じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「日教組」結成から70年という

2017-07-14 09:25:43 | Weblog
☆ 朝日新聞の記事から。日教組が結成されて70年だという。かつては組織率86%(1958年、文科省調べ)を誇り、文部省と対峙した組織も、今や24%(2016年)。特に若手の新規加入率が低下しているという。

☆ 日教組も高齢化が進んでいるようだ。

☆ 組織率の低下は、長い目で見れば体制側の思惑通りに事が運んでいるということだが、やはり社会が豊かになったことが大きいと思う。昭和30年頃の教員の様子は、石川達三「人間の壁」にも詳しい。

☆ その頃はまだ戦前の教育への反省があった。東西冷戦を背景に「教育の反動化」があった。教育委員会法から地教行法に教育行政の在り方も変わった。学テ(学力テスト)、教科書検定をめぐる闘争もあった。組合活動に生きがいを感じる教員も多かったように思う。


☆ 私が中学生の時、生徒は教室に入り始業の準備をしているのに、先生たちは校門のところに集まって校内に入らなかった。統一行動だという。彼らはストとは言わなかった。春闘による交通機関のストが年中行事の時代だったから、それほど抵抗もなかったが。

☆ 私が高校生の時代は、京都府はまだ蜷川革新府政だった。そのせいか教員たちの組合活動も活発だった。多くの教員が終業時間に合わせて下校していたし、ある教員などは自転車に赤旗をつけて走っていたとウワサになった。

☆ 思想の善し悪しは別にして、面白い個性的な教員が多かった。

☆ その後、1978年に、蜷川府政から自民党の林田府政に代わり、「のどかな」京都の春も終わりを告げた。


☆ 話は戻って、昭和30年代、教員は他の職種と同様に貧しかった。それが闘争の原動力になっていたのかも知れない。

☆ 1974年、田中内閣の下で人材確保法が制定。教員の待遇は改善され、他の公務員よりも給与面では優遇されているようになった。

☆ 今、多様化する親のニーズへの対応、個々の生徒への対応、外国語教育や情報教育など新しい教育課題への対応など教員の多忙が問題になっているが、待遇面では他の業種の人々がうらやむほどだ。特に夫婦で教員だと、かなりの収入になる。(もちろんその分家庭生活、自らの子育てが犠牲にされているかも知れないが)


☆ 私の同級生も多くが公立学校の教員となっている。年代的には、校長、教頭(副校長)、主幹、主事、主任といった管理職や中間管理職の地位になっている。彼らがまだ若年教員だったころこんな話をしていた。組合員になっていることは「保険」だと。何かはわからないが、何か不当な労働行為があったとき、助けてくれるのが組合だという。(酒を飲んで事故を起こしたとき、教え子に手を出したとき、公金を盗んだときは、さすがに面倒は見てくれないというが)

☆ また、初任校の環境が大きかった。組合員が多数を占め、組合活動が活発な学校に赴任すると、組合に加入していなければ仕事に支障が出る場合があった(露骨ないじめがあったかどうかは知らないが)。学校の雰囲気に刺激され、学生時代ノンポリだった友人が、しばらく会わないうちに組合の闘士になっていることもあった。「赤旗とってくださいよ~」と何度も頼まれた。


☆ それから数十年、教員の気質も変わった。

☆ 組合にはさまざまな問題もあっただろうが、効用もあった。教員文化・教授技術の継承や社会への関心(あるいは変革者としての自覚)、官製研修とは違った独自の学習活動など。それらは今後のどうなっていくのだろうか。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 夏が来る。 | トップ | 内閣支持率の低下から »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。