Softly, as in a Morning Sunrise (朝陽のように爽やかに)

アメリカ・映画・人の所業。思ったことを綴るのみ。

映画「マトリックス」と聖書 (ねたばれ注意)

2004年12月04日 | 映画・音楽・小説
ある本を読んだ時に映画「マトリックス」が聖書を下敷きにしている、というのを読んで驚いた。

キアンヌ・リーブズ演じる主人公の名前は「ネオ」(新しいという意味)。本名は「トマス・アンダーソン」。

トマスというのは使徒の一人で、キリストの復活を当初は疑ったが実際に見て信じるようになった、という人。映画でも実際主人公は最初「お前が救世主だ」と言われて疑ったが実際のいろいろな行動を経てそれを確信するようになった。トマスは後年インドまで放浪したとの話もあるが、これは映画の中では、彷徨って地下鉄の駅でインド人家族に出会う、ということにつながっている。

トマスは別の意味は「双子」。これは何度か「ネオとエージェント・スミスは表裏一体」というような発言がなされ、3作目の最後には一緒に死んでしまう(つまり片方が無くなれば自動的にもう片方も存在しえなくなるということ)ことにも関連してくるのでは。

さらに、アンダーソンというのは、andro(ギリシャ語でmanの意味)+ son で「son of man」であり、即ち「神の子」=キリストのことになる。

即ち主人公はずばり新しいキリストということが隠されていると。そして人類を囚われの身から救出すると。一度死ぬが復活するし。つまりこれらの映画はキリストの一生をモチーフにしていると。

そういえば、もっと直接的なのは、一作目の最初のシーンで主人公を訪ねた男が「ハレルヤ! あんたは私の救世主だ」と叫ぶシーンもある。

そう考えるとエージェント・スミスは、悪魔なのだろうか、もっと言うと原罪ということなのだろうか。キリストは人類の原罪を背負ったように、ネオはエージェント・スミスと刺し違えた。(スミスというのはアメリカで最も多い苗字なので主人公とは対照的だ=つまりそこらへんにいる誰でもということを暗示しているのでしょう、だれでも悪い心を持っていると)

その他、Trinity(ネオのパートナーであるが、キリスト教上の「三位一体」という意味)とか、人間の最後の都市の名前が Zion だったり(言うまでもなく、エルサレムのこと)、船の名前が旧約聖書に出てくるバビロンの王様の名前からとってきたり。Neoの仲間の人間でNeoを裏切る人の名前も悪魔から取っているということらしい。

私は映画そのものはその結末は全く理解できなかったし、下記に述べるように日本のアニメの焼き直しに過ぎないと思うけど、一方、上記のようなキリスト教の基本的な考え方がこんな最新のSF映画にまで大きな影響を与えているという事実に本当に驚いた。


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閑話休題

特に3作目は日本のアニメの焼き直し(既に多くの人が指摘していると思うが)。Zionでの戦闘シーンはガンダム以降の日本アニメのロボットの闘いの単なる実写化。キッドと呼ばれる子供が最後に大きな役割を果たすのはガンダムのアムロの最初と同じ。最後のNeoとSmithの一騎打ちはドラゴンボールZ(雨の中で戦うのは黒澤の影響とか、まあウエスタンで雨降ったら火がつかないから鉄砲の決闘になりません)、ついでにNeoとTrinityが船にのって帰還できることを想定せずに敵の中心部まで乗り込むのは宇宙戦艦ヤマト映画2作目のラストシーンだし。あるいはストーリー自体、北斗の拳かもしれん。みんなパワーアップして最後は超能力使いみたいになっちゃうし。

というわけである意味、見慣れていた観もあり(斬新さというよりも)、かつ難解なストーリーと、拍子抜けのエンディングで全くわからなかった、ので、うーーーんというのが率直な感想。