シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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オスマントルコが伝えた "行進曲とコーヒー"

2016年05月04日 | 音楽界よもやま話
左写真はオスマン時代の軍楽隊。 右は『オスマンの響き』(オスマントルコ軍楽隊)。 その下は打楽器のシンバル。
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オスマン帝国による1683年の第二次ウィーン包囲のとき モーツァルト (1756~91) もベートーヴェン (1770~1827) もまだ生まれていませんでしたが、このときオスマン帝国の軍楽隊のメロディがウィーンに残ったのでしょう。 後年 2人による “トルコ行進曲” が作曲され、それが今でも残っています。

軍楽隊の演奏する行進曲は、自軍の兵隊の戦意を鼓舞し、敵軍の戦意を萎縮させる効果がありますから、大きな音、強い音が求められ、それが太鼓やシンバルとなったのでしょう。 しかし それらはメロディ楽器ではないので、管楽器も加えて 特に遠くまで響くトランペットは多く使われたものと思います。 

写真の CD『オスマンの響き』から第1曲目の 古い陸軍行進曲「ジェッディン・デデン」(祖先も祖父も) を聴いていると、シンバルの音が鳴り響いています。 これも強烈ですから、ヨーロッパ人にも大きな印象を与えたのは間違いないですね。 現在もシンバルメーカーは、シンバル発祥地トルコが源流というブランドが世界市場で主力となっているそうです。

そして もう1つ ウィーン包囲で撤退したオスマン帝国軍が残していったものにコーヒーがあります。 戦争では色々なものが伝わりますね。 紙も戦争で中国からイスラムの国へ、西欧へと伝わりました。

うまいコーヒーを味わいながら、トルコ行進曲を聴くと、数百年前のオスマン帝国が浮かび上がってくるようですね。 しかし「ジェッディン・デデン」の “ンダラダッタ” リズムとモーツァルトのピアノソナタ「トルコ行進曲」の “ターラタラ”、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」の “タ-ラタッタ” は随分違って聞こえ、まるで別物に聞こえます。

ウィキペディア説明を補足すると、ベートーヴェンの “トルコ行進曲” は劇付随音楽『アテネの廃墟』のその中の第5曲がトルコ行進曲 (管弦楽) となっていますが、アントン・ルビンシテインによるピアノ編曲版も有名でよく演奏されます。

ところが 管弦楽版のトルコ行進曲の主題は元々 ベートーヴェン自身のピアノのための『創作主題による6つの変奏曲』(作品76) から採られており、と少しややこしいですね。
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ウィキペディアから __ トルコ行進曲は、西欧の作曲家が、西欧人がトルコと呼んだオスマン帝国の軍楽隊の音楽 (メフテル またはトルコ音楽) に刺激を受けて作曲した行進曲で、以下の2曲が有名。

1) モーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章
2) ベートーヴェンの劇付随音楽『アテネの廃墟』のその中の第5曲が行進曲

歴史 __ オスマン帝国による2度のウィーン包囲 (特に1683年の第二次ウィーン包囲) に随行した軍楽隊メフテルによる影響で、18世紀頃西欧にトルコ趣味が流行していた。

特徴 __ トルコ行進曲の特徴として、打楽器やラッパの多用が挙げられる。 大太鼓やトライアングル、シンバルなどの打楽器や、トランペットなどが多く使用される。 また 一部のピアノにも似たような音響効果を狙ったペダル (ヤニチャーレンペダル) が備え付けられた。「ズンチャ、ズンチャ、ズンズンズンチャ」というリズムに特徴がある。

メフテルは軍楽のことで、オスマン帝国の常備軍が軍楽隊を連れて戦争に赴き、平時にも宮廷などの儀礼に用いた。 軍楽隊はヨーロッパへの遠征にも随行したことから、西欧の各宮廷にも知られることとなった。

第二次ウィーン包囲の後、潰走したオスマン軍の陣営から打ち捨てられたコーヒー豆をウィーン市民が見つけ、これをポーランド・リトアニア共和国軍の1人が払い下げを受け軍を退役、1686年にウィーンでカフェ「青いボトルの下の家」(ドイツ語: Hof zur Blauen Flasche) を開いたのが始まりである。 コーヒーに砂糖とミルクを加えるカプチーノはこの時 彼によって発明されたともいわれる。

史書に残された記録では『後漢書』で、105年に中国の蔡倫が樹皮やアサのぼろから紙を作り和帝に献上したという内容の記述がある。 紙の製法が中国からイスラム世界に伝わった契機は751年のタラス河畔 (現在のキルギス領) の戦いで、アッバース朝軍に捕えられた唐の捕虜に紙職人がいたことである。

1102年には伊シチリアに、1189年には仏エローで、1276年には伊ファブリアーノで製紙工場が造られた。 1450年頃にグーテンベルクにより活版印刷が実用化されると、印刷物が大量に造られるようになった。

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以上

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