東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

ウォーターフロント

2015-09-26 | 風景
  近年隅田川最下流は様相を一変させました、
  もはやかつての隅田川の印象はありません。
  日本のこれからを象徴する街が作られつつあります、
  そんな街の「これまで」から「これから」への1ページ。


  

     かつて江戸の頃はこの辺りが隅田川の河口でした、
     いまこの景色を見るととても信じられませんね。



  

     右がかつて「霊岸島(霊厳島)」と言われた当時の江戸の突端
     左は「佃島」、繋ぐのは「中央大橋」。
     各地”島”とついているけど現在は全て地続きです。



         

         隅田川が海にそそぐ辺り霊厳島の先に東京湾験潮所があり、
         日本の水準点、海抜〇〇メートルを決める基準の観測をしていました。
         ここで測った基準をAPといいます、A.P.はArakawa Peilの略、荒川基準水面ですね、
         APは治水など荒川水系全般で使われ川岸のいたるところで見られます。



         

         今はもう周りがこんな状態で観測できないので三浦半島で潮位の観測をやっています。
         面白い形なんだけど見る方向でいろいろな形に見えるらしい。



         

         松本 零士デザイン”ヒミコ”と同型船”ホタルナ”。
         連休の真っ最中遊覧船はみんな超満員でした。



  

     隅田川はフランスのセーヌ川と1989年(平成元年)に友好河川を提携しました、
     で、中央大橋を架橋する際にフランスのデザイン会社に設計を依頼したそうです。

     主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されています、
     「大魔神」!って感じだけど知ってる人いる?。(笑)



         

         中央大橋の上流部には当時のパリ市長であったジャック・シラクから東京都に友好の印として贈られた
         彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と名づけられた彫像が鎮座しているけど、、、
         残念ながら彫像は川側を向いており、橋をくぐる遊覧船・水上バスからしか見えない。

         背景のビルは佃島、佃島といえば江戸の頃は魚がたくさんいました。
         ”江戸前”というのはこの辺りで獲れた海産物ですね、今でも漁業やってる人もいます。
         家康は大阪から漁師を呼んでこの辺りでの漁業に力を入れました、
         シラウオは絶品で漁師たちは代々の将軍に献上したという話が残っています。

         そして小魚を甘辛く煮て保存食としたのが”佃煮”です。
         その漁師たちは大阪から住吉神社も持ってきた !?
         佃島には今も住吉神社の夏祭りが盛大に行われています。
                                                9月23日
       

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2 コメント

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Unknown (くぅ)
2015-09-27 16:57:51
今日の写真は大きくて迫力あるねぇ~
特に1枚目は超迫力。
どこから撮ったの?
水の中からとったみたい。^^;

佃煮・・・なるほど~
くぅさん (jugemu)
2015-09-27 19:14:09
あの写真はウォーターフロントの定番でして
永代橋から撮ればあの写真になる、
私みたいなものからベテランプロまで構図的には同じ
出来た写真は天と地ほど違うでしょうが、、、。 (^^♪
ちなみにウォーターフロントでググれば山のように出てくる。

佃島では今でも佃煮屋さんがいっぱいありますし、
漁業やってる人います。
隣の月島はご存じ「もんじゃ」の街ですね。

また隣の「石川島」は”鬼平”サンが人足寄場を作り
犯罪人を送り込んで強制労働の刑罰を与えました、
そのあと石川島播磨重工業(IHI)が出来て
ニッポンの重工業の礎となりました。

隅田川の中流から下流はメチャ面白いところです。

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