じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

両成敗

2017-07-29 11:06:17 | Weblog
☆ 「日報」問題は、制服組と背広組のトップを両成敗して幕引きという感じだ。大臣辞任(更迭)は飾りのようなもの。

☆ 制服組と背広組の関係はうまくいっていないのか。 

☆ 戦前なら、大日本帝国憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」で、統帥権を盾に軍のことはアンタッチャブル。それが軍部の暴走を許したとされる。

☆ 戦後は国民主権。戦前の反省に立ってシビリアンコントロールが強調されるようになった。しかし、憲法を文面通り読む限り、日本は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(日本国憲法第9条第2項)のだから、存在しない軍隊をシビリアンコントロールするというのはおかしな話だ。

☆ まあ、憲法が規定しているのは国際紛争を解決するための軍隊であって、自衛のための軍隊は含んでいないという解釈なのだろう。交戦権も同じかな。

☆ 自衛隊の最高責任者は内閣総理大臣(自衛隊法第7条「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」)で、その内閣総理大臣は文民(軍人ではないということか)でなければならない(日本国憲法第66条第2項)から、自衛隊はシビリアンコントロールされるということだろうね。


☆ 制服組の中で派閥争いのようなことはあるのだろうか。民間人にはなかなかわからない領域だ。

☆ これも戦前の話、「相沢事件」(1935年)というのがあったそうだ。

☆ 当時の軍部には、統制派(陸軍の統制を強化し、クーデターによらず高度国防国家をめざす)と皇道派(天皇中心の国家改造・昭和維新をめざす)の対立があった。

☆ 統制派の林銑十郎が陸相になり、陸軍のエリート永田鉄山少将を軍務局長に起用、荒木貞夫、真崎甚三郎などの皇道派を抑えようとした。これに反発した皇道派の相沢三郎中佐が永田軍務局長を陸軍省内で斬殺した事件である。

☆ 当時は、軍部によるクーデター計画(1931年、三月事件、十月事件)やテロ(1932年、血盟団事件)そして五・一五事件(1932年、海軍の青年将校が首相官邸で犬養首相を銃殺)と、血なまぐさい事件が相次いでいた。

☆ 世界恐慌以来の経済的混乱やヨーロッパでのファシズムの台頭など、世界史的な変動期だったのだろうが、その結末を私たちは知っている。過去の経験から学ばず、同じことを繰り返すのは愚かだ。

☆ 再び、クーデターやテロが横行する時代にならないように祈り、発言し、行動したいものだ。「こんな人たち」と言われても。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 政治生命をかけた冒険 | トップ | 「通りゃんせ」 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。