ジューンのつれづれ物語 先天性臼蓋形成不全・変形股関節症とともに生きる

先天性臼蓋形成不全・変形股関節症を東海中央病院でAAOで手術。10年後さっぽろ病院で両足人工股関節です。白内障も発覚!!

ジューンの股関節症物語10 術後3か月から、術式比較

2011-06-19 19:24:49 | ジューンの股関節症物語 発病から退院
2011.5.13、術後96日、退院82日 形成不全とAAO

形成不全、変形股関節症と臼蓋内転骨切り術(AAO)
臼蓋形成不全、両脚。47才まで知らなかった。腰の病院で発覚。RAOといわれた。CE角不明。痛みなし。左は初期の初期かな。右は進後期の初期の初期。変形ほとんどなし。これもよくわかんない。
2010.5にRAOの説明で打っ倒れそうになる。「骨切ってまわしてって。」そんな簡単にいうのぉぉぉぉぉ。ひえぇぇぇ。からはじまった。このとき、年齢的なこととか、「適応」とか知らない。
あんまり聞かなかった。入院期間ながいんら、「じゃ、人工になるとき、また、きまーす。」と言った。「自分の骨で手術できる最後のチャンスだよ。」ふーん。とネットみていたら、入院期間短いのが、AAOでヒットした。両脚同時でもRAOよりずっと短い。おおっ。と、ここから、いろいろしらべたり。。でも、あまり知識ない。

臼蓋形成不全、変形股関節症っていうのは、ずっと付き合う病気で治らない
 温存している方はいる。
 手術なら、RAO(いろいろな種類ある)やAAO(新しい術式)。
 このままいって人工股関節のTHA
 AAOって東海中央病院でしかしていない。股関節センターができてあって
 メールで聞いたりできる。

私は入院期間の短いAAOを選んだ。ただ新しい術式である。当時、患者
 サイトがあった。ここで一番古い方で3、4年の方。いろいろな方の記録が
 ある。
 2006、2007、2008、2009、2010であった。よんでいて、あれれ?と思ったのは、
 年代によって少しずつ違いがある。荷重期間、可動域、リハビリ、両脚の基
 準。年齢や進行の感じで少しずつ違う。
 不具合のある方、不調の方の声が聞こえてくる。

腰の手術が2010.7で先にしたので、手術にたいする考え方、医者の説明の仕
 方、患者としての受け取りなどに知識が増える
。過去母親のがんの病院4件、
 現在進行で父親の脳外科、ずっとかかっているNTT、認知系病院3件、
 自分の脂肪腫に関わって、とかとか振り返るといっぱい病院と関わっ
 ている。。。。
 こどもを運び込んだり、保護者から聞いたり。。。。
 お医者さんの集まりとティーチャーのあつまりで今の医療の困っている事と
 か聞こえるとこにいる。

自分の手術が約半年遅れになる中で適応基準がどんどん変わっていく
 情報 洪水でナーバスになる。
 患者サイトはなくなり、病院のHPの記述が変わる。ネットの情報の読み方と
 かをまた考える。

私的には、こんな感じですが、前置きがいつも長くなっちゃう。。。すみません。。。
ということで、手術検討の方で、私は、術後たった3か月だから、何もいえないが、
患者サイトやいろいろな方のブログ、コミュ、サイトいろいろから手術を考えた2010.6から2011.4までで考えたりしたことです。。。私の考えです。私は、医療者じゃないです。

・情報は、「いつ」のかを確認する。手術まっている間にどんどん変わった。
・変形股関節症は治らない。進行を食い止めるだけ。人工股関節に絶対
 ならな いわけではない。
・手術後、痛い、だるいは当たり前。
 はじめて手術の人は、退院イコールすっきりさわやか以前と同じ。すぐ社会
 生活できると思ってしまう。
 と、思う。私は、腰の時、そうだったからです。笑ってやってください。
・年齢、進行具合、ce角、筋力、骨密度などなどいろいろな条件で術後の様子
 は変わる。
・術後の過ごし方で、術後の経過が違う。
・可動域になったら、荷重は控える。が、2011.2でした。3か月までは歩行控
 える。
・入院期間は、短いが、養生は半年、1年。一生。
 事務仕事なら、経過がすごくいい人は1か月、3か月で復帰できそう。半年た
 つとかなり楽。1年だと安心要素が増える。
 復帰できると「すっきりさわやか以前と同じ」ではない。
 ただし、1か月で立ち仕事や動く仕事でよい経過の方とも会っています。
 四十代手術です。だから、人それぞれで難しい。
・THAまでの期間は人それぞれ。
 RAOでは15年もたせて成功というのも聞く。AAOはわからない。人それぞれ
 なんだろう。
 一生温存の方もいる。
・いつ手術するか
 私は、両脚から、片足になったので、残りの脚はどうするかを聞いたら、
 「痛み」「画像的な状況、」軟骨うすいとか、「変形」が起きた時に考え
 ていく。。 だったと思います。ので、不全だけれど、変形的には特に問
 題なかったと思うので、もう
 50代だし、温存を目指している。若かったら、予防的に手術する
 かもかも。。。
・術前から筋肉あるとリハビリが楽だったりする。
・心配・不安は、すぐにメール電話で問い合わせる。時代によってリハビリ
 指導にしろ変化していくので医療者、股関節センターに確認するのが賢明。
 ひとりひとり違うこともある。
・手術に100パーセントはない。
・聞ける、わかるなら温存で何年手術して何年か聞いてみる。でも、多分、
 わからないというか、人それぞれで過ごし方で。。。と思う。母の「余命」
 の時に痛感している。父の認知症の進み方症状が、本や一般論とあまりに
 違うので痛感。
 一人一人違うのでなんともいえません。。と。。。うまく長く持っている
 方のようになりたいと願った。。。。だけれど、、末期 がんは痛みをと
 る以外努力やできることがない。はっきりいえないといわれた方がいいと
 いう方もいるけれど、このときは、なんかわかる方法とかないのかな。
 わかる時代はこないのかなって思ったものだ。。。でもね覚悟は一番短か
 った方の余命を参考にした。偶然にうちは、ぴっりの余命3か月でした。
 あたったらあたっで複雑な気分。
・リハビリの病院的目標は、日常の生活に支障なしと思う。社会生活やスポ
 ーツではない。それ以上の活動をしている方は、いる。ストレッチ、スポ
 ーツ整形、スポーツジム、ヨガなどなどのようだ。


思いだしたら、また追加。。。。しよう。。。
うまくまとめて書けなくてごめんなさい。

RAOのあるところで見た成功率 手術成功60パーセントそして、10年後も
 歩いている人42パーセント

 うーん、AAOは10年たっている人を探すのが大変かしら。なので、アンケートの「後悔しています」を歩けない人と読みか えると似たような結果かも。10年のなかには、1年の人もいるだろうし、9年11か月の方もいるだろう。この統計の中の年  齢も変形度合いも不明。もしかしたら、高齢、失礼、股関節では、40才を基準にして考えている方が多いので、40以降の 方が多かったかもしれないし、人工も考えられるけれど、RAOにしたもあるだろう。実は、私は、ここまでAAOでの不協和 音が聞こえてくるまで、成功率とか考えてなかった。。。。だって。。。いろいろな加減で、いろいろだもの。。。手術前のい ろいろな「こわいこと」聞いてる方はわかると思うんだけれど、手術終わって意識あっただけで、よし。。。と私は思ったの  でした。。。腰の時も。腰の時は、もちろん説明ありませーん。
 
で、この統計、個の病院か地方か、その地方とかわかりません。難かの統計、教育なら教育の統計ってあるけれど、医  療の統計もあるはずだから、どこかでヒットするかな。でも、でも、そこまで調べてから手術を決める気力と時間があるの  だろうか。。。
 
この結果はショック。RAOの手術成功は95パくらいと思いこんでいた。私は、よく、思いこむ。術後、腰と同じで、あおむけ で動いてはならない。と。思いこんだ。AAOでは、どちらかというと、術後、脚モミモミき後とかは、足の指先が外向きが大 事。私は、ドクターが来てはじめてった。。。ついいった。「ナースさんからも聞いてませーん。内側が楽でずっとしてました ぁぁぁぁぁ。」で、私は、病棟の方に不信で、ドクターが来て、たぶん偶然。来て、よかったと思うと同時に、何か不都合や 不調がおきたら、病棟のせいにして、くってかかって闘うはず。。。。北国のティーチャーは闘うティーチャーと全国的に有  名と思います。また、偶然、この病院。。。。学校共済。。。でした。。。。窓と風邪は闘い中。。。。。。

RAOやAAO不調、AAOの危険とかの掲示板、コミュ、ブログを読む
 知らなかったは、嫌だから、知って決めた方がいいかなあ。と。
 私の物語が参考になるかわからないけれど、いろんな事 例を読むのは
 いい。その時、目がくもらないように、自分に都合のいい部分だけを見
 たり、心にのこさないようにしながら、 読む。私は、「この人、若い
 。。」がいっぱいでした。「あれ、2007かあ。古過ぎだなあ。。。」
 とかとか。私は今は48才での 術後手術時は47才。2011.5です。また、
 私は痛みなく、初期の方です。脱臼経験なし。筋短縮症っていう厄介物
 も持っている。腰わるい。前屈できない。いわゆる普通には、脚のつめ
 きれない。以上な体制でやってます。

不安にばかりとりつかれない覚悟をする
 心病んだら、すべての手術はできないよ。きっと。麻酔だけでも危険だ
 よぉ。です。悪気はなくても不安をあおる書き方になっている方、
 批判的、誹謗中傷の書き方になっている方います。。。。またまた、
 どういうわけか、 不安が不安を呼んで そこの書き込みの方がみんな
 同一見解的になっていて、それが「正論」になったりしています。変な
 言い方ですが。。。
 日常的にもよくあることですが。。。ネット社会に詳しい方とかは大丈
 夫でしょうが、慣れていない方と、うーん、すごーく
 ピュアな方、心配症の方、すぐ信じてしまいがちな方、意見を受け入れる
 広い心の方は、不安の連鎖にはまるかも。。。  です。。。。
 どれが正しいとか、どちらが正しいはないと思ってます。
 それを決める自分がいるだけだと思います。

今の私の現状では、「パス通り進み、可動域をいれても2週間退院。退院後ばりばり家事をして、運転した。職にはもどってない。」ので2007くらい方の時の指導指示でも正しい。になる。2011にしても病院HPと同じ。でも、もしかしたら、4か月目に悪くなってるかもかもです。となると、不調の方がいっていることが正しい。に変わる。現に、いろいろなところから、「そのころまでは、快調でしたぁ。」という方が多いみたい。
 
と、入院中、ドクターとの話の中でを思い出す。「後になってわかることは沢山です。」はいっ。そうでしたぁ。たとえば痛み
 です。ああ、あれが痛みだったんだぁという私なので。私の場合は悪夢でうなされているときすごい痛いです。それまで  は、「いたいたってわからなぁぁぁいぃぃぃ。」と入院中叫んだ。周りで痛い人いっぱい。でも、どう痛いか説明はない。私の 中では痛いけど痛くないというのがその方たちの痛い。でした。
 ああ、学校の中では、「ゆとり教育」は正しいはずだったけれど、今となっては、「正しくない」のです。ってイメージです。


歩き方が分かった感じ
杖なしの外での歩行はまだ1週間たっていない。家の中は、歩く時にいちいち何かを考えたりはしていない。なのに、外に出ると考えて歩いている。。。。うーん。。。。と、最初はカックンカックンと力がぬけないように、ひざ裏に意識をおいて、力入れる感じにしたりおしりのえくぼのところに意識と力を持っていったり。外はたぶん雑音で音は聞こえない。で、ここのところ、膝に負担がきていた。お尻も疲れていた。。が、今日、父親の施設行った時、なんとなく、いちいち考えたり、力まなかったりがおきた。本当にいつも突然なんだよなあ。。。きづいちゃったら、カックンとだめなんだから、笑えるなあ。スーパーでとかも様子見てみた。何も考えていない時もある。さてさて、このまま歩行が安定していくのかなぁ。検診時、リハビリ時は結構考えて力んで歩いている姿を見てもらったと思う。別に悪くはない評価だった。3か月でこれならいいでしょう。です。そうだよなぁ。1か月前とかまだまだ大変だったなぁ。

脚まげもまた1ミリ
脚を胸につけるも、なんかいい。まだまだ完全べったりと胸にはつかないが、また1ミリ胸側に来た感じがする。つけねのたががまたすこし、はずれた感じがするのだ。ひさしぶりのこの感じはうれしい。 


2011.5.15、術後98日、退院84日 運動会シーズン

運動会シーズン
昨年2010年五月、この頃腰の病院に行ったんだなあ。甥っ子の就活に絶句した頃。早い子は内定時期。。一年なんだな。一年病気とお友達。一年介護とお友達。一年就活とお友達。すべて継続中。就活がけりついてほしいなあ。

チャレンジド
神からチャレンジすることを許された人という意味。ドラマの題名。。目の見えなくなった中学教師の話し。
変形股関節症の人達はこの脚で生きていくチャレンジドなのかなあ。。
私はいつも、「なんか、安易な言葉だけど、その病気を克服できる人に病気がくる。神は克服できる試練しかあたえない。というから、あなた、大丈夫だよ。」と行ってくれる友達がいる。ありがたい言葉として受け取っている。。


2011.5.14、AAO術後3か月1週間、退院83日 

脚の長さ同じになっていた
術後すぐ、脚の長さの違いに愕然とした。。。退院まで長かった。。。たしかに長かった。退院2か月くらいで気にならなくなった。この長さは、椅子に座って太ももの長さで見ています。
今、気にならない。でも、歩くとカックンカックンして、ひざ裏を伸ばした感じとかで、もしかしたら、術脚の方が短い感じがした。だから、軟骨も減ってるかも。。音もするし。。。とナーバスに拍車かけていた四月下旬。
検診で聞いたのです。長さの見方を説明されながら、ほぼ同じです。RAOのどちらかの方のブログに、術脚の方が短くなっていたというのも見ました。
さて、両脚のAAOがよかったのは、脚の長さが大切でした。私は、腰・脚が連動してどちらもわるくなっていったといわれているので、片足によるゆがみがおきたら、また、壊すよなぁとか、バランス悪い分、片方の手術しなきゃなんなくなるよなぁと考えたからです。
いま、長さそろっても、「動きの違い」でちょっと歪んでる。傾いている。そして、わかったのは、ハイレグ水着のときにちょうど股関節不全のところが、凸っと外にとびだしている。うーん、レースクイーンとかなってないし変なのと思ってた。いま、術脚は、レースクィーンとおなじくぼこっと
なっていない。左は、なっている。ああ、アンバランス。ぼこって形成不全によるものだったと今、わかる。ドクターがいつも言っていた「後から解る」ってこういうことか。。。。
さてさて、左がこのままだと、また腰にこないかなぁって。。。膝とか。。。
アンバランスが嫌なんだよなあ。。。先輩物語で、もう片方もした方がいたんだなあ。。。
痛みかなあ、なんでかなあ。。。お一人は、確か同郷で同じくらいの年だったと思うんだ。
この脚の長さも患者サイトや物語で知っていた。でも、術後あたりまで。私は、1年後、とかどうなった かなぁといつも思っていたので、思いだしたから書きました。こんな風に人間って忘れてしまうんだなぁ。
だから、読み返せるっていいんだよね。だから、わすれないようにしなきゃ。
術後の脚の腫れとかむくみ内出血は知っていたけれど、やっぱりショックというか衝撃うけました。
知らなくても、すぐ大騒ぎして、聞けちゃいますが、いつ頃どうなるという見通しがほしい私なので、いつ頃どうなるは、ドクターには、「一人一人ちがって」と説明される。あたりまえだよねぇ。
だから、物語よかったんだなぁ。ああ、この人は、1週間くらいなんだぁとかわかったから。。
そうそう、ドクターは「そんなのは、ナンセンスです。」といって、から「さすったりとかいろいろ。。いろいろ。。。。。は、いいです。」という。まあ、最初の枕詞「ナンセンスです。」がないともっといいんだけれど。
このしゃべり方もかなり誤解というか受け取り方があるよなあ。「つっけんどん」しゃべりを希望したからかな。
他の方にも使うことばなのかなあ。。。私、他の患者さんに根掘り葉掘り聞かなかったからなぁ。ふだんもあまり聞かない。相手がいわないことは、あまり聞かない。。。。多分、自分が聞かれたくないから。。。
くだらない話だれど、「ご家族はぁ何なさってぇ。。。。」とか。。。普段からあまり。。。職業柄かな。。。
プライバシーとか個人情報とかピリピリしているし、たくさんの家庭事情見過ぎているからかなぁ。。。。
両側不全の方は、両脚手術が多いのかしら。。。片側不全の方は、片側手術で終わりだからいいなあ。
術脚は術後の経過をみて、不全脚は今後の経過を見みて、腰の様子うかがっていくんだなぁ。。
ずーっと。ずーっと。術後での「よくなる」が終わったら、継続・維持なんだよなあ。すごーくよくなるとか治るではないんだなぁ。若干、左股関節に負担をかけた3か月。ちよっと負担感ある。でも、一応初期の初期。痛みなしなんだよなあ。筋肉痛的ともいえる。
なんだか、ダイエットとおなじ気分になってしまった。減量期間終わったら、維持期間、悪くなるのも維持するのもあなた次第です。。。。うううう。。。。。

膝に負担きてる
杖なし歩行が日常歩行になり、まだなんていうか、「自然に何も考えずに」歩けない。ので、なんとなく、膝にきてるなぁと思っていたら、膝のロッキングをおこしかかった。「あ、くる。」とわかるのです。
が、途中でとまったというか、ひどくせずに治したというか、です。筋肉がついたからかもしれないと思った。
筋肉ないときは、そのまま、はずれていく、ズレていく感じなのです。はあ、あせった。外で杖なしで歩くのがすこーしずつ少しずつ何も考えないで歩くが増えている。

術後の歩行・リハビリについて
物語とかで、歩行やリハビリの善し悪しを競うとか、退院までの期間の短さを競い、あおるとか というのをよく耳にする。。。。うーん。。そうは、受け取ってなかった。そんなにはやかったらいいなぁって。
「あ、この人若いなぁ。」とか違うよねぇって。
でも、私は、早い方だったから、「あおった人」になっていると思う。これは、腰の入院の時、ナースさんに いわれたからです。「あなたにその気なくても、あなたがすたすた歩いていると傷つく人いる。」と。
「ねたみ、嫉みをうける可能性もある。」と。ここは、説明が難しいなあ。ねたみ嫉みも、その気がなくても なっているとか、私がそう受け取るとかです。腰のナースさんは、入院患者さんに、「一人一人違う。いろ んなことがちがうから、絶対に比べない。人と比べて悲観したりしない。よろこばない。競争しゃない。」と
患者さんたちにいつもいつもいっていたなぁ。だから、そういうところで何かを言われたりはしなかった。
回復・リハビリ早い人も遅い人も気をつかっていたし、
道産子気質なのか、超ストレート
「ええ、うらやましーいー。ずるいー。なんでスタスタあるいてんのよぉ。」って。
「あたしゃ、全然いたくないんだけれど、年であるけないんだわぁ。」って。こういうのが慣れているのでストレスにならない。
早い・順調と見られる、言われるだけで、私は、ストレスでこころが病み、病み、闇、闇へ向かいました。
退院後の歩行・リハビリでもいろいろなところで情報があり、ネットで交流したりがある。
この物語もそうだ。この人は、術後何日でぇ。。。。とかになっている。。。
快調な歩行の方に対して、「運よく術後のいい。。。」なんて表現をみると心が病む。。。
ある方は、「運」でなく「適応」とおっしゃっている。それをみるとちょっと気分が楽になる。。。

ドクターは神であり、最低である、教師も。。。
心の闇で診療内科の先生と話す、うーん、カウンセリングがあったので、その中で「二月に まどを開ける」ことに私がとっても怒ったのが、岐阜の人に通じないのは、北国の二月が わからないから。北国の二月の病院のインフルエンザに対するピリピリを知らない。真冬日の 雪降ってるがわからないから。。。って話から、(でも、寒くなくても衛生上窓あけない入院病棟 はある。空調でする。)ドクターに対しての話。教師でもいいんだけれど。同じだから。
同じドクターに同じ手術をしてもらった同じ年齢性別の患者。現在の体型も似ている。
どちらの手術も成功。
でも一人は、術後快調。ドクターは神様だ。
一人は、手術したのに病む。ドクターは最低だ。

と、立場や経験や環境、状況、状況変化いろいろで違うという話をしてた。
教師もそうである。
と、まあ、診療内科っていいんだなあ。私は、ある意味札幌でもカウンセリングとか
いっていた。だから、さっぽろで精神科に行くと言った。職業柄通っている同僚は多い。
私は遅い方で、教育が。。。。とかでなく、母親を自宅介護で看取ったあと。
職場に帰りたくなかったのだ。カウンセリングの先生は、「鬱とって病休三か月の手がある。。。」
と言ってくださった。鬱判定はでると。。。薬はなかった。
まあ、復帰したんだけれど。。。。大変でした。。。スイッチはいるととにかく涙でる。。。
これがところかまわずだから、どうにもならない。。。。
戦争教材の「お母さんの木」なんて音読しててボロボロ泣いて、
泣きながら、子どもたちに「なんでもない。気にスンナ。」といって授業継続してた。
やっと落ち着いたと思ったら。。。の診療内科に岐阜でかかるとは。。。。
そうそう、同じく、父親を亡くされた同僚とか同じ症状だった。
スイッチはいると泣いちゃうの。。。。二人で休憩室で泣いてて入ってきた先生に
びっくりされて、泣きながら笑って。。。彼女も落ち着いたかしら。。。
保健の先生にいわせると、入院中に不安定になる人は多いとかとか。って
ことでいいかあ。。。
この時の病的なやせ方の時もブラのカップ落ちたんだよなぁ。。。
そこから体重ももどったところだったんだよなあ。。。

新病院ってどんなかな
3か月前の古い病棟の話を私はしている。新病棟は外来しかわからない。
新病院は古い時と何かかわったかなぁ。あ、一番は「トイレ」だ。
多分、「トイレ」ラッシュはなくなっただろうなぁ。
風邪引いたお風呂場はどんな風になったかなあ。
快適になっているのかな。
外来の「レントゲン」は、やっぱりきれいなお部屋だったわあ。
食堂は混みこみじゃないのかな。あ、私の時は手術ラッシュだったんだわあ。
病院HP更新以外の変化ってあるのかな。リハビリとか術後の指導とかとか。
知りたいこといつぱいだなぁ。
新病棟の手術の方で物語書いている方いないかしら。。。
現在進行でAAO術後8か月の方がつづっているのは、見つけた。
2010/6ころの手術。わたしが、手術検討していたころだなぁ。。。
私は3か月。
今!という方が発見できたら、うれしいなぁ。。。
また、サイトのころの方々で綴っている方もいますね。

先輩ブログで退院後の様子を参考に。。。
現在、ブログなどで、術後八か月の現在進行でAAO後を書いている方、
2010.6頃だから、私の受診時期だから、ばりばりリハビリ時代かな。
術後一年で一度終わりと書かれていたブログ。いってみたら、新しい
記事もあった。!!やったぁの気分。この方で一年半年くらいだったかなぁ。
うれしくてうれしくて。。。。2008.10くらいなのかなあ。ばりばり家事世代かな。
古い情報で。。。と書かれていた。。。今ってすぐ過去なんだなあ。しみじみ。
年齢は私が超高齢トップだけれど。。。。
2011.5現在、AAO術後三か月私、八か月、一年半とある。
まだまだあるけれど、あまりに症例が違ったりすると難しい。
年齢以外で、まあ、私にとって「適応」の方々です。
また、AAOからTHAの方のブログもある。
今後はこちらの可能性がある。
あ、そうそう、これからの方のためにで一番大切だと思ってたのは、

・THAにもしなっちゃうときにもう一度岐阜のこの病院で手術する
もしくは、
・THAになっちゃうときにAAO後のTHAの手術をしてくれる近医がある。
ということが大切かもかも。

私は、近医は「THAの時よろしくぅ。」なんて言ってますが、それは、手術してない方の脚。
AAO手術した方は、岐阜でします。と、入院中、ドクターに言った。
「AAO後を見てくれる、リハビリやレントゲンとか術後の様子とか見てくれる、
札幌の股関節の病院、ドクターはいません。
何かあったら、岐阜にきます。
そのリスクしょって今、ここにいて、手術を受けました。。。」と。。。。
手術ちょっと前に地元でAAO後のTHAの病院探しは厳しいという話が聞こえてきていた。
手術、ここでやめてもよかったんだけれど、腹をくくった。五分五分と。
また、AAOの今までの検診で、THAになる予定が自分の頭になかったし、どこでもTHAができると
思っていた。でもね病院探しに苦労している先輩たちの声が聞こえた。
すごくすごく感謝している。。。。。
RAO後のTHAもまったく手術していないより難しいとか聞く。でも同じ病院でする方が
多いみたいだ。近いところのお医者さんだったり。なので、病院を変えたRAOの方でも
同じように大変な方いるかもかも。RAOはRAOってひとくくりになっちゃっているから、
またまた、難しいだろうなぁ。あそこのRAOとここのRAOちがうよなあ。
でも、私の性格からいって、すぐ「自分」で確かめたいから、面倒でたぶんそこで手術
しないけれど、さっぽろの病院を受診すると思う。そして、
「ああ、やっぱり無理ですかぁ。。。」になるか
「まあ、してもらえるんですかぁ。」になるかわからない。
それまで、ブログ書いていたら、必ず報告します。
もしかして、その時、自分すごーく高齢になっていてAAOドクターも高齢になっていたら。。。
ひゃぁぁぁぁぁです。
となると、まだ、AAOドクターがゴットハンドのうちにの方がいいかもかも。
私、自分の教師キャリアでバリキャリだったけれど、母を亡くすあたりで昔の私
ではなくなった。教師も「旬」ってある。でも、「旬」の基準をどこに置くかで評価かわる。
私は、体育の見本を示せなくなった。でも、違う部分の腕は上がっている。と、
教師の評価項目は多い。
でも、手術の医者は「腕」だよなあ。
手術に対しての私の第一希望も、「腕がいい」とかですのでので。
まだまだ元気でいてね。ドクター。
性格とかしゃべり方とかは後回しな私です。この辺りは、自分の方が強烈だと思う。。。
腰のおじいちゃんドクターは、もう、しかたないわぁ。。。ですぅぅぅぅ。後継者今の
ところないから、廃院になるのかなあ。こわいなあ。近所の廃院って。
ああ、でも、本当に、「医者と病院」は「選べる」んだわ。
ごめんね。保護者や子どもたち。。。選べないもんねぇ。。教師も学校も。。。
申し訳ない。。。ラジオ体操ができないだろう教師で。。。。。

また手術になったら。。。
THAでまた手術を岐阜ですることを射程において考えると、学校では、
「こどもを人質にとられているから文句いえない。」とかと同じで
「病院やドクターにものを言えない。」を聞く。。。。
うーん。私は、学校のことはおいておいて、病院ドクターには言える。
感覚的、性格的、県民性的に合わなくても、ドクターもナースも病院も
プロだから、「病を治す」に関わって「言った」からどうこうはないと思う。
では、何を言うかだ。
「文句、クレーム」的なことを私は言っている。でも、感情論や後ろ向き、
過去に向かうはしない。ああ、AAOドクターにはみえない未来の心配も
いわない。現にいま、ボルタレンの山が冷蔵庫にどーんとありますぅぅぅぅ。
もし、ダメだったら。。。みたいなことかなあ。
子どもたちにもいってるけれど、この「もし」の「後ろ向き」な質問で先生は
疲れるときある。。。。
また、そうならない方向で考えるとか、悪いことばっかり
考えると本当になりそう。。。。具合わるくもなるよぉって。いってたあ。
「もし、バスによったら。。。」
「はいちゃったら。。。」
「それでも、なおらなかったら。。。」
はいはいっ。酔い止めのんで、のんだから絶対酔わないと信じて
学校においで。はいたら、先生が絶対全部なんとかするっ。
具合悪くなるとおもったらなるから、絶対にならなーいって
思っておいで。。。。と、いってたぁ。。。。
そうそう、新病院のことしりたいのは、そういうことかなあ。
術後すぐの食事は流動食にしてくださーいっていう。
味噌カツは嫌だ。元気な時に食べたいよ。
でも、あの「のんびり」のしゃべり方や時間やルールにとってもとっても
ゆるい感じは耐えられないかもかも。


2011.5.15、術後98日、退院84日 間違い注意


情報の間違い表記に注意してください。
今、気付いたんだけれど、術後の脚の向き、「内側」が正しいみたい。ごめんなさい。
リアルタイムで書いてる時そうでした。本当に人間って忘れる生き物で、確認しないとダメだなあ。
だから、情報混乱が起きて、「うそつき」になっちゃうんだなあ。はい、私、嘘かきました。
脚の向き、反対に書きました。
「内側」向きがいいけれど、「外」が楽でそうしていた。
これがリアルタイムで書いていたときなので。でも、病院で聞いてね。確認してね。
もう、「あれ、どっちだっけ。。」というナースさんがいないと思いたい。。。です。。。。
間違いいっぱい発見しながら読んでください。こどもと保護者は、学級通信間違い探しを よくしてくださっていました。北海道弁「なんも、なんも。」で過ぎ去っていた。
気をつけまーす。。。。だから、ネット情報をすぐ信用しないでね。のよい例でした。
この話は術後一日くらいのところにあります。
もしかして、いろいろと変わっていて、脚の向きなんて今は関係ありませーんになってるかもかも
です。ご迷惑おかけしまーす。
私が管理者じゃないので、書き換えがスムーズにはいかないので、ごめんなさい。

と、今でも、仰向けで足先外向きはすごーく楽で開く。内側はどうもだめなのだ。
これがおねえさん座り苦手方向でもある。他の方はどうかは不明です。
でも、最初から、苦手だなあ。。。嫌だなあ。。。は後々まで残っている感じがする。
たとえば、私は、外側の骨が痛い感じというかがある。リハビリで、仰向けで寝て、
あしを広げていく時から、ある。筋短縮症だからかもですが、ピーンっと痛い感じ。
これがでたら、自分では、リハビリを緩める。バロメーターにしている。
リハビリは痛かったら、やめる、お休み、しない。。。といわれる面がある。
私は、「とめる」というイメージだ。そこまで無理しないという感じ。
休んじゃうとだめなんです。マイナスになっちゃう。やりすぎて、おこられること過去何度。
で、自分でみつけたいい感じが緩める。たとえば、昨日は、30センチだけれど、
今日は20センチというイメージ。どれがいいかは、人それぞれと思う。
腰の病院では、「やめる。休む」といわれている。まわりのひざや腰のご高齢者は
きちんと守っている。私は、自分ルールにしている。これで、腰か脚が壊れたら、
自己責任です。。。。。はい。。。。。

運動会シーズン
昨年2010年五月、この頃腰の病院に行ったんだなあ。甥っ子の就活に絶句した頃。早い子は内定時期。。一年なんだな。一年病気とお友達。一年介護とお友達。一年就活とお友達。すべて継続中。就活がけりついてほしいなあ。
と、来年度の運動会で私は、走れるんだろうか。徒競争じゃないけれど、道具持って走るとか、順位確定のためにゴールした子をつかまえに走る。。。とかとか。。。今の感じでは、無理。休職にしておいてよかった。きっと、約にたたないから、運動会後の復帰にしたのだ。四月復帰がすっぱりしていていいんだけれど。ラインカーひけない。。。ただ、授業するはできるけれど、お掃除とか無理だよなあ。。。畑お越しは、腰的に無理だ。
いい旦那さんがいて、専業主婦で生きられるなら、完璧に気持ちよく、手術して治ったって言ってるなあ。
立場でも治った感が違うよなあ。。。。本当に難しいなあ。。。。
子どもとか同僚とかともよく話すけれど、自分で自分をゆるせないっとかってところ。
これで、具合悪くなる子どもって多いのだ。どこにOKのラインをひくかで満足度が違って、よく話す。
でも、結局は自分の心が決めるので、ティーチャーのできることは限られる。プラス子どもの場合は、
保護者の心も加わるので難しくなってくるのだ。。
先生も友達もほめるすばらしいできの絵とかでもね本人が納得してないことはある。
自分の心がきめるので、ほめられても、説得してもダメなんだなあ。
今の私がそう。退院時からリハビリの先生に、全然いいんだけれどねぇ。。。といつもいわれた。
納得しないのは、私のこころなだけです。ごめんね、迷惑かけて。。。2wa先生。。。。
ドクターが「目標たかすき」というのに対し、「はいっ」って言えるのは、自分も子どもに言うからだ。
でも、保護者に反論されてということもよくある。考え方はいろいろだから。
と、どちらの気持ちも解ると具合悪くなってくるのです。わかるけれど、その先がどうしていいかわからない。
どこにおとしどころを持ってくるか。。。うーん。いろいろなことがいろいろな所で同じなんだよなあ。
一応、頭で理解しても、心が納得しないから、やっかいなんだなあ。。。
外の杖なし歩きも楽になりました。というか、自然になりました。何も考えないであるけますという感じです。

チャレンジド
神からチャレンジすることを許された人という意味。ドラマの題名。。目の見えなくなった中学教師の話し。
変形股関節症の人達はこの脚で生きていくチャレンジドなのかなあ。。
私はいつも、「なんか、安易な言葉だけど、その病気を克服できる人に病気がくる。神は克服できる試練しかあたえない。というから、あなた、大丈夫だよ。」と行ってくれる友達がいる。ありがたい言葉として受け取っている。。
この大丈夫は、「治る」では、ない。たとえば、すぐTHAになってもなんとかしていくでしょう。。。
っていうことです。。。
さてさて、ずっといろいろチャレンジし続けて生きてきたとも思うのですが。。。。うーん。。。

傷むずむず久しぶり
むずむずがおさまったかなぁ。ルンルンとしてたのに、またですかぁ。むずむずかゆい。これが三歩進んで二歩下がるなんだよなあ。まあ、また、様子見しかないなあ。腰のきずも半年はそうだった。痒みどめの薬ももらった。でも腰のコルセットしているから、なかなかこまめに塗ってはいなかった。傷の固い感じもかなりやわらいだし、しびれ感は気にならなくなっている。十か月で腰の一本のきずがかなりいい感じ(色、盛り上がりの感じ、硬い感じ、神経の感じ)になったから、まだまだであたりまえだよなあって。でも、私、二十代なら気にして気にしてナーバスだな。。。

お気に入りのドクター
親のドクター私のドクター、学校がらみのドクター。ああ、学校の検診にくる耳鼻科のドクターですごい人いた。。。すごい、緊張して、しょうがく一年生に、言い含め言い含めて検診会場に行くのだ。すごいのだ。パキパキしていて。
よろしくおねがいします。→正面口あけ→右→左→正面鼻→ありがとうございました。
が決まっています。こうしないと、子どもの顔を持って、バッと動かすので、子どもが驚いて泣いたり、痛いて保護者から問い合わせがきたりするので、必死に教える。。。でも、指導してつつがなくいくと、ドクターはすごくすごくほめてくれる。
また、このドクターはベテランだから、昔の子どもとの比較があるのだ。
私は、はっきりしていて、やることやったらOKなので好きなんだけれど、周りの方々の評判は。。。悪い。。
私もこのドクターと似てるのだろう。優しくてゆっくりにっこりで予定時間過ぎるドクターにイラッとする。今、時数がたりないんですよぉ。勉強にしわ寄せくるし、自習が長引くと大騒ぎになつたり、教師の目の届かないところで事件の勃発が起きるのだ。一般的価値観と遠いとよく言われる私です。。。と、人それぞれですねぇ。
これで、にっこりドクターが最後に一言。。。教師にだけ「子どもたちの態度悪いですねぇ。」なんていったら、
私は、戦闘態勢にはいってしまう。にこにこしてこどもにはいい顔して、私にはだけ文句ですかぁぁぁぁみたいな。
じゃ、にこにこしてないで、自分でも、説教してよ。怒ってよ。です。。。先生は怒る。ドクターはにこにこしてたのにって子どもだって矛盾を感じちゃうんだい。
このドクターのことをかくつもりじゃなかったんだけれど、まあ、いいか。
はっきり、くっきり、裏表なしってのが、らくぅぅぅぅ楽なんです。

ネットでのいろいろ
私は、三十年近くのパソコンでネットは恐いのだ。ずっと。。。。
まず、私は、今情報間違いで書いてしまった。思いこんだ人いたら、困るよね。悪気なくても。
うそつきならまだしも、人を陥れようとしたとか、不安と混乱をばらまいている人とかになる可能性は、ある。
ちがまーすっていっても、学校の「いじめ」と同じで相手が「いじめ」といったら、「いじめ」認定と同じで、相手
がそうとったら、そうなってしまうのだ。。。。うん。。という怖さ。

もう一つは、何年か前から言われている「集団思いこみ」みたいなこと。子どもじゃないけれど、
「みんながそう言っている」である。「みんな」って言葉はほんとうに難しい。
なにごとに関してもね「振り子の法則」を想う。たとえば、今なら、ちょつと前は、AAOはいいという右最大の振れ、
ちかごろは、AAOは危険の左揺れ、どちらにも最大の振れがあって、少しずつ真ん中で止まるという理論。
今は、なんだか、最大のAAOは危険、だまされたになっていると想う。この時に情報収集したかたは手術しないだろう。
それによって、その方の可能性がせばまったならもったいないなあって。
だから、なんだかんだいいながら、書いています。。。。情報間違いに気付いて大騒ぎしつつも、書いてます。
アンケート5分5分の満足度結果も振り子とあっているとおもう。。。

情報の旬を考える
偶然今は、書く時間がある。。。そろそろなくなる。。。
でも、術後、1年、2年、。。。数年しりたいよねえ。
RAOみたく症例多くないし、ここだけの手術だし。
だから、サイトがどんな形であれ、残ってほしかった。。。
一瞬、ひきつごうか。。。なんて想った。
こうかくと、サイト側の人とか、サイトの味方、病院の味方とかとられちゃうのが困るのだけれど。。。
そうでなく。。なんだよなあ。

、RAOとTHAで7年間でおなじ病院で3回手術した人がいた。
そのあいだに、「術式」も、「病棟」も、「パス」も「リハビリ」もかわったという。
これを計算すると2年ごとには変わっているということで、AAOと同じかなって。
2年前は、過去なのかも。。。。
パソコン歴が30年くらい。さいしょは、2年に一回は大きく変わる。が、
1年に一度は。。。になって、ワンシーズン、春夏秋冬モデルなんてなって、
途中に記憶媒体は、カセットから、5インチフロッピー、3.5インチフロッピー、
外付けハードとかあ、で今は、USBメモリ、途中、ノートパソコン、モバイルパソコン
とあれよあれよだったもんな。最初のパソは高かった。。ざつと百万円は下らない。。。。
いやいや、このくらいの早さで医療もすすんでいるのかなぁてことです。
医療情報の旬は長くみても前後2年。でも、よかったかどうかは、5年、10年。
RAO12年で今、THAという方、すごいよなあ。。。でも、年齢でみると私よりちょい上
かなあ。私が、なんか、おかしいなぁと思ったあのリレーから12年。。。。
味方、考え方、自分の状態で、この私とRAO12年の方をどうみるかは人それぞれだよね。

入院期間で自骨手術をやめてTHAという選択の方がいる。
痛みのためにすぐTHAという選択。。あるよね。わかる。。。
ここにAAOがあったらどうだろう。。。よりよくAAOがなっていったら、
進化していつたら、どうだろう。。。入院期間だけで、THAだったなら、
検討はするのではないかしら。。。。
もしくは、前方進入式RAOとか。これで選択肢は三つ。

これからの方がよりよい選択ができるためにAAOの進化を願う。。。

コメント    この記事についてブログを書く
« ジューンの股関節症物語9の2... | トップ | ジューンの股関節症物語11 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿