太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

司法は素人か

2016-03-10 09:35:33 | 社会観察

震災、原発事故から明日で5年、多くのマスコミが関連報道をする中、今日の新聞トップは高浜原発稼働停止の仮処分である。相変わらず“専門家”と称する大先生の評論を掲載している。思い出すのは福島原発事故の後、やはり評論家として某国立大学の特任教授だったか本物の教授だったか、「メルトダウンの定義が無いからメルトダウンが起こっているとは言えない。」と強弁を振るい結構マスコミ受けしていたが、今頃出て来た炉心損傷割合によるメルトダウンのマニュアルがあったというニュースを聞いてどう思っているのだろう。しまった、あの時マニュアルまで自ら精査して発言すれば良かったと思うのか、皆が定義が無いと言ったのだから仕方が無い、発言自体に文章的誤りは無いと納得しているのだろうか。多くの人が、大先生が言うのだからメルトダウンは起こっていないのだろうと想像した可能性はあるが。詭弁だったの?

今回の評論家諸氏の中で相変わらず、(技術的)に素人の裁判官が厳しい規制基準の言及するのはおかしい、というくだりがある。確かに仲の良かった高校の同級生に最後は高裁の裁判官になった男がいるが、理系の学科は並みだが文系には大した才能を発揮した。大学入試も司法試験も関連科目に特化し、他は捨てるという猛烈な勉強をしていた。もし彼が当該裁判官だったらどうしただろう、裁判は訴状の範囲でしか判断しない、弁明もしかりである、と言うだろう。また、基準に盛り込まれていないことを言うなと言われるなら、盛り込まれていないからこそ重要なことは言わなければならないとも言うだろう。これも詭弁?

素人と切り捨てる一方で、経済的波及効果の重要性を説く。裁判官は経済学者でもないから言っても無駄だと思うが。ただ、このところ 原発超推進派の新聞に少し変化が見られる。末尾に少しだけ不安な文章を挿入するようになった。今回では立地自治体以外からの訴訟であったため、過酷事故のリスクはより広い範囲で関心を持つ時代になったとか。

原発の経済性については既存の原発を再稼働するから可能であって新設でも経済性があるのかははなはだ疑問である。経済性を謳うとき、この辺りも専門家はよく解説して欲しい。それでも 経済性については電力自由化後、国の支援が無くとも民間がどの程度、何に対して投資するかで明らかにはなるが・・・・。

過酷事故リスクゼロはあり得ない(証明できない)ということが賛成、反対双方が一致するところなら"The Day After Tomorrow"を考えるべきである。避難計画も自治体任せでなく高度なシミュレーションによりインフラ整備に国は主体となり再稼働を後押しした時、再稼働のためにインフラ整備に金を使うのか、そんなに金掛るなら再稼働を止めればと言ってしまえば議論がThe Day Before Yesterdayとなり元のモクアミに陥る。

太陽光発電についてもしかりである。批判に対しては“素人が何を言う”と切り捨てる一方で長所については“こんな良い所が素人には分からないのか”と上から目線の(自分を含めた)過去がある。しかし、今想えば素人や子育て主婦の感覚は大事である。世の中大多数は多くのことに素人である。切り捨てるのは簡単だが見放されるというリスクは格段に上昇する。

 

 



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