太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

世の中似たりよったりか

2016-07-28 08:09:39 | 社会観察

2日前にNHKの番組でロッキード事件を取り上げていたことを書いたが今朝の新聞のTV欄に放送評論家と称する人が力作であると長いコメント(評論?)を書いていた。内容はブログとほぼ同じであった。また、何日か前、南シナ海に太陽光発電所を実効支配として建設したらイザという時躊躇なく破壊できるかという趣旨のことを平和のシンボルである鳩を車で轢いてしまった経験になぞらえて揶揄した。これも今朝の新聞で実際太陽光発電所が建設されていることを知った。

数少ない私のブログの読者から数カ月前、ある会社の破綻について「次はどうなる?」と聞かれたことがある。ブログで次に起こるであろうことを書いていたら比較的的を射ていたからである。しかし、これらは予測や予言ではなく、多くの人がこう考えるだろうと思う事を書いていた。太陽電池の歴史を読んでも素晴らしい発明や発見の前後には必ずと言って良いほど同じ様な実験や成果が得られていることに気付く。たまたま有名になった人が少しだけ頭抜けていたりラッキーだったと思われる。この人達は素養として同時代の知見を身につけており、これが基礎となって偉大な発明や発見をしたのである。この意味では決して他の場所、他の時代で為せることではない。

我々は知らず知らず共通の認識を基準とし、あるいは教科書として学んでおり、自らの行動を決めている。ブログに書くことも決してオリジナリティがあるわけではない。多分世の中こう考えるだろうという“常識”を慮って(おもんぱかって)書いている。それは自分が世の中からはずれまいとする悪アガキかも知れない。全ての人は時代や場所によって支えられている。たった一人で為せることは殆どない。ボクシングの世界戦で勝者がインタビューを受ける時、必ずと言って良いほど「支えてくれたジムやトレーナー、家族そして応援してくれたファンのおかげです。」と優等生のコメントをするが本音だと思う。決して「おれはこの拳一つで勝ち取った。」とは言わない。ヒーローインタビューではその周りの教育的環境まで見えてしまう。

世の中似たりよったりの考えに支えられて生きている。俺が俺がという人を見る度に“それは違うだろ”と思う。太陽電池の業界でも知る限り3名は居る。ボクシングの勝者がトイレの個室で拳を眺めて呟くなら良いが、この人達は公衆の面前で“俺が俺が”とさりげなくあるいは声高に叫ぶ。太陽電池の歴史本を学ぶと良い。

 



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