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移転のおしらせ

ご訪問ありがとうございます。

僕が完全に帰国してから4か月が過ぎようとしています。
早いような、長かったような気がします。

ろくに更新もしないこのブログですが、
未だに何人もの方に見に来て頂いて、驚き、恐縮しています。

なんとか就職先も決まり、来春から社会人になります。
自分でも意外だと思っていますが、映像制作系の会社にお世話になります。
みなさんに見ていただけるものを作れるよう頑張ります。

仕事をするまでの繋ぎに新しいブログを作りました。
上海を離れてしまい、タイトルも合わなくなってしまったので。
特に大したこともしておらず、面白いことは書けませんが・・・

やっぱり関西だァ!

今後どのような道を歩むかわかりませんが、
しっかりと胸を張っていきたいなって思っています。
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全国大会結果

今年の7月末に行われた中国全国大会はベスト8に終わりました。
昨年に続き2度目です。

実は、僕はわけあって最終戦を観戦することしか出来ませんでした。
チームの指揮は中国人OBのジャン・ハオが執りました。

最後の半年は少し距離をおいてチームに接してきました。
それは自分なりの考えがあってのものでしたが、
良い選択ではありませんでした。

今年5月、僕がチームを離れ日本へ一時帰国している途中、
復旦大学野球部にとても悲しい事件が起きてしまいました。

5月の上海大会では4位に終わりました。
3位以上が全国大会へ出場出来るのですが、
今年は3位チームの出場辞退という形で全国大会に出場しました。

ベスト8という結果に終ったことに対し、
自分の力不足を痛感しています。
結果、チームに多くの迷惑をかけてしまいました。

長きに渡り応援していただいた方々に対し大変申し訳なく思っております。
今後はOBとしてチームに多少なりとも貢献したいと考えております。

また詳細は追って報告します。
最後になりましたが、
今までのご声援、本当にありがとうございました。


復旦棒球隊 教練 岡嶋
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中日新聞記事:07年2月28日

今年3月に行った、日本への遠征出発直前の記事です。
PDFで頂いたので直接ここへは貼れませんが以下、本文を転載します。


 ☆…中国の名門、復旦大学(上海)の硬式野球部が三月二日から、一週間の日本遠征に出発する。二〇〇七年は日中の「スポーツ交流年」。同野球部の監督を務める※※※※さん(23)=写真、奈良市出身=が立命館大学の協力を得て実現した。
 ☆…中国では〇二年からプロ野球が始まったが、市民の野球熱もレベルもまだ低い。復旦大には十年前に野球部ができ、昨年二月、立命館大学を休学して留学中の※※さんが監督に就任した。昨年夏の全国大会でベスト8に入る好成績を収めたが、水準は「弱小の高校野球レベル」(※※さん)という。
 ☆…今回の遠征は大学が飛行機代を一部負担するなど全面的に支援、立命館大も宿舎を無料で提供する。※※さんは「勝ち負けは二の次。日本のレベルを知ることで、選手たちにもっと上を目指してもらいたい」と話している。
(上海・※※※※※)

             2007年2月28日 中日新聞 より抜粋
                          以上。
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図書館の利用者数が増加しているらしい

先ほどニュースでやっていました。

最近、僕も週3ほど国会図書館に通っています。
なかなか良いんですよ。居心地が。
イスや机もいいものですし。
家から15分で行けますし。

勉強しやすいですよ。
カフェやそこらの喫茶店よりもイイ雰囲気です。
お金もかからないし。

そういえば、ニュースの通り利用者は結構多いなって思っていました。
僕らの世代は「活字離れ」しているって言われてたけど、
結構、本が好きな人って多くないですか??
僕の周りだけかな?

ちなみに去年、「新書」が好評で売上過去最高を計上したって記事をみたなぁ

週1回、国会図書館に行って雑誌をチェックするのが楽しみです。
「買う気は無いけどちょっと気になる」ってのをゆっくり読めるのが良いんです。

マンガは置いてないけどね。
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時間が経つのは早いもの・・

久しくご無沙汰しており、申し訳ありません。
お変わりなくお過ごしでしょうか。

時間が経つのは早いもので、以前に記事を書いてから半年が過ぎようとしています。
僕は今年7月末に中国を出国し、完全帰国しました。

この間、様々な出来事が目まぐるしく起こり、
その対処に追われるまま今日に至ってしまいました。

留学の総括もせねばなるまいと思いつつも、
うまく気持ちの整理をすることが出来ず、時間ばかりが過ぎてしまいました。

今年3月の日本遠征からの半年間は、
勉学、野球はもちろん、就職活動に加え、長年家を離れ目を背けていた問題が
一度に押し寄せてきてしまいました。

その都度その都度に厳しい決断を迫られる半年でありました。
今、振り返ってみても果たして正しい判断をしてきたのか、
答えを出すことが出来ません。

これから少しずつ出来事を整理し、書いていきたいと思っています。
ただ少し残念に思うことは、その時々の感情や思いを書くことが出来なかったことです。

感情をぶつけただけの文章など、見苦しいだけでしょうが、
やはり、当時の迷いや不安、感動などは今記そうとしても書けません。

既にお気づきかもしれませんが、
僕にとってこの場はただの情報発信の場ではなく、自省の場でありました。

なるべく、その時々の気持ちを大切にしよう
主観ありのままを書こうとしてきました。

それは自分のエゴですが、
そんな自分ワガママに付き合っていただいた方々に対し、
どのように感謝すれば良いのかわかりません。
ただ、もう少しだけお付き合いいただけたら幸いです。


ここ数日、急激に気温が下がって参りました。
くれぐれも体調にはお気をつけてお過ごしください。


では、また。
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最近の過ごし方

最近の生活の大半は本を読んで過ごしています。

中国で生活しているとなかなか日本の本が手に入りません。日本へ帰国する度に買い込んで上海に帰ります。

日本に居るといえ、大学の同期は卒業し働いています。持て余した時間は読書とドライブに・・・と、言っても原付バイクですが。以前は単なる移動手段でしたが、最近なかなか楽しいものだと気づきました。


日本に帰国して思ったことがあります。

それは情報が溢れているということ。

本屋にたくさんの本があるのは良いのだけれど、内容のない本も多い気がします。まず、読む本の選択に時間を費やさなくてはいけません。無料で多くの情報が手に入る昨今、お金を払うのだから質の良い深い情報を求めているのだけど。

テレビを見ていても、なんだかよくわかんないうちに1時間が経っています。僕はよく練られた物が好き。ドラマより映画が好き。小説より研究書の方が好き。ドラマも小説もよく練られた物はあるけれど。(たまに)

意味の無い“引き伸ばし”を感じると早送りをしたくなる。飛ばし読みをしたくなる。それが嫌い。でも、飛ばして見ても意味がわかる、それがいちばん嫌い。


日本の生活の方が時間が流れるのを早く感じるのは、情報の取捨選択に追われているからかも。・・・こんなことを考えながら時間を過ごしています。
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遠征記事:立命HP

立命館大学HPに先日の遠征の記事が載りました。
リンクしておきます。

立命館大学:Pick Up!
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『怒る』

知人の書いた文章に刺激され僕もちょっと書いてみたくなりました。
以下引用文。

『子供のころ、怒ると自分の中のなにかが破裂してすべてがめちゃくちゃになったものだった。(中略)怒らなくなってしまったのは自分の限界を知ったことであり、また簡単にあきらめてしまう癖をつけてしまったとも言える。全部なくなってしまえと思うほど強烈な怒りがなくなったのはいつのころからだろうか。』(引用終り)


西ドイツ初代連邦首相であったアデナウアーが米元大統領のアイゼンハウアーに言った言葉があります。

第一に、「人生というものは70歳にして初めてわかるものである。だからそれまでは、本当は人生について語る資格はない。」

第二に、「いくら年をとり老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大切だ。」

第三に、「“怒り”を持たなくてはならない。」

前二つは特別変わったものでもなく、わかりやすいものであると思います。ですが第三の言葉は少し奇異な感じがします。

一般に『怒る』『腹を立てる』ということは好ましくないこととされています。「大人な対応」と言われる行動は「あえて怒りを抑え、平穏に事をはこぶ」ことを指すことが多いと思います。ですが逆に、アデナウアーは「怒りを持て」と言いました。

この逸話を知ったときよく理解できませんでした。彼は第二次世界大戦に敗戦し、日本以上に荒廃したと言われる西ドイツを経済大国に復興再建させました。西ドイツは占領下においても、憲法の制定、教育改革も受け入れない確固たる自主独立の方針を貫きました。僕は漠然と『理不尽な外圧に対する“怒り”』と解釈しようとしました。これも一つの解釈だとは思いますが、自分自身どこかずっと違和感を感じていました。


文頭に戻ります。上記の引用文を読み、思いました。気づけは最後に本気で怒りをぶつけたのは何時だったか思い出せません。それは『おとな』になったということであり、『かしこく』なったと言えるかも知れません。ですが同時に、その『おとな』になるために様々な捨ててきた気がします。本当は『大人』になったのでも『賢く』なったのでもなく、『あきらめ』を拾ってきたのかも知れない、なんて思いました。もしかしたらアデナウアーもこんなことが言いたかったのかもって。「70過ぎても“怒り”を持ち、下手に“かしこく”なるな!」なんて。

…手元に資料もないし、推測と勝手な解釈にすぎないのですが。思ったことを書いてみました。どうでしょう?


リンク:<コンラート・アデナウアー『goo Wikipedia記事検索』
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振り返って

先日のチームとしての総括とは別に僕個人としての総括を行いたいと思います。
今回の件は僕自身にとっても大きな意味があったのは間違いありません。

実際に日本へ出発する2週間前あたりが一番重圧のあった時期でした。それ以前も“やるしかない”という前向きな気持ちと不安な気持ちが交互にやってきていました。結局、最終的には「開き直っていっぱい恥かいてこよう」と心に決めましたがそこに至るまでには少し時間がかかりました。

実際恥もかきましたが、思っていた以上に硬式野球部の方々には良くしていただきました。行く前の最大の不安要因は「なぜ硬式野球部さんが受け入れてくれたのか」でした。

春季リーグ戦の直前の大事な時期に一週間も外国からの学生を受け入れることは非常に煩わしいことだとはわかっていました。選手のレベルも非常に大きな差があり、メリットどころか先方にとってはデメリットが多すぎます。計画初期の段階、受け入れ団体を探すこと自体非常に難しいと考えていた時に硬式野球部さんが快諾してくれたことを聞き非常に驚きました。結局、実際に行き松岡監督とお話をするまで先方の気持ちを量ることができませんでした。

提案を快諾していただいたと聞いて、それを鵜呑みには出来ませんでした。総長にお話を通していただいたので「しかたなく」なのではないか、やはり「迷惑」だと思われているのではないか、という気持ちを捨て切れませんでした。また、日本の野球部には固有の「仕来り」「習慣」も多く困難が予想されました。

日本に着いたら先ず、先方の意図を知らなければならないと思いました。そして二人で話す機会で率直に監督にお聞きしました。その時、いただいたのは僕が思っていた答えとは全く違うものでした。

松岡監督がおっしゃっていたのは、
『私自身、学生時代にアメリカへ行ったことがありました。その時、(先方に)非常に良くしてもらい、得るものも大きかったし何より感動しました。今回お話をいただいたときに非常に良い機会だと思い、すぐ受け入れをきめました。』でした。

実際、練習時は試合を控えた時期にかなりの時間を割いて指導していただきました。やはり復旦大学の選手も、外国に行き直接指導していただいたことは心への残り方も違うと思います。きっと皆、一生の思い出になると思います。もしかしたら将来、今回の遠征参加メンバーの中に野球の指導者になる人がいるかもしれません。その時、今度は逆の立場になって同じことをする姿を想像すると楽しい気持ちになります。

また試合の時も気遣っていただきました。雨で流れた後、翌日にわざわざ時間を作っていただいたことは先日書きました。試合内容も特筆すべきことがあります。それはただ「打った、投げた、勝った」と言ったものではなく、盗塁やセフティーバント、ピックオフ(一種のトリックプレー)を駆使していただいたことです。

率直に言ってしまえば両チームの力の差は明白です。プロ野球選手をコンスタントに出すようなチームとは試合にはなりません。本来ならば、先方としては、来た球を打ち返すだけ、真っ直ぐを漠然と投げるだけで終わります。ランナーを刺すのに複雑なプレーはいらないし、ピッチャーも変化球は必要ありません。ですが、それでは復旦の選手としてはただ、「強かった。勝てない」で終わってしまいます。それをわざわざ様々な戦術を使っていただいたのは、「これが日本の野球だ」とのメッセージであったし、それはこちらの選手にもしっかりと伝わったと思います。

今計画の実行において、日中共に非常に多くの方のご助力をいただきました。公の場ですので名前を申し上げることは出来ませんが皆様の深いご理解と温かいご支援がなければ成し遂げることが出来なかったことは疑いありません。

今回の計画は自分自身の能力を大きく超えたものでした。結果、いろいろな人にご迷惑をお掛けしてしまいました。大きく風呂敷を広げたものの、収拾がつかないまま実行の日を迎えてしまいました。礼を欠くこともしてしまいました。この点は深く反省したいと思います。


今回のことは自分自身にとって一つの節目であったと思います。それは「これが終わったから次…」という意味ではありません。もちろん上海春大会・中国全国大会には全力で打ち込みます。ただ、今回支援していただいた方々は多くが大学入学後に出会った方々であるし、僕がやってきたことを見守ってくれていた人たちでした。今回の件は自分自身が両大学でやってきたことが集まった一つの「かたち」のような気がしたので・・・

長くなりました。今後、少しでも僕のワガママに付き合っていただいた方々にお返しが出来るよう努力していきたいと思っています。
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日本遠征総括

日本から上海に帰ってきて早一週間が経とうとしています。総じて言えば今回の試みは“大成功”と言っていいものになったと思います。

遠征の内容は、3日間の全天合同練習、1日復旦大学のみの練習、立命館大学硬式野球部の練習試合を3試合観戦(対亜細亜大学、花園大学、京都産業大学戦)、立命館大学との交流戦、加えて市内観光1日半でした。

3月03日(土) 通常練習(9:30-16:00) 柊野
3月04日(日) オープン戦観戦 亜細亜大学(13:00) 柊野
3月05日(月) 半日練習(復旦のみ) 立命館大学、金閣寺参観
3月06日(火) 通常練習(9:30-16:00) 柊野
3月07日(水) オープン戦観戦 京都産業大学(13:00) 柊野
3月08日(木) 市内観光

元々6日に時間をいただいて交流戦を行う予定でしたが、この日は雨でグランドが使えませんでした。ですが、先方のご好意で7日の練習試合終了後に4回までですが、試合を行うことが出来ました。

結果は11-0で負けましたが、非常に得るものが大きい試合であったと思います。試合だけでなく、レベルの高い選手に混じってノックを受けたり打撃練習を出来たことは非常に良い経験になったと思います。

あちらの野球部の方々には本当に良くしていただきました。打撃練習時には実際に投手に投げてもらいました。コンスタントに130km半ばを出すピッチャーを打つ機会は中国では先ずありません。

夜間は練習施設を開放していただき、ピッチングマシーンで毎晩かなりの球を打つことが出来ました。

加えて、幸いなことに4日に昨年の大学日本一である亜細亜大学との試合を観戦することが出来ました。日本大学野球最高レベルの試合をみれたことは凄く刺激になったようです。

細かく追っていけば、ここでは書ききれません。ゆっくり振り返りたいところですが授業も始まり、また事後処理に追われなかなかまとまった時間が取れていません。時間を掛けつつ、いずれこの場に書くことが出来たらと思っています。

最後になってしまいましたが、今計画に於いて本当にたくさんの方々にお力を貸していただきました。また御関心頂いた方々、私の我儘に付き合って頂いた友人、すべての方に感謝の意を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。この経験を部員一同しっかりと共有し、5月の上海大会を迎えたいと思います。
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日本遠征・写真(後半)

後半部分(3月6日~9日)です!


ritsプロテクター



マネ二人とけが人!



試合後。松岡監督と



最終日、清水観光1



清水観光2



清水観光3



清水観光4


とりあえず、こんなかんじで!
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日本遠征・写真(前半)

遠征中の写真をアップします。
まだ総括も終わっておらず、手元にあるのは自分で撮ったものだけです。

基本的に練習中、試合中は写真を撮る暇がないものですからオフの写真ばかりになってしまいました。集合写真もあるのですが、また事後処理が終わったときに写真を加えたいと思います。

とりあえず、遠征の前半部分の写真を!



関空で!



岸和田パーキングエリア



合同練習日、アップ風景



試合観戦



3月5日、金閣寺で



室内練習場で夜間練習



バッティング練習
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明日

いよいよ日本遠征に向かいます。
日程は、3月2日~9日の8日間。

書きたいことは山ほどありますが、どうやら時間がありません。

お世話になったたくさんの人のためにも、全力を尽くします。
恥をかく覚悟をし、行ってきます。
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中日新聞

2月28日付けの中日新聞・夕刊に復旦大学野球部の記事が載りました。

先日、中日新聞の方に取材をしていただきました。
まだ、どのような内容の記事か確認しておりません。

記事をいただけるとのことですので、いずれ紹介します。
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練習が終わり・・・

《この記事はひとつ前の記事『中国プロ野球』の続きです》

もうひとつ、気づいた点があります。
それは職業としての「プロ野球」について。(日本語がおかしいですが。)

最近、時期的なこともあり、「働く」ことについて考えることがあります。2週間ではありますが、中国のプロ野球の練習に参加させて頂いたことで、思ったことがあります。

日本のプロチームはわかりませんが、上海イーグルスは練習時間はかなり長いものでした。朝9時開始、昼休みを挟んで夕方6時終了です。ただ問題は時間の長さではなく、質です。本来、集中してやれば8時間以上かかる内容ではありません。昼過ぎ、2時3時で終れるものです。実際に感じた感覚では、それは『中国だから』ではなく、『職業だから』というものです。でも、それも仕方がないとも思いました。日本の事情は知りませんが。

練習内容についてですが、プロ野球と言えども生活環境も決して良いものではなく、むしろ国民の平均かそれ以下の水準です。その状況で毎日8時間を激しい練習に費やすことは非常に難しいことだと思います。また、昼前に練習を終えることも出来ない、そんな感じに見えました。もちろん、2週間そこそこ参加しただけなので、断定することは出来ませんが…。

また、日本や他の国とも比較して見ないとわかりませんね。プロである以上、野球をすることが仕事なわけですが…さすがに毎日長時間激しい練習を繰り返していれば体を壊してしまうのではないでしょうか。

話を戻します。毎日夕方6時まで練習する生活を続けました。一日の大半を野球に費やし、また疲労もしっかりと溜まります。このような生活も好きです。ですが、果たして自分の『職業』ではと考えたとき、自分の心の中に『違和感』を感じました。

春キャンプに相当するこの時期に練習に部外者を参加させるという事は、「あわよくば戦力として…」という気持ちが先方にもあったと思います。正直、僕自身も出来るなら参加したいとの『下心』はありました。

ですが、野球のみをして過ごす生活は自分のしたいことではないなと思いました。研究を行うことや、様々な分野の本を読むことも野球と同じくらい好きです。何より物事を考えるということが、僕にとって最も大切なことです。心を閉ざし、無為に日々を過ごすことは、僕にとって死んでいるのと同じことです。

練習時間の長いのはいい。けれど、時間を引き延ばして無為に過ごすのはイヤでした。だったら集中し、昼ごはんを抜いて3時に終わって欲しいと思いました。午前と午後に分けると、再度準備運動に時間を割かなければなりません。詰めれば時間を短縮出来るはずです。残った時間をもっと有意義に使いたいのです。

僕は、自身の能力に限界を感じていないし、まだまだ上手くなれると思っています。また、限界に挑戦して見たいという気持ちもあります。ただ、今回の経験を通して思ったことは、この場は自分にとってベストの環境ではないということでした。もっと良い環境があると思う。

先日、就活に対する助言をいただきました。それは、「興味のない分野に対しても、積極的にアプローチしろ」とのことでした。それは、「事前に『違うな』と感じていたとして、『なぜ違うのか』がより明確になるから」と言われました。

今回の件とは少々違いますが、実際に行動してわかることがある、という点では同じだと思います。行動せず、もやもやとした気持ちを持ち続けることは、自分自身にとってマイナスなのは間違いないと思います。そういう意味でも、非常に良い経験をさせてもらいました。

現在は、日本遠征の企画を遂行していると同時に、就職活動もしています。今後どのような道へ進むかわかりません。仮に今後迷うことがあったとき、しっかりぶつかって進んで行きたいと思っています。
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