太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

援助(国際協力)について

2017-06-14 09:18:29 | 社会観察

新聞の読者投稿欄で何回か同じ様な意見が載っているが気になるものがある。簡単に言えば、首相が海外訪問をした時に大盤振る舞いの援助を約束するのは如何なものか、教育の無償化とかお金が必要なところは国内に山ほどあるのに、と言う内容である。若者ならいざ知らず、投稿者は還暦を過ぎたいい歳である。

太陽電池を通じて日本のODAに関わった時期があるが、最初の頃は、何で無理してこんなに海外援助をするのだろう、(当時は)高価な太陽電池を援助物資にして欲しいとお願いする一方で、この金があったらもっと有効に使えるのではないかという自虐とも言える迷いが多少はあった。しかし、ODAを勉強して行くに従い、ODAそのものに対する考えが変わって行った。まず、ODAには無償(タダ)でプレゼントするもの、ローン(低利だが貸付で何れは償還される)ものがある。人道支援の類は主に無償だが、無償有償に関わらず、その国の経済的自立を促す、言わば頭金のような役割を援助は担っている。それは、世界の何処であろうと破綻するような国が現れたら、ブーメランのように自国の経済に影響(EU内でもある)することは必至だからである。当然、日本製品もそこには売れない。世界経済は相互に依存している。

首相が如何にも気前よくポケットマネーの如く援助を約束しているように見えるが、どの国にどれくらいの援助をという大枠は毎年決まっている。思いつき援助でもポケットマネーでもない。たまたま外遊の機会を利用して公表しているようなものである。国際援助は人道、経済支援以外に安全保障という大きな側面も持っている。援助を通じて良好な関係を築き、国連での1票を日本に投じてくれればそれこそ外交のツールになり得る。

援助の多面性はとても短い文章で書き切れないが、ここで言いたいのは、いい歳をした人の意見はそれなりに若い人の考え方に影響を与えるという自覚である。それが単純な感想、感覚であってもだ。そのためには多少は勉強も必要である。

 

 

 

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