆にすごいことですが。

正直、旅行は大変です。バックパック旅行の中でも難度は高いほうでしょう。
交通機関はバスしかなく、このバスがいつ出るか、どのくらい時間がかかるか、なかなか分からず、計算が立てにくいです。実際、私がバマコからモプチに行くバスは、1時に出ると言われたのに出たのは4時、その日のうちに着くと見込まれたのに、着いたのは翌日8時、なんと16時間もかかりました。暑さと湿気、人の混雑がひどい中での不意打ちのような夜行バス、これは30を超えた身にはかなり厳しかったです。笑

  

ご飯も、肉料理が多く、シチューのようにして食べますが、セネガルと比べるとかなり劣ります。
特に米にあたるもの(クスクスなど)がパサパサで、色んな途上国の食べ物を食べてきた私も、個人的にはちょっと、いや正直に言えば(笑)、かなり不味いと思いました。とてもこれだけ食うのは無理。日本の白米の美味しさ、ありがたみを思い知らされましたね。

  

宿は、モプチのようなところはバックパッカー向けの安宿しかないとはいえ(バマコには一つ二つ高級ホテルがあります)、それなりに整ってはいます。セネガル同様、Wi-Fiも通じます。

(ホテルといえば、バマコに異様な巨大建造物があって、マリの人に「これは何なんだ?」と聞いたら、「カッザーフィ(カダフィ)大佐がつくったホテルだ。趣味悪いだろう?」と言われました。「アフリカの王」を目指すカッザーフィはアフリカのあちこちでお金をばらまいていたことで有名ですが、まさにその典型例がこれかと妙に感心。もう何か本人のキャラが全開という感じの本当に特異なデザインでした。)

それから、セネガルもそうですが、蚊がうっとおしいです。刺されまくります。一応マラリアにも気をつけないといけません。予防のため、どこの宿にも蚊帳がついています。

  

しかし、前述のとおり、マリは魅力に満ちた国であり、こういった大変さを補ってあまりある面白さがあります。西アフリカに興味をもった人にはぜひ訪れてみて欲しいです。

なお、「セネガル紀行」でも触れましたが、随所で日本のプレゼンスの相対的な低下を感じました。中国に関しては、その経済規模の拡大、アフリカへの攻勢を見れば明らかですし、想定していたことですが、韓国がここまで食い込んでいたというのは意外でした。このことは、最後の欧州紀行文でまとめて書きたいと思います。

次回「ロンドン研修」に続きます。

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最近読んだ本。

■ カーメン・ラインハート&ケネス・ロゴフ 『国家は破綻する』 
経済学のスーパースター、ロゴフの最新著作。
原題は「This Time Is Different」。国家のデフォルト(国外債務/国内債務)のみならず、銀行危機・通貨危機・インフレ危機を含め、66ヶ国、800年の金融危機を対象に定量分析を行い、「今回は違う」シンドロームを批判する。
結論はどれも常識的に見えるが、それを支えるデータ分析が凄い(キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊―金融恐慌の歴史』とは違うところ)。今起こっているギリシャ危機についてはもちろん、これから先も長く資料として重宝しそう。
国家のデフォルトは返済能力より返済意思にかかっているという指摘(国家への貸付・債権回収の特殊性:評判、制度、法的メカニズム)、資本移動の増加(国際金融のトリレンマと関連)と銀行危機の相関関係はなるほど。国内債務デフォルトの分析は、まさに個人的に最大の興味をそそられるところだったが、今後の課題。
それにしても、この本、訳はこなれて読みやすいけど、なんでこんなにフォントが大きいのだろう。

■ 伊勢田哲治 『疑似科学と科学の哲学』 
「疑似科学」との比較というアプローチによって、「科学」のエッセンスを巧みに浮かび上がらせている。読みやすく、科学哲学の入門書としてお勧め。
機械論/生気論+目的論、生物学と代替医療、Bayesian Ruleの明快な説明はなるほどなと深く腑に落ちた。ずいぶん昔にやったeconometricsの記憶がよみがえる。
それにしても、機械論(局在論)/生気論(ホーリズム)の対立のような根源的・哲学的難問(決定論と自由意志、心・魂の実在と裏表となる議論)は、前回紹介した『サブリミナル・マインド』にもあるとおり、心の哲学、認知神経科学、生理学から迫ると驚くほど地平が広がる。
ヴィトゲンシュタイン、アンスコム、デヴィッドソン、黒田亘らの行為論、刑法上の「責任」の体系も然り。そういうわけで、今この方面に猛烈な関心がわいている。
人文学も面白いが、結局テクストの収集・取捨選択の勝負という点で時々醒めるときがある(人文学の基盤はフィロロジー(クリティーク)にある)。それよりも、哲学(形而上学)とサイエンスが切り結ぶところ(そしてサイエンスの基盤としての科学哲学)を考えることが、今の自分には刺激に満ちている。

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私を直接ご存じの方へのご報告ですが、昨日、無事結果が出たのを確認しました。安堵しました。
これからが本当の勝負という心境です。これまで支えてくださった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。これからもご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。

さて、本題ですが、「ロンドン、西アフリカ、ヨーロッパ」で書いたとおり、7月末に西アフリカを訪問しました。

今回は、最初の訪問先であるセネガルについて書きます。

ダカールに4日間滞在しましたが、滞在中は国際機関に勤務している友人にお世話になりました。この記事の末尾にある「食べるラー油」をおみやげに持って行った男が私です。笑

セネガルは、独立以来紛争やクーデターに見舞われることもなく、安定して発展してきた国です。アフリカの中では、しっかりした選挙が行われており、観光資源やある程度の産業の発達もあり、どちらかといえば優等生の国と言えます。

文学や音楽が盛んなことで有名ですね。初代大統領のサンゴールはネグリチュードで有名な詩人ですし、ユッスー・ンドゥール、バーバ・マール、イスマエル・ローらのミュージシャンは世界的に人気があり、ご存じの方も多いと思います。

そんなわけで、世界中のすべての国と地域を見たい知りたいと思っている私にとっても、その関心レベルはかなり高いところでした。
それにしても、西アフリカは遠いし、旅行も比較的ハードなので、なかなか行けないなあと思っていたところ、今回のロンドン行きの縁があり、また友人がちょうどダカールにいるということで、この機会を逃すべきではない!と一気に決断しました。

今回は友人にフルアテンドしてもらい、ダカール市内のあちこちを見せてもらいました。観光地として有名なのは世界遺産ともなっているゴレ島ぐらいでした。もっとも、私なんかは、旅行者が行くとされている観光地よりも、普段日常の生活の様子を見る方が好きで、ダカール市民が利用する市場や友人が通っている空手道場を見る方が楽しかったです。

  

ゴレ島も、奴隷の歴史が残っているという点に特色のある場所なのですが、ダカール市民の海水浴場と化していて、むしろ地元の人の憩いの場になっているのが印象的でした。

    

治安は良いです。ただ、私の滞在中には、ワッド大統領の三選をめぐって大規模なデモが行われ、緊張感がありました。この大統領は、公正な選挙で選ばれた人ですし、元々はそれなりにまともな人だったそうですが、長く政権の座にいるうち、独裁色を強め、最近は憲法が禁止している三選を追求し、多くの国民から批判を受けているとのことです。
(アフリカには、いったん力を手にすると、長らく独裁を続けるというパターンが多いです。ちょっと古い例ですが、ザイールのモブツは30年、ケニアのモイは25年。最近でも、トーゴのエヤデマは38年、ガボンのボンゴは41年(一昨年前にようやく死去(笑))、カメルーンのビヤは35年(現職)。セネガルのようなまともな国ではこんなことにはならないでしょうが、政権交代を含めたガバナンスの難しさを実感させるところです。)
その権勢を象徴する悪しき例として、大統領をモチーフにしたと思われる巨大な像の建設があります(写真)。名目的には、この像は大統領個人の像ではなく、「アフリカのルネサンス」を象徴するものだそうですが、ダカール市民から見れば大統領がモデルであることは明白だそうです。なんだか、トルクメニスタンのニヤゾフの像を彷彿させますね。

欧州(特に旧宗主国のフランス)からは避暑地、リゾートとしても人気があります。道路は(中心部に限りますが)思いの外整備されており、最近は、外資の導入も積極的のようで、外国人(旅行者、駐在者)や一部の富裕層向けに、高級ホテルとショッピングモールもできて、こうしたところだけを見ると、貧困国のイメージはありません。
(ショッピングモールにSamsungの巨大な店があったのが印象的でした。想像はしていましたが、韓国と中国のプレゼンスが高まる一方、日本は商社もメーカーも駐在の規模をどんどん縮小している傾向にあるそうです。この点については、次回のマリ、欧州の紀行文において詳しく書きたいと思います。)
また、ネットのインフラもしっかりしていて、それほど高級ではないホテルでもWi-Fiが通じています。これは西アフリカ全般に言えるそうで、次回述べるマリにおいても、観光地とはいえ、結構な田舎でも通じました。

ただ、そうはいっても、援助をしても時間をかけても、なかなか発展しない、一部の富裕層のみ金が回る、という多くのアフリカの国に共通する問題については、セネガルも例外ではありません。
お世話になった友人は、金融機関に勤めており、融資を通じてセネガルの発展に尽力しているのですが、彼から聞いた話の中で印象に残ったのは、ガバナンスや資源もさることながら、国が発展する上では人々のメンタリティ、おそらく勤勉さや克己心のようなものが重要なんだろう、ということでした。
どうも、セネガルの人々には怠惰な面があって、我慢強くないし、また、愛国心がないというか、教育や自己投資のために外国に出て行くのはいいのですが、その後に母国に戻って発展に尽くすという気持ちがある人が少ないのだそうです。
(念のため述べると、セネガル人は温厚で人柄の良い人たちが多いです。顔立ちは、目が大きくて目鼻立ちがくっきりし、唇が薄く、結構美形な人も多いです。ナイジェリアなどの獰猛な顔つきの人たちとはちょっと違う風情があります。)
なんとなく、国民性とか国民統合といったものを考えさせられました。
歴史教育もどうなっているのかなとも思いました。岡田英弘『歴史とは何か』を挙げるまでもなく、歴史というものは、国民統合の武器なんですよね。
現代のアフリカの国々は、ご承知のとおり植民地の区割りで独立をしていますから、国民国家といってもそのアイデンティティは宗主国に対するレジスタンスという形で外枠を与えられたとも言えます。セネガルも、隣国マリと同じ文明を長らく共有してきましたし、今現在においても、数多くの民族が混在しているとはいえ、西アフリカは通貨や法制度を共有してます。こういう背景からすれば、国民というアイデンティティがどのように形成されているのか、あるいはされていないのか、興味深いところです。ここはもうちょっと勉強してみたいと思います。
(そういえば、アフリカの国をすべて手頃におさえられる本はないかなと探したことがあるのですが、これがなかなかない。『現代アフリカ史』というシリーズがあるのですが、これは記述が古すぎる。『新書アフリカ史』がありますがこれはアフリカの歴史を地域ごとに分けてクロノロジカルに追った本で、各国ごとの現代史は薄いです。これなら『Lonely Planet』の概説を国ごとに読んだ方がはやいくらい。でも、先に述べたとおり、本来アフリカの歴史は現在の国割りで語れるものではないのですから、学問的にはこのアプローチは王道とも言えるのでしょう。)

最後に、魚や鶏肉を中心としたご飯もなかなかおいしかったですね。これは、友人のお店と料理のチョイスも良かったおかげなんでしょうが。それに比べると、隣国のマリでは結構苦労しましたが、それは次回の「マリ紀行」で。

写真はフェイスブックに出しているので、興味ある方はご覧下さい。

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最近読んだ本。

■ 下條信輔 『意識とは何だろうか』 
脳の来歴、科学の限界(中枢のパラドクス)、心の哲学(脳・身体・環境、他者と意識、言語ゲーム)、意識と無意識、これら一連の切り口から自由意志と決定論というアポリアに挑む。その論の運びの鮮やかさは感動的。
心理学と認知行動科学から人間・科学・哲学を語ることには新鮮な興奮があった。
同じ著者の『サブリミナル・マインド』も、認知過程の潜在性のドグマと人間観という壮大なテーマを多くの具体例を挙げつつ掘り下げており、ページをめくるたびに発見があって目から鱗。お勧め。
でも、そんな下條先生の講義が面白かったという記憶はない・・・笑 ま、当時の自分の受容力不足のためでしょう。

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現在ロンドンにいます。
暴動にはびっくりしましたが、特段の影響はなく、穏やかに過ごしています。

記事を書くのは帰国してからと思ってましたが、現在北京特派員をしている友人から、コラムを書いたので宣伝してくれ、と命令されたので(笑)、紹介します。

「対中パワーゲーム、固唾のむ米防衛産業」(アジアBiz新潮流 中国総局・森安健 2011/8/17 7:06日本経済新聞 電子版)

彼はワシントンDCと北京の両方の特派員を経験しているので、こういう記事はまさに持ち味を発揮するところですね。
同様の駐在経験をしている記者は、他にも二人知っています。国際部の記者にとっては花形のキャリアでしょうね。
さらに言えば、中東も経験すれば、私なんかから見れば、世界の枢要な地域をカバーできて、完璧のように思いますね。この記事を書いた彼ともう一人の知人は、まだ若いのに中東のポストも経験しています。合計3ポスト。理想的ですね。
ま、ここまで持ち上げれば彼も満足してくれるでしょう。笑

せっかくなので、自分についても、簡単に近況報告をすると、予定どおり、7月22日からセネガルとマリを訪れた後、8月1日にロンドンに入り、今に至ります。ここでは3週間ほど研修を受けています。
8月25日に帰国するので、詳しい報告はまたのちほど。

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旅行中に読んだ本。

■ 内井惣七 『空間の謎・時間の謎−宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』 
空間とは何か。時間とは何なのか。哲学・科学が挑んできた難問を正面から扱った本。
著者は科学哲学の大家(同氏の『科学哲学入門』も、「入門」というにはレベルが高いが、とても優れた本。お勧め。)。
内容は相当に高レベルで、これ一冊だけで理解するのは困難。それでも、語り口と説明のうまさが素晴らしく、面白さのあまり一気に読むことができるので、ゼロからでもエッセンスはつかめる。
ニュートンとライプニッツの論争を現代物理学を駆使して裁けばこんなに豊かに解釈できるとは。偉大な知性の議論の価値は何年たっても何度でも再発見される。これぞ古典の妙味。
この本を面白いと思ったら、ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの−時間と空間の正体』『エレガントな宇宙』の続編)とロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』もあわせて読めば、より楽しめると思います。
(それにしても、科学哲学をやっている人はカント主義者に厳しい印象がある。実証を無視する形而上学の徒の象徴ということか。たしかに、時間の哲学については色々読んだけど、どれもよくできた物語に過ぎないという気はする。面白いけど、そんなもんかねえ、で終わる面がある。頭の中で理屈というか言葉を弄んでいるだけのようにも見える。それに比べ、相対論・量子論の描く時空は、実証においても想像力の限界への挑戦という意味においても、よほどエキサイティングで、知的興奮に満ちている。この蓄積を無視して、形而上の世界で遊ぶのは、もったいないというか、虚しい。エルンスト・カッシラーは、哲学者(新カント主義者)でありながら『アインシュタインの相対性理論』を書いている。こういう人は凄いし素敵だなと思う。)

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なでしこジャパン、ワールドカップ優勝。大変な快挙ですね。

すでに色々なところで指摘されていますが、代表選手たちの待遇が他国と比べて信じがたいほど低いとのこと。
スポーツというのはビッグビジネスの世界なんですよね。プロリーグはもちろん、ワールドカップも、戦績によって監督や選手のもらう報酬が大幅に変わる。だからこそ南米や欧米の選手は死にもの狂いで戦うわけですね。プライドやナショナリズムももちろんあるけど、最大の原動力は金でしょう。あれだけの戦力を有する米国が、日米野球やWBCで冴えないプレーを見せるのも、報酬がそれほど高くないからではないかと推測します。逆に巨額の金が動くワールドカップでは、前評判が悪くても、異常な強さを発揮しますよね。スポーツビジネスに染まった米国人、文字どおり「現金」なところがあるんですよね。(90年の日米野球で、日本がまさかの4連勝をしたあと、牙をむいた米国が3連勝、しかも最後はノーヒットノーランしたのを思い出します。やっぱり本気を出せばとんでもなく強いということをまざまざと見せつけました。)
そんな金銭的インセンティブが圧倒的にものをいう世界において、恵まれない待遇にあった選手たちが、これだけの結果を出したことは、本当にすごいことです。また、そういう事情とそれほど関係ないことでしょうが、敗れた米国を含め、世界中が素晴らしいチームとして絶賛していることは、とても感動的なことだと思います。

ところで、日本代表のユニフォームが青いことから、『風の谷のナウシカ』に出てくる有名な一節「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。失われし大地との絆をむすびついに人びとを青き清浄の地に導かん。」が、そこかしこで引用されているようですね。
うまいことを言うなと思いました。ただ、一方で、この言葉の真の意味を理解した人はどれほどいるのかな、と思いました。
奇しくも、前回の「屋久島」の記事で取り上げたところでしたが、この言葉の真の意味は、原作を最後まで読んでこそはじめて分かります。
「清浄の地」なんてないのです。少なくともナウシカたちにとっては。滅びゆく運命にあるとしても、混沌の中で、ただ血を吐きながら生き続けるしかない。それが命というものです。
ナウシカは、人類再生の希望の破壊という重い罪を背負いながらも、人々のために生きる道を選びました。そして、彼女は、人々にこのような真実を語らず、「青き衣」の伝説を利用し、救世主を演じ続けるのです。世界を一身で支えるために。過去に多くの人間(土鬼皇帝含む)が失敗してきたのにもかかわらず。これはカラマーゾフの大審問官にも出てくる、繰り返し問われ続けてきた普遍のテーマ。とても重いです。
色々な解釈ができる作品ですが、個人的に思うのは、一つの視点は、自然と人間の切り分けという考え方(これはヘブライズムに源流があり、サイエンスの土壌ともなった強力な思想です)への反発と思います。ナウシカが大地を汚す巨神兵の火(放射能の比喩、同時に、巨神兵は、ヨハネの黙示録における人間を滅ぼす天使を彷彿させる、文字どおり「神」的存在)をあえて使い、「人間」の居場所のない「清浄」な世界を拒絶する(憎しみをもたず、音楽と詩だけを愛するようプログラムされた(=去勢された)新しい人類は「人間」と認めない)背景には、このような視点があると思いました。
(このようなメッセージは、他の作品でも扱われていますが、ナウシカと最も近い形で表現されたのが『On Your Mark』ではないかと思います。)

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話が曲がりましたが、サッカーといえば、アフリカで強い国はセネガルですよね。私はといえば、今日の夜、セネガルのダカールに向けて出発します(強引だな〜苦笑)。旅程は「ロンドン、西アフリカ、ヨーロッパ」で書いたとおりです。

このホームページを書き始めてからもう7年近くになるのですが、色々な方に記事を読んでもらい、意見をいただきました。その縁で、ネット外の世界では直接の関係がなかったのに、仲良くなった方々もおられます。最近も、たまたま記事を読んでいただいた方と、まさか!?という形でお会いするという機会にも恵まれました。本当に人の縁というものは異なもの味なものです。(そういえば、以前同名の記事を書いたこともありました。)

こんなことをあらたまって書くと、あれ、ホームページやめるの?と思われたかもしれませんが、全然そういうつもりはなくて(笑)、ここで言いたかったのは、人の縁というものは本当に面白いし、かけがえのないものだから、大事にしていきたい、ということです。
これから行くセネガル、マリ、ロンドン、ブリュッセルでは、たくさんの旧知の人たちに会いますし、またたくさんの新しい出会いが待っていると思います。これらの出会いを、一つ一つ大切にしていきたいと思います。
具体的に何があるかは、おそらく帰ってきてからまとめて書くと思いますが、ツイッター等では日々アップデートすると思いますので、今アイツなにしてるのかな?ちゃんと生きてるのか?と興味をもって下さった方はそちらで確認してみてください。

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最近読んだ本。

■ 義江彰夫他編 『歴史の文法』
知の技法シリーズ他と同じで、色んな視点からの論文(エッセイに近い)を集めたものであり、知的爽快を理解するとっかかりとしてはいいが体系的知識は期待できない。
この本がタイトルをもじったフェルナン・ブローデル『文明の文法』はとても好きな本。リセの教科書だが、こういう本で勉強すればみんな歴史好きになるかも、と思ったりする。

■ フィリップ・デルヴス・ブロートン 『ハーバードビジネススクール』
著者は元々記者出身で、HBSにやってくるのだが、そこで前職で得た「教養」がまったく評価されず、学校の成績評価や就活で吐き気を催すといったことが縷々綴られる。半分は分かるし、半分はなんだかな・・・て感じ。自分にも似たような経験があるので、まんざら他人事でもなく共感するところはあるけど、基本的にナイーブというかズレてる気がする。どこの世界にもこういう人はいますよね。あとパリ駐在や要人インタビューやらで「輝かしい」過去を語るというのもどうなんでしょうね。

■ ピーター・トゥルーブ他 『ウォールストリート投資銀行残酷日記』
■ 末永徹 『メイク・マネー!』
■ ダニエル・A・ストラックマン 『魔術師は市場でよみがえる』
いずれもちょっと古いが、外資系金融(投資銀行、ヘッジファンド)のジャーナリスティクな読み物として楽しめる。魅力のある世界と思いますが、どこの世界でも隣の芝生は青く見えるというところはあるようです。

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暑いですね。もう完全に夏全開モード。外を歩いているだけで何だか気分が高揚してきます。

ただ、今年の夏は、7月末から8月末まで海外で過ごすことになるので、花火や海といった夏らしい楽しみを味わうことができなさそうです。そういう意味ではちょっと残念です。

その代わり、といってはなんですが、先週、3泊4日の日程で、屋久島に行ってきました。
幸い天気もおおむね良く、ここでは海も山も存分に楽しむことができました。
海では、シュノーケリングにとどまらず、銛をもって魚をとって食べたり、川に行って飛び込んだり泳いだりといった結構ハードコアな体験をしました。
山では、世界遺産の森を見に行きました。往復22キロで縄文杉を見に行くという定番のコース。メンバーがみな若かったので(私はそこそこのおっさんですが)超ハイペース、ガイドの方を最後は置き去りにするというほどの体力を見せつけました。笑

屋久島の森は『もののけ姫』の舞台のモデルになったことでも有名ですね。
写真をとったら、いわゆる「パワースポット」とされる場所で、光球が映り込みました。オーブとかいうそうですが、これ、イスラエル旅行をしたときも、ゴルゴダの丘や最後の晩餐の場所でやたらめったら映っていました。こういう現象についてはあまり詳しくないのですが、宗教や自然の高い精神性を感じさせる特定の場所に出てくるようで、基本的に懐疑論者の私も、なんか神秘的な気分になりますね。いや、たぶん科学的な説明があるんだろうと思いますけど。

そういえば、以前には、『風の谷のナウシカ』の舞台のモデルとなったといわれる場所にも行ったことがあります。昔の記事でちょっと書きましたが、パキスタンのパスーという山岳地帯です。切り立った山々の中に氷河があって、ちょっとトレッキングすればその氷にすぐに触れることができます。素朴な村の雰囲気も、何となく風の谷のイメージに近いように思いました。

ちなみに、『風の谷のナウシカ』は、私なんかが今さら言うまでもないことですが、歴史に残る価値のある、最高の芸術作品の一つと思いますね。
この作品についてなにがしかイメージをもっている人の多くは、映画を見た人も含めて、何となく、自然を大切にしようよ、というのがテーマなんだろう、それを美しい少女と醜い虫との交流を通じて訴えているのだろう、といった印象をおもちではないかと想像します。宮崎駿は昔から原発反対を訴えていますし。でも、全然違うんですね。そんなひと言で言える浅いメッセージなど込められていない。それどころか、解釈によっては、自然の大切さとか共生といった耳障りのよい考えは、甘っちょろいとして、真っ向から否定されているようにも読めるのです。
この作品の凄いところは、生命の哀しさ、残酷さ、業の深さ、そして尊さといった、そんな言葉でも言い尽くせない葛藤を、真正面からとらえて、そのまま読者にぶつけてくるところです。
命とは何なのか。生きることが、こんなにも苦しく、切なく、そして美しいものだったとは。読み終えたとき、もうそれ以上どうとも言うことができません。ただ呆然となって、そこから一歩も動くことができず、立ちつくすのみです。この、現代に氾濫する作品では到底味わうことのできない、時を超えて人の心を震わせ続ける重い重い感動を、ぜひ味わって欲しいです。この作品を知らない人はもちろん、映画しか見ていない人にも。
買うのであれば、愛蔵版上下巻がお勧めです。百科事典のような重厚さ。まさに永久保存版です。

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最近読んだ本。

■ 高橋昌一郎 『知性の限界』
『理性の限界』の続編。前著の流れ(選択、科学、知識)を継ぎながらさらに面白い問題(言語、予測、思考)に突っ込んでいる。重厚なテーマでもコンパクトに面白く本質を伝える説明力が抜群。論理実証主義に興味がある人にとっては格好の入門書ともなる。

■ 佐藤文隆 『職業としての科学』
日本を代表する理論物理学者であると同時に、ワインバーグ、ファインマン、朝永振一郎を彷彿させる優れた科学の啓蒙書を出してきた著者の最新の本。国家と科学、啓蒙主義・ロマン主義からの科学思想史、マッハ(道具主義)対プランク(実在論)、制度科学、日本文化での位置付けなど切れ味鋭い視点を簡潔に説明してくれる。

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ずいぶん暑くなってきました。もうあとわずかで7月。気分はすっかり夏ですね。

イラクとアフガンで活躍したペトレイアス将軍、CIA長官になったんですね。
困難な任務を与えられては次々に結果を出し、現代を代表するリーダーの一人、将来の大統領候補ともみられるようになっていましたが、政権を超えて、ここまでキャリアを発展させるのはすごいことですね。
CIA長官というと、ご想像のとおり闇の仕事という面もあり、汚れたイメージがついてしまうので、大統領には向かないという見方もあります。ウッドワードの本で読んだおぼえがありますが、かつてジョージ・H・ブッシュが長官に就任したとき、ライバルだったラムズフェルドは、これでブッシュは大統領から遠くなったと喜んだそうです。でも最終的に大統領になったのはラムズフェルドではなくブッシュでしたね。ペトレイアスも期待にこたえれば、かつてのパウエルのように国民的英雄になり、真の意味で大統領候補になるかもしれません。要注目ですね。

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まあ、そんな大きな仕事とは比べるべくもないのですが、私の方も、最近、自分なりに大きな決断をしました。
まだ最後の壁が残っているので、すっきりしない部分はあるのですが、とりあえず一段落して落ち着きました。ここまできたら、もう迷うことなく前に進んでいくだけ、という晴れ晴れした気分です。

8月は、ロンドンで3週間、その仕事に関する研修を受けさせてもらう機会に恵まれました。
ロンドンは10年くらい前に行ったきりですから、ずいぶん変わっているでしょう。楽しみです。

また、ロンドンに行く機会を利用して、7月末の10日間、視察と称して(笑)、西アフリカを旅行することにしました。
このHPでも何度か書いてきた、個人的に思い入れのある国、セネガルとマリに行こうと思います。
セネガルの首都ダカールには友人がいます。この友人は、世界最強の金融機関、世界最高のビジネススクールを経て、現在国際機関で働いているという強者。現代の英雄ですね。大学の後輩ですが、先輩づらして会うのが恥ずかしい気分です。

さらに、ロンドンの研修の後は、これも視察と称して、昔仕事でお世話になった先輩に会いにパリとブリュッセルに行きます。
ブリュッセルにいる方はとてもえらくなっていて、私なんかがうかがうのはこれまた別の意味で恥ずかしいというかおそれおおい気分ですが、そういうつまらない萎縮は気にせずお会いしようと思います。
最後に、オランダ航空を利用するので、アムステルダムを観光して帰ります。

そんなわけで、旅先でも面白いことがあったら書いてみたいと思います。
とりあえずのアップデートであればツイッターかフェイスブックで書いて、なんとなく考えがまとまって(それなりに面白そうなら)ブログに書いてみようと思っています。

そういえば、フェイスブックに対する使用の度合いがこのところどんどん高くなってきました。外国人や外国にいる日本人との友人とのコミュニケーションにすごく便利です。
ずっと会っていなかった友人が見つかったりするとドキドキしますね。昔、自分が旅行を沢山していた頃は、SNSどころかメールもそれほど普及していませんでした。あのときこんなツールがあれば良かったのにと思います。でもこの先ちょっとした偶然で、旅行中であった人で、名前すら忘れていたような人とめぐりあったりするかもしれませんよね。そう考えるとちょっとロマンチックですね。昔の日記を引っ張り出して名前をチェックしたくなってきます。

この頃は、ブログ、ツイッター、フェイスブックと、それぞれ性質が違うので、機能が重複せず、だんだんと使い分けができるようになってきたような感じがします・・・とこう書くと現代型デジタル人間ぽいですが、まだスマートフォンも使ってないレベルです。あとスキャンと自炊もまだですね。これをやると相当に情報のストック・整理・処理が楽になる予感があるのですが、もう少し先の楽しみとしてとっておきます。

・・・
フェイスブックといえば、映画『ソーシャル・ネットワーク』(デビッド・フィンチャー2010)。
これはすごく面白かったですね。
ハーバードの人たちってあんななんだーと驚くやら納得するやら。
この監督の作品はいつもテンポがいいですよね。普通に描いたら地味になりそうなノンフィクションをこんな風に勢いのあるエンターテイメントにする演出力がすごいです。

ついでに、『インセプション』(クリストファー・ノーラン2010)。今さらではありますが、最近見ました。
普通に面白かったです。エンターテイメントとしては超一流の作品ですね。
ただ、期待したほどの驚きはなかったです。メメント、マトリックス、ダークシティ、オープン・ユア・アイズ(バニラ・スカイ)、ビューティフルドリーマー・・・など既成の作品の場面の既視感が強く、展開も読めたからでしょう。
この監督の作品では個人的にはザ・フォロウィング、メメント、ダークナイトが好きですね。衝撃という意味ではインセプションをはるかに超えていました。
ちなみに、映画に出てくるキャラクターのロバート・フィッシャーは同名(ボビー・フィッシャー)のチェス・チャンピオン、モーリス・フィッシャーは画家のマウリッツ・エッシャーからとっているんですね。ボビー・フィッシャーといえば、2004年に日本で逮捕されたときちょっとした騒ぎになり、仕事上若干関わったのを思い出します。

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あと、付け足しですが、ロンドン行く前に屋久島に行くことになりました。暑くて大変なんじゃないかと思いますが、楽しみです。

そんなわけで、もう夏本番な雰囲気になってきましたが、バテないようにがんばっていきましょう!

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枝野官房長官の安定感あるパフォーマンスと奮闘が話題を呼んでますね。
私も見ていて、落ち着いた態度と誠実な物腰が立派だなと思いました。

ただ、前から私が思っているのは、官房長官という、余人をもって代え難い要職に、対外発表の負担をあれだけかける体制は適切なんだろうか、ということですね。

以前、「国家戦略局」という記事で、こんなことを書きました。

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一つだけ、細かい例をあげると、官房長官の記者会見があります。これは毎日二回もやる仕事で、その言動の一つがものすごい影響を与えることがあるので、結構な負担になります。・・・(大事なのは)仕事を絞ることです。特に記者会見のような、(言い方は悪いですが)職人芸があれば誰でもできる仕事はアウトソースして、本当に「総合調整」が必要な仕事のみをやらせることです。
・・・

今回の原発の対応をみても、いかにあの会見が大変で、そのための準備にも相当な負担がかかることが分かると思います。本当は、もっとやらないといけない仕事がたくさんあるはずと思います。

総理や官房長官といったリーダーが、要所で重要なメッセージを出すことには、心理的効果という観点から、極めて重要な意味があります。ただ、そういう機会が定期的にあるわけではありません。単なる状況や対応の説明をルーティーンでやることに関しては、報道官のような人がやればいいのではないでしょうか。そういうポストは実はあるのですが、機能してません。今すぐにというわけにはいかないでしょうが、これから考える余地があるように思います。

リーダーのメッセージの重要性といえば、なんと言っても総理の与える印象が重要なわけですが、これまでのところを見ると、ちょっと頼りないですね。

米軍の救援の報道などが話題を呼んでますが、こういう危機においては、頼もしい人が出てくると、画面で見るだけで何となく安心しますよね。
みんな心細いわけです。これからどうなるかなんて、政府だって分からない、そんなことは分かっている。そんな状況で、この人ならついていける、ついていってもよい、と思わせることが、どれほど大事なことか。

自衛隊の幕僚や消防庁の隊長の会見を見て、おっと思った人もいるのではないでしょうか。あの力強い、制服姿の指揮官が与える安心感。ああいうのは結構大事と思います。米国では軍人がどんどん前に出てきます。実力が必要な場面には実力をもつ人の出番です。消防庁はもちろん、自衛隊も、ここでどんどん前に出て(災害派遣のみならずプレスへの露出の意味でも)、プレゼンスとプレスティージを上げて欲しいところです。

※ただ、この記事を読んだときは、ちょっと見直しました。リーダーとしての直感があたっていたわけですね。結果論でしょうが、それを貫けなかったのが残念です。
「専門家に任せればいい」というドグマは、当たっているようで、危険な面があるんですよね。専門合理性のピラミッドと化した現代社会の難問の一つだと思います。
※それはそれとして、官房副長官の交代とか節電大臣の任命というのは、どうなんでしょうね。私は部外者なので、実質的な意味はわかりませんが、一般国民の目線からいえば、これが与える心理的効果はマイナスな気がします。

それにしても、エネルギー問題はこれからますます重要性を増しそうですね。政治的にもビジネス的にも。

しかし、まずは一刻も早く事態が安定化することを祈っています。

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とりあえず生存報告です。

地震が起きたときは建物の4階にいました。激しい揺れに驚いて、すぐに外に出ました。本棚の本がすべて飛び出し、重いコピー機まで動き、壁に傷が入ったためか粉が吹き出し、ちょっと現実離れしたような異様な光景でした。
その日は電車、バス、タクシーいずれも利用できず、ビジネスホテルなども一杯の様子でした。近くに住んでいた友人宅で一夜を過ごしました。
翌朝、家に戻りました。本、PC、テレビ、食器などほとんど壊滅したかと思っていましたが、なぜか何事もないかのように平穏でした。建物が良かったのか、あるいは一階だったからかもしれません。

東北地方の深刻な状況をみて、心が痛みます。
私の周りでは、火災は発生しているようですが、知る限りでは大きな被害はないようです。ただ、余震や原発の影響は心配です。
政府や電力会社の対応が完璧とはいえないのかもしれませんが、必死にやっているということは伝わります。まずは自分にできること、情報収集であったり、節電であったり、ちょっとした備蓄であったり、もしものときの準備であったり、普段の生活を続けることであったりしますが、それを一生懸命やろうと思います。

それにしてもメールと電話が通じない中、コミュニケーションツールの中で一番役だったのがツイッターだったというのが驚きでした。あまり携帯で見ないので気づかなかったですが、Facebookも同様に役立っていたのかもしれません。近年の情報技術の格段の進化は、意識しにくいですが、わずか数年前と比べても、こんなにも違うものかと思います。

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The earthquake was a tremendous disaster. Fortunately my family and I are all OK. I hope all of my friends are safe and sound as well.
Since all transportation was halted, I crashed at my friend's apartment on Friday night. I was afraid that my room would be a total mess in my absence but found it unexpectedly kept organized when I came home.
It seems that the Tokyo area has not been seriously damaged. Somehow people have managed to control the situation. However we still have to keep on the alert against aftershocks. Accidents in nuclear power stations are greatest concerns at present. This website may be of some help to keep up with a reliable source of information.
It is distressing to see how people are suffering in devastated areas. I just hope things will not get any worse and affected people will be secured as soon as possible.
I received a number of warm messages from my friend at home and abroad. I cannot appreciate their thoughts and prayers more. It is truly encouraging to hear people around the world express profound sympathy for us.

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