■おめでとうと言えないお正月

2012-01-11 | ●日本事情
■■■■下山の春■■■■        
  
●また、新しい年ガ始まった。
しかし今年は、東北の大地震も福島の原発も未解決のまま現地では
33万の
人達
仮設住まいのまま、寒冷の年越しを余儀なくされた。
またタイでは、首都周辺の大洪水が、ようやく収束しつつある。
決して笑顔で「おめでとう」と言える状況ではないので、JTIROでは、
賀状を遠慮す
する事を決め、一日も早い復興を祈念することにした。
 
お正月に「おめでとう」をいえないのは、初めての体験である。
それだけに政府の怠慢と、東京電力の無責任体質に、とめどない怒りを
覚える。
伝統としきたりを重んじる わが国にあって実に情けない事である

 

下山の時
おりしも、五木寛之さんの「下山の思想」が年頭に上梓され話題をさらう。
ちょうど一年前、日刊ゲンダイに五木さんの「流れ往く日々」と言うコラムの
連載が始
まり、それを読みたさに日刊ゲンダイを読み始めた。
去年1月1日の「下山の春を楽しもう」には、とりわけ感動を覚えた事を覚えて
いる
 
●その内容は
下山の時は、じつは充実した時間なのだ。遠くに目をやれば海も見える。
町も平野
も、山脈も見える。それは、穏やかで、実りある時代なのだ。
いま私どもの国は、下山の季節にある。悠々と下山の春を楽しもうではないか」
その先にある人生の夢を語ろうと言うものだった。
 
●いままで登る事しか知らず、不況や失業で失望にうちひしげる日本の人
たちに下山
思想を衿持する事の必要性を、既に1年前に予言していた。
まさに作家であり思想家の貴重な主張なのだ。
今回の「下山の思想」はその連載を叢書にしたもので、五木思想の集大成
といえる。
 
●「おめでとう」といえない正月も、五木思想の下山の時の正月と見れば、
理にかなう
もので余り情けないと思うことではないのかも知れない。
下った先には、必ず大きな希望と言う登りが待っている。
 
■日本の絆■
●3・11の東北大地震では、多くの人々が家族を亡くし、家を失ったにもかかわらず
いささかも節度を失うことなく、集団で避難し、全国から、
またタイをはじめ海外から、多くの若者やシニアが支援に
駆けけた。
外国のメデイアは、その悲惨さに耐え節度を守る人たちを「日本の良心」と
讃えた、
そして苦渋に耐えて立ち上がる日本の潜在力を、日本人の美しい絆の中に発見
した
紹介した
 
●3・11から既に9ヶ月、新年を迎えた街々には、福袋を抱え持つ人たちで
あふれ、
あの緊迫した状況は、もう失せつつあるやにみえる。
識者は、喉元過ぎると、元に戻る習性を持つ日本人のあいまいさに警鐘を
鳴らす。
美しい日本の絆をこれからどう残していくか、シニアの力に負うところ多い
課題の様に
思う。 しっかりと見守って行きたい。     
(山)                         
  

■海外在留邦人

2011-12-18 | ●日本事情
■■■海外在留法人の現況■■■(マレーシア半島を往くオリエント急行)
 
海外在留邦人とは、外国に住む日本人の事をと言う。
外務省の調査によると海外駐在や留学、国際結婚、海外ロングステイで海外に
移住する日本人が
増えている。
タイは、ランキングでは世界第7位、特に自動車企業など、工場進出で増加傾向にある。
 
在留邦人国別ランキング」 ・
●1位 米国         38万4411人
●2位 中国    12万7282人      
●3位 豪州          7万1013人
●4位 ブラジル      5万9627人
●5位 英国          5万9431人
●6位 カナダ         5万2890人
●7位 タイ           4万5805人●   
●8位 ドイツ         3万6960人
●9位 フランス       3万0947人
●10位 韓国          2万8320人
(出所:外務省海外在留方邦人統計調査2010)
 
 
在留邦人利別ランキング」  ・
●1位 ロスアンぜルス 6万7018人
●2位 ニューヨーク   5万6174人
●3位 上海            4万8255人
●4位 バンコク     3万3152人●
●5位 ロンドン     2万6965人
●6位 シドニー     2万8031人
●7位 シンガポール  2万3297人
●8位 バンクーバー  2万2994人
●9位 香港      2万1210人
●10位 サンフランシスコ 1万8599人
  
訪タイ日本人の現況
首都バンコクの洪水で、11月の訪タイ外国人は激減した。
訪タイ日本人は58,023人で、前年同月比37.62%の大幅減 
タイ訪外国人は1,213,826人、前年同月比17.92%減だった。
 
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■2次世界大戦,開戦から70年

2011-12-10 | ●日本事情

■■■第70回開戦記念日に思う■■■  

 

昭和16128

この日を知る10歳以上の人は既に80歳以上になる。

だが日米首脳による和解のための真珠湾と原爆の広島の相互訪問は、

いまだ実現していない。

 

昭和16年12月8日

●「帝国陸海軍は8日未明、西太平洋に於いて米英軍と戦闘状態に入れり

繰り返し絶叫するラジオのアナウンス。

 

そして翌日から、続々と飛び込む大勝利のラジオ大本営発表報道。

・ハワイ真珠湾攻撃の奇襲による大勝利報道

・マレー沖の英国不沈戦艦「プリンスオブウエールス」の撃沈報道 

・マレー半島、香港、フイリピン、ビルマ、など南方上陸作戦の快進撃報道、

みな12月8日からほぼ1週間の出来事である。

 

●京都大学の中西寛教授は、著書で語る。

「真珠湾の勝利報道を聞いて 日露戦争の勝利を想起した人も少なくなかった。
しかし真珠湾は、日本の政治的選択としては「死への跳躍」だった。

死中に活を見出だそうとする賭けだった。

日本は圧倒的な国力の差を知りながら、戦いを挑み破滅に至った。」

 

●戦争が激化するなか、隣組にはこんなポスターが貼られ、国民を鼓舞した。

「欲しがりません、勝つまでは」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」なかなかの名文である。

 

●しかし戦争推進派ばかりでなく、この間、戦争回避に動いた人たちも多かったと聞く。

作家、猪瀬直樹著の「昭和16年夏の敗戦」 中央公論(648円)によると

当時の政府内部の若手エリート集団が、16年夏の早い時点で、いち早く戦争回避に動いたが、
大勢に押されて、追い込まれていく経緯が詳しくしるされている。

 

4年足らずの戦争の結末は余りにも無残だった。犠牲者は310万人に及ぶ

夜を日に継ぐ本土空襲、沖縄戦、そして広島と長崎の原爆投下で止めを刺された。

 

太平洋戦争の直接被害

            (死亡)       (行方不明)

軍人軍属  155万5308万人    30万9402人

・銃後国内   29万0948万人   36万8830人

 

 

 

進む戦争の風化

 

開戦当時10歳で小学3年生だった人たちは既に80歳になるが、いま826万人

しか生存しない。全人口のわずか6,6%に過ぎない。

一方いま戦争を知らない国民が、全人口の93%にも及ぶ。

開戦70年、ますます戦争の風化が進む。

この機会に第2次戦争の経緯を通じて先人はなぜ戦争をせざるを得なかったか。

そして国とは、愛国心とは、まず戦争を知るシニアが、戦争体験を具に語って欲しい。

 

●愛国心と戦争体験は、大いに関係ありとする識者の声も高い。

かって作家の小田実さんは愛国心とは国のために死ねる」ということだと述べている。

2次大戦開戦70周年を基点にして、改めて311後の新しい日本を考え直すのも素晴らしい
事と思う。 貴重な日本民族の戦争体験を風化させててはなるまい。

 

いま、なぜこんな無謀で忌まわしい戦争をしたのか、疑問をもつ人が多い。

今となると、よくもこんな無謀な戦争をしたもんだと、悔やまれる事しきりだが、

・「自虐史観」だけでは何も生まれない。

・過去を非難するだけでは何も生まれない。

今こそ夫々が、誇りと自信を持てる日本を創る気概が必要だと思う。

                                                                                                   (山)

■古都倉敷を往く

2011-08-14 | ●日本事情

■■■■■■■■古都余情■■■■■■■■

NPO・JTIRO 代表理事 山田清之
(文と写真)


(中村昭夫写真集「倉敷」より)

戦後5年、今を去る61年前の1950年11月のこと
いまだ戦禍癒えぬ日本にあって、いち早く文化による平和復興を願って、
稀有な文化討論と国際音楽会が、
受胎告知など泰西の名画が並ぶ
大原美術館のメインギャラリーで開催された。
これは、日本におけるギャラリーコンサートの草分けだったと聞く。



当日のパネリストは、いわゆる白樺派の錚々たる作家や芸術家たち
 志賀直哉、武者小路実篤、梅原隆三郎、棟方志功、柳 宗悦の皆さん 
そしてフランス文化使節として来日した
 ピアニストのラザール・レビンさんと、安川加寿子さん
司会は、大原総一郎さん(倉敷紡績、クラレ、中国銀行の創始者)だった。
当日のギャラリーは、大原美術館から招待された50人ばかり、
その中に、
まだ少年の私がこの場にいた事は、いまだ何故か判って
いない。
言葉に言い尽くせない感動に陶酔したことを、いまも鮮明に覚えている。
私にとって、生涯忘れ得ない至福の出来事であった。


(知人の故人写真家中村昭夫氏の写真集倉敷)

 

先日タイ人の知人から、日本の伝統美の研究のために、倉敷を訪ねたいとの
問い合わせがあった。
そこでブロガーの私の故郷,「古都倉敷」を久方に訪れる事にした。
大阪から新幹線で、わずか1時間あまり。
古都倉敷は、地元の人たちの努力で、昔の面影を大事に残しながら、整然とした
佇まいが極めて印象的
だった。


(今日もロダンのレプリカがたたずむ大原美術館正面)

本館には西欧の近代絵画と彫刻を合わせ約140点を常時陳列してある。
主な作品はエル・グレコの「受胎告知」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」
クロードモネの「睡蓮」など、泰西名画の名作
が大量に展示収蔵されている。
詳しくは http://www.ohara.or.jp/

 

 


(大原美術館分館前庭から倉敷国際ホテルを望む)


(名画モネの睡蓮に因んだ池から工芸館を見る)


(棟方志功室から見た東洋館)

 

 




(美術館に隣接するエルグレコに因んだお洒落な喫茶店

 


(大原美術館前の瀟洒な大原邸の佇まい)

 
●倉敷の歴史文化に詳しい神野力 氏は
倉敷を今日有らしめた遠因には、倉敷が天領であり、徳川幕府の権力と
庇護のもとに
周辺の物資をこの地に集め、ここに冨商を生んだ事を忘れてはなるまい.

●しかもそれは江戸や上方と直接つながるところから、彼らを中心にして
これらの
文化を倉敷にもたらし定着させた。
倉敷川をはさんで、残っている白漆喰の土蔵や民家のもつ品格の高さは、
そうした彼らの自負から生まれた」



 

 


●大原美術館を核に倉敷川の両岸にたたずむ白壁の民家や土蔵群を
美観地区」と言うが、いかにも表層的な呼称で、私
にはどうもなじまない。
伝統的な美しい情景の真髄に触れる、いい呼称はないものか。

 


(倉敷民芸館)


(倉敷段通や銘酒萬年雪や酒津焼の陶器などの伝統的なお土産のかずかず

 

 

大原孫三郎、総一郎親子二代により、明治以降、
紡績などの先進工業地帯を倉敷に構築し、同時に旧市街地を
そのまま残して、近代的な伝統文化都市として
昇華させた。
まさに見事と言うしかない。

因みに、現在の倉敷の人口は48万人、岡山県第2の都市である。
聞くところでは、倉敷にある三菱自動車の工場から、次世代の電気自動車が
続々と生産されつつあると言う。

詳しくは http://www.city.kurashiki.okayama.jp/

 


(西欧風の壮観を誇る、ホテル倉敷アイビースクエア)

かって江戸幕府の代官所跡だった市街地の一角、明治22年に創立された
倉敷紡績旧工場跡地に 
昭和48年倉敷アイビースクエアが誕生した。
旧い紡績工場外壁の赤煉瓦を生かして、プラザと言う発想概念による
中世風の
大広場が実現した。
●そして、当時の若者のトレンドだったアイビールックに因んで、アイビースクエアと
命名された。
そして赤煉瓦の外壁は、緑なすアイビーの蔦で覆い這わされた。
若々しく新鮮な感覚は、伝統的な古都倉敷の人たちを驚かせたものだ




実は38年前の当時、先端的な文化人として著名な俳人の楠本憲吉さんと
私は、外部アドバイザーとしてこの革新的なプロジェクトに参画した。
赤煉瓦の広場、プラザの発想は、確か楠本憲吉さんの提案だったと思う




●開発事業を担当したのが、本社が大阪にある
名門企業倉敷紡績の総務部だった。
当時の倉紡は、台頭する日本のファッション市場をリードする先端企業としてどの
部門も
活気にあふれていた。
開発担当は京大出身で当時、総務課長の狩野輝夫さん、東大出身で次長の寺地さん、
いずれも40台の
品位ある素晴らしい方々だった。大変お世話になった

今回も、私はアイビースクエアに泊った。
相変らずホテルは、多くのシニアや若い人人で賑わっており、その革新的な建築発想の
斬新さは、今もって、いささかも衰えを見せていない。うれしい限りだ。




(アイビースクエアにある倉紡記念館


(天領倉敷の氏神さま阿智神社)


(愛くるしい素隠居の面)

倉敷阿智神社の秋祭りは、全市街挙げての五穀豊潤の祭りである。
幕府天領時代からの伝統の彩合いが濃く
、海外からの観光客も多い。
祭りの期間中、愛くるしい表情の爺婆
の素隠居が、渋団扇をかざして街中を闊歩する。
その時、古都倉敷は、街を挙げて天領,代官時
代に回帰する。


(天領時代からの白壁の町家)

 
天領代官の伝統に育まれた倉敷には、古くから美酒が多い。
地酒醸造の森田酒造の「萬年雪」は、天領倉敷を代表する名酒だ。
●この夜も、地元の友人を誘って,旧知の民芸茶屋「新粋」を訪ねた。
酒よし、肴よし、米よし、店内は,相変らず盛況を極めていた。
「酒置歓語」、これは俳人楠本憲吉さんの言葉だが、うまい地酒を傾けながらの歓談は、
尽きることを知らない。
古都の夜は、静かに更けていくのだった。


日本の伝統文化や芸術研究のために、ロングスティする外国人のための有隣庵

待望の町屋ゲストハウスが、地元倉敷の中村さんの努力によって、
築百年の
旧い民家で実現することになった。
国の内外を問わず、日本の暮らしや文化や芸術に関心ある人たちのための
町屋ゲストハウスである。
●秋祭りの頃に、最低10日程度この町家にロングスティして、気ままに日本人の
生活や習慣を体験し、美術館や民芸館に通いつめて貰いたい。

集積された日本の代表的な芸術作品を鑑賞するだけでも、その収穫の素晴らしさは
十分予測できる。 
タイの若者にも、ぜひ勧めようと思っている。
因みに倉敷まちなかドミトリーの和室居住料金は、
1ヶ月滞在の場合1日1500円。
詳しくは、 http://www.u-rin.com/

魅力ある国際交流の新しい試みが始まった。期待したい。


 (街中にある名刹、誓願寺)

 THE END

■「お爺ちゃんの知見」

2011-04-19 | ●日本事情
 一体なにをしているのか?」
●東北地方巨大地震から、早くも1ヵ月がすぎた。
地震,に津波、加えて人災ともえる原発被害と風評被害。
荒廃した被災地の状況をみるたびに、自然の猛威におののく。



●今も集団的な避難生活を余儀なくされる34万人にのぼる被災者の
人たちの心情は、
図るに余りある。
しかも、震災に直接関係なかった私どもだが、
毎日のようにもたら
される
糸口が見えない恐怖の原発情報によって、
動く意欲まで
殺がれ、
気が晴れない毎日が続く。

府や、数多くの国会議員は、一体 何をしているのか。
復興か復旧かの名目的な議論ばかりで
何が何でもやるという気骨が伝わって来ないし、言葉も顔も見えない。
全く腹立たしい限りだ。

戦後昭和の気概、再び
●そういえば、子供心に残る戦後すぐの大阪の街を思い出す。
度重なる爆撃で建物は焼き尽くされ、見渡す限り 焦土と廃墟だった。
そして何十万人の人たちが、犠牲になった。
しかし生き残った人々は、再生の産声をあげ焦土の中から立ち上がった。
貧しい中にも、みなぎる活気とやる気が充満していた。
 
 
その後日本民族の創意と努力と協働で、
新幹線を通し 東京オリンピックを
招致し、大阪万博を成功させて、
戦後日本を華々しく世界にアピールした。
そして戦後昭和の40年間に、世界第2位の先進国の地歩を築いた。
そこには、危機に立ち向かい,復興を推し進めたれた指導者が
いた。
 
明日の復興のヒントは、歴史の中にありと言はれるが、
残念ながら今の政界には、身を呈して世の中の局面を打開する逸材が
見当たらない。
危機的に見て「2度目の戦後」と言はれる所以だが、救世主的人材が
切望される。
お爺ちゃんの知恵
併せて,かって戦後昭和の再建を体験し,日本構築に貢献した老練な
シニア
の人達「お爺ちゃん」の知見と価値ある発言が、
今こそ不可欠のように思えてならない.                     
(山田清之)
 
[参考資料]
■世界各国・地域・国際機関からの
 救助チーム・専門家チームの受け入れ状況(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/pdfs/ukeirenittei.pdf
■諸外国等からの物資支援・寄付金一覧(PDF)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/pdfs/bussisien.pdf
 

■相互扶助が支える日本社会

2011-03-31 | ●日本事情

■■■寄付先進国,日本■■■ 
          (東北地方太平洋沖地震特集・第4弾

東北巨大地震,その後
東北地方太平洋沖地震から、ほぼ2週間が経過した。
漸く、地震と津波のおびただしい被害の全容が判ってきた。
自衛隊の献身的な復旧活動で、高速道や国道など輸送インフラが
回復し、救援支援物資やガソリンなどが被災地に届くようになっ
た。
しかし福島原発の修復が進まず、一進一退の危機的情況が続いている。

相互扶助が支える日本社会
●そんな中で、内外から暖かい支援の朗報が届く。
広がる支援は、世界130ヶ国に及ぶ。
中でも日本国内の個人義捐募金が、驚くほどの速さで集まり、
赤十字
募金を始め義捐金総額は、既に700億円を超えた
 
●嘗てJTIROでは、世界の寄付行為について何度か特集を試みた事があるが、キリスト的慈善習慣のある欧米諸国はもとより、中進国のタイでも托鉢を
含めて、
平均所得の3%を超える寄付習慣があることが判った。
 それにひきかえ日本は、世界有数の経済大国にも拘わらず
「日本の美風」である人のために尽くす慈善のしきたりが廃れ、自己中心主義が跋扈しかけた事を嘆
く論調が目立っていた。
そして寄付文化が根ずかない日本の国民性が、世界から白眼視されてきただけに、今回の日本の国民的寄付行動には、正直言って
安堵した。
 
●国際学者の藤原帰一東大教授は、
ダイヤモンド誌の東北地方巨大地震特集「負けるな日本」のなかで
「この惨事に見舞われた人びとの姿が美しかった事だ。
私が直接経験したのは、当日の東京都内の移動にすぎないけれど、
電車が止まり道路は動かないなか、誰もが取り乱すことなく歩き続けた」そして
報報をインターネットに載せる仕組みもすぐにできた。」
「テレビの報道以上に、ツイッターやウエブサイトに表れた人間としての品格を失うことなく苦しい状態に対処する姿に、私は感動した」
おわりに 
「日本に住む人々は、信頼と相互
扶助がなくては社会が成り立たない事をごく当然のように認識し、実際に助け合いを続けていた」
と、
相互扶助が支え日本社会の現況を絶賛している。

日本の寄付白書
●おりしも日本ファンドトレーディング協会から、初の日本の寄付市場統計調査による「日本の寄付白書23010」が発表された。
この「寄付白書」によると、
   ・日本人の年間寄付総額はなんと5455億円、
   ・寄付をした
人は3766万人にもなるという。
これは日本の15歳以上人口の約34%にあたる。

●そして、日本の企業の年間寄付総額は、4940億円(2008年度)で、法人所得に占める割合は1,4%になる。

日本の個人と法人の寄付総額は、一兆円を超える事が判ってきた

そして同協会のインターネット調査(13890人対象)によると、
寄付の手段は、個人では募金箱が53%、街頭募金が32%を占め
インターネットのクリック募金のWeb寄付が、14,7%に達した。

期待される寄付先進国日本
●之により、日本が寄付の先進国であることが実証されたわけで嬉しい限りだ。
寄付文化が根ずかない先進国日本という汚名も、これで完全に払拭された事になる。
最近ではボルヴィックの「1リッター・フォー」や、ネピアの「千のトイレプロジェクト」など、寄付付き商品のファンドトレーディングが身近に見られるようになってきた。
これらは、消費財メーカーが、社会貢献を志向しながら、自社の売上高も上げることを目指す「コーズ・リレーテッド・マーケティング」と言う新しい市場戦略として、日本でも注目を集めている。
また社会貢献活動のNPOでも、企業と協働(コラボレーション)することによって、新たな活動資金が得られるファンドレ-ディングの期待がますます高まっている。
今回の巨大地震の支援活動を通じて、お互いの痛みを分ちあい、
助け合う心の交流が,新たな日本の寄付文化として根ずいく事
が期待さる.                                                              
(山田)
                             
【参考資料】  
東日本大震災の日本経済に与える影響と教訓」
−高齢社会における防災と地域づくりのあり方について
http://www.emyline.net/report.htm?id=51805
(発表)富士通総研 2011-03-31                                                     

■東北地方太平洋沖地震

2011-03-12 | ●日本事情

■■■■■■■■■■■緊急情報■■■■■■■■■■■
(13日巨大津波地震の被災地で救援活動を開始した救援隊)提供AFP

観測史上、最大規模の地震が発生
12日発生した東北大地震は「平成23年東北地方太平洋沖地震」
と命名された。マグネチュウド9,0 観測史上、最大の規模と言う。

一夜明けた12日、次々と甚大な津波被害の惨状が報道される。
警察庁の発表では死者600人、行方不明者が1200人を超えた。
しかも、いまだ連絡さえ取れぬ村や町があるという。
そしていまも余震と津波が継続的に続く。

先ほどの宮城県の発表では、宮城県の死者は、最終的に1万人を
超えるとの予測を伝えた。

現地の人々の不安な面持ちが痛ましい。

●そして今朝、管首相は、被災地を空から視察した。
自衛隊5万人を投入して、被害地の救援にあてると表明した。
警察庁、消防庁、海上保安庁など、最大限の力を合わせて、
生存者と孤立した人々を救う活動を展開すると言う。

タイコク政府の援助拠出と海外からの支援に感謝
●タイ国政府は、日本政府に対しプミポン国王夫妻の弔意の書簡と500万バーツ(約1400円)の義捐金を送るとともに,レスキュー救援隊(24人と6頭の救助犬)と35人の医療救援隊の派遣を表明した。
また別にタイ国政府は、2億バーツ(5億6千万円)の特別予算を
上し、救援物資の送付や在日タイ人の救援支援に当てると言う。

●現地からの情報によると、
日本に滞在するタイ人は42200人を数え、首都圏に約3万人、
東北、宮城県には300人が、就業又は就学中と言う。
いまタイ外務省は、安否の確認を急いでいる


日本各地で実施予定の「タイ検定」は、最終的に中止になった模様。
●タイ国際航空の羽田発バンコク便は、順次正常に戻りつつある

オバマ米国大統領は、
「最大の友好国日本の災害に際し、特別救難支援隊を派遣する

併せて、空母
一隻が現在、日本に急行中。
日本在留の空母と2隻で海上基地を構築して、海からの支援救援活動と、
今後の災害復興支援に当たりたい」と
公式発表した。

■シニアブロガーのつぶやき

2011-02-25 | ●日本事情
■■国憂う、シニアブロガーのつぶやき■■ 
  
                                                         代表理事・山田清之
タイロングスティの再構築
●成熟期を迎えたタイロングスティを総括し検証する旅を終えた。
現地の様子やデータや体験者の声を交えて、ドキュメントに構成し検証
したいと考えている。
そして、冒頭の時論でも触れたように、これからロングスティする団塊世代
の方達のお役に立てばと期待している。
 
世界を革新するWebの威力
●エジプトや中東の騒乱を見ると、
虐げられた国民感情が、Webネットを通じて、あっと言う間に、世界に伝播
する様相を見て、改めてWEbのすごさを思い知った。
NPOの協働活動にも、ツイターやフェスブックなど進化するWebの多面的
な活用が問われる時代がやって来たと確信する。
 
改めて戦後昭和の検証と伝承
●ニューズウイークの幸福度世界ランキングを見ると、戦後わずか65年で、日本は
よくもここまで来たものと、感慨新ただ。

やはり成功のキーワードは 平和、英知、創造 伝承、健康、協働だと思う。
これから、この成長力をどう継続するかが、当面の命題になる
 
 そのためにも、まず素晴らしい日本社会を構築した「戦後昭和」を再検証して 
世代体験者であるシニアが一念発起、
次世代にその真髄を伝承
する必要を
痛感している。
 
●なにはさておき、何もしない,何もできない、税金泥棒まがいの無能な政治家
たちの総退陣をお
願いしたいものだ。
 
因みに「戦後昭和」とは
半藤一利さんと保坂正康さんの共著、【「戦後」を点検する】によると
●「戦後」  第1期、昭和20年〜26年 占領の時代 
●「戦後」 第2期 昭和27年〜35年 独立、そして政治闘争の時代
●「戦後」 第3期 昭和36年〜40年 高度成長前期 オリンピック迄
●「戦後」 第4期 昭和41年〜47年 高度成長後期 沖縄返還迄
●「戦後」 第5期 昭和48年〜57年 価値観見直しの時代
●「戦後」  第6期 昭和58年〜現在まで 国際化の時代 
「戦後昭和」は、戦後独立の昭和27年から昭和57年までと定義されている
 
終わりに
●検証したり、痛感したり、確信したりの昨今だが、
これも現況の日本に飽き足らない、シニアブロガーの
ハングリースピリットの証なのか。
                             

■あきらめない!

2011-01-30 | ●日本事情

■■■サッカーアジア杯・日本優勝の快挙■■■
                  
執念と不屈の勝利
●深夜午前3時,サッカーアジア杯決勝戦(主催国カタール、ドーハ球場)
日本1−0豪州、ついに強豪に競り勝った。
不屈と執念の凄しい勝利だった。

閉塞感の強い日本に、挑戦力の素晴らしさを教えてくれた
先行され追いつき、そして追い越す。日本チームは、驚くべき執念で駆けあがってき
た。

諦めることを知らない日本選手の不屈の挑戦力に感動した
韓国も豪国も善戦した。
これで、日本チームは宿願の「ドーハの悲劇」の汚名を返上した事になる
                                       (山田)
(注)ドーハの悲劇
1993年ワールドカップアジア地区予選大会決勝戦で、日本は先行したにもかかわらず
最後の決勝戦で強豪イラクに追いつかれ、本大会に出られなかった。
その無念を新聞報道で伝えた標題が「ドーハの悲劇」ひしひしと無念さが伝わって来た。
確か,
この言葉を初めて使ったのは「夕刊フジ」だった。 (写真提供はAFP)

■最新、日本のシニア事情

2011-01-05 | ●日本事情

■■■おひとり様シニア急増■■


●「一人暮らしの高齢者世帯が急増
お一人高齢者世帯は
2005年の387万世帯から 
・2030年には、717万世帯と倍増が見込まれる
しかも、高齢者単身世帯の持ち家率が64%(2008)と低いため、
家を持たない高齢者が安心して住める賃貸住宅の環境整備が、
当面の地域コミュニティーの、大きな喫緊の課題
と言はれる。

●「高齢者向け生活支援サービスが始まる
おひとろさまのための、NPOの強力な支援の仕組みとして、
 ・高齢者のマンション入居と、
 ・介護サービスを複合化したNPOの新しい事業が、随所で始まった。

●「コミュニティーハイツ」(福祉長屋)」
当初は、都会地における空室利用のケアーつき住宅の提供事業だったが、
福祉系の市民活動を支援するNPO法人市民福祉団体全国協議会
(加盟450団体)は、この事業を「コミュニティーハイツ」(福祉長屋)と
名ずけて全国展開をはかる計画だ。

●「良質の生活文化環境をいかに提供するか
日本の研究者、NPO,行政、企業による協働研究会が、随所で始まった。
嬉しい傾向だ。その成果が待たれる。
従来の老人ホームを越えた新しい 高齢者住宅サービス、 
・食事、掃除などの家事、
・健康管理、介護、
・緊急時対応、
・世代交流、
・生活情報提供など、

■第2次世界大戦開戦記念日

2010-12-08 | ●日本事情

■■■第2次世界大戦開戦記念日に想う■■■
       「参考映像:日米合同軍事演習」           

忘れえぬ日本の歴史の日々
今日は、日本人にとって忘れ得ない第2次大戦の69回開戦記念日。
昭和16年(1941年)12月8日, 今を去るほぼ70年前の出来事である。
高齢者シニアにとってこの
日は、それぞれ格別の思い出があるはずだ。

いま、後期高齢者のほとんどのシニアは、当時小学生だったわけで、開戦時
のハワイ奇襲作戦の大勝利を告げる「大本営発表」のラジオ放送や、
親や青年男子が、連日歓呼の声に送られて聖戦に赴く町や村のの情景は、,
いまだに脳裏を去来し、いささかも忘れる事はい。

それから4年後、東京や大阪など全国ほとんどの大中都市は、B29の戦略
爆撃で焦土と化した。
そして終戦間際の広島、長崎の原爆投下で、日本の聖戦は悪夢と変り、わが
日本は、屈辱的な敗戦を迎えた。
それは余りにもあっけなく、膨大な犠牲を払うことになったみじめな終焉であった。
わが日本は、この大戦で兵士230万人、民間人80万人、合計310万人の
膨大な死者の犠牲を余儀なくされた。

●それからの戦後65年、生き残る事への模索、国土の再建、そして世界との
協働のなかで、瓦礫と廃墟の中から這い上がってきたニッポン民族のマンパワーと、
その創造力が
、米国に次ぐ世界第2位の経済大国を築いた。
これは、まがいなく世界史に残る日本民族の偉業だと、誇りに思う。

第2次大戦後、東南アジアでは、せききったように、かっての欧州大国の
植民地であったインドネシア、マレーシア、ベトナム、カンボジア、インドなど、
優れた伝統を持つ南の国々が、晴れて自主独立を実現した。

この第2次大戦が、間接的にこれらの国々の自主独立を促す契機になった
事はうれしい。そして今では、親密な友好国として東南アジア連携に大きな
役割を果たしている。

期待されるシニア高齢者の役割
●ところがいま、310万人の同胞の犠牲と引き換えに勝ち取った平和と経済
大国の
偉業が、
後進の国々の急速な経済の追い上げと、嘗てない国家間の軍事相克の
局面に直面して、揺らぎに揺らいでいる。

21世紀は、日本にとってまさしく「アジアとの時代」であるが、最近になって
北朝鮮の韓国への挑発問題、中国の尖閣諸島領土問題、韓国の竹島不法
占拠問題
など、隣国、東アジアのきな臭いトラブルが頻発している。


しかも戦争の厳しさや、その経緯を知る当時の少年達は、いまやことごとく
シニア高齢者となり、もう経済、外交の前線にいない。
しかも、このシニア高齢者を除く残った8割の国民のほとんどが、第2次世界
大戦を知らない。

●憲法第9条があれば、軍事力を持たなくても、平和や国土が保てるなどと、
ノウ天気な
発言をするアホナ政治家もいるほどだ。困ったものだ。
こうして日ごとに第2次世界大戦の風化がすすむ。

それだけに、戦争体験をもつ高齢者シニアの、開戦記念日にまつわる積極的
な発言と取り組みが、真摯に求められる所以だ。
     (山田清之)

読んでいただきたい本
●「図解太平洋戦争」  後藤寿一監修 西東社刊 720円  
●「戦後」を点検する」  保坂正康,半藤一利、著 講談社現代新書、760円

■タイ山岳民族■

2010-04-07 | ●日本事情

■■■夢の家訪問■■■(1)

(寄稿)

在チェンライ
中西英樹

タイ山岳民族の実像
●いくらタイ政府の定住化政策があるにしろ、山岳民族は本来、焼畑移動農民で
あるから、点在してタイの山奥で暮らしている。
近くに学校があれば良いが、そうでない場合、子供は学校に通えない。

山岳民族は独自の言語を使っているため、学校に通えなければタイ語を習うこと
が出来ない。
タイ国内において、タイ語の読み書き、会話が出来ないことは自分を引き合いに
出すまでも無く、大変なハンデキャップだ。

●タイ北部ではキリスト教のミッショナリーを始めとして多くのNGOが山岳民族
子弟の教育支援を行なっている。
小学生以上の子供を集めて寮に寄宿させ、近くの学校に通わせる、
子供をコミュニティや親兄弟親戚から引き離して、親とは違う言葉を教え、古来の
文化を忘れさせてしまう、こういうことで良いのか、という声はあって、教育支援
ではなく山岳民族の文化を守るために活動しているNGOもある。

●しかし、固有の文化、伝統の保存、継承も大事だが、まずタイで暮すにはタイ語
初等教育を受けることが大切だ。
その後、できれば高等教育、職業教育を受けてより収入の高い仕事につくこと、
少なくともちゃんとした仕事に就くチャンスを掴むことが重要だ、と考える人は
NGOのみならず、山岳民族の中にも多い。

夢の家を訪ねる
●いずれにせよ、世界中から多くのNGOが少数山岳民族の支援を行なっているので
るが、彼らのタイにおける地位向上にはまだまだ問題が山積しているのが実情で
ある。
日本のあるNPOに同行して、チェンライ県メースウェイ郡ワーウィー地区にあるスー
ファン寮(夢の家)を訪れる機会があった。
 
夢の家は、20年ほど前、アカ族出身のアリヤ・ラッタナウィチャイクン氏が始めた
子供寮である。
現在20名の小学生から高校生の子供が在籍している。内、高校に通っている高校生
学校のあるチェンライ市内に寄宿しているため、夢の家にはいない。

●夢の家はチェンライ市中心からチェンマイに向かって約50キロ、
118号線からメース
ウェイ川手前の道を右に折れ、山道を28キロ登った所にある。
アリヤさんはこの近
のアカ村、センチャルンマイ村出身だ。
21歳の時、親が面倒を見ら
れない幼児のために保育園を作った。
 
保育園を卒業しても、家庭の都合で小学校へ行けない子供がいる。
流れで、学校のくに子供寮を建てて、そこから子供達を小学校に通わせた。
以来、彼は50人を越える子供達の面倒を見た。
自分の収入だけでは寮の運営が難しく、財政的な危機が何度かあった。
何とか日本や欧米のNPOの援助で乗り越えてはいるが今でも決して楽ではない。

アカ族の小供たち
●さて、夢の家に着くと、十数人の子供達が迎えてくれた。
皆、アカ族の子だ。
女の子の数がいくらか多い。
学校がある間はこの寮で集団生活をして近くの小中学校に通い、夏休みなど
長期休暇
のときは自分の村に帰る、という生活だ。
家庭の都合でずっと寮に住んでいる子もいる。

NPOの理事長で京都の医師、A先生から頂いた子供達のプロフィールを読む。
氏名、年齢、入所時期、入所の背景、将来の夢などが各自の写真入で紹介されて
いる。

●「男子15歳、6人兄弟の2番目で家庭が貧しく、IDカードも無い。父が麻薬常習者。
将来の夢、ボクシングの選手になって家族を楽にさせたい」
「男子13歳、両親が離婚し、祖母と二人暮らし、麻薬や酒に走った父のようになら
ないよ
うに勉強させたいと言う祖母の願いで入所。
将来の夢、軍隊に入って自分の国を守りたい」
「女子12歳、ミャンマーから来たばかりでIDカードがなく、他の学校に入れず、
勉強したいため入所した。
 
●将来の夢、看護師(村に医者がいないから)」
「女子13歳、生活が貧しく、また村には小学校しかなく、どうしても中学校に行き
かったため。
将来の夢、教師(自分が教えた子も次の子に教えて欲しい)」
入所に当たってはアリヤさんが個々の家庭の状況と子供の希望を聞いて入れるか
ないか決める。
 
●アカ族によるアカ族の子供のための寮だ。入所する子供は女の子の場合、
貧しくて
このままでは都会に売られていくという子が多い。
男の子は親が麻薬に手を出したとか、離婚で片親と言う家庭が目立つ。
貧しくて家庭的に恵まれないからと言うだけでなく本人が本当に勉強したいのか
どうかを見極めることが大切とアリヤさんは言う。         (続く)

■感動都市、古都チェンライ■

2009-03-10 | ●日本事情

異文化が集積するタイ最北部の感動都市・チェンライ■  

●緑なすタイ最北部の重層する山並み、その山懐に抱かれた古都チェンライは、 多様な山岳民族の街です。古代からの遺跡や、伝統ある寺院、庭園が数多く点在 し、いずこからも古都の趣が伝わってきます。

●チェンライは、1262年に時のマンラーイ王により建設されラオス, ミヤンマ ー、中国南部への交易の要衝として栄えました。

交通
●空路:バンコクからタイ航空国内便で約1時間20分、1日4〜5便    :チェンマイからは空路35分、1日2便
●バス:チェンマイから約3時間、180KM     :バンコクからは11時間、1日13便、距離は北へ800KM、 

ホテル
●フォーシーズンズなどの名門ホテルはじめ、リゾート風の洗練されたホテルが 出迎えてくれます。 ・アナンタラリゾート ・デシィトアイランド・リゾート ・ザ・レゼンド・チェンライ・ブテック、リゾート

観光客
●チェンマイ同様、欧米からの観光客が多く、日本からの観光客も増える傾向で  す。

景勝・観光地
●ワット・プラ・ケオ
●ワット・プラシン
●プラタート・ドイトゥン
●メンライ大王記念像
●ナイトバザール
●チェンセンの遺跡
●山岳民族博物館など
●アナンタラリゾート
●エレファントキャンプ
●最北端の町メーサイ、ミヤンマーとの国境の町
●ゴールドトライアングル(タイ、ミヤンマー、ラオス3国の国境秘境地帯) 

交通手段
●人力サムローに、トゥクトゥク(1回50〜70B)も増え便利です。

ロングステイの息吹き
●いま、そこに新しいロングステイの息吹が、始まろうとしています。 すでに200人を超える日本のシニアが生活滞在しており、チェンライを目 指す、団塊シニアがふえいます。

●何にもまして静寂で豊かな自然環境、伝統に彩られた生活環境、そして食材や、 医療、Webなど、生活インフラが十分備わり、 しかも生活物価が安く最高のロングステイ環境といえます。

●少数民族の子供たちを支援するロングステイャー、日本の銘米を作付けする人、 タイの子供たちに日本語を教える人など、 異色のロングステイャーが増えています。

JTIROの取組み
●JTIROでは、今年からチェンライを生活体験するミッションを催行し、併せて現地の生活文化情報を、順次お届けします。 

●チェンマイ&チェンライ、ロングステイと介護ロングステイ体験ミッションも検討中です。