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えひめ国体終了・愛媛県の成績天皇杯・皇后杯共に第2位

2017年10月11日 | 伊予松山歴史散策

平成29年9月30日(土)、第72回国民体育大会愛媛国体総合開会式で競技が始まり、各都道府県から参加した選手の皆さんは、郷土の栄誉のために持てる力を発揮した戦いが10月10日に終了、秋篠宮両陛下をお迎えして、快晴の秋晴れの下予定の競技は無事終了し閉会式が行われた。

そして、TV画像で天皇皇后陛下が来県された三日間を回顧してみた。

総合開会式前日、9月29日特別機で松山にお越しになられた両陛下。

松山空港にお着きになられ、大勢の愛媛県民の出迎えに手を振られる陛下。

宿泊される松山全日空ホテル、此処に二泊されました。

宿泊先の松山全日空ホテル前に大勢の愛媛県民が提灯を持ってお出迎えをした。

大勢の愛媛県民の出迎えに対して、ホテルの窓から手を振られてお出になられた。

9月30日、第72回国民体育大会総合開会式にご臨席され、都道府県の選手団に拍手で迎えられた。

10月1日午前中、日本最古の温泉「道後温泉本館・国指定重要文化財」を見学され、出迎えた地元小学生に美智子妃殿下は優しいお言葉を送られた。午後、愛媛県武道館で剣道競技を視察、その後松山空港からお帰りになられた。

両陛下は、3日間過密スケジュールをこなされて午後3時過ぎ松山を後にされた。

松山空港で見送りに来た愛媛県民に対してお別れの挨拶をされた。

画像の通り3日間で10万人の県民が両陛下のお出迎えをしたそうです。

第72回国民体育大会・愛媛大会の総合開会式と陸上競技&総合閉会式が行われた愛媛県陸上競技場で、昭和55年開催の全国高等学校総合体育大会時に建設された。

愛媛大会の総合開会式に祝賀飛行を披露したブルーインパルス。

ブルーインパルスの育ての親、源田実さん、昭和19年、海軍松山航空隊剣隊司令官として松山に在籍していた。

源田実さんは、世界最強の航空隊を編隊する事を大きな目標を立てて横須賀で、三四三航空隊を結成、現地は、源田さんの好きな松山航空基地がいいと言う事で、松山海軍航空基地に置いた。当時松山には、最新鋭の隊員1500名(操縦者・整備士)がいたと言われている。

三四三航空隊の編成は次のようなもので、三四三航空隊(属名:剣部隊)指令:源田大佐、その下に、戦闘三〇一飛行隊(新撰組)、戦闘四〇七飛行隊(天誅組)、戦闘七〇一飛行隊(維新組)、偵察第四飛行隊(奇兵隊)、戦闘四〇一飛行隊(極天組)が昭和19年12月正式に編成され、昭和20年1月15日に源田航空隊指令が松山に赴任した。

源田実さんは、何故か松山がお気に入りで晩年も松山で過ごされ、松山で逝去された。

ブルーインパルスの指揮官も、この事を承知して祝賀飛行を披露した。

10月10日、愛媛国体全ての行事が終了し秋篠宮殿下、妃殿下をお迎えして閉会式が秋晴れの下晴れやかに挙行された。

さて、天皇杯・皇后杯の結果は。

成績は画像の通り、愛媛県は過去最大の成績を収めた。

第二位で天皇杯を受ける愛媛県。

第二位で皇后杯を受ける愛媛県女子選手代表・・笑顔で。

閉会式最後の行事、日本国民体育大会旗の受渡し、中村愛媛県知事から次回開催地の西川福井県知事の・・お願いします・・有難うございましたの言葉が掛けられたのでは。

健闘を讃えて中村時広愛媛県知事と愛媛県選手団との記念撮影。

愛媛県選手団、役員の皆さんご苦労様でした。

閉会式後、画像の言葉を発表された。

愛媛県選手団の先頭に立って天皇杯・皇后杯第一位を目指してきた指導者である。

中村知事は、愛媛発展の為によく仕事をされる知事さんです。

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