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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



例によって時機を逸した話になりますが(苦笑)、先月、イスラエルのアリエル・シャロン元首相が亡くなりましたね。
シャロンは、第2次、第3次、第4次の中東戦争において伝説的な活躍をみせ、稀代の名指揮官と讃えられた軍人でした。

ご存じの方も多いと思いますが、イスラエルの政治家は、そのほとんどが軍人出身です。
現首相のネタニヤフは特殊部隊出身。ブラック・セプテンバーによるテルアビブでのハイジャック事件(1972年)を、これまた後に首相となったエフード・バラクの指揮の下、制圧しています。また、ネタニヤフの弟もまた特殊部隊に所属しており、エンテベ空港での人質救出事件(1976年)を指揮し、名誉の戦死を遂げた英雄です。
エフード・バラクは、ブラック・セプテンバーによるミュンヘン・オリンピック事件への報復作戦に従事し、自ら女装して奇襲を成功させたことでも有名です。この報復作戦はアカデミー賞映画『ミュンヘン』の題材となったのでご存じの方も多いかと思いますが、映画ではこの女装の場面もしっかり描かれます。
メナハム・ベギンは、首相在任時、エジプトとの平和条約(キャンプ・デービッド合意)の締結という歴史的功績を残していますが、イスラエル建国前には最も尖鋭的だった武装組織イルグンを率いたゲリラ戦士でした。その暴力性と強い個性ゆえに、タカ派の少数政党を率い続け、ときには同胞との殺し合いもいとわず、強烈な批判に晒されたレバノンへのガリラヤ平和作戦や攻撃的な発言を数多く行ったこともよく知られています。

これら輝かしい軍功を誇る軍人たちの中でも、シャロンの存在感は抜きんでており、軍神と讃えられた隻眼の将軍モシェ・ダヤン、ノーベル平和賞受賞後に暗殺された首相イツハク・ラビンと並び、戦うイスラエルの象徴といえる人物でした。

旅行記(前編)(後編)を含め、これまでも何度か触れてきましたが、イスラエルは、色々な意味で強烈な国です。
建国以来、文字どおり常在戦場、生存をかけて闘ってきた歴史、英知を尽くして発展した経済と技術。上記のとおり凄まじい経験を経てきたリーダーの知力、精神力、人間力。それを支える優秀にして強い信念をもつ国民。その圧倒的な存在感は世界において追随を許さないものがあります。
村上龍は、『五分後の世界』で、架空の世界で戦闘国家となった日本を魅力的に描きましたが、この戦闘国家のモデルはおそらくイスラエルではないかと思います。目的をもって生きる人間、そういった人間たちの結束は美しいものです。それが自生的・後天的に生まれるものではなく、国家や歴史から与えられることは肯定するのが難しい面がありますが、この国のリーダーや政治外交の状況をみて日本の政治をながめると、その次元の低さ、貧困さに呆れることがあり、複雑な気分になります(同時に、『半島を出よ』を見ると、北朝鮮のイメージも投影されているような印象を受けます。特殊部隊をはじめとする実戦に参加する戦士に限られる話ですが。)。

いずれにしても、イスラエルという国は、接点を感じない人も多いと思いますが、世界全体を眺めるならば、イランと並んで、その一挙一動から目を離すことのできない最重要国の一つと思います。

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話はぜんぜん変わりますが、フィリップ・シーモア・ホフマンの突然の訃報。これは、当日朝一番にNPRで聞いたのですが、驚かされました。
まがまがしい役が多いですが、とにかく鮮烈な印象を残す名優でした。個人的には『ハピネス』(トッド・ソロンズ)の異常な演技が忘れがたいです。『アメリカン・ビューティー』のように現代アメリカの普通の人々の生活の裏にある闇を曝く映画ですが、とにかく、ここまでやっていいの?という程に振り切れた描写が、おぞましくもある一方で、逆に何か晴れやかな気分にもさせる(させないか(笑))不思議な作品です。

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最近読んだ本。

■ 若杉冽 『原発ホワイトアウト』
現役官僚が書いたという原発再稼働をテーマにした疑似ノンフィクション小説。
モデルとなった実在の人物が容易に分かるところは、イメージを得る上で便利。再稼働に向けた強引な手法の描写は迫力があり、告発本と言われるのもうなずける。ただ、事実関係についてはそれほど目新しい点はない。官邸や各省庁の動き、業界の政界やメディアに対するアプローチの描写は、馴染みのない人には興味深く読めるかもしれない。
現役官僚が書いたノンフィクション風小説で思い出すのは榊東行『三本の矢』。役所一年目に読んだ。インサイダーらしく官庁の内部作業の描写がオタク的に詳しく、国会作業の雑用などに追われる下っ端官僚の熱い共感を呼んだ。しかしそれ以外の部分は見所が少ないというか、ツッコミどころも多く、エンタメ性はなんか頑張ってる感じという趣。本書の読後感も(村上龍的な最後の展開を含め)これに近い。

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セブ島でのダイビング(ジンベイザメとギンガメアジ・トルネード)

遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
年末年始はセブ島で過ごしました。
ダイビングでは、ジンベエザメ、ギンガメアジ・トルネード(2年前に粟国島で見て以来)など大物を見ることができ、カウントダウンはシャングリラホテルで迎えました。こう書くと派手に聞こえるかもしれませんが、泊まったのはド田舎の安宿のようなところで、実態はバックパッカーに近かったです(笑)。


(こちらは粟国島で見たギンガメアジ・トルネード)

昨年は色々なことに挑戦することができましたが、一方で、まだまだ不十分、己の未熟さを思い知らされる一年でもありました。
今年は飛躍の一年にしたいものです。やりたいことだけは沢山あるので、とにかく気合を入れて目一杯やりたいと思います。

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こちらも遅れた話題になりますが、安部総理の靖国参拝。
米国の「disappointed」という反応ですが、言葉の意味をあれこれ詮索する必要はないと思います。要するに、米国としては賛成しないというメッセージを伝えるのが趣旨で、それに尽きるものでしょう。
これが日米間の大きな問題になるとは思いませんが、一方で、少なくともこの10年間くらいの日米関係において、これほどストレートな表現のパブリック・ステートメントは見た記憶がありません。日米ほど実務者間に成熟したチャンネルが維持された関係であれば、この手の対外的な発表においては、非常に緻密な事前の配慮と(必要に応じ)すり合わせが行われるのが通常ですが、この表現は関係者にとっても結構驚きだったのではないかと思います。
たとえばアーミテージやマイケル・グリーンが政権にいた頃であれば、こういうメッセージの内容や伝え方にはならなかったような気がするんですよね。ケネディ大使着任は華々しくクローズアップされましたが、現政権の東アジアチームとの付き合いは、やはり一筋縄ではいかないということかもしれません。

ちなみに、靖国参拝は百田尚樹氏が安部総理に進言していたそうですね。
映画『永遠のゼロ』、安倍総理は年末にご覧になっていたようですが、私も年始に見ました。
以前の記事にも書いたとおり、原作は、既知の素材でおおむね尽きる内容ではあったものの、構成の巧みさと胸を打つ文章の数々が強い印象を残す作品でした。映画は、この原作の魅力を最大限に引き出していたと思います。戦闘描写の臨場感、岡田准一の精悍さ、ラストシーンの残酷な美しさが心に刺さります。
それにしても、こういう戦争の真っ只中の生を描く作品は、昔からいくつもの作品があって、それほど珍しいものではなかったと思うのですが、こうして最近の作品として見ると、不思議に新鮮に感じられるというか、物語感が強くなった気がしますね。映画の中でも、三浦春馬が若い人たちに戦争の認識のギャップを説く場面がありました。自分としても、たとえば零戦や艦船にある表記がすべて漢字とカタカナで統一されている映像を見たとき、世界で戦う技術を自前で作り上げたことの凄さ、そこに至る血の滲むような努力と誇りに対して、何も目新しいことでもないのに、不思議と遠い世界を見たような気持ちになりました(村上龍の『五分後の世界』などで描かれた日本人の誇りと美しさも思い出されます。)。これが歴史になっていくということなのでしょうか。
また、戦争賛美とか右傾化を反映しているといった指摘もあるそうですが、原作・映画ともに、そういう印象は受けなかったですけどね。繰り返しになりますが、この程度の雄々しさやロマンを扱う映画は昔からありました。むしろ、現代的に抑えられているというか、『硫黄島の手紙』(以前の記事)ぐらいドライな描写であったように思います。日本の文化や誇り、祖国を守ろうとした尊い気持ちは、特攻も含めて、もっと素直に受け入れても良いと思うのですが。

ゼロの映画と言えば(強引ですが(笑))、映画『ゼロ・グラビティ』。
これも凄い映画でしたね。人間の作り出す映像もとうとうここまで来たのか・・・と衝撃を受けました。
これはもう見て下さいという他ない作品ですが、ちょっと面白かったのは、ヒューストンのオペレーターがエド・ハリス。『ライトスタッフ』(ジョン・グレン)と『アポロ13』(ジーン・クランツ)の勇姿がよみがえります。ま、この映画では声だけなんですが。これ以外に登場する俳優はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだけ。とにかくひたすら宇宙の力押し。まあ、今まで見たことのないようなとんでもない作品でしたね。

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最近読んだ本。

■ ニック・レーン 『生命の跳躍』
生物進化に革命的影響を与えた10の発明(invention)として、「生命の誕生」、「DNA」、「光合成」、「複雑な細胞」、「有性生殖」、「運動」、「視覚」、「温血性」、「意識」、「死」を取り上げながら、進化の歴史を描いてみせる壮大な作品。
いずれのトピックも数冊の専門書を凝縮したかのような密度で最先端の知的成果を詰め込んでいる。通俗的な科学書にありがちな結論の単なる提示にはとどまらず、論争となっているポイントを真正面からとらえて深掘りする。最先端過ぎて結論が出ておらず、そのまま書いておしまい、という部分すら多々ある(現時点の科学ではここまでしか分からない、ということが確認できる。)。
「生命の起源」の説明(最後の共通祖先(LUCA)とクレブス回路)から「DNA」の生成に続くが、通俗的な科学書で語られるレベルのDNAの説明(ワトソンとクリックからゲノムプロジェクトまで)を軽く通り越して、さらに先にある聖域であるコードの解読に突き進む。「光合成」と酸素は、前著『生と死の自然史 進化を統べる酸素』、「複雑な細胞」(真核生物)は、前著『ミトコンドリアが進化を決めた』の内容を凝縮した観。「有性生殖」では、異性とのセックスのもつ神秘(コストの大きさ)という刺激的な問題提起とその回答の試みがなされる。「運動」では筋収縮のメカニズムがこれほど現代的な課題であったのかと驚かされる。「視覚」では眼の発明がカンブリア爆発を生むほどの大きな意義があったこと、「温血性」では温血動物の利点がスタミナ(有酸素能力)にあることが説明される。「意識」は、チャーマーズ、デネット、ラマチャンドラン、ダマシオ、オリバー・サックスらの著作や以前紹介したハンフリー『ソウルダスト』を読んだ人にとってはなじみ深いクオリアや意識のハード・プロブレムが掘り下げられる。「死」においては、死の存在理由が体細胞の生殖細胞への隷属にあるという仮説に唸らされる(前著で紹介済みではあるが。)。サーチュイン遺伝子とカロリー制限との関係やフリーラジカル老化説も、メカニズムを含めて詳しく解説される。
高度な内容を限られた分量に詰め込んでいるため、基本的知識の説明は容赦なく省略されているが、その分読み応えは抜群。論旨は正確で明快なので、上記著者の他の著作や『キャンベル生物学』『ケイン生物学』といった基本書、フォーティ『生命40億年全史』などを参照しつつ読むと良い。 

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もう12月なんですね。
このところ割合暖かい日が続いていましたが、今日一日の寒かったこと。月日の流れの速さに驚きます。
私自身にとっては結構色んなことがあって、それなりに感慨深い一年でした。
100%満足できたとは言えませんが、とりあえずやるべきと思っていたことは大体できて、おおむね良い一年だったのではないかと思います。もっとも本当に良い一年だったと言えるかは、来年、再来年の努力にかかっているところもあるでしょう。頑張らないといけません。

さて、マンデラ元大統領が亡くなりましたね。
マンデラについては、以前、映画「インビクタス」について書いたとき触れましたが、ここまで国内外問わず高い評価を得て、生涯にわたりその評価を汚さなかったというリーダーはなかなかいなかったと思います。ご冥福をお祈りします。

そして、西武の堤清二氏も亡くなりましたね。
現代日本の消費生活の実現を象徴した西武王国も、証券虚偽記載、堤氏の逮捕、サーベラスとの騒動など厳しい局面が続いて、時代の変遷を感じさせます。
そんな西武の歴史に思いを馳せるのに便利な名著は猪瀬直樹『ミカドの肖像』ですね。いまや都知事にまで上り詰めた猪瀬氏の出世作。高校生のときに読みましたが、これだけのノンフィクションをどうやったら書けるのだろうと、当時よく読んでいた立花隆の作品とともに感銘を受けたものでした。

最近の大きなニュースではイラン核開発問題の合意。
何度もこのHPで述べてきましたが、米国にとって最大の外交問題の一つはイランです。米国にいると、世界の重心がこの地域にあり、アジアはあくまで周縁に過ぎないことを実感させられます。その地域の中で比類なき存在感を誇るイランをめぐる交渉は、EU+3(米中ロ)で取り扱われる問題であり、日本が入り込む余地はありませんが、まさに世界全体を揺るがすインパクトを与える出来事であり、今後の展開は要注目です。

最後に、だいぶ遅れてしまいましたが日本シリーズ。
私は、田中が一回負けて、最後にリリーフで出てくるという展開を予想しており、周りの友人に吹聴していました。
昔の日本シリーズは、1983年の巨人の西本とか、2戦、5戦で完投し、6戦でリリーフ、7戦で先発ということもありましたからね。
最後の美馬-則本-田中のリレーは、1994年の斎藤-槇原-桑田のリレーを思い出しました。相変わらず懐古趣味です。

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最近読んだ本。

■ エドワード・O・ウィルソン 『人類はどこから来て、どこへ行くのか』
「生物多様性(biodiversity)」という、今や国際条約の主題にもなった共有の概念を生み出した知の巨人の最新著作。
『社会生物学』『人間の本性について』『知の挑戦』といった過去の著作と同様に、生物学にとどまらず、社会心理学、脳科学、文化人類学、歴史学など、人類をめぐる学問の成果を総動員して、人類の進化と本質という壮大なテーマに挑戦する。
人類の進化については、生物学的進化(脳、手、歩行)から社会進化(「真社会性」(世代の重なり、分業、利他的行動、グループ化)の獲得、文明の誕生)までを、遺伝子、脳、言語、(自身の専門である)アリとの対比を用いて語る。人間の本性とは何かという問いに対しては、遺伝的進化と文化的進化の共進化というアプローチで回答を試みる(乳糖耐性、近親相姦、色の語彙)。これらの理論を固めた上で、言語の起源(スキナー、チョムスキー、ピンカーの議論も俯瞰)、道徳と名誉(ヘーゲルやホネットの承認の欲求を想起させる)、宗教(同族意識)、芸術(biophilia)という各論(社会学的・人文学的なテーマ)に適用する。
知の統合に興味がある人なら読んで損はない。ただ、『知の挑戦』を読んだときほどの興奮や感動はなかった。文章は『知の挑戦』より簡素で説明も分かりやすいが、その分重厚さはなくなり、物足りなさが残る。真社会性、遺伝子と文化の共進という基本理論はすでに前著で説明がされており、新しい発見はない。各論の問題設定は刺激的だが、論旨は単純化し過ぎな印象。解説ではハミルトン則への批判等の理論的欠陥も明らかにされている。
なお、主著の一つである『生命の多様性』は、「生物多様性」を世界に知らしめた古典だが、印象に残るのはその取り上げる自然の例と詩のような文章の美しさ。人文学的知性への著者の思いはここにも感じられる。

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パールハーバー

だいぶ時間が経ってしまいましたが、9月にハワイに行きました。
これまで70か国近くを訪問しましたが、ハワイは初めて。いつでも行けるという安心感とリゾートは何となく後回しというスタンスから、ずっと行く機会がなかったのですね。でも、周りの人はみんな良いと言うし、『深夜特急』を書いてバックパッカーの象徴的存在となった沢木耕太郎も一番好きなのはハワイと公言するエッセイ(あえて裏をかくという意図もあったのかもしれませんが・・・)を読んだりして、興味はありました。

沖縄に住んで以来ダイビングを趣味とするようになったのが今回の旅行のきっかけでした。
もともとはエジプトの紅海でダイブする予定を組んでいたのですが、クーデターを見てキャンセルし、急遽変更したという経緯です。

実際行ってみるとなかなか良かったですね。
ダイビングは、ハワイ島でナイトダイブでマンタを見るというのがハイライトだったのですが、それ以外でも、イルカ、ゴンドウクジラ、ネムリブカ、カメ、Corsairという大戦中に沈んだ米軍の戦闘機など色々なものを見れました。


マンタ


イルカ


F4U Corsair

また、パールハーバーは非常に印象深い場所でした。戦艦ミズーリ、アリゾナなどとともに日本軍の人間魚雷「回天」の展示を見ました。



スミソニアン博物館で人間爆弾「桜花」が「Baka Bomb」と言われて展示されていたのを思い出します。

こんな風に日本の特攻兵器が米国で展示されるのを見ると、胸が詰まりますね。
前回の記事で、映画『風立ちぬ』に言及した際、最近は零戦のことを知らない人も多いということを書きましたが、零戦、回天、桜花などを見て、特攻を含め、極限の状況の中で命を散らした人々に思いを馳せ、言葉を失うという感覚は、いつまでも忘れず、大事にしたいものと個人的には思います。

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ところで、先日、山崎豊子氏が亡くなりましたが、同氏は、まさにこうした忘れてはいけない現代史を凄まじい筆力で描き出した稀代の作家だったと思います。
山崎氏の作品は、主要作品はほとんど読みましたが、文学作品として一番好きなのは『大地の子』です。激動の時代を伝える迫力だけでなく、主人公、その家族、友人など人間の描写が本当に素晴らしい。「大地の子」という言葉の美しさも心を震わせます。 NHKドラマも、上川隆也、仲代達也の名演もあり、非常に優れた映像化作品でした。
脚色はもちろんあるとはいえ、限りなくノンフィクションに近い迫真の魅力を感じさせる作品として抜群の完成度を誇るのが『不毛地帯』。これも2回もドラマ化されましたが、山本薩夫監督(1976年)の映画が一番好きですね。ライバルの鮫島(日商岩井の海部八郎がモデル)を田宮二郎が演じますが、これが『白い巨塔』の財前、『華麗なる一族』の美馬と同様に鮮烈な印象を残します。
現代の政治経済社会を対象とする小説の書き手は、今の時代こそ以前の記事でも紹介した黒木亮を含め何人も挙げられますが、今なお古典といえる作品を書いた人は、松本清張、城山三郎、山崎豊子と思います。私などが今さら言うまでもないことですが、骨太な社会経済小説のまさに先駆者といえるでしょう。

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最近読んだ本。

■ エルヴィン・シュレーディンガー 『生命とは何か』
ワトソンとクリックの分子構造模型の創造より10年も前に分子生物学の世界像を提示したといわれる古典。
シュレーディンガーは自身の専門である量子力学の成果(分子、非周期性、遺伝子、エントロピー)を駆使して生命の定義(遺伝子の永続性・安定性)に挑む。
一つの鍵となるのは自然界の量子的構造(非連続性)と決定論的世界観との関係の理解だが、この点について、量子力学の発展を含め問題の背景を知るには、ポアンカレの科学思想を紹介した以前の記事でも引用した『世界の名著・現代の科学2』所収の湯川秀樹の解説が良い。
マトゥラーナらの他の古典的理論や最新の議論と対比して相対的に眺めるなら今年出たクリストフ・マラテール『生命起源論の科学哲学』。この本では生命の「リスト形式による定義」のうち「代謝的、熱力学的、エネルギー的な定義」の代表例として紹介されている。

■ クリストフ・マラテール 『生命起源論の科学哲学 - 創発か、還元的説明か』
創発論と還元論という古くからの論争を現代フランスの科学哲学が捌く。
あくまで(科学)哲学の本なので、生物学的な論考を期待すると面食らうかもしれないが(むしろ『キャンベル生物学』『ケイン生物学』の序論の方がしっくりくるだろう。)、その徹底的な理屈の掘り下げ(生命の起源、創発の概念の実用主義性・批判)は、ヘンペルやファン・フラーセンの議論になじみのある人なら興味深く読めるだろう。
創発の切り口からの科学史の描写(量子化学、分子生物学、前生物的化学、心の哲学、論理実証主義批判、システム科学・複雑系)、シュレーディンガーの『生命とは何か』(リスト形式による生命の定義)やマトゥラーナ、ヴァレラ『オートポイエーシス』(モデル形式による生命の定義)等の古典と最新の議論の対比・引用は、頭の整理にも役立つ。
フランスの科学哲学というのもフランスの分析哲学を知ったときの驚きと似て新鮮。

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東京五輪が決定されましたね。
まだ先の話とはいえ、これだけのビッグイベントが身の周りで起こるのは自分の人生では初のこと。どんな風景が見えるのでしょうか。
最近仕事をしていると、海外の日本への関心の薄さ、日本の特徴、強さを武器に生かすことの難しさを感じます。客観的に受け入れざるを得ない現実という面もありますが、パーセプションにおいて不当に損をしている部分もあると思いますから、そんな感覚を打ち払って復活するようなきっかけになると良いですね。

日本の強さといえば(相変わらず強引な流れ(笑))、ちょっと前に映画『風立ちぬ』を見ました。
従来のジブリ作品と違ってファンタジー色はほとんどなく、戸惑う方もいたかもしれませんが、私的には結構良かったです。もうちょっと零戦の描写を見たかったところですが、そこをあえて描かずに余韻を残すのが美学なのでしょう。
そういえば『永遠のゼロ』も映画化されるとのこと。原作は『大空のサムライ』などで描かれた既知の題材なので新鮮さはなかったですが、心をえぐるような文章の数々が印象に残っています。
それにしても、最近周りの若い人たちと話して驚いたのは、「零戦」をまったく知らないという人たちが結構いるということ。例によってジジくさい物言いですが(笑)ちょっとさびしかったですね。あの凄さと痛ましさを知らなければ、『風立ちぬ』を見ても、職人的な仕事への情熱と純愛の話としか見えないのではないでしょうか。
宮崎駿についてはちょうど引退の発表がありましたね。末尾の「最近読んだ本」でも取り上げてみました。

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さて、本題ですが、3ヶ月くらい前(6月19日)に経済産業省から「消費インテリジェンスに関する懇談会報告書」という報告書が発表されました。

脱デフレのための政策を提言したものですが、その中で挙げられた一つに、メーカーによる流通業者の価格指定を容認することがあります。

メーカーが販売価格を指定することは、1991年に独占禁止法の運用指針(流通取引慣行ガイドライン)が制定されて以来、独占禁止法に反するとされてきました。
それから現在に至るまで、この世界では常識とされてきた価格指定の違法性にこの提言は真っ向から反するもので、なかなかインパクトのある話です。

そもそも流通取引慣行ガイドラインが制定された背景には、80年代の日米貿易摩擦問題がありました。
当時、米国は、日本市場が閉鎖的である理由として、日本の流通がメーカーに支配されていることを挙げ、日本の流通慣行の改善を要求していたわけですが、流通取引慣行ガイドラインは、このような問題を扱う日米構造協議を経た後の1991年に制定されたものでした。

しかし、流通取引慣行ガイドラインの制定後20年以上が経過し、メーカーと流通業者との関係は大きく変わりました。
流通の国際化を背景にした大規模小売店や多店舗を展開するチェーン型小売業者、特にイオンやヤマダ電機のようにかつてなく大規模な売上と圧倒的な市場シェアを有する流通事業者の出現、それにインターネット通販が登場したことにより、市場の支配力を握る者はメーカーから流通業者に移行したと言われます。
また、メーカーによる価格指定は、新製品の開発へのインセンティブを提供し、メーカーと流通との協力を通じたブランド価値の創造にもつながり得ることも指摘されています。
さらに、報告書は、近年、欧米においては、メーカー優位の市場構造を前提とした制度から、流通優位の市場構造に対応した制度への変更が行われているところ、欧米における規制の緩和と比較すると、日本の規制は過剰であり、消費市場を活性化する上で最適な競争環境を提供しているとは言い難い、特にデフレ脱出を目指す現在においては不適切と考えられると述べています。

こうした認識に立って、報告書は、メーカーによる価格指定を違法とするのではなく、基本的には容認すべきであると説いています。

これに対して、公正取引委員会は、メーカーによる価格指定は、欧米においても厳しく規制されており、容認されているとは認識していないと述べ、流通取引慣行ガイドラインの見直しを実現することは現時点において考えていない旨明言しました(6月26日付事務総長記者会見)。経済産業省の提言を実現する可能性を否定したわけです。

このように、経済産業省と公正取引委員会の見解は一致しておらず、独占禁止法の運用をめぐる今後の動向が注目されています。

個人的に興味深く感じるのは、今回の提言が脱デフレの文脈で出てきたところですね。
物価の上昇を至上命題とするアベノミクスにとって、販売店のrace to the bottomの様相を呈する価格競争は大きな障害となるでしょう。また、価格の維持はメーカーと販売店の両方にとってメリットがあり、割を食うのは消費者という構図がありましたが、アベノミクスとブランド価値創造という理論により、消費者の利益にもかなうものであり、3者winwinの関係を作るという説明が可能になりました。これは、法のみならず経済学、ビジネス(イノベーション)も絡み合うところであり、刺激的な議論です。
そして、今回提言したのが(官邸の意をくんだ)経産省であり、それに伝統的立場から公取委が反対するという点も、独禁法が政治に左右される世界でもあり、単なる法律論を超えて風向きを見極める必要があるものを示すもので、興味深いポイントです。法と経済の高度に専門的な議論、ときとしてそれを吹き飛ばすインパクトのある政治が密接に入り組んでいて、マニアックではありますが、個人的には注目してみたいトピックです。

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最近読んだ本

■ 堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿 『時代の風音』
『風立ちぬ』を最後に引退を発表した宮崎駿。
その彼が20年も前に座談会の司会というめずらしい仕事を務めたときの記録をまとめた本。
宮崎は堀田義衛と司馬遼太郎の対談を仕切る役割を担うが、2人の知識人の個性を存分に発揮させ、さらに、この2人に負けじ劣らず自身の思考を大胆に開陳する。話題は国家、ヨーロッパ、イスラムからアニメ、料理、堀辰雄に及ぶ。知性を自在に解放した野放図な雑談は、林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』の躍動を思い出させる。
これを読めば、宮崎駿が直観と感性に頼る芸術家の域にとどまる人間ではなく、高度の教養と論理を備えた知識人・思想家であることが分かる。その混沌と逆説に満ちた思想・世界観(以前書いた記事その1その2)が最も尖鋭に圧倒的な形で現れた作品は『風の谷のナウシカ』だろう。この本の中で断片的ながら現れる本音の部分は、その世界を読み解くヒントにもなる。

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ハンマーヘッドシャークの大群@神子元島

昨日、伊豆でダイビングをしてきました。
ダイビングの経験本数は90本になりましたが、沖縄を別とすれば実はこれが初の国内ダイビング。
与那国島に匹敵するハンマーの群れがこんな近場で見られるとは。与那国島とはまた趣の異なる迫力がありましたね。

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さて、だいぶ前から書く書くと言いながら延び延びになっていた米国についてのお話です。

順調な回復を続ける米国経済。
シェールガスという強力な武器を手にして、経済指標は堅調を継続しています。
懸念されていたSequestration(連邦予算の強制削減)の影響も、予想されていたとおり、限定的なものにとどまりました。
アベノミクスとは対照的にQE(金融緩和)の縮小すら取り沙汰されるほどです。
このままいけば米国の経済は当面安泰、リーマン前の状態を超えて発展を続ける可能性も大いにあります。
このへんの詳細はぐっちーさんの著書メルマガに譲りましょう(宣伝(笑))。

政治(内政)についてみると、前の記事で、オバマ大統領が大統領就任演説で、同性愛、銃規制、社会福祉といった問題に大胆に切り込んだことを書きましたが、その後、同性婚(最高裁判決)、銃規制(強化法)、移民政策(移民法改正)の分野において、すでに大きな前進を遂げています。

ところで、こうしたオバマの発言や政策は、多くの日本人にとって、特に不自然ではなく、親しみやすく感じられるものと思います。当たり前のことを言っているとすら感じられるかもしれません。これは、おそらく多くの日本人の感覚が米国における穏健なリベラル(中道左派)に近いものだからと思われます。

しかし、このHPで何度も述べてきたことですが、米国においてこれらの問題は、国論を二分する極めてセンシティブなイシューとなります。
米国の保守思想は、日本人にはなじみが薄いものですが、歴史的な蓄積と風土に支えられた強固なものであり、これらの問題に対する抵抗は(穏健な保守派の中でさえ)すさまじいものがあります。それは多くの日本人の想像を超えるものです。

このような背景の中で、問題を正面から取り上げ、しかも就任演説のような場で争点化するオバマの行為は、本当に勇気を必要とするものです。
仮にこれを計算なく思いつきでやっていたとしたら、それこそ鳩山総理なみに物笑いの種、単なる無謀に終わり、不毛で無残な結果を残すだけのものになります。
しかし、さすがはオバマ、そんな甘い人ではなかったわけですね。まだまだ前途は多難とはいえ、レガシー作りどころか批判にさらされレームダック化する傾向が強かったこれまでの米政権と比較すると、その意欲的な姿勢と実現力には驚かされます。特に、前述の同性愛、銃規制、移民に関する前進は歴史的なものであるとすら評価されています。

一方で、外交についていえば、内向きであることがしばしば指摘されています。
中東(中東和平、シリア、イラン)、アジア(北朝鮮、中国)、いずれにおいても、どちらかといえば慎重というか消極的な姿勢が目につきますね。
以前の記事で紹介した『オバマの戦争』からも感じられたところですが、オバマは、外交と安全保障については、経験不足もあり、割と他人任せというか、自分自身のこだわりやリーダーシップを発揮する傾向が弱い印象を受けます。
良い面悪い面ありますが、その機能主義、合理的な性格が、現在の米国の内向きな姿勢に投影されているようにも感じられます。

まあ、そんなわけで、米国は経済は好調、政治的にもある程度の安定と前進を見せており、前途に不安を感じさせる欧州や中国と比べれば、はるかに大きな期待を抱かせる状況にあります。踏み込んでいえば、ふたたび米国の黄金時代がやってくるといえるかもしれません。

そんな力強さを増していく米国に対して日本はどう向きあっていくのか。
政治・外交安保では、これまで通りやるということに尽き、ほぼ解は出ているのでしょうが、ビジネスについていえば、新興国と同じかそれ以上に見過ごせないマーケットとなるのでしょう。それも、ハイエンドの製品の販売や高い技術力を使った生産など、新興国とは異なるアプローチで収益を上げることが期待されるわけで、ある意味で日本企業にとっては単なる人口の多さや労働集約に頼るものではなく、未来を開くような新しいモデルが求められ、実現していく地域・分野のように思われます。
M&Aにしても、販売店などではなくて、それこそアップルなどのように、高い技術をもっているところを丸ごと買って新しいビジネスにつなげるようなアグレッシブなアプローチも求められるのでしょう。

ところで、「アメリカの時代」といえば、思い出されるのは、18世紀以降の米国外交を描いた古典的名著、ウォルター・ラフィーバーの『アメリカの時代』ですね。
もう古くなってしまった本ですが、レーガン時代の気運の高まりを「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と名付けた章で書くところなどオシャレだなと思った記憶があります。

・・・
最近読んだ本。

■ ブロニスワフ・マリノフスキ 『西太平洋の遠洋航海者』 『性・家族・社会』 『呪術・科学・宗教・神話』 『マリノフスキー日記』
文化人類学の礎を築いた巨人マリノフスキの論文集。
処女作『西太平洋の遠洋航海者』では有名なクラの交易が論じられる。贈与経済の古典的成果であり、モースの『贈与論』とともにジャレッド・ダイヤモンド『昨日までの世界』でも何度も言及される。ダイヤモンドの著作に関心のある人には、そのアプローチの淵源を見る素材としても勧められる。
『性・家族・社会』からは、デュルケームの社会学(歴史主義・進化主義批判)と師フレイザーの神話学・宗教学(特に『金枝篇』)からの継承、そしてレヴィ=ストロースに代表されるその後の人類学・構造主義への貢献をみることができる。その近代的な調査手法と体系的考察は、博物館研究を社会学に変えたといわれるが(トロブリアンド諸島での日々などを含む『マリノフスキー日記』からは、現地調査の精緻化をみることができる。)、婚前の性交渉の豊富な事例など、読み物としても面白く、レッドフィールドも『呪術・科学・宗教・神話』 で書いているとおり、科学より芸術の彩りを感じさせるロマン主義的な記述もある。
『呪術・科学・宗教・神話』 は、タイラー、フレイザー、マレット、デュルケームの宗教論を整理した上で、フレイザーが展開した宗教・科学論、トーテミズム、多産と豊穣崇拝に対して独自の解釈を加えている。
いずれも古い作品だが、家族から親族という考察対象の発展、数学に基礎をおく機能主義、大陸(中欧)型の人文主義的知性とアングロサクソン型の科学的知性との比較など、今読んでも楽しめる。

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ときどきびっくりする言葉を耳にしますね。
例によってなんのこっちゃという始まり方ですが、世代やちょっとした時間の流れで、色んな言葉が生まれては消えていきますよね。今日はそのへんの話をします。

私は、別件があって人の誘いを断るときに「ベッケンバウアーです。」とオシャレに返すのが好きなのですが、これは結構古いというか、死語の部類に属しますよね。ベッケンバウアー自体が70年代のサッカー選手ですし。
まあ、そんなことも承知しながら、あえて自分より若い人に使うわけです。
そうすると、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)・・・『24』のことですか?」
「それはジャック・バウアー」
「哲学者でしたっけ?」
「それはショーペンハウアー」
などというお約束のやりとりになり、オヤジ扱いされて終わるわけです。

ところが、先日朝に情報番組を見ていたら、何でもいまは「ギャル喫茶」なるものが流行っていて、たぶん「メイド喫茶」「執事喫茶」からの流れを組むのだろうと推測しますが、それはどうでもいいとして、そこでは壁に「ギャル語」なるリストが貼ってあるそうです。
その中に、なんと「ベッケンバウアー」があったのですよ
これ、死語とかオヤジギャグとか言われたけど、めぐりめぐって最先端にきてるやん!と軽く興奮。その勢いのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。俺は旧人類ではなくてむしろ最先端にいたんだと。

まあとにかく、この「ギャル喫茶」に出ている「ギャル語」がなかなか興味深い。中でも個人的にインパクトがあったのは、「超レシーブ」でしたね。これはなかなかうまいと思いました。さっそくそのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。そしてしばらく「超レシーブゥ!」というメッセージをしばらくの間お互いに送りつけ合いましたよ。意味ですか?「レシーブ」を直訳してみてください。

話はまだ終わりません。この言葉を知った翌日に、たまたま20代の女性と話す機会があったのです。さっそく得意げに、「ベッケンバウアー」「超レシーブ」を使ってみました。知っているだろうと思って。そしたら、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)」
・・・あれ?なんかいつもおなじみのリアクション?
それどころか、そもそも「レシーブ」の意味も分からない人もいたりして、逆に軽いカルチャーショックでした。

じゃあ何が流行っているのか?と聞いてみると、今一番流行っている言葉は、なんでも怒ったときに「ぷんぷん丸」「ムカ着火ファイアー」「カムッチャッカインフェルノ」などというのだそうです。ソースとしてこんなツイッターのサイトを見せられました。
これは私の方が、
「???」「なんだそれ??」
となる番でしたね。

いや、私は、若い人たちが使う日本語は乱れているとか、そんな風にくさす考えをもったことは一度もなくて、むしろ、「チョベリバ」とか「ホワイトキック」とか、こういう造語はよくできていると思うというか、その発想と語感のセンスにはそれなりにリスペクトの念を抱いていたんですよ。「超レシーブ」にもこれに通じる感動がありました。
でも、「ぷんぷん丸」って・・・音の響きだけ?何のひねりもないというか・・・もはや幼児が話す片言の類ですよね。
あ、でもよく見たら、ムカ着火とかカムチャッカにかけているのか?もしかしたら、俺が気付かない、何か隠されたメッセージかリンケージがあるのか?でも、「レシーブ」すらピンと来ない人に、カムチャッカとか分かるのか?インフェルノなんて、イタリア語だけど、そんなに普及してたっけ?
・・・もう、どうでも良くなってきましたね。まあ、もちろん、最初からどうでもいい話なんですけどね

ここまでが、最近あった話として伝えたかったことなのですが、ただ、一つ社会的に興味深かった点を付け加えれば、若い人は思った以上にツイッターから情報を得ているんだな、ということです。
現代の若い人たちが日常的に情報の授受を行う場は、LINEとツイッターでほぼ尽きるようです。
これは意外と盲点というか、私ぐらいの年齢(30代半ば)以上の人たちには思った以上に理解されていない状況なのではないかと思います。

以前、ブログは便利だし、自分もこうして書ける場ができたのはありがたいけど、本に比べると文章が短くて、だんだん長いものが読まれなくなるんだろうなあと書いたことがありました。私が書くブログの文章すら一般標準から見たら相当長い方ですけど(だから読まれない(笑))、それでも伝統的な本や論文と比べたら短い。せいぜい随筆の類ですよね。
ところがツイッターはわずか140字。LINEに至ってはスタンプを使えば文字すら読み書きしません。そして若い人はもうこれだけで足りている。なんかもうどんどんコミュニケーションがシンプルというか記号のやりとりになってますね。
別にこれが一概に悪いというつもりもないです。長々と要点のないおしゃべりをするよりは、端的にポイントをつく表現にはなるでしょうし、スピードはずっと速くなりますよね。ただ、やっぱり思考の厚みは減るでしょう。色んな意味で現代的なんですね。
こんな言語とコミュニケーションの変化、ある意味、この後紹介する『昨日までの世界』の話でしょうか。強引か。

以上が、「ベッケンバウアー」に始まり、「ぷんぷん丸」に終わって思ったことでした。

前回の記事で、次回は米国について書く、とか言ってましたが、まさかこんな話がこんなに長くなるとは思わなかったので、また次に回します。
なんか、来る来る詐欺みたいになってますが。
まあ、もともとこんな感じでふざけたくだけたHPだったので、よくあることですから、昔から読んで下さっている方には特に違和感ないかもしれませんね。
とりあえず今週一週間がんばりましょう!(として強引に締めくくり。笑)

・・・
最近読んだ本。

■ ジャレド・ダイアモンド 『昨日までの世界』
『銃・病原菌・鉄』以前の記事にも書いたが、この本のタイトルの元ネタは、アルフレッド・クロスビーの『Germs, Seeds & Animals(病原菌・種子・動物)』。)、『文明崩壊』に続く、進化生物学者が語る文明論。
伝統的社会と現代社会との比較という主題を「空間の分割」、「紛争」、「子どもと高齢者」、「危険とそれに対する反応」、「宗教」、「言語」、「健康」という切り口から論じる。
「空間の分割」では、交易の記述において、おなじみの贈与と返礼について述べられるが、ここは文化人類学の金字塔モース『贈与論』、マリノフスキ『西太平洋の航海者』を思い出しながら読みたい。
「紛争解決」では、現代の司法システムについての記述が厚いが、ここは聞き慣れた法社会学の議論に文明論の風味を加えただけで目新しい発見なし。
「高齢者」では、伝統的社会と比較しての米国における高齢者の地位の低さ、食と性のタブーが高齢者を有利にするための規範という指摘が新鮮。以前にマリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(通称ATT)について書いたときに現代アフリカの政治慣習としてのgerontocracyに言及したが、その具体例も多く挙げられる。
「宗教」では、デュルケーム、ギアーツ、フレイザー、パーソンズ、ティリヒなどなじみ深い碩学の論が次々に紹介され、手軽な頭の整理になる。宗教の役割の歴史的変化と定義の説明は巧妙。
「健康」で述べられる西洋の食料史と高血圧・糖尿病は自分にとってなじみのなかった分野で、良い導入になった。
テーマごとに独立しているのでとっつきはよいが、反面、構築性の高かった前二作の骨太さは薄れた印象。

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ロタ島にあるセンハノン・ケーブ(通称ロタ・ホール)

例によってまた話が遅れていますが、ゴールデンウィーク、いかがお過ごしだったでしょうか。
私は幸い仕事がそれほど立て込むこともなく、基本的にはちゃんと休めて、ゴルフなどできました。
ただ旅行はできなかったので、そのすぐあとの週末の前後に休みをとり、ロタ島という北マリアナ諸島にある島(米国領)に行きました。
久々ダイビングができ、旧友とも再会できて楽しかったです。写真はロタ・ホールというポイントで撮ったものです。



天に召されるような姿から、拒絶され、堕天使のごとく墜ちていく・・・「Paradise Lost」の世界を表現してみました。
・・・というのはウソですが。笑

・・・
さて、飯島内閣官房参与の訪朝。
もちろん私は内容について知りませんし、誰も知りようのない話ですが(よくマスコミが憶測を書いたりしますが、どれだけ意味があるのかなと思います。これは完全に当事者だけ、外務省ですらごく数人、それも全貌は把握できないというレベルの話ですから、推測するのは自由ですが、私みたいなドライな人間は、もっと他にやることがあるんじゃないかなと思ってしまいます。)、例によって、ジジくさい、多くの人にとってはどうでもよいと感じられるところに突っ込んでみます。
米韓に事前連絡がなかったなど報道されていますが、こういう訪朝を、たとえば日本の外務省が知らないということはあり得るのかと聞かれたことがあります。
結論から言えば、外務省の誰にも知らせずに実現するのは無理でしょうが、本当に一部の人、アジア大洋州局長(と担当課である北東アジア課の数人)だけに伝えられ(次官と外務審議官に話は一切通さない)、必要最小限の支援をする、という形は十分あり得るでしょう。
小泉訪朝が、田中均アジア大洋州局長(当時)が仕掛人で、次官や外務審議官を飛ばして総理と古川副官房長官(当時)と直接に結んで、実現されたことはよく知られています。今回は、外務省が仕掛ける立場にはなかったのでしょうが、官邸の方で外務省の誰を引き込むかと考えるとすれば、アジア大洋州局長になるのが自然な発想というか、自明のことでしょう。もちろん役職だけでなくて個人の資質も重要になるわけですが、現在の杉山局長についていえば、その実力、知見、胆力からいって不足はありませんから、同局長にすべてを任せるという推測は、十分合理的といえると思います(これだけセンシティブで政治的な問題になると、他の幹部は、むしろ話を回して欲しくないという方向に傾くこともあり得ます。)。

・・・
今回は本当は米国のことを書こうと思って準備していたのですが、思いの外文章が長くなってしまったので次回に回します。
こういう小細工をしてでも更新頻度を上げないと、もう動いてないのかなと思われてしまいますしね。笑
でも、さっぱり更新していない割には、驚いたことに、購読者数が急増しています。
頻度が少なくても、細々ながら一応は毎月のように更新しているのが効いているのでしょうか。ありがたいことですね。

・・・
■ ボブ・ウッドワード 『オバマの戦争』
『ブッシュの戦争』『攻撃計画』『ブッシュのホワイトハウス』に続く、米国の対イラク・アフガン政策の意思決定過程を描くウッドワードの最新著作。
主題はアフガン3万人増派をめぐる意思決定過程だが、『ザ・コールデスト・ウインター』感想にも書いたとおり、これら4冊と『静かなる戦争』と併せて読めば、90年代以降の米国外交の主要なポイントを概観できる。大統領選からのチーム・オバマ編成の過程も詳述されており、ジェームズ・マン『ウルカヌスの肖像』に通じる面白さもある。
英断と言われた増派の陰で展開されたゲーツ、マレン、ペトレイアス、マクリスタルら軍人とエマニュエルら文民との間の暗闘、その複雑さと根深さ。ニュージャーナリズムの時代からこの世界をリードしてきたウッドワードの筆法は(ストーリーテリングの技巧のため鵜呑みにできない部分も含め)円熟の境地だが、一方で、自身のインタビューやレポートをそのまま掲載する部分も多くなっている。刻一刻状況が変わるテーマの難しさをうかがわせる。アフガンがイラクより勝利が近いと見えた展望、ペトレイアスの英雄的活躍と輝かしい未来への期待も今は昔。

■ 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
ちょっと期待はずれか。
この著者の魅力は、自分の中では、日本人離れした大きなスケールの世界観を展開できる(それでいて、日常の情景(音楽、都市、セックス)を現代的なセンスで溶け込ませるため、「SF」とカテゴライズすることはできない独特の空気を作り出す)ところにあるのだが(それがグローバルな評価を得て、ノーベル文学賞候補にも挙げられる理由と思う。その意味で『1Q84』関連記事)は良かった。)、この作品はどこにでもある小説というか、他の日本人作家が書いたものと言われても驚きはない印象。

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新しい仕事を始めて3ヶ月。だいぶ環境に慣れてきました。
短い期間ですが、毎日新しい経験ができて、恵まれた環境にいると感じています。一つ一つの仕事について自分の力量に依るところが非常に大きくて、何をやるにせよ、自分のしたことがそのままダイレクトに結果につながる。それが目に見える。こういったところが良いですね。これは前職ではなかなか味わえない経験でした。

仕事といえば、「何をするか」という内容はもちろん大事ですが、それとともに、あるいはそれ以上に、「誰とするか」が大事ともいいますね。
これは、今の自分の状況に照らしても、何となく分かるというか、共感するところがあります。
今の仕事のいいところは、各人の目指す方向や目標が千差万別で、それぞれが自分なりの道を追求できるところです。自分はかくありたいと思うモデルを見つけることもできる。一方で、この人は自分の行きたい方向とは違う、でも尊敬はできるし、刺激を受ける、と感じることもできる。みんなが一方向を目指す(前職のような)環境に比べると、お互いの個性を尊重し、刺激し合うことができる環境にあると思います。

今思うと、これまでの人生においても、人との出会いは自分にとって大きな意味をもってきました。

先月は15年ぶりくらいに高校時代からの旧友と再会しました。彼は、英会話スクールGABAを創業した後、海外に住んで核融合エネルギーを支援する投資家になっていました。

私は、どっちかというと、大企業の経営者や官庁の幹部のように、社会的に尊敬されたり、成功者と言われるよりも、小さくてもいいから、今まで誰もやったことがないようなことをやる人に惹かれるんですね。誰とも比較されないような、オリジナルな存在になりたいと思う方なのです。
大きい組織を離れて新しいキャリアを追求したのも、前にいた場所では、どこまでいっても自分の先輩に追いつくのが精一杯で、今まで誰もなったことがないような人になることはできない、ということが分かったからでした。
そんなこともあって、この旧友に対しては深い尊敬の念を抱いています。もう自分には手の届かないような大きな存在になってしまいましたが、幸いにして、会えば高校時代に戻った頃の感覚をおぼえます。気楽に話しながら、色々刺激を受けました。

同じように、独自の道を追求しながら立派な仕事をされていて、接するうちに、自分にとって人生の師匠のような存在になった方に、このHPでも何度となく言及してきたぐっちーさんと阿川尚之さんがおられます。

ぐっちーさんのことは、もはや今さら書くこともないので省略しますが(笑)(最近は著書も売れて絶好調ですね。)、阿川さんは、ソニーで勤務した後、米国にJD留学し(米国人向けロースクールプログラム)、米国と日本でロイヤーとして活躍した後、作家として米国論などの著作を手がけ、慶応教授になった方です。ワシントンDCで外交官の経験もしています。

※米国留学のときのご経験を書いたのが『アメリカン・ロイヤーの誕生』。これから留学する方に特にお勧めしたい本ですが、留学を終えた人、そうでなくとも、米国に多少とも関心のある人であれば、誰に対しても新鮮な刺激を与えてくれる名著です。また、米国大使館駐在時の経験を書いたのが『マサチューセッツ通り2520番地』。この本の中には私も数か所登場します(笑)。

妹さんはテレビにも登場する阿川佐和子さん。
先月、日経新聞の夕刊に自らの半生を語る連載がありましたが、面白かったですね。ご本人がおっしゃっていることですが、何か一つのことについて、ものすごい専門的知見があるわけではありません。それでも、文章にせよテレビでの振る舞いにせよ、印象に残る発信をして、見る側に何か考えるヒントを与えてくれます。
阿川尚之さんも、書かれている本は、もちろんいずれも優れた作品であり、専門的な知識や思考が詰め込まれているのですが、玄人の視点から一つ一つのことを拾い上げれば、それほど斬新なことが書かれているわけではないことにありません。目を開かされるような新しい発見や凄い資料があるわけではないのです。それでも、いったん読めばグイグイ引き込まれます。本当に重要なエッセンスをしっかりと確認することができます。何よりも、読んでいてワクワクするのです。

・・・
かつて、自分は、専門的知識をきちんと提供できる文章を書かないといけない、そういう自分が「本物」と自信をもっていることでなければ言えないし、価値もない。それに、今までどこにも書かれていない新しい何かを書かないといけない、と思っていました。このブログでもそういう葛藤を何度となく書いたことがありました。でも考えてみたら、読書にせよ話を聞くにせよ、人のプロダクトを鑑賞することは、一種のコミュニケーションなんですよね。

以前「本をたくさん読む方法」という記事で、書かれた情報をそのまま吸収するタイプの読書(passive reading、ショーペンハウアーが批判した読み方)と書かれた情報を自分の思索の一材料とする読書(active reading)という分け方を述べました。前者の読書についていえば、細かく正確な知識を効率的に整理した本が重要ということになります。私の仕事で関係する専門書はそういうものですし、レファレンスブックもそういったものです。一方で、後者についていえば、細かさや知識の先端性は、必ずしも不可欠なものではありません。むしろ、それが読み手の思索の妨げになるなら取り除いた方が良いこともある。逆に、読み手の思考を刺激するなら(前者の本の場合には無駄とされて省かれるべき)物語を持ち込んだ方が良い。重要な点を絞り込んで骨太でシンプルにしたり、逆に無駄なエピソードなど盛り込んだ方が役に立つわけです。

体系的・目の前の課題の克服に役立つという意味で実践的な知識を効率的に得ることはもちろん大事です。でも、断片的・間接的であっても、読む人に刺激を与え、次の行動や思考を促進する文章であれば、一つのコミュニケーションの形としてそれなりの意味があるのかもしれません。最近そう思うようになりました。
そんなわけで、何となく自分のしたいことに向けて一歩を踏み出そうかなと思うようになりました。
とかなんとか言いながら、一方で、仕事があわただしくなってくると、こんなことをあれこれ考える余裕もなくなってくるような気もしています。
今現在自分がすべきことは、何より目の前のことに一生懸命向かうことです。だから、これはこれでいいのかな、という気もしています。
いつにもまして何を言っているのかよく分からない文章になってしまいました(笑)。すみません。そのうちもっとクリアーに話すことができるよう精進を続けたいと思います。

何はともあれ、とりあえず、今回の記事は今年8本目。去年の記事本数を上回るという初期の目標を達成したということで、良しとしましょう。

※この記事を書いたあと気づきましたが、RSSリーダーの登録数が急激に増加していました。更新の頻度が上がったからでしょうか。それにしても、日々の閲覧数に変動はないので、どこかに紹介されたとも思えず、ちょっと不思議。何にしても、閲覧数より購読者数が目安になると思っている自分には励みになる発見でした。

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最近読んだ本。

■ ダニエル・カーネマン 『ファスト&スロー』
ノーベル経済学受賞者が語る人間の判断と意思決定の理論。
行動経済学(意思決定)の古典として扱われるであろう本書だが、何と言っても面白いのはベースをなす心理学(判断)の部分。人間のバイアスは感情ではなく認知装置(連想記憶に基づく現実世界モデルの構成、驚き、因果関係、自動反応という脳の働き)そのものに内在する。連想、見たものがすべて(個から全体を考えるプロセス)、置き換えとレベル合わせ、記憶の書換えといった認知の特性(分かりやすさと一貫性、因果関係の呪縛は、タレブ『ブラック・スワン』でも語られるテーマ。カーネマンもタレブから大きな影響を受けたという。自由意志と因果関係という普遍的な問いに対しては、物理的因果関係と意志的因果関係を切り離すことで解答を試みる。)、そこから導かれる代表性(事前確率の無視、標本サイズの無視、偶然性の誤解、予測可能性の軽視、妥当性の錯覚、回帰の誤解)、利用可能性、アンカリングといったヒューリスティクス。日常何となくおぼえる違和感を言語化し、それを支える精緻な理論とデータが続く。その論の運びは重厚にして鮮やか。例えば相関と平均回帰のクリアーな説明は、統計になじみのない人には衝撃を与えるだろう(最近出た西内啓『統計学が最強の学問である』は、統計に興味をもった人にとって良い導入となる。)。
直感、スキルとはつまるところ記憶(認識)であり(ハーバート・サイモン)、何が真に信頼できるスキルなのか深掘りするパートも面白い。『ビジョナリー・カンパニー』『エクセレント・カンパニー』といったビジネス書や政治評論の不毛を一刀両断する切れ味の凄さは痛快ですらある。
前半の「判断」と比べると、後半の「意思決定」(合理的主体・期待仮説への批判、参照点と損失回避)は、これが行動経済学の神髄部分ではあるのだが、新鮮味が少なかった(もっとも最後のパート「経験する自己」と「記憶する自己」は面白い。)。
キャス・サンスティーンのOMBでの仕事、ヒューリスティクの弊害防止の観点からの組織の意義、アルゴリズムの威力など、行動経済学がどう実践(政策)に生かされるか具体的に説明される部分は読み応えがあった(ファイナンスへの活用についてはマルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー』にも優れた言及があった。)。エコンではなくヒューマンを支える思想としてのリバタリアン・パターナリズム(自由に伴うコストへの社会による対応)は、行動経済学が法学と接続するポイントでもある。法学者であるサンスティーンとリチャード・セイラーの『実践行動経済学』も紹介される。単独評価と並列評価の不一致に関連して、陪審員の並列評価の禁止の逆説性が一例として挙げられるが、法に関わる人には考えさせられる問題提起だろう。

■ ジャレド・ダイアモンド他 『知の逆転』
ジャレド・ダイアモンド、ノーム・チョムスキー、オリバー・サックス、マービン・ミンスキー、トム・レイトン、ジェームズ・ワトソンという、このHPでも何度となく紹介してきた知の巨人たちのインタビュー集。
この6人を選んだセンスは素晴らしい。もっとも、インタビュー集という性質の限界もあり、これらの人々の著作になじみのある読者にとって内容面での刺激は乏しい。人生の意味やインターネットを主題にするインタビュアーのこだわりも自分にはしっくりこなかった。とはいえ、まったく知らない人にとっては、新しい知の世界のとっかかりとなり、読むべき文献を手っ取り早く知る上で使いやすいガイドとなるだろう。

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「米国産LNG輸出にシェル参入 米パイプライン大手と提携」(日経1月19日)、「米、日本にシェールガス輸出 3月にも解禁」(日経2月7日)、「シェールガス1兆円支援 政府、安値調達へ債務保証」(日経2月15日)等々、最近、米国のシェールガス輸出について盛んに報道がされていますね。

ご承知のとおり、シェールガス革命は米国のエネルギーコストを劇的に低下させたといわれます。
米国はこれまで主に天然ガスをパイプラインによって輸送していましたが、これからLNGによって積極的に輸出を拡大する様子。シェルのようなメジャーもこれに対応して推進していく流れのようです。

ところで、日本の貿易赤字は、東日本大震災と原発事故以来、化石燃料の輸入増大のため、急拡大していますね。
昨年の貿易赤字は約7兆円にものぼっています(時事通信の記事)。

以前紹介した黒木亮『エネルギー』にも描かれていますが、原発が停止するとLNG輸入が重要な役割を果たします。
もともとLNGは長期契約が締結され、取引価格は原油価格と連動するのが慣行ですが、原油高のためLNG輸入にも相当なコストがかかり、米国と比べて調達価格に大きな差が発生していました。
貿易赤字の急増の背景には、この高額なLNGの輸入増があるわけです。

冒頭に述べた米国のシェールガス輸出は、日本の貿易収支とエネルギーコストの改善に貢献する可能性があるものです。
もっとも、輸入ができるようになるのは2016年頃といわれている上、「北米産ガス、輸出価格駆け引き 欧米大手『石油連動で』 需要家けん制」(日経2月9日朝刊)という報道も出ているとおり、そう簡単に米国並の価格に移行できるものでもなく、どこまで期待できるかは難しいところがあるでしょう。

・・・
ところで、LNGといえばカタール。

天然ガスの輸出については、もちろんロシアが圧倒的なシェアを誇り、ガスプロムは業界最大手、ロシア経済はガス輸出のおかげで成り立つぐらいの重みがありますが、LNGの最大輸出国といえば、これはカタールなんですね。

上記のとおりLNGは日本のエネルギー確保において重要な位置を占めているわけですが、カタールは最大の輸入先の一つであり、特にこの数年で輸出量は急増しています

カタールは湾岸諸国の中で比較的マイナーな小国のイメージがあるかもしれませんが、なかなかユニークで面白いところです。

現首長であるハマドは、1995年に当時の首長だった父がスイスで保養している間にクーデターを起こし、権力を握りました。
このハマド首長がなかなかの個性派で、女性選挙権を認め、米国の大学の中東分校を誘致するなど、現代化の改革を推し進めます。
米国に接近してCENTCOM(中央軍)の司令部を作り、アルジャジーラも設立します。
外交面では、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国にとってイランは不倶戴天の敵ですが、このイランにも接近するような独特の動きをします。
そして、経済面では、上記のとおり、LNGを基盤とするエネルギー巨人に国を変えました(このへんの経緯は以前紹介したダニエル・ヤーギン『探求-エネルギーの世紀』に詳しく描かれている)。

日本にとってカタールからのLNG輸入は死活的な重要性をもっています。
イランの核問題からホルムズ海峡が封鎖されれば、カタールからの輸入が途絶え、大きな影響が及ぶことになります。こういう意味でイランの問題は日本にとって他人事とはいえない切実な問題といえるわけです。

カタールの最大のエネルギー資産はノース・フィールドという海上ガス田ですが、これは海を隔ててイランと分け合っています。イランとの微妙な関係はこのガス田の隣接も影響しているのかもしれません。

カタール、サウジアラビア、UAE、バーレーン、オマーン、クウェートという湾岸諸国は、いずれも湾岸協力会議(General Cooperation Council, GCC)という機構に属しており、GCC諸国といわれることもあります(イエメンは加盟申請中)。
地域の大国であるサウジアラビア、一大投資地域であるUAEばかりに目が行きがちですが、ここで述べたカタールのように、いずれの国々も個性があって面白いです。これからこのHPでも紹介していくと思いますが、なんとなく注意してみると良いと思います。

・・・
最近読んだ本。

■ 島田虔次 『朱子学と陽明学』
吉川幸次郎や宮崎市定が指摘するように、中国の思想には抽象的思考や体系的整理が弱いという性質があった。現実世界の利益・快楽を肯定し(キリスト教の原罪やインド仏教の四門出遊、五官の快楽の否定と対照的)、即物的・具体的感覚を重視する中国人の特性の現れともいえる。
中国の支配的思想であった三教(儒教・道教・仏教)の中で、特に理論が弱いのは儒教だった。その中で、例外的に西欧哲学にも比肩する理論体系を作り上げたのが朱子学である。
魏晋南北朝から唐代にかけて、道教と仏教の隆盛に押され圧倒的劣勢にあった儒教は、宋代になって再興を果たす。朱子学はこの時代の宋学の完成型といえる。
朱子学の高度な主知主義・理論性・宇宙論はその後の東アジア地域、特に日本と朝鮮に大きなインパクトを与えた(社会秩序構築に「礼」が有用だったためでもあるが)。朱熹は中国史上最高の哲学者といわれ、西欧においても評価される数少ない中国の思想家の一人とされる。
もっとも、朱子学の理論の多くは仏教から移植されたものだった。『唯識』の記事で紹介した仏教の精緻な「論」部の知的成果が活用されたわけである。一方で、加地伸行『儒教とは何か』でも説明されているように、仏教もまた儒教から強い影響を受けていた。ライバル同士が争う中で、お互いの思想のいいとこ取りをするという現象が生じたのだろう。
この本は、程頤・朱熹の性即理(客観唯心論)、陸象山・王陽明の心即理(主観唯心論)、張横渠の気の哲学(唯物論)という中国思想の三つの流れ(と現代への継承)を説明した上で、儒教界の反逆児・李卓吾の童心説を紹介する。仏教が李卓吾に与えた影響とともに、清末の龔自珍、康有為、譚嗣同、章炳麟と仏学との関係が指摘されるのが興味深い。
加地伸行『儒教とは何か』は、中国人の思想と儒教の意義(宗教性(魂・魄と祖先崇拝による死の克服)と礼教性)と歴史的発展、朱子学の革新性を明快に説明している。道教・仏教との思想的闘争、仏教の輪廻転生の中国化(祖先崇拝との融合、盂蘭盆会)など、儒教を超えて中国全体の思想史を眺めることができる。
中国文化史の中での宋学の位置づけを知るなら小島毅『中国思想と宗教の奔流』、宮崎市定『宋と元』。『礼記』中の一篇を『大学』として表章し「四書」の一つとして構成したのは朱熹の功績(その中の「格物」の解釈をめぐる王陽明との対立に主知/倫理、分析/直感といった両者の根本的な違いが現れる)だが、宇野哲人『大学』は朱熹の大学章句をベースにしているので、あわせて読むのに適当。

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