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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



 
グレート・バリア・リーフでのダイビング

遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

昨年はびっくりするぐらい更新が滞りました。
半年以上も書かなかったのは初めてですね。
実はこのブログ、2014年11月に10周年を迎えていたのですが、そんなおいしいネタを取り上げることすらできず、本当に恥ずかしい限りです。
Facebookの更新も少なくて、ふだん会わない方からは、やじゅんは大丈夫か?と心配されました。

とにかくこの1年は忙しすぎました。
ある意味充実していたともいえますが、じっくり考えるヒマがなく、まして思考のアウトプットをする余裕はまったくなかったのは、不本意なことでした。

今年は、いろんなことにチャレンジしながら、好きなインプットとアウトプットができそうなので、がんばりたいと思います。
おそらく、このブログの更新頻度も劇的に向上するはずです(たぶん)。ご期待ください。

忙しい中で、11月には1週間休暇をとり、豪州のグレート・バリア・リーフでダイビング・クルーズをしました。
やはり海外に行くとリフレッシュできます。
今年は仕事でもプライベートでも、このような機会をもっと増やしたいものです。

この数年の間、色々なことに取り組んできましたが、今年は、その集大成ができる予感がしています。
勝負の年と考えて、全力で進んでいきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。

・・・という堅い話から脱線すると、昨年末に最終回を迎えた米国のTVドラマ『ブレイキング・バッド』。
まだシーズン1しか見ていませんが、噂にたがわぬ面白さですね。
しがない化学の高校教師が家族に財産を残すためにドラッグを製造(cook)し、闇の帝王にのし上がっていくというストーリーですが、その作品としてのクオリティの高さはさておき、この作品を見ると、日本ではなかなか見ることのできない米国の南部(舞台はニューメキシコ州のアルバカーキ)の風景、生活、文化をリアルに感じることができます。このブログでも何度か書いてきたとおり、米国の内陸部は、多くの日本人が米国の主要部分と信じている両岸部とはまったく異なる世界であり、それでいて米国の心臓ともいえる部分です。こういう優れた作品を通じて米国の風景に接することも、意義のある体験だと思います。

それと、正月には映画『インターステラー』を見ました。
昨年見た『ゼロ・グラビティ』のような壮大な映像作品かと思いきや、さすがクリストファー・ノーラン、良い意味で期待を裏切りまくる映画です。
冒頭の主人公がインド製のドローンを追跡する場面から、一息もつかせぬ怒涛の展開が始まります。ええ〜っと驚き、ラスト30分ぐらいまではひたすら重苦しい気分が続きます。しかし、そこはさすがノーラン、最後の逆転に次ぐ逆転によって(ある程度読めますが)、カタルシスに満ちたエンディングを迎えます。
他のノーラン作品と同じで、万人に受けるタイプの映画ではないかもしれませんが、芸術性とエンターテイメント性を最高のレベルで達成した作品と思います。個人的には、同監督をメジャーにした『メメント』を超える衝撃には達していませんでしたが、ぜひ見て欲しい作品と思います。

・・・
最近読んだ本。

■ トマ・ピケティ 『21世紀の資本』
資本と所得、格差という視点から19世紀以来の経済と21世紀の展望、格差是正のための処方箋までを描いた世界的ベストセラーの翻訳。
資本収益率が経済成長率を上回るとき格差が拡大するという結論(+解決策としてのグローバルな資本課税)はすでによく知られているが、個人的に面白さを感じたのは、経済データに依拠した歴史の解釈。
19世紀以降の税金・富の膨大なデータから社会の動きを読み解く手法は、ブローデルブロック、フェーヴルらアナル学派のアプローチを想起させる。著者自身も、自分が尊敬するのはソローやクズネッツではなく、フランス歴史学・社会学の泰斗であると述べている。
「科学」を標榜して高度な数学を駆使した純理論に傾倒する現代経済学を批判し、手持ちの統計データ(ここで現代のテクノロジーが生きる)から現実を解釈するアプローチは、(データの誤りの指摘を含む批判も多かったが)以前紹介したラインハート、ロゴフ『国家は破綻する』に通じるものであり、強く共感する(フランスでは、経済学者は他の社会科学に比べて学術的にも知的にも尊敬されていないという指摘も興味深い。)。
著者は、経済学が他の社会学より優れた「科学」と賞賛されるのを嫌い、「経済科学」ではなく「政治経済学」と称することを好んでいる。自分も、米国に留学したとき何を学んだかと聞かれると「政治経済学」と答えていたので、この記述を見つけたときは(身勝手な解釈ではあるが)嬉しかった。
個別の内容についていえば、経済成長よりも資本と所得の関係に着目して経済の発展を見るところ(資本主義の第一・第二基本法則、マルクス理論の欠陥、低成長と貯蓄率)、第二次大戦後の欧州と英米の対照的な経済成長が人為的(欧州の戦争と栄光の30年における公的政策、米国の新保守主義)ではなく自然現象であったこと、欧州と米国における外国資本の役割の対比、公的資本が民間資本に転化したことによる資本の蓄積、ケンブリッジ資本論争の整理と新古典派とケインジアン両方の問題点の指摘(第一次大戦以前のデータ検証不足)等の個々の記述も興味深い。将来の展望と政策論も読み応えがあるが、自分の場合、歴史好きの性か無責任な性格故か、過去の観察と分析、評論の部分の方に惹き付けられてしまう。

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沖縄の糸満で見たマダラトビエイ

だいぶあいてしまいました。油断するとあっという間に更新が滞りますね。
とにかくこの一ヶ月は忙しすぎました。正直、ブログのことを考える余裕はゼロでした。
忙しいのは今もあまり変わらないのですが、まあ連休になったので少しは勢いが止まったかな、という感じです。休日になればとりあえず仕事が増えないので(そうとも言い切れないですが・・・)、休みをつかって何とかキャッチアップという感じです。そんなわけで、せっかくのゴールデンウィークもどこにも行けませんでした。去年の記事を見ると、ロタ島とか行ってたんですよね・・・今は昔という趣です。まあ、仕事が沢山できるのはいいことなのですが、こんな状態を続けられる気はしないので、考えないといかんですね。

写真は忙しくなる前、3月に沖縄に行ったとき、糸満のトライアングルというポイントで撮ったものです。少数精鋭のベテランダイバー(1000〜1500本クラス)しか行けないレアポイントでしたが、ラッキーにも便乗できました。夏になったらダイビングくらいはしたいものですね。

あと、最近は、頭が疲れることが多いので、現実逃避的にドラマや漫画に流れました。
とりあえず「ごちそうさん」と「失恋ショコラティエ」は良かったですね。「失恋ショコラティエ」からは、マツジュンつながりで、今さらながら「花より男子」を見ました。これもものすごく良かったですね。感動のあまり、原作漫画も一気読みしました。これも素晴らしい。道明寺と花沢類最高。何度も読んで泣いています。心が弱っているのでしょうか(笑)。

さて、オバマ大統領の訪日。
オバマ大統領の実務的性格が、日本側の工夫にかみ合わなかったというか、せっかくの大事な国賓が活用しきれなかった感じでしたね。共同声明をTPP閣僚協議の後に回すとか、このえげつなさ、まさに仕事の鬼ですね。まあでも想定の範囲内というか、こんなものかな、というところなんでしょうね。
ちなみに、私はNational Public Radio (NPR)という米国のラジオ放送をよく聞くのですが、先日クイズ番組を聴いてたら、突然オバマ訪日の話が出ました。ここで司会が話し始めたのが、米国大統領の訪日といえば、日本人がすぐに思い浮かべるのは、ジョージHブッシュ(父親)が訪日したとき、日本の首相の前で嘔吐したことだ、日本人はそれ以来、嘔吐することを「ブッシュる」というんだ、だから日本の首相が米国大統領に会うときはタキシードなど着ないで和服の室内着を着るんだ、ということで、聴衆はバカウケしていました。「ブッシュる」・・・そんなの聞いたことないですが、ほんとに言うのか?誰が言ったんだろう?てか、ブッシュ(父)訪日なんて普通の人はおぼえてないだろう、誰がこんなマニアックなネタを・・・などと色々疑問が頭をよぎりました。司会も視聴者も日本とはまったく縁のない人たちです。こういうとき、米国人との認識のギャップを感じたりして、面白いですね。とりあえず、「ブッシュる」は日本に縁のない米国人にもウケるということが分かったので、どこかで使ってみたいと思いました。

・・・
最近読んだ本。

■ 伊藤聡 『神道とは何か 神と仏の日本史』
日本の「カミ」とは何なのか。
「無宗教」とも言われる日本人の「宗教」観は、自然との融和を求める感性(というナイーブな、実は仏教的な言説)、融通無碍(丸山真男のいう「無構造」)、現世利益、政治性(国家主義のイデオロギー)など様々な要素が複雑に絡むが、その理解の鍵となる「カミ」という概念を、神道の歴史を実証的に描くことで整理・提示する。思想を軸としながら分野を横断する日本史が姿を現す。
1 古代:「神道」の語自体は日本書紀に見られるが、その意味は「神祇(カミ)信仰」とは異なるものであり、古代において在来神(くにつかみ)信仰は仏教や漢神信仰と質的な差はなかった(神道が古代から一貫して存在するという言説は、日本書紀の「惟神(かんながら)」の語を利用して国学者が創造したフィクション)。古代における最大の呪術宗教は仏教であったが、神祇令による祭祀(呪術による共同体統治)が律令国家において整備される中で(「天孫」(皇祖神=天照大神、現人神)、「神国」の独自性による王権の正当化)、神仏習合という古代思想の中核が誕生し(神身離脱、神宮寺、法楽、山岳信仰と密教)、本地垂迹説の成立に至る(八幡神(もう一つの皇祖神(応神天皇)、大自在天、シヴァ神)をはじめとする神と菩薩の一体化(アマテラス=観世音菩薩からの大日如来(密教の隆盛、「大日本国」国家主義につながる)、スサノオ=牛頭天王)、同時に仏の神に対する優位の確立)。芸術(神像、示現・陰向)や陰陽道・修験道に与えた影響(天台・真言の基盤)も紹介される。
2 中世:仏教による鎮護国家(王法仏法相衣論)、本地垂迹思想の発展を通じ、伊勢神宮が、神仏隔離の独自性も維持しながら、神祇の頂点と仏法の聖地としての地位を獲得する(橘諸兄、行基、重源の参宮)。本地垂迹の三国世界観(天竺・震旦・本朝)は、粟散辺土観に代表される自己卑下的な「神国」思想を導くが(辺境にある「小国」の日本には「神」が必要)、その後、「本朝」の優位性の強調から日本の優越性を説く「神国」思想に転化し(決定的契機は元寇)、密教化した「神国」思想に帰結する(神道書、両部神道(真言系、伊勢神宮の内宮(アマテラス・胎蔵界)・外宮(トヨウケヒメ・金剛界))、山王神道(天台系)、伊勢神道などの神道諸流))。
中世神道は、「中世日本紀」(信西、卜部兼方、一条兼良、太平記)の影響を受けながら、心神一体観(ちはやぶる、仏・神(垂迹)・人(受胎)の一体的把握、近世神道の源泉)など独特の世界観を発展させ、新たな中世神話(大日印文・第六天魔王の国土創世神話=伊勢神宮の仏教忌避の由来譚)、朝鮮蔑視思想としての神功皇后説話、人神信仰(御霊信仰(御霊会、祇園祭)、モノノケ)を生む。家康が東照大権現として祀られたのは、もともと吉田神道の崇伝らが明神として久能山に葬る予定だったものを、山王神道の天海が逆転して日光山に祀った結果(豊国大明神として祀られた秀吉が吉田神道式であったことも影響)。インド系天部の毘沙門天、大黒天、摩利支天、歓喜天、第六天(魔王、仏教障碍)、朝鮮系の神の土着化、ニュータイプの習合神(蔵王権現、牛頭天王(祇園))も整理される。
3 近世:「唯一神道」たる吉田神道が、吉田兼倶の権謀術数もあって時の権力と結びつき、支配的地位を確立する。吉田神道は祭祀の対象を皇祖神(伊勢神宮)から大元尊神という抽象的存在に転回させ、これが国学の「天道」観念を生む。「天道」は、王権の正当性を超越する論理を必要とした武家に用いられる。文化的には、五山禅林、心学に影響を与える。儒家神道(林羅山)、吉川神道、垂加神道(山崎闇斎)、伊勢神道もこの流れで説明され、陽明学、古学、国学に至る。本居宣長のイデオロギー性は平田篤胤に継承され、国学の宗教化と近代国家神道(明治国家)に帰結する。近世に起こる廃仏論は儒学、国学から提起される。
末木文美士『日本宗教史』は、宗教・精神の歴史という同様の切り口から政治・文化を含む通史を俯瞰する。神道部分は本書と立場が近く良い補完になる上、仏教、儒教、キリスト教、近代宗教の記述も厚い。
神仏習合を掘り下げるなら、美江彰夫『神仏習合』。応用編としてのキリスト教とケルト・ゲルマン信仰、インド(仏教とヒンドゥー教)、中国(三教)との対比も面白い。著者の美江教授の授業は大学時代に受講したが、その頃の授業の様子も出てくる。
小林秀雄『本居宣長』、丸山真男「歴史意識の古層」(『忠誠と反逆』所収)といった古典も、この流れを意識してあらためて読むとまた違う味わいがある。以前紹介した角川文庫ソフィアの『仏教の思想』シリーズ(全12巻)も、関連部分をあわせて読めば理解が深まる。

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ウクライナで危機的状況が続いています。
ウクライナの状況は、2月にデモが過激化して以来、米メディアでは毎日トップ扱いで、これに対してロシアがどのような措置をとるかは、親ロシアのヤヌコビッチ政権が危機的状況に陥ったときから注視されていました。
ウクライナの首都キエフはロシア人(当時ルーシ人)にとって生誕の地であり、ロシアにとっては精神的に特別の意味をもつ地です。特に東部(クリミア半島、オデッサなど)は、現在においても、住民投票を見ても分かるとおり、ロシア人の地域といっても良い状況にあります(ウクライナ出身のフルシチョフがプレゼントした地であり、そもそもクリミア・ハン国というイスラム圏だったという複雑な背景もある。)。クリミア半島は、不凍港(セヴァストポリ)を獲得できる意味で、ロシア帝国の時代からの悲願である歴史的な経済的利益を有しています。プーチンのユーラシア経済圏形成政策の要となる地域でもあります。さらに、安全保障上も、NATO(ポーランド、ルーマニア)と接することを回避する緩衝地帯として重要な意味を持っています。
このように、ロシアにとっては、精神的・経済的・戦略的に死活的利益のある地域であり、ウクライナのクーデターが起こってからは、ここまで大胆な措置をとるのかという驚きはありましたが、何らかの介入が行われること自体は予測されていました。

ロシアの武力介入は、国際社会において容認しがたいものであることは当然ではありますが、とりわけ米国については、まず中央アジアにおけるロシアの勢力拡大を許容できないという戦略的・長期的観点があります。米ロの間では、かつての冷戦時におけるような直接衝突の危険はありませんが、米国にとってロシアは、戦略的観点から、今なお最大の脅威であり、その勢力拡大には極めて敏感に反応します。中央アジアは、後述しますが、欧米とロシアとの間で揺れる国々が多く存在します。また、短期的には、シリア問題への対応でロシアに対する苛立ちが高まっていたこともあるのでしょう。
EUについては、その態度には温度差があり、フィンランド、ポーランド、チェコといったかつてロシアに侵攻された国々が最強硬派となっています。実際のところ、これらの国々も含め、欧州は、ウクライナを経由するロシアからのエネルギーに依存していますから、強い対応をとりたくはないのが本音でしょうが、ギリギリの選択を続けているという状況でしょう。(特に欧州の中では、ドイツがロシアに最も影響力を行使できるプレイヤーとして期待されています。たとえば、このPBSのプログラムでは、ドイツは、メルケルとプーチンの人的関係は最悪ではあるが(メルケルはプーチンがKGBにいた頃の東独出身、プーチンはメルケルの犬嫌いを知りながら会談に犬を連れてプレッシャーを与えたことがある。)、仲介者として最も適切な地位にあると指摘しています。)

ここで日本がどう対応するかは難問です。
ロシアはアジア傾斜の戦略をとっており、プーチン自身の個性もあって、日ロ関係は良好に推移し、領土問題も進展する可能性すら示唆されるほどです。ロシアとの関係に比べればウクライナの帰趨は日本の国益には大きく影響するものではなく、また前記のとおりロシアの対応にはそれなりの背景がありますから、欧米のようにロシアに強硬な措置をとることは、できれば避けたいというのが本音です。
とはいえ、分離併合を許容するというのは無理な話ですし、何より、米国と共同歩調を合わせることは何をおいても優先せざるを得ません。ソチG8サミットへの対応という喫緊の課題もあり、頭の痛い状況にあります。
一方で、チャレンジであると同時に、チャンスでもあるとみることもできます。日本が存在感を示す絶好の機会とも言えるからです。ミャンマーやイランの状況とも似ていますが、今回のケースは、日本がアジア重視のロシアにとって無視できず、もしかしたら仲介を期待される存在にもなることが重要です。日本がこういう風に影響力と期待を受ける局面はそう多くはないので、良い仕事ができることを願います。
ポイントは、ロシアのメンツが立つ妥協点を見つけてあげることでしょう。分割併合で欧米を納得させるのは困難なので、沿ドニエストル共和国、南オセチア、アブハジアのように、事実上ロシア支配を黙認する独立地域にするというところでしょうか。しかし、最近の動きの速さを見ていると、ロシアの突っ走りがどこまでも先行して、抜き差しならぬ状況に至るおそれがあります。できるだけ早く着地点を見いだす努力が欧米(と日本)に求められます。

・・・
さて、中央アジアですが、これまで何度か触れてきたとおり、この地域は非常にホットです。
19世紀末から20世紀初めの中央アジアは、ロシアと英独仏が壮絶な勢力争いを繰り広げた地であり、「グレート・ゲーム」と言われました。前の記事でも言及しましたが、その有様はピーター・ホップカークの名著『ザ・グレート・ゲーム』で描かれています。現代の中央アジアにおいても、欧米とロシアという大国間でのパワーゲームが展開されており、新たなグレート・ゲームといえる様相を呈しています。

グルジアではバラ革命(2003)、ウクライナではオレンジ革命(2004)、キルギスではチューリップ革命(2005)がありましたが、多くの国において、独裁者ともいえる強力な指導者が長く政権を維持しており、これらの国々が欧米とロシアとの間でどのような外交路線をとっているかは注目に値します。

旧ソ連圏という歴史もあり、カザフスタン(ナザルバエフ)、タジキスタン(ラフモン)のように、多くの国がロシアとの関係を重視していますが、一方で、グルジア(シェワルナゼ、サアカシュヴィリ)のように、強い反ロシア・親欧米路線をとる国もあります。南オセチア、アブハジアをめぐっては武力衝突があり、ロシアは、今回のウクライナのようにグルジアの一部の領土を事実上奪取しました。
キルギス(アカエフ→バキエフ→アタンバエフ)とウズベキスタン(カリモフ)は、一時は基地を提供するほど親米でしたが、色の革命後はロシアに接近。
アゼルバイジャン(アリエフ)は、独立数年後に独裁者となったアリエフの手腕により、後述のエネルギーの力もあって、早々にロシアからの自立を確保、独自外交を展開。
トルクメニスタン(ニヤゾフ→ベルディムハメドフ)は、「トルクメンバシ」(トルクメン人の長)と称する前大統領のニヤゾフの強烈な個性により、「中央アジアの北朝鮮」と言われるほどの独自性があり、基本的には中立路線をとっています。

中央アジアを見る上で重要な視点となるのは言うまでもなくエネルギーです。
20世紀初めに世界第1位の石油生産地となったバクー油田を擁するアゼルバイジャン。バクーは今日に至るまでカスピ海最大の要衝であり、2006年にはロシアを経由しない世界最大規模のBTC(バクー・トビリシ・ジェイハン)パイプラインが完成しました。
カザフスタンは、90年代にテクノロジーが発展するまで待たなければいけませんでしたが、テンギス、カシャガン油田の開発に成功し、世界的産油国になりました。
トルクメニスタンとウズベキスタンも石油と天然ガスが豊富ですが、欧米メジャーの進出が未発達であり、上記の国々ほどのインパクトはまだありません。
エネルギーをめぐる状況に関しては、ダニエル・ヤーギン『探求−エネルギーの世紀』、中央アジアの歴史を知る上では、モンゴル・中国からの視点が強いですが、岡田英弘『世界史の誕生』も参考になります。

これだけ面白い地域であり、世界遺産など歴史的な見所も多いところですが、実はまだ訪れたことがありません。出張のチャンスを逃したこともありました。世界中の主要な地域に行っているのですが、ロシア圏はちょっと弱いのです。何とか近いうちにウズベキスタン、トルクメニスタンあたりに行ってみたいものです。

・・・
最近読んだ本。

■ 黒田勝弘 『韓国 反日感情の正体』
以前、「「韓流」ブームと日韓関係の将来」「戦後60周年」という記事を書いたとき、コメント欄が大ブレイクしてとても楽しかったのだが(皮肉ではなく本心から)、本書はこのとき自分が表現したかったことを明快に説明してくれている。知識人と大衆の目線の違い、軍事政権と文民政権の対比、中韓の反日の対比、韓国の「普通の国」化などの切り口は、以前から自分も意識していた着眼点でもあり、最近のエピソード中心のため体系だった記述ではないが、本邦随一の韓国ウォッチャーならではの説得力を感じさせる。(軍部・知識人・財界の関係との関係・経緯を俯瞰するには、 池東旭『韓国の族閥・軍閥・財閥』が便利。)
著者は、中学生の頃からコラムなどの文章に接していたこともあり、外務省に入って一年目に韓国人青年の招聘プログラムを担当したとき最初に対談相手として呼びたいと考えた人だった。(ソウル在住のためかなわなかった。代わりに当時『北朝鮮データブック』などを参考にしていたこともあり、重村智計氏に来てもらった。これはこれでまあ良かった。)ちなみにこのプログラムでは、日本文化経験と称して青年たちを母校の空手部に連れていったとき、練習が熱を帯びてテコンドー対空手の組手が始まり、現役部員が回し蹴りを浴びせて韓国人青年を流血させてしまった(この空気を読めない後輩は翌年外務省に入り、北朝鮮を担当した(笑)。)。そのあと福岡まで一緒に行って無茶苦茶に飲んだりして、不測の事態も多かったが、韓国人の熱情を身をもって体感することができ、なかなか得がたい経験であった。

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例によって時機を逸した話になりますが(苦笑)、先月、イスラエルのアリエル・シャロン元首相が亡くなりましたね。
シャロンは、第2次、第3次、第4次の中東戦争において伝説的な活躍をみせ、稀代の名指揮官と讃えられた軍人でした。

ご存じの方も多いと思いますが、イスラエルの政治家は、そのほとんどが軍人出身です。
現首相のネタニヤフは特殊部隊出身。ブラック・セプテンバーによるテルアビブでのハイジャック事件(1972年)を、これまた後に首相となったエフード・バラクの指揮の下、制圧しています。また、ネタニヤフの弟もまた特殊部隊に所属しており、エンテベ空港での人質救出事件(1976年)を指揮し、名誉の戦死を遂げた英雄です。
エフード・バラクは、ブラック・セプテンバーによるミュンヘン・オリンピック事件への報復作戦に従事し、自ら女装して奇襲を成功させたことでも有名です。この報復作戦はアカデミー賞映画『ミュンヘン』の題材となったのでご存じの方も多いかと思いますが、映画ではこの女装の場面もしっかり描かれます。
メナハム・ベギンは、首相在任時、エジプトとの平和条約(キャンプ・デービッド合意)の締結という歴史的功績を残していますが、イスラエル建国前には最も尖鋭的だった武装組織イルグンを率いたゲリラ戦士でした。その暴力性と強い個性ゆえに、タカ派の少数政党を率い続け、ときには同胞との殺し合いもいとわず、強烈な批判に晒されたレバノンへのガリラヤ平和作戦や攻撃的な発言を数多く行ったこともよく知られています。

これら輝かしい軍功を誇る軍人たちの中でも、シャロンの存在感は抜きんでており、軍神と讃えられた隻眼の将軍モシェ・ダヤン、ノーベル平和賞受賞後に暗殺された首相イツハク・ラビンと並び、戦うイスラエルの象徴といえる人物でした。

旅行記(前編)(後編)を含め、これまでも何度か触れてきましたが、イスラエルは、色々な意味で強烈な国です。
建国以来、文字どおり常在戦場、生存をかけて闘ってきた歴史、英知を尽くして発展した経済と技術。上記のとおり凄まじい経験を経てきたリーダーの知力、精神力、人間力。それを支える優秀にして強い信念をもつ国民。その圧倒的な存在感は世界において追随を許さないものがあります。
村上龍は、『五分後の世界』で、架空の世界で戦闘国家となった日本を魅力的に描きましたが、この戦闘国家のモデルはおそらくイスラエルではないかと思います。目的をもって生きる人間、そういった人間たちの結束は美しいものです。それが自生的・後天的に生まれるものではなく、国家や歴史から与えられることは肯定するのが難しい面がありますが、この国のリーダーや政治外交の状況をみて日本の政治をながめると、その次元の低さ、貧困さに呆れることがあり、複雑な気分になります(同時に、『半島を出よ』を見ると、北朝鮮のイメージも投影されているような印象を受けます。特殊部隊をはじめとする実戦に参加する戦士に限られる話ですが。)。

いずれにしても、イスラエルという国は、接点を感じない人も多いと思いますが、世界全体を眺めるならば、イランと並んで、その一挙一動から目を離すことのできない最重要国の一つと思います。

・・・
話はぜんぜん変わりますが、フィリップ・シーモア・ホフマンの突然の訃報。これは、当日朝一番にNPRで聞いたのですが、驚かされました。
まがまがしい役が多いですが、とにかく鮮烈な印象を残す名優でした。個人的には『ハピネス』(トッド・ソロンズ)の異常な演技が忘れがたいです。『アメリカン・ビューティー』のように現代アメリカの普通の人々の生活の裏にある闇を曝く映画ですが、とにかく、ここまでやっていいの?という程に振り切れた描写が、おぞましくもある一方で、逆に何か晴れやかな気分にもさせる(させないか(笑))不思議な作品です。

・・・
最近読んだ本。

■ 若杉冽 『原発ホワイトアウト』
現役官僚が書いたという原発再稼働をテーマにした疑似ノンフィクション小説。
モデルとなった実在の人物が容易に分かるところは、イメージを得る上で便利。再稼働に向けた強引な手法の描写は迫力があり、告発本と言われるのもうなずける。ただ、事実関係についてはそれほど目新しい点はない。官邸や各省庁の動き、業界の政界やメディアに対するアプローチの描写は、馴染みのない人には興味深く読めるかもしれない。
現役官僚が書いたノンフィクション風小説で思い出すのは榊東行『三本の矢』。役所一年目に読んだ。インサイダーらしく官庁の内部作業の描写がオタク的に詳しく、国会作業の雑用などに追われる下っ端官僚の熱い共感を呼んだ。しかしそれ以外の部分は見所が少ないというか、ツッコミどころも多く、エンタメ性はなんか頑張ってる感じという趣。本書の読後感も(村上龍的な最後の展開を含め)これに近い。

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セブ島でのダイビング(ジンベイザメとギンガメアジ・トルネード)

遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
年末年始はセブ島で過ごしました。
ダイビングでは、ジンベエザメ、ギンガメアジ・トルネード(2年前に粟国島で見て以来)など大物を見ることができ、カウントダウンはシャングリラホテルで迎えました。こう書くと派手に聞こえるかもしれませんが、泊まったのはド田舎の安宿のようなところで、実態はバックパッカーに近かったです(笑)。


(こちらは粟国島で見たギンガメアジ・トルネード)

昨年は色々なことに挑戦することができましたが、一方で、まだまだ不十分、己の未熟さを思い知らされる一年でもありました。
今年は飛躍の一年にしたいものです。やりたいことだけは沢山あるので、とにかく気合を入れて目一杯やりたいと思います。

・・・
こちらも遅れた話題になりますが、安部総理の靖国参拝。
米国の「disappointed」という反応ですが、言葉の意味をあれこれ詮索する必要はないと思います。要するに、米国としては賛成しないというメッセージを伝えるのが趣旨で、それに尽きるものでしょう。
これが日米間の大きな問題になるとは思いませんが、一方で、少なくともこの10年間くらいの日米関係において、これほどストレートな表現のパブリック・ステートメントは見た記憶がありません。日米ほど実務者間に成熟したチャンネルが維持された関係であれば、この手の対外的な発表においては、非常に緻密な事前の配慮と(必要に応じ)すり合わせが行われるのが通常ですが、この表現は関係者にとっても結構驚きだったのではないかと思います。
たとえばアーミテージやマイケル・グリーンが政権にいた頃であれば、こういうメッセージの内容や伝え方にはならなかったような気がするんですよね。ケネディ大使着任は華々しくクローズアップされましたが、現政権の東アジアチームとの付き合いは、やはり一筋縄ではいかないということかもしれません。

ちなみに、靖国参拝は百田尚樹氏が安部総理に進言していたそうですね。
映画『永遠のゼロ』、安倍総理は年末にご覧になっていたようですが、私も年始に見ました。
以前の記事にも書いたとおり、原作は、既知の素材でおおむね尽きる内容ではあったものの、構成の巧みさと胸を打つ文章の数々が強い印象を残す作品でした。映画は、この原作の魅力を最大限に引き出していたと思います。戦闘描写の臨場感、岡田准一の精悍さ、ラストシーンの残酷な美しさが心に刺さります。
それにしても、こういう戦争の真っ只中の生を描く作品は、昔からいくつもの作品があって、それほど珍しいものではなかったと思うのですが、こうして最近の作品として見ると、不思議に新鮮に感じられるというか、物語感が強くなった気がしますね。映画の中でも、三浦春馬が若い人たちに戦争の認識のギャップを説く場面がありました。自分としても、たとえば零戦や艦船にある表記がすべて漢字とカタカナで統一されている映像を見たとき、世界で戦う技術を自前で作り上げたことの凄さ、そこに至る血の滲むような努力と誇りに対して、何も目新しいことでもないのに、不思議と遠い世界を見たような気持ちになりました(村上龍の『五分後の世界』などで描かれた日本人の誇りと美しさも思い出されます。)。これが歴史になっていくということなのでしょうか。
また、戦争賛美とか右傾化を反映しているといった指摘もあるそうですが、原作・映画ともに、そういう印象は受けなかったですけどね。繰り返しになりますが、この程度の雄々しさやロマンを扱う映画は昔からありました。むしろ、現代的に抑えられているというか、『硫黄島の手紙』(以前の記事)ぐらいドライな描写であったように思います。日本の文化や誇り、祖国を守ろうとした尊い気持ちは、特攻も含めて、もっと素直に受け入れても良いと思うのですが。

ゼロの映画と言えば(強引ですが(笑))、映画『ゼロ・グラビティ』。
これも凄い映画でしたね。人間の作り出す映像もとうとうここまで来たのか・・・と衝撃を受けました。
これはもう見て下さいという他ない作品ですが、ちょっと面白かったのは、ヒューストンのオペレーターがエド・ハリス。『ライトスタッフ』(ジョン・グレン)と『アポロ13』(ジーン・クランツ)の勇姿がよみがえります。ま、この映画では声だけなんですが。これ以外に登場する俳優はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだけ。とにかくひたすら宇宙の力押し。まあ、今まで見たことのないようなとんでもない作品でしたね。

・・・
最近読んだ本。

■ ニック・レーン 『生命の跳躍』
生物進化に革命的影響を与えた10の発明(invention)として、「生命の誕生」、「DNA」、「光合成」、「複雑な細胞」、「有性生殖」、「運動」、「視覚」、「温血性」、「意識」、「死」を取り上げながら、進化の歴史を描いてみせる壮大な作品。
いずれのトピックも数冊の専門書を凝縮したかのような密度で最先端の知的成果を詰め込んでいる。通俗的な科学書にありがちな結論の単なる提示にはとどまらず、論争となっているポイントを真正面からとらえて深掘りする。最先端過ぎて結論が出ておらず、そのまま書いておしまい、という部分すら多々ある(現時点の科学ではここまでしか分からない、ということが確認できる。)。
「生命の起源」の説明(最後の共通祖先(LUCA)とクレブス回路)から「DNA」の生成に続くが、通俗的な科学書で語られるレベルのDNAの説明(ワトソンとクリックからゲノムプロジェクトまで)を軽く通り越して、さらに先にある聖域であるコードの解読に突き進む。「光合成」と酸素は、前著『生と死の自然史 進化を統べる酸素』、「複雑な細胞」(真核生物)は、前著『ミトコンドリアが進化を決めた』の内容を凝縮した観。「有性生殖」では、異性とのセックスのもつ神秘(コストの大きさ)という刺激的な問題提起とその回答の試みがなされる。「運動」では筋収縮のメカニズムがこれほど現代的な課題であったのかと驚かされる。「視覚」では眼の発明がカンブリア爆発を生むほどの大きな意義があったこと、「温血性」では温血動物の利点がスタミナ(有酸素能力)にあることが説明される。「意識」は、チャーマーズ、デネット、ラマチャンドラン、ダマシオ、オリバー・サックスらの著作や以前紹介したハンフリー『ソウルダスト』を読んだ人にとってはなじみ深いクオリアや意識のハード・プロブレムが掘り下げられる。「死」においては、死の存在理由が体細胞の生殖細胞への隷属にあるという仮説に唸らされる(前著で紹介済みではあるが。)。サーチュイン遺伝子とカロリー制限との関係やフリーラジカル老化説も、メカニズムを含めて詳しく解説される。
高度な内容を限られた分量に詰め込んでいるため、基本的知識の説明は容赦なく省略されているが、その分読み応えは抜群。論旨は正確で明快なので、上記著者の他の著作や『キャンベル生物学』『ケイン生物学』といった基本書、フォーティ『生命40億年全史』などを参照しつつ読むと良い。 

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もう12月なんですね。
このところ割合暖かい日が続いていましたが、今日一日の寒かったこと。月日の流れの速さに驚きます。
私自身にとっては結構色んなことがあって、それなりに感慨深い一年でした。
100%満足できたとは言えませんが、とりあえずやるべきと思っていたことは大体できて、おおむね良い一年だったのではないかと思います。もっとも本当に良い一年だったと言えるかは、来年、再来年の努力にかかっているところもあるでしょう。頑張らないといけません。

さて、マンデラ元大統領が亡くなりましたね。
マンデラについては、以前、映画「インビクタス」について書いたとき触れましたが、ここまで国内外問わず高い評価を得て、生涯にわたりその評価を汚さなかったというリーダーはなかなかいなかったと思います。ご冥福をお祈りします。

そして、西武の堤清二氏も亡くなりましたね。
現代日本の消費生活の実現を象徴した西武王国も、証券虚偽記載、堤氏の逮捕、サーベラスとの騒動など厳しい局面が続いて、時代の変遷を感じさせます。
そんな西武の歴史に思いを馳せるのに便利な名著は猪瀬直樹『ミカドの肖像』ですね。いまや都知事にまで上り詰めた猪瀬氏の出世作。高校生のときに読みましたが、これだけのノンフィクションをどうやったら書けるのだろうと、当時よく読んでいた立花隆の作品とともに感銘を受けたものでした。

最近の大きなニュースではイラン核開発問題の合意。
何度もこのHPで述べてきましたが、米国にとって最大の外交問題の一つはイランです。米国にいると、世界の重心がこの地域にあり、アジアはあくまで周縁に過ぎないことを実感させられます。その地域の中で比類なき存在感を誇るイランをめぐる交渉は、EU+3(米中ロ)で取り扱われる問題であり、日本が入り込む余地はありませんが、まさに世界全体を揺るがすインパクトを与える出来事であり、今後の展開は要注目です。

最後に、だいぶ遅れてしまいましたが日本シリーズ。
私は、田中が一回負けて、最後にリリーフで出てくるという展開を予想しており、周りの友人に吹聴していました。
昔の日本シリーズは、1983年の巨人の西本とか、2戦、5戦で完投し、6戦でリリーフ、7戦で先発ということもありましたからね。
最後の美馬−則本−田中のリレーは、1994年の斎藤−槇原−桑田のリレーを思い出しました。相変わらず懐古趣味です。

・・・
最近読んだ本。

■ エドワード・O・ウィルソン 『人類はどこから来て、どこへ行くのか』
「生物多様性(biodiversity)」という、今や国際条約の主題にもなった共有の概念を生み出した知の巨人の最新著作。
『社会生物学』『人間の本性について』『知の挑戦』といった過去の著作と同様に、生物学にとどまらず、社会心理学、脳科学、文化人類学、歴史学など、人類をめぐる学問の成果を総動員して、人類の進化と本質という壮大なテーマに挑戦する。
人類の進化については、生物学的進化(脳、手、歩行)から社会進化(「真社会性」(世代の重なり、分業、利他的行動、グループ化)の獲得、文明の誕生)までを、遺伝子、脳、言語、(自身の専門である)アリとの対比を用いて語る。人間の本性とは何かという問いに対しては、遺伝的進化と文化的進化の共進化というアプローチで回答を試みる(乳糖耐性、近親相姦、色の語彙)。これらの理論を固めた上で、言語の起源(スキナー、チョムスキー、ピンカーの議論も俯瞰)、道徳と名誉(ヘーゲルやホネットの承認の欲求を想起させる)、宗教(同族意識)、芸術(biophilia)という各論(社会学的・人文学的なテーマ)に適用する。
知の統合に興味がある人なら読んで損はない。ただ、『知の挑戦』を読んだときほどの興奮や感動はなかった。文章は『知の挑戦』より簡素で説明も分かりやすいが、その分重厚さはなくなり、物足りなさが残る。真社会性、遺伝子と文化の共進という基本理論はすでに前著で説明がされており、新しい発見はない。各論の問題設定は刺激的だが、論旨は単純化し過ぎな印象。解説ではハミルトン則への批判等の理論的欠陥も明らかにされている。
なお、主著の一つである『生命の多様性』は、「生物多様性」を世界に知らしめた古典だが、印象に残るのはその取り上げる自然の例と詩のような文章の美しさ。人文学的知性への著者の思いはここにも感じられる。

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パールハーバー

だいぶ時間が経ってしまいましたが、9月にハワイに行きました。
これまで70か国近くを訪問しましたが、ハワイは初めて。いつでも行けるという安心感とリゾートは何となく後回しというスタンスから、ずっと行く機会がなかったのですね。でも、周りの人はみんな良いと言うし、『深夜特急』を書いてバックパッカーの象徴的存在となった沢木耕太郎も一番好きなのはハワイと公言するエッセイ(あえて裏をかくという意図もあったのかもしれませんが・・・)を読んだりして、興味はありました。

沖縄に住んで以来ダイビングを趣味とするようになったのが今回の旅行のきっかけでした。
もともとはエジプトの紅海でダイブする予定を組んでいたのですが、クーデターを見てキャンセルし、急遽変更したという経緯です。

実際行ってみるとなかなか良かったですね。
ダイビングは、ハワイ島でナイトダイブでマンタを見るというのがハイライトだったのですが、それ以外でも、イルカ、ゴンドウクジラ、ネムリブカ、カメ、Corsairという大戦中に沈んだ米軍の戦闘機など色々なものを見れました。


マンタ


イルカ


F4U Corsair

また、パールハーバーは非常に印象深い場所でした。戦艦ミズーリ、アリゾナなどとともに日本軍の人間魚雷「回天」の展示を見ました。



スミソニアン博物館で人間爆弾「桜花」が「Baka Bomb」と言われて展示されていたのを思い出します。

こんな風に日本の特攻兵器が米国で展示されるのを見ると、胸が詰まりますね。
前回の記事で、映画『風立ちぬ』に言及した際、最近は零戦のことを知らない人も多いということを書きましたが、零戦、回天、桜花などを見て、特攻を含め、極限の状況の中で命を散らした人々に思いを馳せ、言葉を失うという感覚は、いつまでも忘れず、大事にしたいものと個人的には思います。

・・・
ところで、先日、山崎豊子氏が亡くなりましたが、同氏は、まさにこうした忘れてはいけない現代史を凄まじい筆力で描き出した稀代の作家だったと思います。
山崎氏の作品は、主要作品はほとんど読みましたが、文学作品として一番好きなのは『大地の子』です。激動の時代を伝える迫力だけでなく、主人公、その家族、友人など人間の描写が本当に素晴らしい。「大地の子」という言葉の美しさも心を震わせます。 NHKドラマも、上川隆也、仲代達也の名演もあり、非常に優れた映像化作品でした。
脚色はもちろんあるとはいえ、限りなくノンフィクションに近い迫真の魅力を感じさせる作品として抜群の完成度を誇るのが『不毛地帯』。これも2回もドラマ化されましたが、山本薩夫監督(1976年)の映画が一番好きですね。ライバルの鮫島(日商岩井の海部八郎がモデル)を田宮二郎が演じますが、これが『白い巨塔』の財前、『華麗なる一族』の美馬と同様に鮮烈な印象を残します。
現代の政治経済社会を対象とする小説の書き手は、今の時代こそ以前の記事でも紹介した黒木亮を含め何人も挙げられますが、今なお古典といえる作品を書いた人は、松本清張、城山三郎、山崎豊子と思います。私などが今さら言うまでもないことですが、骨太な社会経済小説のまさに先駆者といえるでしょう。

・・・
最近読んだ本。

■ エルヴィン・シュレーディンガー 『生命とは何か』
ワトソンとクリックの分子構造模型の創造より10年も前に分子生物学の世界像を提示したといわれる古典。
シュレーディンガーは自身の専門である量子力学の成果(分子、非周期性、遺伝子、エントロピー)を駆使して生命の定義(遺伝子の永続性・安定性)に挑む。
一つの鍵となるのは自然界の量子的構造(非連続性)と決定論的世界観との関係の理解だが、この点について、量子力学の発展を含め問題の背景を知るには、ポアンカレの科学思想を紹介した以前の記事でも引用した『世界の名著・現代の科学2』所収の湯川秀樹の解説が良い。
マトゥラーナらの他の古典的理論や最新の議論と対比して相対的に眺めるなら今年出たクリストフ・マラテール『生命起源論の科学哲学』。この本では生命の「リスト形式による定義」のうち「代謝的、熱力学的、エネルギー的な定義」の代表例として紹介されている。

■ クリストフ・マラテール 『生命起源論の科学哲学 − 創発か、還元的説明か』
創発論と還元論という古くからの論争を現代フランスの科学哲学が捌く。
あくまで(科学)哲学の本なので、生物学的な論考を期待すると面食らうかもしれないが(むしろ『キャンベル生物学』『ケイン生物学』の序論の方がしっくりくるだろう。)、その徹底的な理屈の掘り下げ(生命の起源、創発の概念の実用主義性・批判)は、ヘンペルやファン・フラーセンの議論になじみのある人なら興味深く読めるだろう。
創発の切り口からの科学史の描写(量子化学、分子生物学、前生物的化学、心の哲学、論理実証主義批判、システム科学・複雑系)、シュレーディンガーの『生命とは何か』(リスト形式による生命の定義)やマトゥラーナ、ヴァレラ『オートポイエーシス』(モデル形式による生命の定義)等の古典と最新の議論の対比・引用は、頭の整理にも役立つ。
フランスの科学哲学というのもフランスの分析哲学を知ったときの驚きと似て新鮮。

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東京五輪が決定されましたね。
まだ先の話とはいえ、これだけのビッグイベントが身の周りで起こるのは自分の人生では初のこと。どんな風景が見えるのでしょうか。
最近仕事をしていると、海外の日本への関心の薄さ、日本の特徴、強さを武器に生かすことの難しさを感じます。客観的に受け入れざるを得ない現実という面もありますが、パーセプションにおいて不当に損をしている部分もあると思いますから、そんな感覚を打ち払って復活するようなきっかけになると良いですね。

日本の強さといえば(相変わらず強引な流れ(笑))、ちょっと前に映画『風立ちぬ』を見ました。
従来のジブリ作品と違ってファンタジー色はほとんどなく、戸惑う方もいたかもしれませんが、私的には結構良かったです。もうちょっと零戦の描写を見たかったところですが、そこをあえて描かずに余韻を残すのが美学なのでしょう。
そういえば『永遠のゼロ』も映画化されるとのこと。原作は『大空のサムライ』などで描かれた既知の題材なので新鮮さはなかったですが、心をえぐるような文章の数々が印象に残っています。
それにしても、最近周りの若い人たちと話して驚いたのは、「零戦」をまったく知らないという人たちが結構いるということ。例によってジジくさい物言いですが(笑)ちょっとさびしかったですね。あの凄さと痛ましさを知らなければ、『風立ちぬ』を見ても、職人的な仕事への情熱と純愛の話としか見えないのではないでしょうか。
宮崎駿についてはちょうど引退の発表がありましたね。末尾の「最近読んだ本」でも取り上げてみました。

・・・
さて、本題ですが、3ヶ月くらい前(6月19日)に経済産業省から「消費インテリジェンスに関する懇談会報告書」という報告書が発表されました。

脱デフレのための政策を提言したものですが、その中で挙げられた一つに、メーカーによる流通業者の価格指定を容認することがあります。

メーカーが販売価格を指定することは、1991年に独占禁止法の運用指針(流通取引慣行ガイドライン)が制定されて以来、独占禁止法に反するとされてきました。
それから現在に至るまで、この世界では常識とされてきた価格指定の違法性にこの提言は真っ向から反するもので、なかなかインパクトのある話です。

そもそも流通取引慣行ガイドラインが制定された背景には、80年代の日米貿易摩擦問題がありました。
当時、米国は、日本市場が閉鎖的である理由として、日本の流通がメーカーに支配されていることを挙げ、日本の流通慣行の改善を要求していたわけですが、流通取引慣行ガイドラインは、このような問題を扱う日米構造協議を経た後の1991年に制定されたものでした。

しかし、流通取引慣行ガイドラインの制定後20年以上が経過し、メーカーと流通業者との関係は大きく変わりました。
流通の国際化を背景にした大規模小売店や多店舗を展開するチェーン型小売業者、特にイオンやヤマダ電機のようにかつてなく大規模な売上と圧倒的な市場シェアを有する流通事業者の出現、それにインターネット通販が登場したことにより、市場の支配力を握る者はメーカーから流通業者に移行したと言われます。
また、メーカーによる価格指定は、新製品の開発へのインセンティブを提供し、メーカーと流通との協力を通じたブランド価値の創造にもつながり得ることも指摘されています。
さらに、報告書は、近年、欧米においては、メーカー優位の市場構造を前提とした制度から、流通優位の市場構造に対応した制度への変更が行われているところ、欧米における規制の緩和と比較すると、日本の規制は過剰であり、消費市場を活性化する上で最適な競争環境を提供しているとは言い難い、特にデフレ脱出を目指す現在においては不適切と考えられると述べています。

こうした認識に立って、報告書は、メーカーによる価格指定を違法とするのではなく、基本的には容認すべきであると説いています。

これに対して、公正取引委員会は、メーカーによる価格指定は、欧米においても厳しく規制されており、容認されているとは認識していないと述べ、流通取引慣行ガイドラインの見直しを実現することは現時点において考えていない旨明言しました(6月26日付事務総長記者会見)。経済産業省の提言を実現する可能性を否定したわけです。

このように、経済産業省と公正取引委員会の見解は一致しておらず、独占禁止法の運用をめぐる今後の動向が注目されています。

個人的に興味深く感じるのは、今回の提言が脱デフレの文脈で出てきたところですね。
物価の上昇を至上命題とするアベノミクスにとって、販売店のrace to the bottomの様相を呈する価格競争は大きな障害となるでしょう。また、価格の維持はメーカーと販売店の両方にとってメリットがあり、割を食うのは消費者という構図がありましたが、アベノミクスとブランド価値創造という理論により、消費者の利益にもかなうものであり、3者winwinの関係を作るという説明が可能になりました。これは、法のみならず経済学、ビジネス(イノベーション)も絡み合うところであり、刺激的な議論です。
そして、今回提言したのが(官邸の意をくんだ)経産省であり、それに伝統的立場から公取委が反対するという点も、独禁法が政治に左右される世界でもあり、単なる法律論を超えて風向きを見極める必要があるものを示すもので、興味深いポイントです。法と経済の高度に専門的な議論、ときとしてそれを吹き飛ばすインパクトのある政治が密接に入り組んでいて、マニアックではありますが、個人的には注目してみたいトピックです。

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最近読んだ本

■ 堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿 『時代の風音』
『風立ちぬ』を最後に引退を発表した宮崎駿。
その彼が20年も前に座談会の司会というめずらしい仕事を務めたときの記録をまとめた本。
宮崎は堀田義衛と司馬遼太郎の対談を仕切る役割を担うが、2人の知識人の個性を存分に発揮させ、さらに、この2人に負けじ劣らず自身の思考を大胆に開陳する。話題は国家、ヨーロッパ、イスラムからアニメ、料理、堀辰雄に及ぶ。知性を自在に解放した野放図な雑談は、林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』の躍動を思い出させる。
これを読めば、宮崎駿が直観と感性に頼る芸術家の域にとどまる人間ではなく、高度の教養と論理を備えた知識人・思想家であることが分かる。その混沌と逆説に満ちた思想・世界観(以前書いた記事その1その2)が最も尖鋭に圧倒的な形で現れた作品は『風の谷のナウシカ』だろう。この本の中で断片的ながら現れる本音の部分は、その世界を読み解くヒントにもなる。

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ハンマーヘッドシャークの大群@神子元島

昨日、伊豆でダイビングをしてきました。
ダイビングの経験本数は90本になりましたが、沖縄を別とすれば実はこれが初の国内ダイビング。
与那国島に匹敵するハンマーの群れがこんな近場で見られるとは。与那国島とはまた趣の異なる迫力がありましたね。

・・・
さて、だいぶ前から書く書くと言いながら延び延びになっていた米国についてのお話です。

順調な回復を続ける米国経済。
シェールガスという強力な武器を手にして、経済指標は堅調を継続しています。
懸念されていたSequestration(連邦予算の強制削減)の影響も、予想されていたとおり、限定的なものにとどまりました。
アベノミクスとは対照的にQE(金融緩和)の縮小すら取り沙汰されるほどです。
このままいけば米国の経済は当面安泰、リーマン前の状態を超えて発展を続ける可能性も大いにあります。
このへんの詳細はぐっちーさんの著書メルマガに譲りましょう(宣伝(笑))。

政治(内政)についてみると、前の記事で、オバマ大統領が大統領就任演説で、同性愛、銃規制、社会福祉といった問題に大胆に切り込んだことを書きましたが、その後、同性婚(最高裁判決)、銃規制(強化法)、移民政策(移民法改正)の分野において、すでに大きな前進を遂げています。

ところで、こうしたオバマの発言や政策は、多くの日本人にとって、特に不自然ではなく、親しみやすく感じられるものと思います。当たり前のことを言っているとすら感じられるかもしれません。これは、おそらく多くの日本人の感覚が米国における穏健なリベラル(中道左派)に近いものだからと思われます。

しかし、このHPで何度も述べてきたことですが、米国においてこれらの問題は、国論を二分する極めてセンシティブなイシューとなります。
米国の保守思想は、日本人にはなじみが薄いものですが、歴史的な蓄積と風土に支えられた強固なものであり、これらの問題に対する抵抗は(穏健な保守派の中でさえ)すさまじいものがあります。それは多くの日本人の想像を超えるものです。

このような背景の中で、問題を正面から取り上げ、しかも就任演説のような場で争点化するオバマの行為は、本当に勇気を必要とするものです。
仮にこれを計算なく思いつきでやっていたとしたら、それこそ鳩山総理なみに物笑いの種、単なる無謀に終わり、不毛で無残な結果を残すだけのものになります。
しかし、さすがはオバマ、そんな甘い人ではなかったわけですね。まだまだ前途は多難とはいえ、レガシー作りどころか批判にさらされレームダック化する傾向が強かったこれまでの米政権と比較すると、その意欲的な姿勢と実現力には驚かされます。特に、前述の同性愛、銃規制、移民に関する前進は歴史的なものであるとすら評価されています。

一方で、外交についていえば、内向きであることがしばしば指摘されています。
中東(中東和平、シリア、イラン)、アジア(北朝鮮、中国)、いずれにおいても、どちらかといえば慎重というか消極的な姿勢が目につきますね。
以前の記事で紹介した『オバマの戦争』からも感じられたところですが、オバマは、外交と安全保障については、経験不足もあり、割と他人任せというか、自分自身のこだわりやリーダーシップを発揮する傾向が弱い印象を受けます。
良い面悪い面ありますが、その機能主義、合理的な性格が、現在の米国の内向きな姿勢に投影されているようにも感じられます。

まあ、そんなわけで、米国は経済は好調、政治的にもある程度の安定と前進を見せており、前途に不安を感じさせる欧州や中国と比べれば、はるかに大きな期待を抱かせる状況にあります。踏み込んでいえば、ふたたび米国の黄金時代がやってくるといえるかもしれません。

そんな力強さを増していく米国に対して日本はどう向きあっていくのか。
政治・外交安保では、これまで通りやるということに尽き、ほぼ解は出ているのでしょうが、ビジネスについていえば、新興国と同じかそれ以上に見過ごせないマーケットとなるのでしょう。それも、ハイエンドの製品の販売や高い技術力を使った生産など、新興国とは異なるアプローチで収益を上げることが期待されるわけで、ある意味で日本企業にとっては単なる人口の多さや労働集約に頼るものではなく、未来を開くような新しいモデルが求められ、実現していく地域・分野のように思われます。
M&Aにしても、販売店などではなくて、それこそアップルなどのように、高い技術をもっているところを丸ごと買って新しいビジネスにつなげるようなアグレッシブなアプローチも求められるのでしょう。

ところで、「アメリカの時代」といえば、思い出されるのは、18世紀以降の米国外交を描いた古典的名著、ウォルター・ラフィーバーの『アメリカの時代』ですね。
もう古くなってしまった本ですが、レーガン時代の気運の高まりを「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と名付けた章で書くところなどオシャレだなと思った記憶があります。

・・・
最近読んだ本。

■ ブロニスワフ・マリノフスキ 『西太平洋の遠洋航海者』 『性・家族・社会』 『呪術・科学・宗教・神話』 『マリノフスキー日記』
文化人類学の礎を築いた巨人マリノフスキの論文集。
処女作『西太平洋の遠洋航海者』では有名なクラの交易が論じられる。贈与経済の古典的成果であり、モースの『贈与論』とともにジャレッド・ダイヤモンド『昨日までの世界』でも何度も言及される。ダイヤモンドの著作に関心のある人には、そのアプローチの淵源を見る素材としても勧められる。
『性・家族・社会』からは、デュルケームの社会学(歴史主義・進化主義批判)と師フレイザーの神話学・宗教学(特に『金枝篇』)からの継承、そしてレヴィ=ストロースに代表されるその後の人類学・構造主義への貢献をみることができる。その近代的な調査手法と体系的考察は、博物館研究を社会学に変えたといわれるが(トロブリアンド諸島での日々などを含む『マリノフスキー日記』からは、現地調査の精緻化をみることができる。)、婚前の性交渉の豊富な事例など、読み物としても面白く、レッドフィールドも『呪術・科学・宗教・神話』 で書いているとおり、科学より芸術の彩りを感じさせるロマン主義的な記述もある。
『呪術・科学・宗教・神話』 は、タイラー、フレイザー、マレット、デュルケームの宗教論を整理した上で、フレイザーが展開した宗教・科学論、トーテミズム、多産と豊穣崇拝に対して独自の解釈を加えている。
いずれも古い作品だが、家族から親族という考察対象の発展、数学に基礎をおく機能主義、大陸(中欧)型の人文主義的知性とアングロサクソン型の科学的知性との比較など、今読んでも楽しめる。

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ときどきびっくりする言葉を耳にしますね。
例によってなんのこっちゃという始まり方ですが、世代やちょっとした時間の流れで、色んな言葉が生まれては消えていきますよね。今日はそのへんの話をします。

私は、別件があって人の誘いを断るときに「ベッケンバウアーです。」とオシャレに返すのが好きなのですが、これは結構古いというか、死語の部類に属しますよね。ベッケンバウアー自体が70年代のサッカー選手ですし。
まあ、そんなことも承知しながら、あえて自分より若い人に使うわけです。
そうすると、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)・・・『24』のことですか?」
「それはジャック・バウアー」
「哲学者でしたっけ?」
「それはショーペンハウアー」
などというお約束のやりとりになり、オヤジ扱いされて終わるわけです。

ところが、先日朝に情報番組を見ていたら、何でもいまは「ギャル喫茶」なるものが流行っていて、たぶん「メイド喫茶」「執事喫茶」からの流れを組むのだろうと推測しますが、それはどうでもいいとして、そこでは壁に「ギャル語」なるリストが貼ってあるそうです。
その中に、なんと「ベッケンバウアー」があったのですよ
これ、死語とかオヤジギャグとか言われたけど、めぐりめぐって最先端にきてるやん!と軽く興奮。その勢いのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。俺は旧人類ではなくてむしろ最先端にいたんだと。

まあとにかく、この「ギャル喫茶」に出ている「ギャル語」がなかなか興味深い。中でも個人的にインパクトがあったのは、「超レシーブ」でしたね。これはなかなかうまいと思いました。さっそくそのまま友達にメール(正確にいえばLINE)しましたね。そしてしばらく「超レシーブゥ!」というメッセージをしばらくの間お互いに送りつけ合いましたよ。意味ですか?「レシーブ」を直訳してみてください。

話はまだ終わりません。この言葉を知った翌日に、たまたま20代の女性と話す機会があったのです。さっそく得意げに、「ベッケンバウアー」「超レシーブ」を使ってみました。知っているだろうと思って。そしたら、
「・・・?(何を言っているのだろう?この人は?)」
・・・あれ?なんかいつもおなじみのリアクション?
それどころか、そもそも「レシーブ」の意味も分からない人もいたりして、逆に軽いカルチャーショックでした。

じゃあ何が流行っているのか?と聞いてみると、今一番流行っている言葉は、なんでも怒ったときに「ぷんぷん丸」「ムカ着火ファイアー」「カムッチャッカインフェルノ」などというのだそうです。ソースとしてこんなツイッターのサイトを見せられました。
これは私の方が、
「???」「なんだそれ??」
となる番でしたね。

いや、私は、若い人たちが使う日本語は乱れているとか、そんな風にくさす考えをもったことは一度もなくて、むしろ、「チョベリバ」とか「ホワイトキック」とか、こういう造語はよくできていると思うというか、その発想と語感のセンスにはそれなりにリスペクトの念を抱いていたんですよ。「超レシーブ」にもこれに通じる感動がありました。
でも、「ぷんぷん丸」って・・・音の響きだけ?何のひねりもないというか・・・もはや幼児が話す片言の類ですよね。
あ、でもよく見たら、ムカ着火とかカムチャッカにかけているのか?もしかしたら、俺が気付かない、何か隠されたメッセージかリンケージがあるのか?でも、「レシーブ」すらピンと来ない人に、カムチャッカとか分かるのか?インフェルノなんて、イタリア語だけど、そんなに普及してたっけ?
・・・もう、どうでも良くなってきましたね。まあ、もちろん、最初からどうでもいい話なんですけどね

ここまでが、最近あった話として伝えたかったことなのですが、ただ、一つ社会的に興味深かった点を付け加えれば、若い人は思った以上にツイッターから情報を得ているんだな、ということです。
現代の若い人たちが日常的に情報の授受を行う場は、LINEとツイッターでほぼ尽きるようです。
これは意外と盲点というか、私ぐらいの年齢(30代半ば)以上の人たちには思った以上に理解されていない状況なのではないかと思います。

以前、ブログは便利だし、自分もこうして書ける場ができたのはありがたいけど、本に比べると文章が短くて、だんだん長いものが読まれなくなるんだろうなあと書いたことがありました。私が書くブログの文章すら一般標準から見たら相当長い方ですけど(だから読まれない(笑))、それでも伝統的な本や論文と比べたら短い。せいぜい随筆の類ですよね。
ところがツイッターはわずか140字。LINEに至ってはスタンプを使えば文字すら読み書きしません。そして若い人はもうこれだけで足りている。なんかもうどんどんコミュニケーションがシンプルというか記号のやりとりになってますね。
別にこれが一概に悪いというつもりもないです。長々と要点のないおしゃべりをするよりは、端的にポイントをつく表現にはなるでしょうし、スピードはずっと速くなりますよね。ただ、やっぱり思考の厚みは減るでしょう。色んな意味で現代的なんですね。
こんな言語とコミュニケーションの変化、ある意味、この後紹介する『昨日までの世界』の話でしょうか。強引か。

以上が、「ベッケンバウアー」に始まり、「ぷんぷん丸」に終わって思ったことでした。

前回の記事で、次回は米国について書く、とか言ってましたが、まさかこんな話がこんなに長くなるとは思わなかったので、また次に回します。
なんか、来る来る詐欺みたいになってますが。
まあ、もともとこんな感じでふざけたくだけたHPだったので、よくあることですから、昔から読んで下さっている方には特に違和感ないかもしれませんね。
とりあえず今週一週間がんばりましょう!(として強引に締めくくり。笑)

・・・
最近読んだ本。

■ ジャレド・ダイアモンド 『昨日までの世界』
『銃・病原菌・鉄』以前の記事にも書いたが、この本のタイトルの元ネタは、アルフレッド・クロスビーの『Germs, Seeds & Animals(病原菌・種子・動物)』。)、『文明崩壊』に続く、進化生物学者が語る文明論。
伝統的社会と現代社会との比較という主題を「空間の分割」、「紛争」、「子どもと高齢者」、「危険とそれに対する反応」、「宗教」、「言語」、「健康」という切り口から論じる。
「空間の分割」では、交易の記述において、おなじみの贈与と返礼について述べられるが、ここは文化人類学の金字塔モース『贈与論』、マリノフスキ『西太平洋の航海者』を思い出しながら読みたい。
「紛争解決」では、現代の司法システムについての記述が厚いが、ここは聞き慣れた法社会学の議論に文明論の風味を加えただけで目新しい発見なし。
「高齢者」では、伝統的社会と比較しての米国における高齢者の地位の低さ、食と性のタブーが高齢者を有利にするための規範という指摘が新鮮。以前にマリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(通称ATT)について書いたときに現代アフリカの政治慣習としてのgerontocracyに言及したが、その具体例も多く挙げられる。
「宗教」では、デュルケーム、ギアーツ、フレイザー、パーソンズ、ティリヒなどなじみ深い碩学の論が次々に紹介され、手軽な頭の整理になる。宗教の役割の歴史的変化と定義の説明は巧妙。
「健康」で述べられる西洋の食料史と高血圧・糖尿病は自分にとってなじみのなかった分野で、良い導入になった。
テーマごとに独立しているのでとっつきはよいが、反面、構築性の高かった前二作の骨太さは薄れた印象。

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