備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム15.操山、八幡雄島宮、安住院(続)

2008-07-06 10:54:30 | Weblog
「八幡雄島宮」については、コラムでも既に書いているが、今住んでいるところの近くで何となく気になるので、しつこく書く。「岡山市史 第一」(昭和11年3月)を読んだりしてわかったことなど。
「瓶井山禅光寺安住院」は天平勝宝年間(749~756年)に報恩大師により建立された備前48ヶ寺の1つ。社伝等によれば、(本尊は千手観世音菩薩だが)鎮守として阿弥陀如来の化現である八幡大菩薩を勧請したとされる。ただし、寺の創建のときに神社も創建されたのかどうか。別の古伝によれば、当寺は「八幡雄島宮」の社地に創建されたという。小生は、以前書いたように、先に「八幡雄島宮」あるいはその前身(ひょっとしたら磐座とか)があり、そういう聖なる場所に寺が建立されたのだと思う。
現在は合祀されている小島神社(小島八幡)と八幡雄島宮のどちらが「岩清水八幡」の別宮だったのか、諸本をみても何となく混乱しているように思う。ただし、素直にみれば八幡雄島宮のほうであろうし、だからこそ西大寺観音院に伝わる神名帳西大寺本の筆頭に記されているのだろうと思う。
前出の「岡山市史」によれば、明治初年には「禅光寺」には安住院(本坊)のほか、塔頭子院が10坊あったといい、略図も掲載されている。それによれば、中門から入った正面、本堂の東に「八幡」の記載がある。現在、中門は竜宮造りの「鐘楼門」となっているが、その正面には今も「鎮守堂」がある(写真)。
ただし、現在の本堂は、寛政12年(1800年)に移築されたもの。かつては多宝塔に上って行く途中、「古観音」とよばれる場所(歴代住職の墓地が並ぶ辺り)にあったとされており、本堂の移転により「八幡」も移転したと思われる。

瓶井山禅光寺安住院のHP:http://www.anjuin.com/

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