EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

京都伏見の鍾馗さん

2017年05月15日 | 伊予松山歴史散策

伏見区の鍾馗さん

私のブログタイトルは、昨年まで「鍾馗さんと名城巡り&秋山好古揮毫石碑紀行」と言う長い表示でしたが、今年1月1日から、「EEKの紀行春夏秋冬」に変更しました。鍾馗さんも、名城巡りも、そして好古揮毫石碑も殆ど調査が終わりましたのでタイトル変更しました。

 さて、先日5月10日、石清水八幡宮参拝に際し、京都市伏見区の鍾馗さんを見る事が出来ました。京の鍾馗さんとの対面は、8年振りであります。

 平成21年4月11日、に京都の鐘馗さん散策に行った時、タクシーに乗り、鐘馗さん散策に来た事を話すと、京都の歴史に博学な若い運転手さんがよくおいでになられましたとの歓迎の言葉、そして京の鐘馗さん由来を話して頂きました。

 その話は、「江戸時代、京都の、三条通りにある家の奥様が、原因不明の病で伏せていた。手を尽くしても回復しないので困り果てた医者は、ある日隣の屋根に鬼瓦が載っているのに気付き、もしかしたらこの病は鬼瓦で除けられた災いがこちらに降りかかっているためかもしれない。でもお向かいの鬼瓦を降ろしてくれとは言えない。あれこれ考えた末、鐘馗像を作ってもらい鬼瓦と睨みあう位置に据えたところ、たちまち病は全快したという。

京都には、お寺が多い。それぞれに意匠をこらした見事な鬼瓦が載っている。それまで高嶺の花であった瓦が江戸時代になると安価で庶民も自由に使えるものになり、近所の人間関係を保ちつつも鬼瓦によって除けられた災いが我が家に降りかからないよう、屋根に鐘馗像を据え、鬼より更に強い魔除けとしたようです。・・と詳しい説明を受け京都で一番新しい鐘馗さんを見せて頂きました。

散策は、二年坂、三年坂、一条通、御池通、西洞院通、今出川通七本松をいたしました。

京都の鐘馗は、いろんな表情をしておりました。

今回の鍾馗さんは、伏見区竜馬通り界隈にありました三体の鍾馗さんです。

末尾に、奈良市・大阪市の鍾馗さんを掲載しました。

家屋は新築され新しいですが、鍾馗さんは古く、新築される前の鍾馗さんを挙げられたのでしょう。

大きくするとこのような鍾馗さんです。

暫く歩くと、鍾馗さんが居られました。先程の鍾馗さんとは表情が違いますし、少し古くしっかりとお家と家族を守護されていました。

広角で見ると玄関の上の屋根に鎮座されていました。

この鍾馗さんは、新しい鍾馗さんのようで、置き方も素晴らしい方法で鎮座されていました。今まで見た鍾馗さんは、針金で固定され置かれていますが、この鍾馗さんは違っていました。

広角で見てみると、新しいお店の鍾馗さんでした。

伏見区には、鍾馗さんを製作する工房があったはずです。

愛媛県にも今治市菊間町にある、菊間瓦製造所で鍾馗さんを造っております。

この鍾馗さんは、平成21年4月11日、当時京都で一番新しい鍾馗さんとの事で、タクシーの運転手さんが案内して頂いた鍾馗さんで、建物は新しいビルでした。近代的なビルを守護する鍾馗さんは初めて見ました。

平成21年4月11日、当時のビルに立つ鍾馗さん。設置も綺麗に置かれていました。立っているのは、花崗岩の上で、しかも歩道と同じ高さの地面に花崗岩を敷かれその上です。

大阪の鍾馗さんで、北区長柄東三丁目に鎮座されていました。

広角で見ますと玄関の直ぐ上に置かれていました。

初めて見る赤い鍾馗さんで、北区天神橋六丁目に鎮座されていました。

広角で見ますと玄関の直ぐ上に置かれていました。大阪の鍾馗さんはこの二体のみです。京都の鍾馗さんと置き方が違います。

平成21年5月9日に奈良の鐘馗さん散策に行った時の画像です。奈良の鍾馗さんは、設置の仕方が京都とは違い、棟に置かれていました。

 奈良にも沢山の鐘馗さんが鎮座しているものと期待していきましたが少ないのと奈良の観光に従事している皆さんが鐘馗さんに付いての知識が無いのにはびっくりとがっかりしました。

足と時間の制限内で「奈良町界隈」をひたすら歩き六体の鐘馗さんを発見しました。

京都の鐘馗さんの多くは、軒下・玄関の入り口の上においでになりましたが、奈良の鐘馗さんは屋根の棟に高々と揚がっていました。

京都の鐘馗さん由来は分かりましたが、奈良の由来は分かりませんでした。

界隈に奈良町資料館・振興館・情報館等々名称があり鐘馗さんについて伺いましたが資料の情報がなかった。

奈良市の某企画編集社が発行している雑誌には奈良の鐘馗さんに付いて記事が掲載しているし、奈良町振興財団が発行している「ならまち散策マップ」にならまちクイズとして鐘馗さんの事を取り上げているにも関わらず具体的な情報を把握してない。・・がっかりした。

なお、「奈良町」は奈良市の行政区の公称町名ではなく、どの範囲を「奈良町」と称するのか区分が分かりませんでした。

「吉田蚊帳」に立派な鍾馗さん。

「吉田蚊帳」の立派な鍾馗さんで、新築時からこの所に鍾馗さんを設置する事を決めておられたのでしょう。

この度、8年振りに京の鍾馗さんを見せて頂きました。最近は、鍾馗さん散策も、名城巡り(日本100名城の内84城を巡っている。)もしなくなりました。秋山好古揮毫の石碑も、昨年5月、長野県安曇野市に発見されてから、新たな石碑は見つかりません。そんな関係でブログのタイトルを変えました。

 

この鍾馗さんは、我が家の鬼門を守護する鍾馗さんです。

今治市菊間町にある菊間瓦製作所の瓦鍾馗さんです。

我が家の鬼門を守護する鍾馗さんです。我が家には2体上げており,丑寅(北東方向に立っています。)

 現代でも、人々は、縁起を担ぎ、家の北東、鬼門の方角に魔よけの意味をもつ、「柊」や「南天」を植えたりして、鬼門を守っています。

鬼門は、丑寅の方角で北東に当たり、現代でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、玄関、便所、風呂、台所などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が全国に強く残っている。

京都御所の築地塀が鬼門、北東方位が凹ませてあることから、御所ですら鬼門を避けていると考えられ、それから鬼門を除ける手法とされてきた事にあると資料に記載されている。

 

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