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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



昨年には、光よりニュートリノが速いという、特殊相対性理論に反する実験結果が発表されましたが、先週には、不確定性原理も否定されるという報道がありましたね。
この二つの原理は、言わずとしれた現代物理学の基本原理ですが、合理論と経験論を対立軸とする伝統的な認識論哲学にも影響を与えています。また、不確定性原理は、ゲーデルの不完全性定理とともに、人間の知性の限界を論じる上で重要な示唆を与えています。このように、物理学という一つの学問分野にとどまらず、人間の思想や世界観を左右する大きな広がりを見せているといえます。

この件について印象に残った本。

■ メンデル・サックス 『相対論対量子論』
相対論と量子論については、数々の本が論じているが、この本は、対話形式で二つの世界観の対立を説明しており、論争の熱気を伝えてくれる。文章は平易で簡潔だが内容は本格的。

■ ブライアン・グリーン  『エレガントな宇宙』
相対論と量子論の対立を止揚させる可能性をもつ超弦理論を解説。(以前の記事でも紹介。)
合理論と経験論の止揚に向けたカントの挑戦を彷彿させる(中身は全然違うので比べるものではないが、超弦理論も、実験で検証できない数学による仮説という点では形而上学的)。理論のみならず説明自体がエレガントな一冊。

■ 同 『宇宙を織りなすもの』
『エレガントな宇宙』に続く宇宙論。
時空論と宇宙の創生が中心テーマだが、前提として、相対論と量子論、超弦理論をコンパクトに説明してくれる。
これぐらい簡潔な方がかえって門外漢には分かりやすいかも。

人間の知性の限界については、以前の記事で紹介した『知性の限界』も参考になりますね。
前述の通り、これらの議論は人間の思想や世界観という根本的な問題を扱うものになっていますから、その前提が崩されるとなると、従来の議論の蓄積が無駄になってしまう気もして、なんだか怖いというか残念な気持ちになりますが、そんな感傷は、科学における真理の探求とはまったく関係のない話ですね(笑)。これからの議論の発展を素直に楽しみにすることにします。

・・・
それと、先週行われた台湾の総統選。
台湾経済の中国への依存は、10年以上前から言われていることですが、今回の選挙はその現実をあらためて示したものと言えそうですね。

■ 本田善彦 『台湾総統列伝』
この本は、歴代総統に焦点を当てながら、台湾の現代史をバランスよく描いています。
特務政治の黒幕と言われた蒋経国の肯定的評価や李登輝の複雑な性格などは他ではあまり見られない記述で新鮮。
多少古くなってしまったが(2004年、陳水扁時代まで)、今でも手元にあると役立つ好著。
ちなみに初代総統は蒋介石ですが、台湾人の考える「国父」は孫文ですよね。台湾=中華民国という「国」は、蒋介石が建国したわけではなく、国民党政府が中華民国の臨時首都として台北を定めただけの話ですから、建国者を孫文とするのは当然でしょうし、また、侵攻者である蒋介石に対する本省人の否定的評価もあるのでしょうが、昔、台湾人の友人からその話を聞いたとき、あーそうかーと思った記憶があります。

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最近読んだ本。

■ デビッド・キャリー、ジョン・E・モリス 『ブラックストーン』
少数精鋭ながら大手投資銀行に匹敵する投資能力・資金力を誇り、ウォール街に君臨するプライベート・エクイティ。本書は、その雄ブラックストーンの物語、創設者シュワルツマンの一代記。
『野蛮な来訪者』で描かれたKKRによるRJRナビスコ買収を含め、セーフウェイ、ベアトリス・フーズなどの歴史的ビッグディール、その資金を支えたドレクセルのミルケン、ケミカルのジミー・リー、M&Aに対抗する弁護士など伝説的プレイヤーの活躍、カーライル、アポロ、TPGら他の代表的PEの興亡、21世紀後半からの資金力と影響力の巨大化という近況が語られており、PE業界の歴史を俯瞰できる。最後には、レゴランドやマダムタッソー等の事例をあげながら、市場経済を支えるPEの意義を理論的に評価する。
ブラックストーンの初期の発展を支えたのは日興證券だった。ソニー(CBSレコード、コロンビア映画)やブリジストンの買収も手がけ、大きな収益をあげている。80年代の日本の金融機関と企業の存在感も今から見ると興味深い。
ブラックストーンの名前の由来はシュワルツマンの「シュワルツ」(=独語、イディッシュの「黒」)とピーター・ピーターソンの「ピーター」(=ギリシャ語の「石」(ペトラ))の組み合わせ。
KKR(ブラックストーンに先行して最強の地位を確立したPE)とカーライル(最も有名なPEの一つ。元国防長官カールーチが会長を務めるなど政界、軍需産業との強い関わりでも知られる。)は小説『ハゲタカ』のモデルにもなっている(KKRは鷲津のいたPE。カーライルは『ハゲタカ2』の敵役。)。

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(浜比嘉島の初日の出)

だいぶ遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

ここ最近何度か書いているとおり、昨年11月から沖縄に来ています。 東京には今年9月頃戻る予定なので、1年近く滞在することになります。人生においてなかなか経験できることではなく、貴重な機会を生かして、できるだけ沢山のことを吸収しようとしています。

新年の感慨、というのも特にないのですが、例年どおり無理に頑張って(笑)述べてみると、最近感じるのは、気持ちが楽ということです。

一つには、自分がやりたいと思っていることに素直に取り組むことができる、ということがあります。
その中には、温暖な環境で、好きな勉強や読書をし、旧知の人たちから新しく出会う人たちまで色々な人たちと交わり、豊かな自然の中でランニング、ゴルフ、ダイビングも気軽にできる、という日頃の生活の快適さから、将来に向けて、研鑽を積み、自分を成長させることも含まれます。

今まで経験した世界では、目の前の課題に対処するので必死で、またそれで足りるというか、先々のことを考えても仕方がないという面が強かったようです。自分本位の仕事の回し方やキャリアを追求することは基本的に難しい、わがままは本来的には許されないところでした。
その代わり、色々な世界を見て、経験することができ、非常に面白い環境でした。また、大きな仕事、特に公益に関わる仕事には、個人の思い入れがふさわしくない性質があるのはしょうがないことで、意思決定を行う正当性のある主体を絞り、組織的に動くことは、ある意味当然のことでもありました。
今思えば、難しいことを考えず、どんどんわき上がる面白い課題に身を投じていれば、それで十分幸せだったのかな、とも思います。私は、苦労やシニカルに感じることがあっても、知的好奇心が満たされれば満足なタイプの人間でしたし。
でも、自分とは違う世界で、自分がやりたいこと、正しいと思うことをわがままに貫き通すような人たちが、まぶしかったことも事実でしたね。
今は、やることのすべてが自分が選んだことであって、自分のためになるものであり、責任もすべて自分にかえってくる。なんとなく、将来のビジョンのようなものが見えてきて、それに向けて努力できる。あるいは、まだはっきりとは見えなくとも、探求することができ、それが許される。そんな感覚をもっています。
前は、先のことを考える必要もないし、安定もしているから、ある意味ではぬるい環境なんだろうけど、でもなんかしんどかったなあという気持ちがありました。それは、自分だけでは手に負えない、責任も自分だけでは負いきれない、ということがあったためのような気がします。それに比べると、今は結構楽なのです。

ただ、そうはいっても、前にやっていた世界に忘れがたい魅力、愛着があったのは事実です。それだけのやりがいを自分のがんばりだけで見つけられるのかどうか。今考えるべき話でもなく、杞憂かもしれませんが、これからも考えてみたいところです。

それと、もう一つは、プライドの問題。
若い頃は、結構負けず嫌いでした。正直に言えば、周りの人たちより上に行きたい、馬鹿にされたくないという気持ちがかなり強かったです。
また、周りにいる人たちも、自分以上にギラギラして、能力も高い人が多くて、良い意味でも悪い意味でも緊張感に満ちた関係がありました。
自分を周りに認めさせたい、それは、特に、自分自身との戦いというよりは、周りの誰かよりも上に立ちたいという、相対的な優位を重視したものであったように思います。
最近は、そういう感覚がすっかりなくなりました。何というか、他人の目があまり気にならなくなったのです。なんでですかね。環境が変わったからなのか、年をとったからなのか。
良い方の理由を考えれば、色々な人に会い、色々な世界に接したから、ということがある気がします。狭い共同体の中にずっといると、どうしても、ゴシップや人間関係ばかりに目が行って、それが本業よりも大事なテーマになってしまったりするものです。能力に自信のあり、名誉欲の強い人たちの集まりであれば、なおさらそうなります。今までの自分の環境においては、そういうタイプの人が多かったように思います。そんな共同体から一歩出て、広い世間を見れば、つまらないことにこだわっていたものだな、と思いますね。
今でも、自分が好きな人や尊敬する人に対しては、好かれたい、認められたいという気持ちはあります。でも、自分が興味がない人に対してアピールする気はないし、優れた能力をもつ人でも、自分に興味をもっていない人に対しては、やっぱりどうでもいいや、という気持ちになりますね。一昨年の年頭の辞でも書きましたが、「来る人拒まず。去る人追わず。」です。

てなことを何となく思いました。いつもながら、まとまりがないですね(苦笑)。
とにかく、今は非常に気持ちが良いということです。明るい気持ちで新年を迎え、そのまま良いペースで今年を過ごしたいと思います。

・・・
新年といえば、大河ドラマ『平清盛』、見てみましたが、前評判どおりぶっとんでいて面白そうですね。第三者の回想で始まる冒頭や映像の雰囲気が『龍馬伝』に似てるなと思いましたが、スタッフが同じとのこと。
キャスティングが豪華ですね。ちょっと濃すぎなくらい笑。
平忠盛は中井貴一。実際の忠盛は斜視でしたが、そこはスルーの模様。「殿上闇討」(平家がデビューする章段)では、その斜視をネタにされ、「伊勢へいしはすがめなりけり」と貶められながら、見事に危機を切り抜け、昇殿を果たす様が描かれます。忠盛の器量と武士の新風を示す秀逸なエピソードです。これが描かれないのはちょっと残念。ま、しょうがないか。
そんなわけで思い出した本。

■ 石母田正 『平家物語』
戦後歴史学の泰斗による平家論。
著者の代表作『中世的世界の形成』にあった強烈な精神性は感じられず、やや自由な文学論になっているところもあるが、記述は手堅く、手っ取り早くポイントをおさえられる

■ 海音寺潮五郎 『武将列伝』
■ 同 『悪人列伝』
歴史小説の大家による評伝集。
源平については、悪源太義平、平清盛、源頼朝、木曾義仲、源義経(以上『武将』)、梶原景時、北条政子(以上『悪人』)が登場。
史料解釈の振り幅と、その中で発揮される創作者の挑戦がテンポ良く語られる。作家の醍醐味と苦労が分かる作品。

■ 浅田次郎 『蒼穹の昴』
歴史絡みということで併せてご紹介。
清末の人物群像を描いた歴史小説。中国版『坂の上の雲』(そういえばTVドラマは見たかったのだがチェックする機会がなく断片的に見るのに終わった。そのうち通しで見たいものだ。)という趣もある。
官僚と宦官の二人を主役に据えた着眼の面白さ。特に序盤の科挙と浄身の説明は巧みでなかなか読ませる。この点については、宮崎市定『科挙』と三田村泰助『宦官』を併せて読むと良い。
脚色が過ぎてもはや史実が名残をとどめないところもあり、時代小説の雰囲気に近いが、それを言うのも野暮というもの。
もっとも、小説にするまでもなく、清末、辛亥革命の時代は、猛烈に面白いのである。旧体制と近代が激突し、中華の偉大で歪んだ文明を震撼させる激動の瞬間、面白くないはずがない。日本の歴史小説と比べてなじみが薄いこともあり、この作品の伝える文学ロマン的な面に目がいきそうだが、そこにとどまることなく、ベースにある史学的考察に親しむとなお面白い。

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沖縄に来て一ヶ月近くになりました。早いものです。
生活は落ち着いてきましたが、あわただしく毎日が過ぎていきます。もうちょっとペースをつかんで、やるべきこと、やりたいことを着実にこなしたいものです。
12月中旬になると、さすがに寒くなってきました。沖縄でも冬は寒いんですね。到着当初は湿気が気になったので、除湿器を買ったのですが、とりあえず不要になりました。代わりにヒーターをつけています。もっとも、気温は20度前後ありますから、東京と比べれば全然しれているレベルの寒さなのですが。それに天気が良くなるともうTシャツ一枚で大丈夫になります。クリスマスのデコレーションを見てもなかなか実感がわきませんね。
プライベートではゴルフとテニスを少しずつやるようになりました。ダイビングもできれば年内に始めたいところです。寒いうちにがんばっておけば、暖かくなったときにいろんなことができるようになるそうなので。

ところで沖縄と言えば、このHPでも何度も取り上げてきましたが、米軍基地。
日米地位協定の運用改善、米軍属の自動車運転過失致死罪起訴、沖縄防衛局長の更迭、海兵隊のグアム移転予算凍結など、この1ヶ月でずいぶんいろんなことが起こっています。
自分が今やっている仕事においても、様々な形で絡んできます。決して明るくない話ですが、しかし個人的にはとても刺激を感じるところです。
そんな絡みで最近読んだ本。

■ 守屋武昌 『「普天間」交渉秘録』
普天間返還をめぐる交渉において、まさに中心的役割を果たした元防衛省次官、言わずとしれた防衛省の「天皇」による手記。
当事者としての視点から書かれていることは当然の前提だし、また著者の人となりや仕事のスタイルについてはよく知っているので、どちらかといえば醒めた目線で見るのだが、それにしても、よくここまで書いたものだと感心する内容。実刑が確定する前に書かれているが、おそらく最高裁上告を取り下げることをすでに念頭に置いていた状態で、出したかったものをすべて出し切る覚悟で書いたのだろう。
内容は詳細かつ濃厚で、基地問題の経緯、官邸、外務省、防衛省、沖縄、国会議員、米国等の関係者を当然の前提として書いており、基礎知識のない人にはちょっと読みにくいかもしれないが、ある程度の知識がある人にとっては、無駄なく真に知りたいポイントが敷き詰められており、非常に面白く読めるはず。
当時自分も官邸に関わる仕事をしていたのでよく覚えているが、守屋次官(当時)の政治力つまり小泉政権の官邸への食い込みは有名だった。二流官庁として扱われ実力に欠けた防衛庁(当時)は、守屋・飯島秘書官のコネクション、総理秘書官に相当する連絡担当参事官の投入(これについては飯島勲『小泉官邸秘録』も参照)、内閣官房の利用等により、官邸に直接食い込んで政治力を拡大するという手法を採ったのである。この頃の防衛庁/省の勢いは、内部で複雑な対立を抱えながらも、めざましいものがあった。このへんの事情も意識すれば行間から垣間見える。
個人的に興味深かったのは、防衛省の組織内部での連携にこんなにも苦労していたのか、というところ、そして、そのある意味見苦しいとも言える部分が隠すことなくさらけ出されていたこと。守屋次官をめぐる防衛省内部のすさまじい対立には、自分自身、色々な場面で接することがあった。その背景には、財務、警察等の他省庁がいきなり幹部入りする伝統(省昇格後薄れたが)、制服組と背広組の共存、高い年次における人材難といった特有の事情もあるのだろう。
当然のことではあるが、米軍再編も中心テーマとして描かれる。これについては、古いですが、以前書いた記事(「米軍再編と普天間基地移設」「日米同盟その2」「QDR」)も見てみてください。どれも今見るととてもなつかしいですね。

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一週間ほど前に沖縄に到着しました。
想像はしていましたが、11月末というのに寒くありません。気温がそれほど高いわけではないですが、湿度が高いためか結構汗ばみます。東京を出てきたときはもうダウンジャケットでもいいなというぐらい寒かったのに。12月まで基本的にこんな感じだそうです。
とりあえず生活の立ち上げに苦心してます。引越しは過去7回(うち3回は米国内)経験しましたが、何度やっても大変なものです。ネットをWIMAXにしたり、本も相当な量とはいえだいぶ整理が進んでいるし、置き場所も確保できているから、落ち着くスピードは上がっていると思うのですが(本の自炊が進んでいればもっと楽になるかもしれません)、それでも、うっかり者の性分は直らず、さんざん気をつけたのに引き払う部屋に忘れ物をしたり、引越しの家財に入れるべきでなかったもの(手荷物でもって来るべきだったもの)を入れてしまったり、那覇に行く前に立ち寄った実家に忘れ物をしたり、自業自得ですが、苦労がたえません。
とはいえ、落ち着いてしまえば住めば都。ここに滞在する10ヶ月くらいの間、やりたいこと山のようにあります。楽しみです。
こんな近況報告で終わっても、別にかまわないのですが、せっかくなので、最近の話題について所感を書いてみます。

●クリントン国務長官のミャンマー訪問
これは結構すごいニュースですね。
このHPでも何度か書いてきましたが、ミャンマーというのは米国(というか米議会)にとって受け入れ難い存在、鬼門中の鬼門でした。ミャンマーに対して柔軟な政策を志向する日本にとっては、日米関係のトゲになるおそれを秘める極めてセンシティブなイシューでした。そんな米国が、国務長官という超ハイレベルの派遣を決定したということは、関係改善に向けたこれ以上ないシグナル、ドラスティックな政策変更といえます。制裁が解除されれば経済発展の大きなチャンスにもなり得ます(それでもASEANの内陸国は基本的に厳しい条件下にありますが)。

●ブータン国王の訪日
ブータンには、私が10年近く前に米国に留学していたとき、ブータン人が同じプログラムにいて仲良くしており、その頃からGNHの話やら男女の交際の仕方やらの話を聞いて、なじみがありました。
同じ時期にブータンの王女が在学していて、二人とも学部生だったのですが、このブータン人の友人に紹介してもらって学食でご飯を食べたことがあります。二人ともかわいかったなーと訪日中のブータン王妃を見て思い出しました。

●TPP
貿易マフィアの世界に身をおいたことのない私に精緻な議論をする能力はないのですが、基本的に思うのは、どうも世間の騒ぎ方はズレているように見える、ということですね。
自由貿易の推進(と近年では投資・知財等の制度の標準化)自体が日本(そして世界)にとって死活的に重要な課題であることに誰も異論はないはずです。そのためのツールとしてWTOもFTA/EPAがあり、日本としても試行錯誤を重ねてこれらに取り組んできたわけで、TPPもその流れにある一つのアプローチに過ぎません。今に始まった問題ではない。にもかかわらず、TPPだけをことさらに国論を二分する問題として扱う議論の白熱(?)には、何だか異様な印象というか違和感をおぼえるのです。そういうこともあり、あまりややこしいことは言いたくないのですが、とりあえずこの記事が参考になると思います。

・・・
最近読んだ本。

■ 増田俊也 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
史上最強の柔道家、木村政彦。15年間無敗、13年連続日本一、ピークを過ぎた時期にブラジルに渡り、バーリトゥード最強の男エリオ・グレイシーに圧勝した男。その生涯を描いたノンフィクション。
混沌の時代の中で、極限まで武を磨き、暴れ、愛し、裏切られ、もがきながら、命を燃やした。膨大な事実が物語る圧倒的な生き様に心が震える。講道館と力道山のために歴史から葬られたこの日本人を知らない人がいたら、ぜひ読んで欲しい。きっと打ちのめされる。


最強の男エリオ・グレイシーを圧倒する木村政彦。最盛期を過ぎた時点でこの強さ。
実はこの映像は第2ラウンド。幻の第1ラウンドの内容は本書で考察される。死闘を交わした者だけが理解できるいたわりと誇り。木村の名誉のため、あえて自らが敗北した映像を提供するグレイシーの美学。胸が熱くなる。

木村以外にも、牛島辰熊、エリオ・グレイシー、力道山、大山倍達、岩釣兼生といった巨人たちが緻密に描かれ、愛憎に満ちたドラマを織り成していく(牛島と三船久蔵の冷たい対立、「倍達」が朝鮮民族を意味することや『空手バカ一代』の韓国版(『大野望』)の存在はこの本で初めて知った)。講道館、武徳会、高専柔道を柱とする柔道、武術の歴史、現代格闘技への継承も詳述される。昭和史の一つの姿を知る上でも興味深い。
(牛島と大山は、山口昌男『「挫折」の昭和史』でも石原完爾の人脈や東条英機暗殺計画の記述の中で登場する。一緒に読むのも面白いだろう。もちろん梶原一騎『男の星座』も。)

■ ピーター・ゲイ 『ワイマール文化』
ナチスの前史、歴史の逸脱と見なされてきたワイマール期を黄金の時代ととらえ直した名著。
「出生のトラウマ」、「理性の共同体」(シュトレーゼマン、ワールブルク、フランクフルト学派)、「秘密のドイツ」(ゲオルゲ、カントロヴィッチ、リルケ、メンデルスゾーンとグロピウス、バウハウス)、「全体性への渇望」(マイネッケの国家理性)、「息子の反逆」(『カリガリ博士』)、「父親の逆襲」(『魔の山』、ベルリン、『三文オペラ』(過去の記事参照))という切り口から、ワイマール時代の思潮を包括的に描き出す。
カール・ショースキー『世紀末ウィーン』過去の記事参照)、ジークフリード・クラカウアー 『カリガリからヒットラーまで』、イリーとブラックボーンらの「ドイツの特殊な道」論争を参考にしながら読むとイメージがふくらむでしょう。クラカウアーは「映画に関する本」で紹介した『映画批評のリテラシー』など参考にしながら読むのも良いと思います。

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最近本屋に行ったら、書名は忘れましたが、「本はとにかく買え」ということを書いている本を見かけました。
こんな意見は、昔からそこかしこで聞きますよね。私もかつては、そうだよなあ、と思ってある程度実践した時期もあります。
でも、今は、そうかなあ?と疑問に思っています。
本というものは、玉石混淆、読んで得られるものはまちまち、というか、目的も色々あるものです。一読して読んで終わり、あるいは一部の箇所を参照すれば十分、置いておく必要はないという本も沢山あります。
また、購買力や物理的スペースに制約があることを考えると、「買わなければいけない」という縛りは、読む本の範囲を狭める方向に働くおそれがあります。
そんなことを考えると、本を買うよりは、むしろ、図書館を自分の脳内ライブラリーにするぐらいに身近にした方が得るものが多いように思うんですね。最近の図書館のデジタル化は目を見張るものがあり、非常に使いやすいです(前の記事で図書館の利用法に関する本を挙げました)。高くて手が出ないような本でも、タダで気楽に目を通すことができます。
これから、テクノロジーの進歩によって、情報との接し方がもっと変わってくるのではないでしょうか。最近は「自炊」などに見られるようにデータ化も進化しています。ストリーミングみたいに、だんだん「買う」と「借りる」(一時的にデータだけ見る)の境目がぼやけてくるような気がするんですよね。

もちろん、本には情報の処理に尽きない魅力があります。思い入れのある本は、蔵書として、好きな装丁・状態のまま、好きな本棚に置く、そんな楽しみ方を否定するつもりはありません。
(書物への思い入れについては、最近出たウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』にも書いてあります。これは、書物への愛と技術革新への評価の両方について、二人の知性が縦横無尽に語っていて、林達夫、久野収『思想のドラマトゥルギー』を彷彿させるような興奮を味わえる本です。)
私自身、中高時代にはネットなんて存在しなかった古い時代の人間ですから、「書物」に対する思い入れはある方です。中学生ぐらいの頃、渡部昇一『知的生活の方法』や立花隆『僕はこんな本を読んできた』に出てくる書庫、あるいは司馬遼太郎の本の収集の話を読んだりして、そんな自分だけのライブラリをもつのは気持ちいいだろうな、素敵だなあとおもったものでした。
ただ、こんなのは、ものを書くのを職業としている人(か大変なお金持ち)を想定した話だったんですよね。私のような庶民には実はちょっと違う話に思えました(いや、将来、もの書きになる可能性もゼロではないと思っていますが・・・笑)。それに、やみくもになんでもかんでも本を置いておくというのも、実はそんなにクールでもないような気がしてきました。むしろ、本当に好きな本を厳選し、自分なりに眺めていて気持ちの良い、カッコイイ本棚を作る、そういう楽しみ方もあるんじゃないか、そんな風に思うようになりました。

なんでも買う必要はありません。とはいえ、蔵書をつくることを含め、私も、大事な本は手元に置きたい。何度も読む本はぜひとも買いたい。そんなわけで、なんだかんだいって、結構買ってしまうものです。そして量が多いと、なかなか読み切れず、本はたまっていきます。

さて、ここからが「本をたくさん読む方法」の続きになります。(長い導入になってしまいました・・・すいません苦笑)

私の場合、ふと気づいたのですが、一つ無意識に習慣となっていたことがありました。それは、本を買ったらすぐに、目次、導入と結論(最も重要な部分)、解説、それに(可能であれば)各章の要約のパートだけは、とりあえず軽く目をとおすということです。

買った本をすぐに読むことはむしろまれです。すでに買っていて先に読みたい未読の本も多いし、今は読めないけど後で必ず読むはずだし、とりあえず手元には置きたいという本も多い。そんなわけで、積ん読の本は増えます。それはしょうがない。ただ、少なくとも、買ったときに、それがどんな内容なのか、どんなことがどこに書いてあったかだけは、すぐに把握してしまうのです。

前の記事でも書きましたが、私はもともと、あらかじめ目的をもって本を探し、読むということが多いタイプです。このため、その本の内容と構成にはあらかじめメドがついています。そこをまずサーチして、確認する、さらに全体の構成とその中での位置づけを知る、とりあえずそこで満足します。そして通読なり参照なりをあとにする。こんな手順になります。

問題意識をもって読むことの大切さについては、前の記事にも書きましたが、これは、言い換えると、本を読むときの自分自身の状態も重要ということです。買った瞬間は、その本に対する強い思い入れ、情熱があるものです。問題意識・目的がはっきりしているからです。そのテンションの高い状態で、まずは素早く内容を大掴みにしてしまう。何となく分かった気がするぐらいでちょうど良い(「分かった」というのは、自分の言葉で説明できることだと思いますが、そのレベルになる必要はない)。そうすると、他の本を読んだり、何かの情報に接したとき、そういえばあの本に何か書いてあったな、と思って、その本にあたって、読むことができますし、また、あとで通読するタイミングになったとき、スムーズに入ることができます。

前述の『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』によれば、ウンベルト・エーコは、自らの膨大な蔵書を見た客から、「これを全部読んだのですか」と聞かれれば、「一冊も読んでません。でなきゃ、どうしてここに置いておく必要があるでしょう。」と答えるそうです。
このようなエーコの振る舞いを、以前紹介した『ブラック・スワン』の著者であるタレブは、「反蔵書」という概念で説明しています。これは、簡単に言えば、蔵書の中でより価値があるものは、すでに読んだものよりもまだ読んでないものである、なぜなら、後者の方が、まだ自分の知らない、より多くの知識を与えてくれるから、ということを意味しています。
積ん読というと何か悪い意味があるように聞こえますが、そんなことはないんですね。今は読めなくとも、とりあえず手元に置いておきたい、置いてあるだけで意味がある本はあるわけです。

また、エーコは、読んだことのない書物についても具体的に内容を把握しているし、そのような書物からも深い影響を受けている、とも述べています(たとえば、彼はサッカレーの『虚栄の市』を読んでいないと白状しています)。これは、前の記事の「問題意識をもって読む」で私が書いたこと(読む前からあらかじめ本の内容を予見しておくということ)とかなり似てますね。なんかうれしかったです。
(ちなみに、カリエールは、映画(見ていない作品)についても同様の趣旨のことを述べています。彼とルイ・マルは、観たことがないのにもかかわらず、ヴィスコンティの『山猫』の魅力についてえんえん議論して、他の人たちから顰蹙を買ったことがあるそうです。)

大事なのは、本を隅から隅まで読むことではない。何が書いてるか知っているのであれば、その内容を几帳面に確認することにそれほどこだわる必要はないわけです。自分の知っている知識を確認し、自分なりの体系を固めることも大事ですが、そんな自分の体系をさらに打ち壊すような新しい世界を知ることも、それ以上に重要なのではないでしょうか。そんな新しい何かを求める好奇心、そして、新しいものを見つけるための環境を整えることが、本当は一番大事なんだ、そんなメッセージが込められているように思います。
買ったけどまだちゃんと読んでいない本の中身をある程度把握しておくことは、まだ自分が知らない世界を教えてくれるであろう「反蔵書」を自分の領域に入れておく上でも、有意義ではないか、と思いますね。

・・・
ここからは脱線になりますが、新しい世界への好奇心というのは、本に限らず、私の中では重要な鍵となってますね。
私自身常に自分の知らないものに対してオープンであり続けたいと思っています。また、そういう人はとても好きですし、尊敬する人も多いです。

私は、人にものを教えるということがあまり得意ではないというか、それほど情熱がわかないんですね。少なくとも今の時点では。自分の考えを伝えて人の力になることは、とても楽しいし、やりがいのあることですから、やれるのならばやりたいという気持ちはあります。でも、正直言ってそれどころじゃないんですよね。教えるってことは今までの自分の体系を枠に閉じこめてそのまま伝えるということですよね。そんなにしっかりと整理できる自信はないのです。それに、何よりも今は、自分が知らない新しい世界をもっともっと知りたいのです。
プロとしてと言うか、ある程度の責任感をもって人に何かを伝える(「教える」とまでは、最後まで言う自信がありません)のは、自分としてある程度やりきった感があって、それなりの自信もついた頃だろうと思います。60代あるいは70代ぐらいか。それでも一生勉強という気分は抜けなくて、自分が話す人と一緒に勉強したいという気分になるのだろうと思います。

ときどき自分の知っている世界を超えたことを指摘されると、無関心になったり、不愉快な気分を現わしたり、敵意を向けてくるような人がいますが、その気持ちはよく分からないですね。そういう人は、自分の枠を固めて、その中で合理的にできることを追求し、そして、人に教えたりすることが好きなのでしょう。それはそれで分からなくもないし、実際世の中の役にも立つような気もしますが、どうも、もったいないというか、自分の志向とは合わない気がします。
私なんか、意見をしてくれたり、アドバイスあるいは厳しいツッコミをいただければ、本当にありがたいと思います。自分が書くことは、専門としていないことが多いので、お前は分かってないと馬鹿にされたりもするんじゃないかと思います。でも、そういうツッコミとか、上から目線で知らないことを言ってくれる人は、むしろありがたいんですね。自分の知らないことを指摘してくれているわけですから。まさに、自分の枠を超えたものを求める好奇心を満たすためには、願ったりかなったりです。(もっとも、分かってもいないのに、分かったように言ってくるような人は苦手ですね。そういう人とはあまり絡みたくないです。私自身は大したもんじゃないですけど、本物かどうかを見抜く力は不思議とあるようです。)

自分の考えていることを文章の形にするのは好きです。だからこんなHPを7年も続けているんでしょう(笑)。しかし、これも当然のことながら、人に「教える」なんておこがましいことをするためではありません。単なる趣味、自己満足の世界です。ただ、それが結果として、人になにがしかの影響を与えるのであれば、もちろんとても嬉しいのです。厳しいツッコミもありがたいですが、「参考になった」というコメントもいただいたときには、大変励みになったものでした。

いつもながらとりとめなく、脱線だらけになりました。これもまた自分の思索そのままの書き付けです。結果として、ここまで読んでくださった方にとってなにがしか参考になればうれしいです。

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私を直接知っている方へのご報告ですが、11月下旬から那覇に行くことになりました。8〜10ヵ月ぐらい滞在する予定です。まさか自分の人生で沖縄に住む日が来ようとは思いもよりませんでした。とても楽しみです。沖縄に来られる機会がありましたらご連絡ください。

そんなわけで、せっかく沖縄に行くのならと、上海から帰ってきてすぐにサイパンに行って、ダイビングのライセンスをとりました。
ダイビングといえば思い出すのは映画『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン1988)。
主人公ジャックは傷ついて心を閉じてしまった人。でも潜ると誰もついていけない。神秘的で誰も(もしかしたら彼女も)理解できない孤独な天才。ジャン=マルク・バールの、青い炎を静かに燃やすかのような演技が光りました。しかし、そんな主役を食う魅力を見せたのがエンゾを演じたジャン・レノ。丸眼鏡に漲る野性、傲岸、そしてその奥にある優しさ。それまで見たことのないタイプのかっこよさでしたね。
この主人公ジャックのモデルであるダイバー、ジャック・マイヨールによるスキン・ダイビングの記録は何と100メートル。こないだサイパンで自分が潜った深度はスキューバなのに17メートル。同じ人間とは思えませんね(笑)。
でも、ジャック・マイヨールは本当に心を病んだ人で、その最期は自殺だったんですよね。あの映画のジャックのfragileなイメージとダブって、切ないです。

それから、自動二輪の免許もとりました。
ずっと興味はあったのですが、震災後のボランティアで二輪が重宝されたと聞いたのと、沖縄での生活で利用するかもしれないと思ったことが一つのきっかけになりました。
バイク自体に強い思い入れがある方ではないですが、漫画の『バリバリ伝説』は好きでしたね。世界編も良かったですが初期の青春時代が個人的には一番好きでした。

そんなわけで、なぜか、にわかに資格づいています。もっとも、いずれも仕事に生きるものではありません(笑)。そっちの方もぼちぼちがんばっていきたいと思います。

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最近読んだ本。

■ ウンベルト・エーコ 『バウドリーノ』 
昨年(2010年)に待望の翻訳が出たエーコ4作目の長編小説。
12世紀の中世を舞台とする奇想天外な冒険譚。架空の人物バウドリーノが、パリ仕込みの論理学、哲学、神学等の学識とハッタリを駆使しながら、皇帝(バルバロッサ)、教皇、イタリア都市、ビザンツ、イスラム、歴史家(オットー、ニケタス)等に自在に絡み、十字軍、イタリア戦争等の歴史的事件を動かしていく。
虚構と史実が織り混ざって物語が展開し、その合間に膨大な中世の事物、思想、精神構造が語られるのは、『薔薇の名前』から発揮されてきた著者の本領だが、この作品では、嘘つきの主人公によって、歴史の捏造がメタ的に捏造される(そして最後に葬られる)点がさらなるアクセントを加えている。これにより、権威を引きはがすことで真理に迫る精神の特質と、歴史とは人にとって意味を見出されるときに初めて存在するものであることが浮かび上がる。
豪快でロマンに満ちた冒険を描くエンターテイメントとしても楽しめるが(バルバロッサの死をめぐる終盤のどんでん返しは劇的)、歴史に親しみながら読むと汲めども尽きない面白さを味わえる。

■ サイモン・シン 『暗号解読』
暗号の開発と解読は、言語学、数学、情報理論・工学、量子力学等を総動員した知性のぶつかり合い。古代から現代に至るまで天才たちの頭脳戦は歴史をも左右してきた(その戦いの性質ゆえに悲劇的な生涯をおくった者も多かった)。その歴史を描いたノンフィクションの傑作。
暗号解読と同様の手法によってなされた古代文字(ヒエログリフ、線文字B等)の解読という偉業、高度情報社会を支える技術としての役割も最先端の情報(素因数分解、量子コンピュータ、量子暗号)とともに語られる。
その壮大なドラマは物語としても十分に感動的だが、通俗的なエピソードに終わらず、暗号の構造と解読手法を具体的に解説しており(「史上最強の暗号」と称する懸賞問題もある)、実質的・科学的な理解も深めることができる。他の作品もそうだが、著者のストーリーテリングとサイエンスの魅力を伝える力量は抜群。

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一週間ほど前の話になってしまいますが、上海に行ってきました。

滞在中は主に語学学校に通っていました。語学学校では多くの駐在員の方たちとお会いし、昼に夜に様々なところで交流することができ、とても楽しく勉強になりました。それと、現地で働いている古くからの友人に会いました。この友人はコンサルティング会社を立ち上げて、すでに50人もの中国人のスタッフを雇って大々的に事業を展開しており、色々な意味で刺激を受けました。

中国は、北京、広州にはここ数年のうちに何度か行っていましたが(当時の記事はこちら。反日デモが騒がしかった頃ですね。)、上海に行くのは約10年ぶり。どれだけ様変わりしているのかなと思いましたが、すごかったですね。

高層ビルやらリニアやらのイメージはありましたが、一部のビジネス地域の話かなと思っていたところ、そんなことはなくて、市の中全体にわたり広範囲に発展していて、町並みはもう東京とそれほど変わらない。むしろ、デパートやショッピングモール、コンビニの密度は上回っているんじゃないかとすら思いました。

ビルや店のみならず、道のきれいさも目を引きましたね。ゴミ箱や清潔な公衆トイレが沢山あって、昔のちょっと汚いイメージがなくなってました。それどころかエリアによっては街路樹やディスプレイがきれいに立てられていて贅沢だなあという印象。特に「新天地」なんかオシャレ感がやばい。金かけまくってるのに下品でなくクラッシー。もうまったく中国の感じじゃない。というかもはや中国のイメージってなんだったっけという気になってきます。

といっても、少し地域をはずせば昔ながらのカオスは残っています。目に見えるところだけは何をおいてもまずきれいにする。そんな中国らしさは今なお健在でしたね。

あと変わったのは中国人の愛想の良さやサービス。店の人の表情も柔らかい。まあこれは北京や広州でも感じていたことなのでそれほど新鮮だったわけではないですが、その変化の度合いは予想を超えるものがありました。路上で地図を見ていたら、犬を散歩しているご老人が「去哪里?」(どこに行く?)とか話しかけてきて、なんか昔と比べて精神的な余裕があるのかなあと思いました。

一方で、友人や駐在員の方たちとも話したのは、こんなに中国が変わる中で、中国人のメンタリティには変わらない部分もあるんじゃないかな、ということでした。その一つは徹底的な現世利益主義、私利私欲の重視ですね。これは別にあくどいとか倫理的な意味ではなくて、行動原理としてそうなっているということです。それはビジネスにおける私的ネットワークの重視(自家人)、為政者や法に対するスタンス(「上に政策あれば下に対策あり」)から、現代文化、共産党(中南海での政治闘争)、日中関係などにも現われている気がしますね。

あと、話に聞いていたとおり、フェイスブックは見られませんでしたね。gmailやgoogle検索はできますが、やたら遅かったりして使いにくかったように思います(これは駐在員の人たちも述べていました)。ちなみにこのブログは問題なく見られました。幸いにして共産党ノーチェック。ま当然ですね笑。

そんなわけで、短いながらも色々なものを見ることができ、充実した一週間でした。また近いうちに行ってみたいものです。

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最近読んだ本。

■ アルジュン・アパデュライ 『さまよえる近代−グローバル化の文化研究』
グローバル化の重層的・乖離的構造(ネーション・ステートの相対化、5つの「スケープ」)、その中での人びとの集合的想像力の作用を説く。
よく引用される本なので読んでみたが、目を見張るような発見はなかった。個々の人類学研究は面白いけど、こういう大上段の話に展開されるとどうも消化不良。
この本はそうでもないのだが、ポストモダンとエドワード・サイードの流れを汲むポストコロニアル、カルチュラル・スタディーズはどうも苦手。近代批判、多元的視点はいいけど、批判や方法論に終わっていて、結局どうしたいのかよく分からない(とにかく疑う、欧米には文句言う、どんな立場も否定せずそれもあれも考慮に入れる、といった手合い)。難しいことを考えているのだろうが、概念の遊びをしている印象で、まじめに取り合う気にならないというか。
なお、この本がベースにしているベネディクト・アンダーソン『想像の共同体−ナショナリズムの起源と流行』はネーション・ステートの勃興を描いた不朽の名著。白石隆氏の翻訳も良かった。

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かんべえさん(10月7日)が書いて下さったとおり、先週は久々の面子で同窓会。色々とめでたいことがあり、お祝いをさせていただきました。とても楽しかったです。

これまで何度か書いてきましたが、私は、実務つまり現場での実践をすることを前提として、その枠を超えて、目の前の事象・課題の外にある世界に目を向ける好奇心のある人、人になにがしかの影響を与える知を提供できる人に憧れるんですよね。偏屈かもしれませんが、実戦を経験していない人の理屈には抵抗があって、どうも口だけの人に見えてしまうことが多いのです(もっとも実際には、口だけに見えるのは、実戦云々より、まずその内容のせい、という方が多いかもしれません)。あるいは、実務の経験はなくとも、ある分野をとことん突き詰め、学識にせよ技能にせよ、現場にいたかどうかなんて問題にならないぐらい専門的知見があって、現場の方からその知見を求められる人、そういう人を私は尊敬するのです。
そんな人は世の中にそうはいません。でも、私は何人かお会いしたことがあります。私生活においても仕事の場でも色々な出会いがありました。
ただ、前の仕事も、(この場では詳しく書きませんが)ある意味では現場を体験でき、自分で物事を動かしている、しかも日々の生活を超えた知識・経験を蓄えることができ、とても面白かったのですが、その一方で、ある意味では現場を知らない、自分で動かしているような気がしているだけ、知識に関してもどこまでいっても自分は素人、そんな、何ともぎくしゃくした思いがありました。世界が広がるにつれ、自分に合った生き方を考えざるを得ないように感じました。結果として、人からは「何を考えているの?」と言われるような生き方を歩んでしまったようです。でも、今選んだ道は自分なりに色々考えた結果です。幸い、この道はかなり自由度が高く、ベストなのかどうかというよりは、自分がベストなものにできるかが問題となる世界のようです。
まだまだこれからですが、志だけは高くして、自分が理想とするものに一歩でも近づけるよう努力したいと思っています。日々の課題に真摯に向かい合いながら、同時に、自分の枠の外への好奇心を大事にし、広く世界を意識して、自分を高めたい。その上で、できれば面白いことを発信し、何らかの形で公益にも貢献したい。ちょっと言うのもおそれおおいですが、尊敬する師匠阿川尚之さんを心の目標にがんばろうと思います。

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独り言が長くなりました。本題に入って、「ロンドン紀行」の続きです。

<パリ>
ロンドンでの研修後、ユーロスター(実は乗るのは初めて)でパリに移動。ここでは、前職の先輩にお会いするためにお昼を食べました。
この人は、10年以上もロンドンとパリで働いている、自分のいる世界では稀有な日本人。そのチャレンジングな姿勢、活躍には大いに刺激を受けました。
先輩の家の近くのポンピドゥーセンターなど、マレー地区をぶらついたのみ。でも食事は最高に素晴らしかったです。

  

<ブリュッセル>
ブリュッセルにはこれまで行ったことがなく、またここでも前職の先輩がいたので、お会いする目的もあって訪問。



この都市は、小国ベルギーの首都というよりは、もはやEUすなわち欧州の首都ですね。
ベルギーという国は、その小さな国力にもかかわらず、強国と渡り合いながら、知恵を出すことで経済を発展させ(一人あたりGDPは毎年世界20位以内、日本とほぼ同じ)、政治的にも存在感を示してきました。

欧州は、すでに経済的も社会的にも安定・成熟し、アジアや米国のような高い成長を維持することはなかなか難しい状況にありますよね。しかし、その中でも、EU統合に代表されるように、知恵を出して、ある意味壮大な実験に挑もうとしている。移民の受け入れやユーロによる資金移動、貿易、投資の促進によって成長を支えることもその例なのでしょう。また、貿易や競争等のルール作りを主導し、自分にとって都合の良い制度を作ろうとする。最近のユーロを見てわかるとおり、(ほとんど崩壊寸前のような)かなり強烈に痛い目に遭うこともあるでしょう。でも、こうした姿勢自体は、日本にとっても参考になると思うんですよね。成熟した経済、社会の中で、どのように国を発展させていくのか。これからは中国インドの時代などと言われますが、たしかに、世界経済における役割の分担というものはあって、高い経済成長によって世界を牽引するのは彼らの役割になるのかもしれない。しかし、成熟した先進国が、低成長を余儀なくされるとすれば、それを前提としていかなる社会を築き、役割を果たすべきなのか。こういった点は、(「The Economist」7月30日号の「Turning Japanese」というネガティブな形容も含めて)欧州も日本も課題を共有しているように思います。

知恵を出すと言えば、一つのテーマはFTA。これについては、韓国が先行してすでにEUとの間で協定を結んでおり、7月に発効しています。韓国に遅れをとった日本は、EUとの交渉を開始したところですが、すでに韓国の製品が市場に入ってきているEUとしては、かなり固い姿勢を見せていると聞きます。
そもそも韓国の企業は、最初から国内市場ではなくてグローバル市場を見て戦略を立てているんですよね。あれだけ小さい国なので国内では儲からない。そして産業ごとにかなり独占の度合いが強いので、国内競争に消耗することなく、効率的に国際競争力を高めることができる。そして、「セネガル紀行」「マリ紀行」で述べたように、ものすごい積極性をもって、途上国を含め海外市場に進出しようとする。産業によっても違うので一概には言えないですが、「ガラパゴス化」と言われるように、高い技術力と創造性をもちながら、国内市場を重視してグローバル市場に打って出ることができない日本と比べるとちょっと対照的ですね。
今回のFTAについても、何となく両国の姿勢が反映されている気がしました。もちろん、日本は農業が常に大きな壁として立ちはだかりますよね。様々な意味で「開国」がキーワードとされてきて、もう10年以上たっている気がしますが、こういうところこそが、真に政治的なリーダーシップを期待される部分なのではないかと思います。

<ブリュージュ>
ブリュージュには日帰りで旅行に行きました。
ここは中世そのままの町並み、雰囲気が残っているということで、観光地として非常に人気が高いところです。



欧州の旅行において私が好きなところは、中世の世界を味わえるところですね。城、教会、美術館。いずれも中世以来の長い歴史を感じ取るところに魅力を感じます。
美術についていえば、中世の絵というと、宗教画と宮廷のための肖像画が多い中、ベルギーの画家であるブリューゲルやデューラーは、日常の生活を描いていますよね。フィクションや虚飾のないリアリティを見せてくれるところに強く惹きつけられます。
中世の絵画は、高階秀爾『名画を見る眼』続編もいいですね)、三浦篤『まなざしのレッスン』、ジェームス・ホール『西洋美術解読事典』など見ながら鑑賞すると楽しいですね。美学的・理論的に見るなら、エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究』、図版を見るなら、ウンベルト・エーコ『美の歴史』『醜の歴史』『芸術の蒐集』も良いですね(高くて買うのはちょっと大変ですが)。

<アムステルダム>
アムステルダムは、日本に帰る便がアムステルダム発だったので、せっかくならということで滞在。
とてもエキサイティング、ここでは詳しく書けませんが、ある意味カオスな町ですね。さる理由でこの町が大好きな米国の友人からは、旅を締めくくるにはとても良い場所だな、と言われました。

  

とりとめない感じになりましたが、今回の旅行記はこれで終わりです
欧州は久しぶり、というか今まで仕事上あまり縁がなかったところなので、学ぶところが多かったです。また行きたいものです。

なお、10月12日から一週間ほど上海に行きます。北京や広州には最近数年で何度か行きましたが、上海は10年ぶりぐらい。
また面白いことがあったら書いてみたいと思います。

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最近読んだ本。

■ トール・ノーレットランダーシュ 『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』
計算(情報、論理、認知)、コミュニケーション(外情報、脳、ビット数、心)、意識(自由意思、私/自分、利用者の錯覚、神)、平静(ガイア、宇宙、カオス、人工生命と法則/学習・創発、フラクタル、情報社会=情報(暗黙知)の欠如)という切り口から、近現代の研究を豊富に紹介しつつ(著者はジャーナリストなので独自の発見を述べるものではない)、意識という現象(幻想)の科学的洞察を行う。
哲学、歴史、宗教、スポーツ・芸術(ラウドルップのプレー、ボーアの西部劇評論の比喩による無意識のパラドクスの説明は面白い)を含め、カバーする範囲の広さ、該博な知識には感心する。色々詰め込みすぎてとっちらかっている観もあるが、各論的に目新しいことがなくても(結構古い話も多い。それはそれで面白いが、注意が必要。)、積み重ねて総合して見えてくるものがあるという趣。

■ マイケル・ポランニー 『暗黙知の次元』
故あって再読。機械論、holism、創発(emergence)、生命論は心の哲学、無意識の科学に通じる(ほぼ裏表の)議論と確認。「暗黙知」や「創発」は『ユーザーイリュージョン』でも引用されている。
マイケル・ポランニーは『大転換』で有名な経済人類学者カール・ポランニーの弟。栗本慎一郎氏の紹介が有名ですね。サイエンスと人文学の異なる分野で学を究める兄弟。湯川秀樹、貝塚茂樹、小川環樹みたいなイメージですかね(勝手な印象)。

■ 野矢茂樹 『哲学の謎』
時代を超えて哲学者を悩ませ続けるるアポリアを対話形式で紹介。どれも有名な論点だし記述も簡潔だが、ジャーゴンや哲学史に言及することなくズバリ本質をつく。その上での野矢先生の自問自答が味わい深い。
同じ著者の『哲学・航海日誌』は、より多くの論点をより深く掘り下げている。もっとも著者の問題意識と自問自答は一貫している。

■ 田辺保 『パスカル 痛みとともに生きる』
思想家、科学者、キリスト者(ポール・ロワイヤル、ジャンセニズムとの関わり)としてのパスカルの人間像、『パンセ』の世界、読み解き方を解説。
苦しみに満ちた人生から、人間の偉大と悲惨を思うに至る。シモーヌ・ヴェイユの生き様と思想に通じるという。エリ・エリ・レマ・サバクダニの境地か。

■ エリック・ベル 『数学をつくった人びと3』
だいぶ昔に読んだ本だがポアンカレ(前の記事参照)の章があるのでクロネッカー、リーマン、クンマー、デーデキント、カントールの章とともに再読。この本の惜しいのはヒルベルトとゲーデルの記述が薄いところ。

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「マリ紀行」の続きです。

ロンドンには3週間いました。ここでは、自分が勤める組織の本社で、仕事(研修みたいなもの)をしていました。

国際的な仕事をした経験はありましたが、日本人がまったくいない環境で、外国人(主に英国人)とまったく同等の立場で働くというのは初めてのことでもあり、なかなか面白い体験ができました。特に、1,000人を超える人たちが一つの高層ビルに働くという、巨大な組織の動きを見るのは、この業界ではなかなかお目にかかることができるものではなく、非常にためになりました。

  
左:ダブルデッカーのバスの2階からの風景。彼方に見えるビル群が職場。 右:32階のオフィスの風景。

ロンドンには10年くらい前に行って以来だったので、町もずいぶん変わっていました。
テート・モダン、新市庁舎、ガーキン、ヘルター・スケルター(建設中)といったところはなかったですね。全体的に、organizedされたというか、綺麗になったような印象があります。もっとも、地下鉄は相変わらず狭くて暑くて小汚い様子でした。

  

観光は、昔行ったときになかったテート・モダンなど見たぐらいで、それほど熱心にしませんでした。その代わり、音楽や劇をよく見ました。
プロムスを聴きに行ったり(「シベリウス6番」、オラモ指揮、王立ストックホルム・フィル、「グリーグ・ピアノ協奏曲」、アリス=紗良・オット)、ロイヤル・オペラ・ハウスでのバレエ(「アンナ・カレーニナ」、マリインスキー・バレエ)を見たり、グローブ・シアターでシェークスピア劇(「お気に召すまま」)を見たりしました。

  
左:ロイヤル・アルバート・ホール。プロムスの会場。 右:ロイヤル・オペラ・ハウス。

  
左:グローブ・シアター。シェークスピアの時代そのままに再現した劇場。映画『恋に落ちたシェークスピア』を思い出す。 右:ボロ・マーケット。

あとは、色んなマーケットに行ったり、夜な夜な職場やバーで酒を飲んだりしてました。

それから、古くからの友人に会えたのが良かったですね。結構ロンドンに住んでる人が多かったのです。ある意味、これが一番の収穫であったかもしれません。

特筆すべき点としては、滞在中に、暴動がありました。
家や車が燃えるショッキングな映像もあり、日本でもずいぶん報道されたのではないかと思います。
ロンドン市内で略奪が起き、しかもそれがどんどん拡大したのは、見ていて、本当に驚いたというか、恐ろしいことでした。
英国のような成熟した社会でこんなことが・・・と思いますが、一つの要因には、移民の増加とそれに伴う社会の変化、失業率の上昇などがあるといわれます。
ご存じのとおり、欧州は、欧州統合という壮大なプロジェクトを推し進めており、昨今はまさにユーロが問題となっているところですが、そのプロジェクトの一つの目玉は、人の移動の自由化です。労働市場の流動性を高め、国境を超えた企業活動を容易にし、経済成長に資するところは大きいと思いますが、反面、社会の変化、不安定化という負の側面も受け入れざるを得なくなっています。
今回、私は自分が住んでいたところも含め、マイノリティや貧困層が多く住むエリアに訪れる機会が多く、10年前と比べてどうとはたやすく言えないのですが、なんとなくこういう現実を肌で感じたような気がしました。そして、今回起こった暴動は、まさにそんな現実がはらんでいた問題の顕在化であったような気がして、こんなのにぶち当たってしまったのは不運なことでしたが、それはそれで貴重な体験ではありました。

次回は最後、「欧州(フランス、ベルギー、オランダ)紀行」です。

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最近読んだ本。

■ ナシーブ・タレブ 『ブラック・スワン』
最近といっても、結構前に読んだ本ですが、映画『ブラック・スワン』を見たこともあり、(映画とはまったく関係ないんだけど笑)再読。
各論(統計学、科学哲学)においては目新しい点は少ないし、叙述のくどさもあるけど、ここ数年出た本の中では群を抜く面白さ。
金融、経済、統計に関心がある人のみならず、歴史、知性、懐疑、経験、帰納、予測、認識論、心理学、人間に興味のある人であれば誰でも楽しめる。人によっては世界の見方が変わるような刺激を得られるかも。
この本の訳者はスティーブン・レヴィットの『Freakeconomics』(『ヤバい経済学』)も訳している。ちょっと古くなったが、これも同様の関心がある人には楽しめるはず。訳も丁寧でなかなか読ませる。
不確実性と統計については、やや古いが、ピーター・バーンスタイン『リスク 神々への反逆』も、歴史的視点から把握できるものとして楽しめる。本書と重複する部分もあり、理解が深められる。副題の「Against the Gods」がとてもクールですね。

映画『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー2010)は、前述のとおり、本書とはまったく関係ないですけど、最近見ました。
主人公の動作・環境の描写、音楽、細かいカット、スローモーションの使い方とか演出が『レクイエム・フォー・ドリーム』『π』とそっくり。ほんとにクセの強い監督ですね。

■ アンリ・ポアンカレ 『科学と仮説』
■ 同 『科学の価値』
■ 同 『科学と方法』
■ 同 『晩年の思想』
ポアンカレの科学思想集四部作。中でも、「科学と仮説」は『ブラック・スワン』でも大きな紙幅が割かれ絶賛されていた歴史的論文。
ポアンカレは、言わずとしれた数学、物理学の巨人。トポロジーを確立し、アインシュタインより前に相対論、ボーアより前に量子論を考え出していた。
しかし、それだけでなく彼は、四部作に書かれているように、科学哲学、認識論、知識の哲学、論理学等においても、当時の最高の知性バートランド・ラッセルはおろか、現代人であるタレブを驚愕させるほど徹底した懐疑主義・経験主義を展開していた。20世紀初めの時点でカオス理論を予見し、『空間の謎・時間の謎』前に書いた記事参照)のメインテーマである関係説の力学(絶対時空の否定)までも論じている。
実際読んでみると、その明晰で包括的な内容は、現代においても遜色ない。この時代にここまで語り尽くしていたのかと思うと言葉を失う。

なお、『世界の名著・現代の科学1』『世界の名著・現代の科学2』は、1970年に出た古い本だが、「科学と仮説」(ただし第三部が収録されていない)を含め、物理学、化学、生物学、数学、科学哲学において歴史に名を刻む超ド級の論文が約30本も詰まっている。数学の基礎論をめぐりポアンカレと激突したヒルベルトの論文「公理的思考」も入っている。人類史上に残る偉大な知性の対決を論文で見るのはスリリングである。湯川秀樹、作田啓一、井上健の科学思想史の解説も素晴らしい。お買い得。

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「セネガル紀行」の続きです。

マリには6日間滞在しました。

首都バマコに着いて、その日のうちにモプチに移動(後述しますが、このバスが不意打ち的に夜行バスになりました笑)し、モプチをベースにして、バンディアガラ(ドゴンの村)とジェンネに日帰り旅行するという形をとりました。

マリは、UNDPの人間開発ランキングでも最下位に近い国で、世界の最貧国の一つです。

ガバナンスは、90年代はじめにクーデターがありましたが、それ以降は極めて安定しています。
このクーデターに参加し、元首となった軍人アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(通称ATT(アー・テー・テー))は、現在の大統領です。しかし、クーデターからずっと居座ったわけではありません。彼は、元首に就いた後、1年後に民政移管を実現し、すぐに権力の座から降りたのです。そして、10年後、正々堂々と大統領選に立候補し、当選しました。「セネガル紀行」で述べたとおり、権力の座に数十年も居座る為政者が多い中、自らを律して民主主義を実現し、公正なプロセスで再び国の指導者となったATTは、まさにアフリカの良きgerontocracyの体現者といえます。マリ国民の支持は絶大であり、今回私が旅行した中で会ったマリ人の中で、彼を悪く言う人は一人もいませんでした。

また、マリ人は非常にまじめで、優しい人が多いです。
今回の旅行でも、フランス語がろくにできない私に親切にしてくれた人は数多く、バスの案内をしてくれたり、ひまつぶしの世間話に付き合ってくれたり、軽いご飯をくれたり、帰国後メールをくれたりしました。旅行者を騙したりぼったくるような人もほとんどいません。そのホスピタリティには深い感銘を受けました。
そして、なんと言っても子どものかわいらしさが格別です。マリの子供たちは、なぜか皆外国人が大好きで、「サバ(こんにちは)!」「トゥバブ(white=白人の意味。黒人以外は皆こう呼ぶ。)!」と言って、猛烈に手を振って、どんどんこちらに集まってきます。物乞いをする子どもは一人もおらず、ただ純粋に好奇心と親しみの情から接してくれるのです。握手をして、一緒に写真を撮ると、それはもう大変な喜びようです。この純粋無垢なかわいらしさには、本当にやられました。

  

政治が安定し、人々もまじめであれば、発展してもいいんじゃないか?と思うかもしれません。しかし、砂漠ばかりで、とにかく国土が貧しく、産業が発達しないようです。セネガルなどと違って、海がないのも大きなハンデとなっています。貿易が大きく制限されますから。ASEANを見ても、島嶼国と内陸国ではその発展に雲泥の差がありますよね。気の毒ですが厳しい現実です。

マリの文化は、独特な魅力があって、世界的によく知られています。
音楽では、世界的に人気のあるミュージシャンとして、サリフ・ケイタが挙げられますね。「セネガル紀行」で述べたユッスー・ンドゥールらはグリオ(吟遊詩人)出身ですが、サリフ・ケイタは、マリ王国の王族出身といわれており、西アフリカでは珍しくグリオ出身ではないミュージシャンです。首都バマコには、私も好きな彼のアルバム『Moffou』と同名のライブハウスがあり、自身ひんぱんに演奏しているそうです。私も行きたかったのですが時間が足りませんでした。

観光資源は充実してます。
ハイライトの一つはドゴンの住むバンディアガラ。ドゴンは、独特の神話体系をもち、古代からの生活を維持している民族で、文化人類学者マルセル・グリオールの研究で有名になりました。今回、ドゴンの村をいくつか訪れましたが、そのある意味原始的な生活は他で見ることのできない魅力があります。「バンディアガラの崖」と言われる居住地域にある巨大な断崖は、圧倒的な景観を誇っており、世界遺産となっています。かつてドゴンはこの崖のかなり高い位置に土の居住施設を作っており、そのいくつかは今でも見ることができます。この居住施設も、神話をモチーフにした彫刻などが施されており、なかなか神秘的で味があります。

  

他、泥のモスクで有名なジェンネ、ニジェール川下り、古代都市ティンブクトゥも有名です。

  

ティンブクトゥは、その不思議な音感から、言葉だけは聞いたことがある、という人も多いと思います。ポール・オースターの小説に『ティンブクトゥ』もありましたね。そんなわけで非常に有名なところですが、今回は時間がないのと、アルカイダが活動している地域ということもあって、残念ながら訪問できませんでした。ただ、ティンブクトゥには、誰もが過剰な期待を抱く傾向があるらしく、そのため、英語のスラングで「dissapointment」を意味するそうです。そこまで一般名詞化するのも逆にすごいことですが。

正直、旅行は大変です。バックパック旅行の中でも難度は高いほうでしょう。
交通機関はバスしかなく、このバスがいつ出るか、どのくらい時間がかかるか、なかなか分からず、計算が立てにくいです。実際、私がバマコからモプチに行くバスは、1時に出ると言われたのに出たのは4時、その日のうちに着くと見込まれたのに、着いたのは翌日8時、なんと16時間もかかりました。暑さと湿気、人の混雑がひどい中での不意打ちのような夜行バス、これは30を超えた身にはかなり厳しかったです。笑

  

ご飯も、肉料理が多く、シチューのようにして食べますが、セネガルと比べるとかなり劣ります。
特に米にあたるもの(クスクスなど)がパサパサで、色んな途上国の食べ物を食べてきた私も、個人的にはちょっと、いや正直に言えば(笑)、かなり不味いと思いました。とてもこれだけ食うのは無理。日本の白米の美味しさ、ありがたみを思い知らされましたね。

  

宿は、モプチのようなところはバックパッカー向けの安宿しかないとはいえ(バマコには一つ二つ高級ホテルがあります)、それなりに整ってはいます。セネガル同様、Wi-Fiも通じます。

(ホテルといえば、バマコに異様な巨大建造物があって、マリの人に「これは何なんだ?」と聞いたら、「カッザーフィ(カダフィ)大佐がつくったホテルだ。趣味悪いだろう?」と言われました。「アフリカの王」を目指すカッザーフィはアフリカのあちこちでお金をばらまいていたことで有名ですが、まさにその典型例がこれかと妙に感心。もう何か本人のキャラが全開という感じの本当に特異なデザインでした。)

それから、セネガルもそうですが、蚊がうっとおしいです。刺されまくります。一応マラリアにも気をつけないといけません。予防のため、どこの宿にも蚊帳がついています。

  

しかし、前述のとおり、マリは魅力に満ちた国であり、こういった大変さを補ってあまりある面白さがあります。西アフリカに興味をもった人にはぜひ訪れてみて欲しいです。

なお、「セネガル紀行」でも触れましたが、随所で日本のプレゼンスの相対的な低下を感じました。中国に関しては、その経済規模の拡大、アフリカへの攻勢を見れば明らかですし、想定していたことですが、韓国がここまで食い込んでいたというのは意外でした。このことは、最後の欧州紀行文でまとめて書きたいと思います。

次回「ロンドン研修」に続きます。

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最近読んだ本。

■ カーメン・ラインハート&ケネス・ロゴフ 『国家は破綻する』 
経済学のスーパースター、ロゴフの最新著作。
原題は「This Time Is Different」。国家のデフォルト(国外債務/国内債務)のみならず、銀行危機・通貨危機・インフレ危機を含め、66ヶ国、800年の金融危機を対象に定量分析を行い、「今回は違う」シンドロームを批判する。
結論はどれも常識的に見えるが、それを支えるデータ分析が凄い(キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊―金融恐慌の歴史』とは違うところ)。今起こっているギリシャ危機についてはもちろん、これから先も長く資料として重宝しそう。
国家のデフォルトは返済能力より返済意思にかかっているという指摘(国家への貸付・債権回収の特殊性:評判、制度、法的メカニズム)、資本移動の増加(国際金融のトリレンマと関連)と銀行危機の相関関係はなるほど。国内債務デフォルトの分析は、まさに個人的に最大の興味をそそられるところだったが、今後の課題。
それにしても、この本、訳はこなれて読みやすいけど、なんでこんなにフォントが大きいのだろう。

■ 伊勢田哲治 『疑似科学と科学の哲学』 
「疑似科学」との比較というアプローチによって、「科学」のエッセンスを巧みに浮かび上がらせている。読みやすく、科学哲学の入門書としてお勧め。
機械論/生気論+目的論、生物学と代替医療、Bayesian Ruleの明快な説明はなるほどなと深く腑に落ちた。ずいぶん昔にやったeconometricsの記憶がよみがえる。
それにしても、機械論(局在論)/生気論(ホーリズム)の対立のような根源的・哲学的難問(決定論と自由意志、心・魂の実在と裏表となる議論)は、前回紹介した『サブリミナル・マインド』にもあるとおり、心の哲学、認知神経科学、生理学から迫ると驚くほど地平が広がる。
ヴィトゲンシュタイン、アンスコム、デヴィッドソン、黒田亘らの行為論、刑法上の「責任」の体系も然り。そういうわけで、今この方面に猛烈な関心がわいている。
人文学も面白いが、結局テクストの収集・取捨選択の勝負という点で時々醒めるときがある(人文学の基盤はフィロロジー(クリティーク)にある)。それよりも、哲学(形而上学)とサイエンスが切り結ぶところ(そしてサイエンスの基盤としての科学哲学)を考えることが、今の自分には刺激に満ちている。

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