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心構え

2012-02-13 09:26:00 | 日記
 小学生の頃だったと思うが近所の同級生の家が火事で焼け、暗闇の中で真っ赤に燃え上がる炎を恐怖に駆られて呆然と見つめた記憶がある。それから何回か火事の現場に遭遇したことがあるが、いずれも、もうもうと立ちのぼる煙だけしか見えない現場だった。ところが昨年3月11日、帰宅難民となって五反田から横浜まで歩いて帰る途中、多摩川を渡る時に遠く千葉の方面にオレンジ色の炎が暗い夜空の中上がっているのを見た。コンビナートのタンク火災だった。このタンク火災はその後なかなか鎮火せず、火が消えるまで10日を要した。

 東日本大震災では津波による大きな被害は出たが、原発の事故は除いて火事による被害は散発的なものだった。あれからほぼ1年が経過し、じわじわと首都圏近辺で起きる地震が怖くなり始めている。東京消防庁の勇姿は福島でたっぷり見せてもらった。しかし、その勇姿も数百いや数千箇所で同時多発する石油タンクやガスタンクの爆発炎上、ビル火災、住宅密集地の火災に対応できる機動力を持っているとはとても考え難い。

 大きな被害が出なかった都心でも昨年3月11日は幹線道路に車があふれ、目的地に自動車で到達するのはほとんど不可能な状態になった。私も五反田から歩く途中、渋滞に巻き込まれて動かなくなった満員のバスを何台も追い抜いた。あちこちで建物が損壊して火の手が上がり、通信手段が遮断されることになれば当然のことながら幹線道路は車と人であふれかえる。大規模に多発するだろう火災現場のたった一箇所にすら消防車が到達することができないことも予想される。

 大正12年に発生した関東大震災では、舞い上がる火の手を避けて建物のない広場に逃げた人々を狙うかのようにあちこちで発生した超高温の炎の竜巻によって、かなり大勢の人々が焼死している。本所の陸軍被服廠跡地に逃げ込んだ人々が最も悲惨で、この竜巻にやられて一気に4万人も焼死してしまった。同じような現象は東京大空襲で発生した火災の時にも起きたようだが、広い範囲で発生した火事で熱せられた空気が上昇気流となり、炎を吸い上げながら渦を巻いて燃える。普通車程度の重さなら軽く吸い上げてしまう勢いらしい。しかも鉄すら溶かすほどの高温であるため、酸素を求めて動きまわる炎の竜巻があらゆるものを燃やしながら延焼を広げていく。この現象を「火災旋風」と呼ぶ。たとへそこが燃えるもののない安全な広場のように見えても、火災発生地点の中心地のような場所に逃げ込んでは行けないということだ。

 しかし、大きな揺れとその後に来る津波や火事の恐怖の中で正常な判断をすることができるのかどうか、大いに怪しい。それでも慌てるだけで周囲が見えなくなってしまっては助かる可能性を大きく減少させる結果になる。難しいことだが落ち着いて迅速に行動したい。また、せめて自分の周囲からは火災を発生させない処置をするよう努力する必要はあろう。義務といってもいい。
 今個人のレベルで何を用意しておけばよいか、地震に備えた物品の準備は当然ある程度考えておかねばならない。しかし、結局最後は「その時」どういう行動が出来るか、にかかっている。今住む場所、暮らす場所、働く場所の周囲をよく観察し、一緒に生きる人達を慈しむ気持ちを強くして行くのが最も良い準備の仕方だろうと思う。恐怖を感じることは身を守るために大切な対応だが、前向きに生きてこその恐怖なのだと考えたい。(三)


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