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母の日

 シンビジュームが咲いた。去年、初めてと言っていいくらいたくさんの花をつけたシンビジュームの世話を怠ってしまい、10鉢近くあった花を4鉢にまで枯らしてしまった。亡くなった母の形見のような花であるから、自分のいい加減さを心底悔やんだが、それでも何とか今年も一鉢だけ花を咲かせてくれた。


ひょっとしたらもうダメかなと思っていただけに花の蕾を見つけたときには嬉しかった。水遣りや栄養剤など自分なりに世話をしたつもりだが、花びらが開いたときには奇跡のように思えた。これは花の生命力というよりも、亡くなった母が私に「もっとしっかりしろよ」と伝えたいがためのメッセージなのかもしれない。
 
 昨日は「母の日」、母のために妻がカーネーションを買ってきてくれた。その花瓶の中にシンビジュームの花を切って挿してみた。


亡くなった母親には白いカーネーションを送るという慣わしがいやで、ずっとピンクのカーネーションを母の日には供えることにしている。今年は赤い花もあって彩がいい。咲いたシンビジュームは決して華やかな花弁ではないが、これだけ多くの花を咲かせてくれれば文句は言えない。よく咲いてくれたと感謝したいほどだ。
 
 「母の日」といえば、京都に住む娘が妻にプレゼントを送って来た。小さい頃から母の日には欠かさず何か自分で買ってきてプレゼントしていたが、大学に入ってからは毎年郵送してくるようになった。ここ2,3年は妻の好きな冷酒を送ってくる。今年はこんな酒だ。


妻は早速あけて飲んでいたが、私の口には入らないのでおいしいかどうか分からない。娘が夕方電話をしてきてなにやら話し込んでいたから、女同士心が通じ合っているのだろう。
 
 息子は毎年妻の好きなエビスビールを何本かまとめて買ってプレゼントとしていたのだが、大学生になるとそんなことにまで気が回らなくなってしまったのか、今年は何も届かなかった。18の男がそこまで気を回すのもよほど暇な証拠だし、何も送ってこなかったのは息子の生活がそれなりに充実している表れだろうと勝手に納得していた。それでもやはり受験で誰よりも世話になった母親にこのタイミングで感謝の意を表しておいたほうがいいだろうと、私に妙な老婆心が働いてしまい、息子に電話してみた。すると、案の定「忘れてた!」と慌てたので「メールくらい今日中にしておけよ」と言っておいた。なんで私がそこまで気を使わねばならないのか分からないが、そんな性質は母から受け継いだものだから仕方ない。そんな変なところばかりが母親似だから困ってしまう。
 そんな思いをするのも、「母の日」の私から母へのプレゼントだと思えばいいのかもしれない。
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