ビジネスマンじゅんごろうのONとOFF

ビジネスマンならではの視点で趣味やビジネス、社会について論じます。

いざ、北海道マラソンへ

2010-08-30 22:05:48 | マラソン大会
毎年の恒例行事となった北海道マラソン。
今年の夏場は暑かったため、それほど練習できていなかった。
さらにレース当日も暑さが予想されていたため、
記録よりも観光メインという気分だった。

今回は前日の日ハム戦がなかったため、ゆっくり目に札幌イン。
レース前はゆっくりできた。

北海道マラソンは他のレースに比べて違う点がいくつかある。
・スタート時間が昼過ぎとゆっくり
・フルマラソンしかない
・給水が充実している

レースの攻略としてはなんといっても前半を可能な限り抑えることだ。
全国からレベルの高いランナーが集まっているので、気負いもあり
ハイペースになりがちだが、30度近い気温のなかではすぐに体力が
消耗してしまう。

スタートしてすぐに普通のレースと違う感覚に襲われる。
暑い・・。
スタート時は曇りだった天候もしだいに晴れ間が出てきて、より
過酷になった。
折り返しをすぎ、いつもは知人を探しながら走ったりするのだが、
今回はそんな余裕もない。
ゴールまで走りきれるか、、それだけを考えていた。

昨年はオーバーペースで失敗していたので、やや抑え目に走っていた
おかげで、後半も足が止まることはなかった。
ただし、39キロを過ぎたあたりの北大キャンパスに入ってから異変が
おきた。
北大キャンパスは緑に溢れており、今までの気温から明らかに低い。
2度ほど下がった感覚だ。この気温差に体が反応し、ついに歩き出して
しまった。

あと少しと思ってもなかなか動かない。
最後の給水で浴びるほど水を飲んで、足を前に出す。
なんとか走れそうだ。
旧道庁の赤レンガを横目に大通りでゴール。

倒れこみはしなかったが、芝生の広場で寝転んでしばらく動けなかった。
これほどつらかったのは初めてかもしれない。
他のランナーは次々とタンカで運び込まれる。
過酷なレースであったことが物語られる。

タイムは去年よりは遅いが、3時間10分を少し超えるくらいだったので、
かなり早いほうだろう。
レース中にトップランナーたちを見ると体つきが違うことに気づかされた。
もっと上を目指すなら体作りに取り組まなければ、、と心の中でつぶやいた。

コース・・3点
給水給食・・4点
参加賞・・3点
アクセス・・5点
観光・・4点

夏休み中ではなかったけど

2010-08-22 21:38:55 | Weblog
しばらくブログの更新が滞ってしまった。
夏休みの期間ではあったが、夏休みは数日取得しただけ。
夏の間は週末でもいろいろなところへ出かけるので、夏休みの
モードだけは味わえるので、長期休暇はとらなくともそれほど
ストレスにならない。

8月にはいると夏休みモードになり、電車もすいてくるので、
なんとなく休日出勤している気分になるのだが、仕事先はそういう
モードではなかったので、残念ながら飲みに行く機会はほとんど
なかった。

そんななか気づいたことが一つ。
ここ2年ほどはクライント先がカジュアルを採用している会社だったので、
夏はポロシャツ、チノパンで出勤していたのだが、今年から伝統的な
会社に出入りすることになったため、スーツ着用となった。

ただしネクタイの着用は義務となっていない。
電車内を見てもネクタイを着用している人を見かけることは少なくなった。
「クールビズ」の影響であることは明らかであり、傾向自体は歓迎するものである。

一方で違うことに気づく。
男性ビジネスパーソンにとって、ネクタイを締める行為はオフからオンに切り替える
ための一種の儀式としての意味がある。

ネクタイを締めることによってプロフェッショナリティとしての気分を盛り上げる
のである。
逆にネクタイを締めないということは、きちんとオンに切り替えができないまま
職場に向かっていないだろうか。職場の同僚の見た目でも、ネクタイをしていないと
何となくだらしない印象をもってしまいがちである。
夏場にホワイトカラーの生産性が落ちている可能性はあると思う。

首を苦しくしない「ネクタイ」を開発できないだろうか。
ファッション性があって、かつ夏場に涼しさを演出するような機能性も
兼ね備えるものだ。

・・・そんなものはないか。
ネクタイ業界は手をこまねいているだけではなく、何らかの提案があると
活性化すると思う。

なんてことを思いながら地下鉄に乗る毎日である。

「走ることについて語るときに僕の語ること」

2010-08-01 22:08:59 | 読書
以前も紹介したことのある村上春樹氏の著作。
文庫化されているのを偶然本屋で見かけて即買した。

以前立ち読みしたときは、サロマ湖100キロを走った様子に
興味をもったのだが、他の章を読むとランニングだけでなく
小説家になった経緯であるとか、アメリカでの生活の様子など
人間味のあふれる雰囲気が伝わってくるものである。

その中のひとつに興味深い記述があった。
「誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、
あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れて
もらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を
走ることにしている。」という。

「自分に能力に限りのある、弱い人間であることをあらためて認識する。」
ためだという。

このエピソードは自分にとっても共通するものがある。
ただし、弱いことを認識するためではない。

仕事でうまくいかないもやもやしているときは特に多めに体を
動かすことで気晴らしをするだが、肉体を酷使しなくても弱いことは
わかっている。

仕事に傾きすぎた振り子をプライベートに戻そうと無意識に行動している
んだろうと思う。
私だけではないが、仕事にエネルギーを費やさないといけない時期は
夜眠っても夢の中にも仕事に関連したものが出てきて、朝悪い目覚めで
おきることになる。

村上氏でも弱さを意識するのか、、と思うとこんなエピソードも出てくる。

ボストンのチャールズ河をジョギングするとハーヴァードのロゴのついた
シャツを着た女の子たちに次々と抜かれるそうだ。
彼らは人々を抜くことに慣れているといって、
「それに比べると僕は、自慢するわけではないけれど、負けることには
かなり慣れている」という。

この気持ちもよくわかる。
ランナーというのはみんな同じような気持ちなのだろうか。

それにしても村上氏の走る距離は、普通の市民ランナーを越えている。
ニューヨークシティマラソンに向けて夏から秋にかけて月間300キロを
超える距離を走っている。

自分は、今までの人生の中で最高でも月間200キロを超えて練習したことはないと
思う。10キロを毎日走れば300キロにはなるが、並大抵ではない。

それだけの距離を走る理由、つまり小説家としての「健康」についても
著作に書いてある。
基本的に正直な人なんだろうと思う。

著作を読んでいて、人柄には好感をもつことができた。