夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

ライブラリー行き  読書とわたし

2009-11-18 19:23:45 | Weblog

   まさに読書の秋、ジャンルは何であれ、本が傍にあるだけで、満足
  なわたしです。読書好きにしてくれたのは家族(母、姉)や先生(特に
  中学)でした。

  小学生の頃(伊勢市ー昔は宇治山田)戦時中でしたが、父は神宮
  勤めですから、あまり家にはいませんが、母は内職(和裁)の傍ら
  よく本を読んでいました。日本のものでは、鶴見祐輔や菊池寛、久米
  正男、小島政次郎などの大衆物、外国文学ではモッパサンの「女の
  一生」、パールバックの「母」「大地」、デュマ・フィスの「椿姫」など
  読んでいました。
 ー父は専ら講談物、歴史物

   雑誌も「婦人倶楽部」や「主婦の友」などあり、しっかりと付録が付い
   ていました。

   多分わたしの兄達が旧制中学校の頃買った本だったのでしょう。
  二人の兄は20歳近くも離れていましたから成人で、それぞれ農林省(
  東京) 、満鉄病院(旧満州ー今は中国)にと出ていました。

   二人とも理系でしたが、昔の学生は文学書もしっかり読んだそう
  でした。

  また姉は女学生でしたから、夢多き頃、友だちに借りたりして、読ん
  でいました。傍にいてわたしは、それを内緒で読むのでした。結構
  ませな少女でした。先生達に「君はその本はもう少し早いぞ!」
 
と言われたこともありました。

    
中学生の頃最も多く読んだでしょうか。学校の図書館はもちろん、
 先生からも「これを読んでみよ。」と勧められては日本文学・外国文学
 など解らないながらも読みました。山本有三、島崎藤村。夏目漱石、
 森鴎外、芥川龍之介など純文学作品でした。

  スタンダールの「赤と黒」大デュマの「岩窟王」トルストイの「復活」
 等は多分高校生だったと思います。どうしても難しくて読めなかった
 のが、ドストエフスキーの「罪と罰」「カラマゾフの兄弟」、カミユの
 「異邦人」でした。  成人してから再挑戦しましたが・・・・

  読書も若く元気のあるうちでないと難解な本は無理なようです。
  時代もですが、テレビあり雑誌あり、遊びも様々で地味な読書は雨で
 も降らなければ、昼間はなかなかです。

  
 雑誌も、「婦人公論」は10年前位まで、何十年と書店から配達でし
    たが、内容の世代が変わり、今は「文藝 春秋」でしょうか。

  だんだんと読む本も限られ、いくら芥川賞作品でも若い人の書いた
  ものは理解しがたいことがあり、遠のきます。同年齢層、もしくは50
  歳代以上にと選んでしまいます

  時代を共有できる範囲においては思考もうなずける面があり、読み
 よいです。

  かたくなかも知れないですが、あまり疲れない程度の本を好きな
  時間だけ(主に夜)読むことにしています。 

  今週借りた本

  「年をとって、初めてわかること」  立川昭二 著  新潮社
 

     「なかなかいい生き方」        平岩弓枝 著   講談社

  「砂迷宮」                 内田康夫 著  実業之日本社
    
内灘基地闘争 ー50数年前 にまつわるサスペンス

  「風雪の檻」               藤沢周平 著  講談社文庫

     「日月めぐる」             諸田玲子  著  講談社

  「不滅の歌謡曲」           なかにし礼 著  NHK出版
    
ーこれだけは森先生からー
          誰もが口ずさむ流行歌は今後も生まれるだろうか。
     

  



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
読書好き (おけいはん)
2009-11-19 06:17:25
やっぱり純子さんが本が好きになったのは
周りの環境、家族ですね。

本は心の栄養だから教養豊かになりますね。

おけいはんは、そういう環境で育って
ないからあまり本を読んでいません。
そんな純子さんはうらやましいです。
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おけいはんへ (純子)
2009-11-19 07:46:12
ありがとう。テレビもゲームなどの無い時代あるのは本だけ、ラジオはあったけれど・・・
 周りに刺激されたのでしょう。伊勢の当時は父母たちも農業をしてませんから、
 しかし、終戦前は田舎に帰り、農作業の手伝い、本は雨降りとか、隠れて読んだり、授業中に机の下に隠して読んだりでした。
 わたしの世代は本好きの人が多いですよ。昭和一桁かな?
 子ども達にも読書は勧めましたね。
本があれば退屈しないですよ。
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