シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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三大テノールの一人が亡くなる

2013年02月23日 | イタオペ小話色々
07年9月6日シャンテサラ2投稿分__

とうとう二大テノールとなってしまいました。 しかし残る二人のうち ドミンゴももう半ば引退状態、カレーラスも最近は活躍を聞きません。
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「3大テノールのパバロッティ死去」(9月6日 産経新聞) _ ※追加1へ
「パバロッティ死去 甘く明るい声で聴衆を魅了」(9月6日 毎日新聞) _ ※追加2へ

「パバロッティ氏が重体」(9月6日 時事通信 ジュネーブ5日) _ 06年7月に膵臓がんの切除手術を受けたイタリアのオペラ歌手で世界3大テノールの1人、ルチアーノ・パバロッティ (71) は5日、自宅で容体が悪化し、重体となった。 伊 AGI 通信が伝えたもので、同氏は先月8日にも熱のため出身地のモデナの病院に入院し、同25日に退院したばかりだった。

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髪は黒々として若々しい風貌だったのですが、力士のような体格のため、よく体がもつものだと関心していたのですが、やはり大き過ぎる体は内蔵にとっては、大きな負担だったのでしょう。

リサイタルの出演のときは、いつも左手にハンカチを持ってぶら下げているのがトレードマークでした。 最も良かったのは、90年ローマで開催された「三大テノール公演」、80年頃のカラヤン フレーニとの「ラ・ボエーム」の録音ですね。 天国でも あの明るいテノールを歌って、天国の住民を楽しませていることでしょう。

以上

追加 _ 写真は、イタリアのモデナで、6日死去したオペラ歌手パバロッティ氏のひつぎを運ぶ人々。 同氏の故郷であるモデナの大聖堂で営まれた葬儀には大勢の人々が参列し、世界的歌手に最後の別れを告げた (8日 AFP 時事)。

※追加1_ AP通信によると、3大テノールとして知られるイタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パバロッティが6日、死去した。 71歳だった。 パバロッティのマネージャーの話として。

パバロッティは06年7月に、がんの手術をニューヨークの病院で受け退院。 昨年、すい臓がんと診断されて7月に膵臓を摘出。 手術は成功したが、その後 発熱などの症状で再入院となり、8月末に退院してイタリア北部モデナの自宅で療養していた。

パバロッティは1935年 イタリアのモデナ生まれ。 オペラ好きの父の影響を受け、幼少期を教会などで歌って過ごしたのち、61年にレッジョ・エミーリアのコンクールで1位を獲得しデビュー。 その後はウィーン国立歌劇場、コヴェントガーデン王立歌劇場、ミラノ・スカラ座などに次々と出演した。
 
ドミンゴ、カレーラスと並ぶ「3大テノール」の実力に加え、イタリア人らしい茶目っ気あるステージは人気が高く、アリーナ・コンサートでも数万人の聴衆を集めた。 また02年には横浜市で開かれた日韓共催サッカー・ワールドカップ (W杯) 記念コンサートに共演、06年のトリノ冬季五輪開会式では「トゥーランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」を熱唱した。
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※追加2 _ 6日死去したイタリアのテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティは1935年、イタリア北部のモデナのパン屋の長男として生まれた。 61年、レッジョ・エミーリアの声楽コンクールで1位となり、同市立劇場でプッチーニ「ラ・ボエーム」のロドルフォ役でデビュー。 63年のアムステルダムを皮切りに国外にも活躍の場を広げ、65年には早くもミラノ・スカラ座でベルディ「リゴレット」のマントバ公爵役を務め、世界各地の主要歌劇場に次々と出演した。

高音が続くドニゼッティ「連隊の娘」のアリアを格調高く歌い上げるなど「キング・オブ・ハイC」と呼ばれる高音、明るい声質を誇り、「20世紀イタリアの最高のテノール」と称賛された。 他にベルリーニ、ヴェルディ、プッチーニなどを得意とし、明るく甘い声で聴衆を魅了した。
 
オペラファン拡大のため、野外やアリーナなど大規模公演に積極的に取り組んだ。 サッカーW杯イタリア大会のあった90年、同じくテナー界のスターであるホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴと共にローマで「三大テノール公演」を開催。 96年の日本公演の際には東京・国立競技場に約6万人を集め、最高席 7.5万円 という高額チケットも話題を集めた。 97年にはボスニア・ヘルツェゴビナに子どものための音楽センター「パバロッティ・センター」を設立した。
 
度重なる公演キャンセルや脱税疑惑、30歳以上年の離れた女性との再婚など、ステージの外でも常に注目の的に。 過度の肥満で声が出なくなると報道されたこともあった。 昨年2月、トリノ五輪開会式で「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を高らかに歌い上げたが、夏にすい臓がんの手術を受けてからは静養が続いていた。

以上

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