太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

朝の冷気に

2017-07-12 06:25:21 | 日記

何時もより2時間も早く目が覚めてしまった。多分、サラリーマン時代の微かな感覚が残っているのだろう。普段でももしかしたらこの時間に気付かないほど一瞬は目が覚めているのかも知れない。今日は完全に目が覚めてしまったので新聞をとりに出た。連日の猛暑にも関わらず早朝の冷気は全身に心地よい。この冷気は決まってあの時の感覚を甦らす。一つは中学の修学旅行で東京、箱根方面に行った時(今では来た時か)のことだ。旅行という特殊な環境で、しかも興奮気味だったのだろう、目覚めは早い。まだ日が昇る前の東京の街を旅館の2階から見降ろすと、カラス意外は誰も起きていない。人通りの無い路地は夜明け前のモノクロの均質な風景で、カラスさえ動いて無ければ静止画のようである。秋口だったと思うが、街が喧騒に包まれる直前のこの上無く静かな冷気だ。

もう一つは大人になって仕事で出掛けたモンゴルの朝だ。夏とはいえ、早朝の冷気は日本の秋と同じである。早朝の草原は遥か遠くまで物音一つ、動くのもすらない世界が広がっている。景色は違うが、東京やモンゴルの冷気と全く同じ感覚を今朝の冷気は含んでいる。デジャブ(既視感)と同じ様なことが肌感覚でも有り得る。中々何処でみた風景か分からないのがデジャブだが、この肌感覚だけは明確に覚えている。ただ、話はこれ以上は広がらない。

今日も猛暑は続くが、歳とともに汗を掻かなくなってくる。若い頃は非常に汗かきで、特に冷房が入る前の6月の電車は汗で苦労した覚えがある。乗り込むと誰一人汗など拭って良無い時でも一人額に汗が流れた。なにをアイツは頑張ってるんだと思われやしないと気にしていた。人と握手する時も手汗が気になっていたものである。ところが中年になると汗は人並みになり、准高齢者になると汗も涙も殆ど出ない。体内水分量は結構減っているのではないかと思う。ラーメン屋やレストランで食事の途中で水をどんどん飲む人がいるが信じられない。水だって胃袋の溜まってしまって食欲が落ちてしまう。

炭酸飲料も殆ど飲まなくなった。あれほど好きだったコーラなど腹が張るだけである。オロナミンCの瓶がやたら小さいのは中高年に適量だからである。ヤクルトはちょっと小さすぎる気がするが。先日の国会中継で「挙証責任」という言葉を覚えた。民事訴訟では原告が原則として挙証責任を負う(刑事なら検察)とある。カメラやTVなどのディスプレイで何百万画素といううたい文句がある。本当にそれだけあるのかと訴えたら、数えたけど無い(足りない)という挙証責任を負うことになるのか。ちょっと無理である。

太陽電池も一昔前、定格出力(公称出力)を実際に満たしているかどうかが問題になったことがある。ラベル表示と実際に計測された数値がJISの決まりから逸脱していないかである。定格出力の測定は結構複雑で一般のユーザーでは殆ど不可能であるため、出力不足だという裁判沙汰はなかった。ところが、第三者の公的機関が出力測定をするようになると一方の言い分だけでは通らなくなった。この出力表示については大メーカーの不祥事もあった。ところが不思議なもので、蓄電池の容量(AH)表示ではそのような話は一切無かった。容量を確実に測定(検証)することは太陽電池以上に難しい。それでもユーザーは××AHという数字を素直に信用している。

何時かこの問題があったよな、という感覚(というより記憶)は何処の世界にもある。太陽電池が直流発電機とHSコードで分類され関税が掛るという問題が15年くらい前ヨーロッパで起こった。あれやこれやと弁明しながら何とか元通りの光電池で無税になったが、最近また同じ理由で関税問題が起こっているという。この問題に過去関与した国なら分かっているのだが、太陽電池の普及とともに新しい国が文句を言っているようである。広範囲に記録を辿れば過去の例に辿りつけるのだが、新しい国は今の判断で事を起こす。モグラたたきのように次々そういう国が出て来る。

研究開発などの分野でも同じことが起こる。びっくりしたのは30年以上前、メーカーのカタログなどにも載っていた太陽電池の電極パターンが特許になった時である。申請者は過去のことなど知らずに(勉強不足と思うが)特許性を確信(若しくはあまり調べていないけど駄目もと)したのだろうが、異議申請がなされることも無く(これま勉強不足)特許となった。記憶はトレースすることは出来ない、記録さえなければトレースされる事も無いというのもここのところの国会で大いに学んだ。政治の世界はそうであっても科学の世界では記録は最大の拠り所である。そうそう、備忘録という言葉も最近聞くことになったが、20年近く前、中国の会社と合弁の打ちあわせをやったが、相手方は議事録という言葉を使うのは非常に慎重だった。備忘録なら良いと言う。イメージは議事録はその内容を双方が理解したという意味で作成に時間が掛る。備忘録は互いにこう言ったという会話禄のようなものだと言う。それでも粘って備忘録にも双方のサインを入れるようにというところまでは漕ぎつけた。言った言わないを避けるためである。懐かしい備忘録。

 

 

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