神が宿るところ

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秋葉山本宮秋葉神社

2012-02-11 21:28:40 | 神社
秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)。
場所:(上社)静岡県浜松市天竜区春野町領家841。国道152号線で天竜川を遡り、雲名橋から北東に向って約9km。駐車場有り。(下社)静岡県浜松市春野町領家328-1。上社の南、約3km(直線距離)。国道362号線から「秋葉オートキャンプ場」辺りで北西に曲がり、気田川をわたって直ぐ。駐車場有り。
創建時期には諸説あり、大宝元年(701年)あるいは養老2年(718年)に行基が(寺として)開基したともいうが、社伝によれば和銅2年(709年)に最初の社殿が造られたという。当神社は式内社ではないが、「日本三代実録」の貞観16年(874年)の条にある「岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)」に比定されているらしい。「保神」というのは「火の神」であるとされ、当時から防火の神と認識されていたとされる。現在の祭神は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。
江戸時代以前は神仏混淆で、当神社から山道を10分程下ったところにある「大登山 秋葉寺」とともに、「秋葉大権現」または「三尺坊大権現」といわれていた。平安時代(鎌倉時代または室町時代ともいう。)、信濃国出身で越後国の長岡蔵王権現堂で修行した「三尺坊」という修験者が不動三昧の法を修して、その満願により飛行自在の通力を得たことから、これを秋葉山の守護神としたとの伝承がある。不動明王も、天界の火生三昧という炎の世界に住んでいるとされることから、火難避けに御利益があると思われたのだろう。
こうして、「秋葉三尺坊大権現」は防火の神として各地に勧請され、「秋葉神社」が建立された。因みに、東京の「秋葉原」は、明治2年の大火の後に建立された「鎮火社」を、火難避けの神様だから「秋葉神社」だろうと誤解し、その周辺の火避地(延焼を防ぐ空地)を「秋葉様の原」と呼んだことによるのだという。
明治時代に入ると、長く神仏混淆だった「秋葉山三尺坊大権現」も、明治元年の神仏判然令(神仏分離令)及び明治5年の修験宗廃止令に加えて、寺内の対立等もあり、「秋葉寺」が廃寺になっただけでなく、いったん「秋葉社」も廃社とされた。しかし、火難避けの神様としての「秋葉様」を信仰する民衆の願いが強く、明治6年には仏教色を廃した「秋葉神社」として再建された。ところが、昭和18年には、大火により神門を除く上社の建物全てが焼失してしまう。現在の社殿等は昭和61年に再建されたものである。


静岡県神社庁のHPから(秋葉山本宮秋葉神社)

玄松子さんのHPから(秋葉山本宮秋葉神社 上社)

同(秋葉山本宮秋葉神 下社)


写真1:駐車場から少し上ったところにある「秋葉山本宮秋葉神社 上社」の立派な随神門。扁額は「正一位秋葉神社」。


写真2:社殿前の黄金色の鳥居。ここから見下ろす眺めは、実に素晴らしい。


写真3:秋葉山(標高866m)山頂付近にある社殿。


写真4:昭和18年の大火で唯一残った神門。天保2年(1831年)の建築とされ、旧春野町指定有形文化財。「秋葉寺」に向って下りていく山道の途中にある。扁額は「火防秋葉神社」。


写真5:「秋葉山本宮秋葉神社 下社」境内入口に社号標がある。


写真6:社殿。
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