ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

ご存知かも知れませんが・・・ベルリンの壁

2014-08-03 15:54:36 | 日記
ご存知の方も多いと思いますが、今日は「ベルリンの壁」について綴りたいと思います。

ベルリンの壁が1989年に崩壊したニュースを聞いたり知っていたりしている方は多いでしょう。そして、それまで東西ドイツを分断していたある意味での国境がベルリンの壁であったと勘違いしている人も多かったと思いますし、今現在もそう思っている人も幾許かはいらっしゃるでしょう。かく言う私もヨーロッパに関心を抱くようになるまでは、そのように勘違いをしておりました・・・ハイ。

下記に添付している地図はドイツ総領事館のHP(ホームページ)から引用させてもらっています。東西ドイツの地域区分が一目瞭然ですね。そして現在のドイツの首都ベルリンはドイツ全体から見ると北東部に位置しているのがわかります。また、そのベルリンは旧東ドイツ領土内にあるのです。
(出典: ドイツ総領事館HP)

そもそもこのことが知られていなかったのでしょう。しばしば聞かれるのは東西ドイツを分断している中央(?)付近にベルリンが位置していて。その真ん中あたりにベルリンを東西に分断する壁があった・・・と言うものです。しかし、そうではありませんでした。

ベルリンの壁は西ベルリンを囲む形で1961年に造られました。添付の地図はウィキペディアから引用しています。そして、1989年11月10日にその壁の崩壊が始まったのでした。(これらに関する歴史的な情報等については他の情報源を確認下さい。) 翌1990年10月には東西ドイツ統一となった次第です。
(出典: ウィキペディア)

それにしても、「ベルリンの壁」=「東西ドイツの壁」のように思い込んでいたことは、一部に於いて誤りだったのです。

2013年8月~11月にかけてドイツを訪問した際、当然、ベルリンも訪問先の対象として検討はしたのです。しかし、ブログで既述していますように、大都会の筆頭であるベルリンそのものには強い関心はありませんでした。と言うよりも、限られた日数内で知りたかったのは中小都市や農山村の実態であり、そこで暮してみたかったわけです。

70日間お世話になった人口6千人のノルトライン・ヴェストファーレン州ラーデン、その街にある農家Oさん宅。この方も「ベルリンも見て欲しい」と推薦していました。しかし、ドイツの大都市を見ることが目的ではなかったので残念ながら訪問先リストから外したのでした。ベルリンに滞在すれば娘さんにも会えたかも知れなかったのです。(娘さんは2013年からベルリンで修学中なのです。)


それにしても、ベルリンのことを思い出すと、以下のことも思い起こします。

少し数値は大雑把になりますが、ドイツの総人口は8250万人ぐらい、首都ベルリンのそれは350万人弱で総人口の4%ぐらいでしょう。一方、日本はどうでしょうか、首都東京の人口は日本の総人口のおよそ10%ぐらいに相当しているでしょう。

その他の主要都市の人口分布を比較しても直感的に言えるのは、日本は一極集中的な傾向があり、ドイツは全体的に分散している傾向にあると感じています。歴史背景等に大きな違いがあり、国民性や民族構成、産業構造等にも起因しているようにも思いますが、日本人は流され易い傾向があるのではないかと感じています。

先祖から代々続く家や土地、街、地域を強い意志で守り続ける姿が見えるのです。もちろん日本においてもそうした努力を続けてる友人・知人は大勢いるのですが、相対論としてそのような違いを感じてしまうのです。

一方、ドイツ人から日本(人)を見た場合は、また違うように見ているようです。昨今のヨーロッパでブームになっている「和食」であったり、京都を代表するような日本の伝統的な文化等に彼等は関心を抱き「あこがれ」も感じているのです。

ドイツのゾーリンゲンの刃物は有名だ・・・の話をOさんとした時、日本の「和包丁」の方が優れているのに何故ゾーリンゲンに関心を寄せるのか?・・・とのやりとりを思い出します。

お互いに良い部分だけを見ているのかも知れないと思いつつ、それでも「海外からの視点」で我が国・我が地域を見つめてみるのも大切なこと・・・と感じているのです。またそれは、故郷を出て故郷を振り返ることと共通しているとも思っています。
~以上~

(巻頭地図: ウィキペディア・・・ドイツ北部は平野が多い)


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