今日はLさんの家に遊びに行く予定の日です。
多い日は毎日。大抵は1日おき。2日置くという事はあまりなかったので、
やはり今日は遊びに行かねばなりません。そう思うと溜め息が出ます。
何故なら、前回の訪問の時に、
如何やったら災害の被災者が出ないように出来るか考えた?と聞かれて、
私は全く答えられなかったからでした。
前回、そんな難題を考えて行かなければならないとはつゆ知らず、
私は何時もの遊びのつもりでLさんの家に行きました。
そこで答えは何か出たかと聞かれて、
「考えて来なければいけなかったの?」
とびっくりして聞くと、
彼女は当たり前だ、如何やったらそれが出来るかと聞いたでしょうという感じでした。
私には何を如何やったら良いかなんて全く見当もつきませんでした。
え、え、?と、全く何も思い浮かばないので、頭の中が真っ白というよりも、
あの濁り水の海原の背景にあった梅雨空の色のようなグレーな色になりました。
灰色の何かが浮かぶ脳細胞とは逆で、全く何も浮かばない脳細胞のままだったのです。
Lさんに次まで考えてきてね、と、前回のお別れの時に念押しされていたので、
昨日は行かなくても普通なので遊びには行かず、今日は如何しようかと思いながら、
2日空けるのはあまりない事だからと、答えが出せるはずもない私ですが、
今日行かなければ考えられないのだと、無能さを更に暗示しているだけだと思うと、
それもしゃくだなと思い、Lさんの家に今日は遊びに行こうと決めたのですが、
提示された問題の答えが出ていないので、考えても何も浮かんでこないので、出てくるのは溜息ばかりなのでした。
あー、嫌だな、そう言っていると、嫌なら行かなければいいのにと、傍で私の様子を見ていた父が言います。
あの子が嫌なんだろう、難しい事ばかり言って。そう父が言うので、
Lさんが?嫌なんじゃなくて、何も答えを考え出せない私が嫌なの。
そう父に答えて、私はまた深々と溜息を吐くのでした。
何か少しでも考え出せるといいのに、本当に全く何も浮かんでこないのです。
洪水で悲惨な目に合う人々を出さない為には如何したらよいか。
苦しんでいる人々を救う為にはどうしたらよいか。
よし!と私は決めます。
勢いをつけてLさんの家まで出発です。
とはいえ、途中の私の足並みはゆっくりになり、道々もう1度と問題について考えてみます。
前回、Lさんは答えの出せない私に業を煮やして、ヒントをくれたのでした。
もう、仕様が無いからヒントを出すね。
困っている人や苦しんでいる人は、何故困っているの。
何故困る事になったの?
これは分かります。○○川が溢れて洪水になったから。
住んでいた家に住めなくなったから。家が無くなったから。
ですよね。
家が無いとご飯を食べたり、寝たり出来ない。
単純に考えるとこんな感じでした。
今回こんな話から始まり、他にも着る物がないとか、遊び道具が無いとか、本も無くなってしまって読めなくなるとか。
前回沈黙しがちだった話の流れが、漸く何時ものように滞りの無いお喋りの場らしくなって来ました。
こんな嫌な事の、一番元になった物、原因は何だと思うかとLさんが聞くので、
それはもちろん、洪水が起きた事だね。とここまで会話は辿り着きました。
だから、この大本の洪水を無くせばよいんだよ。
なるほど、と、幼児にとっても納得のいく話の展開になりました。
しかし、川の流れや、水の多さ、雨の降る量なんて、どうやって防ぐ事が出来るでしょう?
私はまたこの問題を考えるのかと思うと、頭の中だけでなく心の中にまで暗雲が立ち込めて来そうでした。
「こんな問題考えても分からないの!」
と、あっさりLさんが見切りをつけるので、私は相当面食らってしまいました。
「え、考えないの?考えなくていいの?」
そう、答えの出ない問題だから。とLさん。
えええ、と私は直ぐには納得できない状態のままでいました。
答えを考えなければいけないと、あれだけ様々に思い悩んでいたのに、
ここで行き成りの決着が付いたのです。しかも未解決のままです。
それでいいのだというLさんに、じゃあ何で問題だからと、考えてと言ったの、答えが出ないのに。
と、私は怒るというよりも、知り切れトンボになってしまった問いかけに、
踏ん切りがつかないような曖昧模糊とした感情のままで終わる問題に、
このままお仕舞だなんて。と、何だかやり場のない感情を抱いたままで終息できない状態のままでいました。
考える事が大事なんだよ、とLさんは言うのですが、
私にすると問題や問いかけには必ず答えがあるものだと思っていましたから、
答えのない問題を出す方がおかしいと、これはその問題を出した人に怒りが湧いて来ました。
答えが必ずある問題ばかりを解いてきた私には、考えるだけで答えのない問題なんて論外だった訳です。
今から思うと、世の中答えの出ない事だらけなんですが、確り答えの出る世界にいた年代だけに収まりがつかなかったのです。