太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

この歳になってグッとくるもの

2017-06-17 07:58:17 | 日記

齢を重ねるに従い間違い無く胸にグッとくるものがある。新聞の読者投稿欄に歳をとった方々、特に70、80代の方々が自分の親の想い出を語る場面である。もうじき父の日(6月第3日曜)だが、圧倒的に多いのは母の日(5月第2日曜)に母親にまつわる想い出である。想い出の中では当たり前の事だがいい歳をしながら完全に子どもに戻ってしまう。

人生の多くの風雨にさらされながら、皺ばかりが目立つ顔はどんな表情でこの投稿を書いていたのだろう。多分誰にも見せたくない表情が一瞬は過ぎったに違いない。いい歳をしてと思われるのは恥ずかしいという思いは誰にもある。でも子どもは子どもである。田舎で生まれた私は親のことは“おとうちゃん”“おかあちゃん”と呼んでいた。周りはお父さん、お母さんと呼ぶほど上品な家は無く、パパ、ママと呼ぶハイカラな家も無かった。皆同じ呼び方であった。母親は49歳という若さで亡くなったが、病院で励ます時のお母ちゃんであった。こちらは成人をとうに過ぎていたから周りからどう思われたか。しかし、既に意識が遠のき始めた頃、この呼び方でしか本人は呼ばれていることに気づかない。

父親は63歳だったからこれも早死にだろう。ただ、父親の場合は言葉を掛けた記憶が無い。本人も寡黙であった。付添いに行くと、来たのか、仕事はくらいしか言わなかった。最後は喉に穴を開けて流動食を流しこんでいたが、痛いとか苦しいとか言ったことがない。東京の麹町の屋敷に生まれ、何不自由なく育ったが、仕事らしい仕事をせずに趣味に生きた父親の下で、暮らしぶりはどんどん悪くなり関東大震災の後は下町を転々としたようである。勿論これは父親から聞いた話ではなく、叔母から聞いた話である。父親との会話の記憶は殆ど無い。

本人も決して思うようにならなかった人生だったろうが、後に読んだ沢木耕太郎の「無名」に出て来る父親二郎の人生と被る。無名の中で沢木氏が父親二郎の死を詠んだ句がある。「その肩の無頼のかげや懐手」。やはり、決して無頼では無かったが、寡黙であった父の思いはこの齢になって何となくわかるような気がする。もうすぐ父の日である。子どもたちに自分がどう映っているのかはよくわからない。

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