晃太郎の日常…町の片隅で

ある大学の吹奏楽団員にして乗り物好きなトランペット吹きの若者 今日は何の曲を吹いて、何処へ行き、何を思うのやら…

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時は来たれり!!(2)

2011-09-17 23:53:46 | 演奏日誌

日付が変わる頃、進行方向右手には松山の夜景が広がっていました。


0時35分頃、名門大洋の下り1便、「フェリーおおさか」と対向。同じ会社の船と対向する際は、互いにファンネルマークを点灯します。


予定より少し遅れて、1時35分頃に来島海峡大橋を通過します。正式には来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋と分かれていて、これからくぐるのは来島海峡第三大橋です。

通常、船舶というものは右側通行と定められています。しかし来島海峡大橋については世界でもここだけという、潮流の向きによって通行経路が切り替わる特殊な方式となっています。
この時は潮流の方向が北向きだったので、通常通り右側通行で馬島と小島の間の「西水道」を通りましたが、潮流の方向が南向きになると左側通行になり、短く屈曲の少ない馬島と中渡島の間の「中水道」を通ります。

実際甲板に立って眺めていると、手前で速力を落とし、割合大きく舵を取りながら通過し、再び速力を上げるという一連の流れはなかなか面白いですよ。


草木も眠る丑三つ時の2時過ぎ、名門大洋の下り2便「フェリーきょうと2」と対向します。
これと前後して、立て続けに大型フェリー2~3隻とすれ違いました。来島海峡大橋の通過時刻からすると「フェリーすおう」(阪九フェリー)→「さんふらわあ ぱーる」(ダイヤモンドフェリー)→「フェリーきょうと2」(名門大洋フェリー)→「さんふらわあ あいぼり」(関西汽船)の順と推察されますが、何分真っ暗で、また「フェリーきょうと2」を除いてファンネルマークも消灯していたので、特定は出来ませんでした(おまけにかなりブレたし……)。


かなりブレていますが、まだマシな一枚を。マスト先端のものと思われる明かりから、「さんふらわあ あいぼり」と思うのですが、如何でしょうか?


3時50分頃、瀬戸大橋(南備讃瀬戸大橋)を通過します。


坂出は、製油所や造船所などが林立しています。


次に目が覚めると、既に夜は明けていました。ただ、あいにくの天気……


神戸から小豆島経由で高松へ向かう、ジャンボフェリー(旧加藤汽船)の「りつりん2」。
姉妹船の「こんぴら2」共々、ジャンボフェリーは独特な船体形状ですぐ分かります。ただ、前方に船体構造が集中していて、重量バランスは大丈夫なのかなぁ?などと思ってしまいます。


明石海峡大橋が見えてきました。
西から関西へ向かい、明石海峡大橋が見えてくると、いよいよ「関西に来たぞ!」という実感が湧いてきます。しかもいつもは新幹線の車窓から遠くに見るだけなのが、今回は下を潜るのですから、感慨もひとしおです。


本来は太平洋を行く筈のオーシャン東九フェリー(配船表によると「おーしゃんいーすと」)も、余程太平洋が荒れていたためか、瀬戸内海航路に変更していました。


明石の町並みが広がります。この後7時ごろに明石海峡大橋を通過しましたが、その途端に雨足が強くなってきました。

先が思いやられる…………


朝食は大人750円のバイキング形式です。海苔袋にも注目!!




神戸沖を過ぎる頃、天気は持ち直してきました。


遠くに「さんふらわあ ごーるど」の姿が……


気付くと、大阪南港は目の前です。


そして新門司港出航以来、後からずっと付いて来ていた「フェリーせっつ」も、六甲アイランドに向け回頭を始めました。


かもめフェリーターミナルには、ダイヤモンドフェリーの「さんふらわあ きりしま」と宮崎カーフェリーの「みやざきエキスプレス」がいました。因みに、かもめフェリーターミナルはコスモフェリーターミナルの整備が進み次第、将来的には移転・閉鎖の運命です。

予定ではこの時間に沖縄定航埠頭にいる筈である、マルエーフェリーの「琉球エキスプレス」は、台風の影響でここ数日ほど錦江湾への避難を余儀なくされており、その姿はありませんでした。




さあ、大阪南港フェリーターミナルは目前です。左には3時間ほど先行していた「フェリーきたきゅうしゅう」が、右には四国開発フェリーの「おれんじ8」が接岸しています。

8時15分頃に接岸、タラップが掛けられ、8時20分に下船が始まりました。しかし、ドリームシャトルの接続時間が10分というのは、流石に短すぎると思いますが……


一般客の乗船が一段落し、こちらも下船。開放されたバウバイザーから次々と車両が出入りする様子は、ある意味で一番フェリーらしい光景ですね。
それにしても、晴れてよかったです!!


ここから関西学院大学西宮上ヶ原キャンパスまでは、近畿観光バスのエアロエースで移動です。


大阪南港フェリーターミナルを後にし、西宮に向け出発です!


にしても、大型フェリーが3隻も並ぶのは、やはり圧巻です。


南港中出入口から阪神高速5号湾岸線に入り、海遊館を横目に飛ばします。




「さんふらわあ ごーるど」「フェリーせっつ」が待機する六甲アイランドフェリー埠頭が見えてくると、西宮浜出入口で一般道に下ります。


段々と道が狭くなってきたんですけど……


予定より30分程早く、関西学院大学西宮上ヶ原キャンパスに到着しました。学生会館旧館2階のホールに楽器を運び入れた後、午前中はこの学生会館新館の中庭でパート練習となります。

昼食はパートごとで、トランペットは学生会館旧館1階の食堂「BIG MAMA」で済ませました。因みにこの食堂の真上にあるので、合奏場所となっている2階ホールは通称「ママ上ホール」と呼ばれているようです。

にしても管理人の同期が、関学さんの4回生のなかで唯一の彼氏なしの人に、冗談交じりで管理人を売り込もうとしたのには、正直閉口しました……(確かに今回の遠征、管理人的「勝手にテーマ曲」は「OMENS OF LOVE」〈←「恋の予感」の意〉なんだけどさぁ……汗)

※トランペット4回生の内訳ですが、管理人の大学は管理人含め2人で両方男子、関学さんは3人で全員女子なのです。


2回生の男子部員が「折角だから、時計台見に行きません?」と誘ってくれました。やはり「関学といえばこれ!!」ですよね!?

関西学院大学は明治22年9月、神戸の通称「原田の森」に「関西学院」として創立(現在、平成26年の創立125周年に向け、記念事業が動き出しているようです)、昭和4年に現在地に移転して、昭和7年に「関西学院大学」となりました。現在地に移転してからだけでも82年経過しています(対して管理人の大学は、一昨年やっと創立75周年……)。

移転時にキャンパスの設計を担当したのは、アメリカ・カンザス州出身(後に日本に帰化)の建築家、ウイリアム・メレル・ヴォーリズです。関西では他にも神戸女学院や大丸百貨店心斎橋店、日本基督教団大阪教会など、また福岡では旧西南学院高等学校講堂を手がけています。

関西学院大学には、現在でも

門衛舎
学院本館(旧総務館)
宗教センター〈吉岡記念館〉(旧宗教館)
神学部
文学部
時計台(旧図書館)
経済学部(旧高等商業学部)
中央講堂(旧講堂・戦時中は川西航空機の工場として使用されていたことも…)
商学部(旧高等商業学部別館)

といった、移転当時の建物が一部増改築をされながらも現存しています。

平成9年まで図書館として利用されていたこの時計台も移転当時からのもので、ただし両翼部分は昭和30年に増築されています。また時計も、昭和8年に後から取り付けられたです。平成21年には国の登録有形文化財にも登録されています。


時計台前の中央芝生では、なぜか管理人以外の4回生は四葉のクローバーを探していました。

午後からは学生会館旧館4階の第10音楽練習室で金管分奏、そして2階ホールで合奏です。

練習終了後、宿泊先に移動します。半分弱の団員は民泊、即ち関学さんの団員の方々の家のお世話になります。管理人は同期の男子部員2名とともに、関学さんのトロンボーンの4回生男子の方の家にお世話になります。
残り半数強は、キャンパス内の研修施設に宿泊します。


正門から時計台方面を眺めた、夜の関西学院大学。


閑静な住宅街を通り抜け、仁川駅へ。


阪急今津線で、一旦宝塚へ向かいます。有川浩の連作短編小説集『阪急電車』、並びにそれを映画化した『阪急電車 片道15分の奇跡』の舞台ですね。


宝塚本線に乗り換え、山本駅で下車。お世話になる団員さんのお母さんが車で迎えに来てくれました。

夕食の鍋をつつき、関学の団員さんが車を運転して、近くの温泉施設「名湯 宝乃湯」に連れて行ってくれました。
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