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秋山兄弟生誕地・好古揮毫石碑の写真展示場を変更しました

2017年06月19日 | 伊予松山歴史散策

 松山市歩行町二丁目3番地6にある秋山兄弟生誕地で、秋山好古揮毫の石碑写真展示を平成17年7月から武道場の廻り縁で行っていましたが、この度生家と武道場の間に展示版を特設して行うことにいたしました。展示版の面積には限りがあり全部の写真展示は出来ませんが主な記念石碑を抜粋してご来館の皆様に見て頂くよう展示変更いたしました。是非お越しになってご覧下さい。

 平成17年からの記念石碑展示形式でしたが、この度展示場所を変更しました。

 この度秋山好古揮毫の記念石碑展示場所を画像の様に変更しました。

 展示版には限りがあり、現在全国各地に発見された好古揮毫の記念石碑は52基ありますが、その内主な石碑23基を展示しる事にいたしました。

 現在52基発見していますが、好古が揮毫した原稿は、画像の「御大典記念」一点だけです。

 場所は、愛媛県久万高原町中組にある三社神社の先代の宮司さんが軸物として表装し大切に保管をされていました。現、宮司さんの許可を得て複製させて頂き秋山生誕地に画像の様に展示しています。

 原稿は、普通は刻印する石碑に貼り付け、石工さんが彫っていき無くなりますが、「御大典記念」は、宮司さんからの要望で御大典記念を別の紙に写し取り原稿を残したものと推察されます。原稿には、石工さんが写し取る際に分かりやすくするために、文字の各所に鉛筆でなぞった跡があります。

 原稿の御大典記念は画像の様に、三社神社の注連石に刻まれています。

 その説明です。

 平成28年5月31日現在の秋山好古揮毫記念石碑一覧です。

 一番新しく発見されましたのは、長野県安曇野市豊科にある「内田與作墓」で墓石として発見されたのは初めてです。平成28年5月31日取材に行きました。

 

 

内田與作の石塔正面で、建立は、明治35年1月11日実父、内田茂一が建立。

秋山好古は、内田與作さんの実父、内田茂一から揮毫依頼を受け内田與作騎兵隊員の為に心を籠めて揮毫したのだと思います。・・好古は心の優しい人であったから、戦死させた責任を感じていたと思います。

石塔は、向かって左から3面に渡って内田與作騎兵隊員の事柄が書かれています。

撰文は、内田與作騎兵隊員の直属の上司であった稲垣三郎が書いています。

稲垣三郎は、退役して日本体育学校の校長をされます。(現在の日本体育大学)

長野県安曇野市豊科高家にある内田與作元騎兵隊隊員の墓石の説明資料。

 平成17年2月18日完成した秋山兄弟生誕地の全景です。

バックの背景は削除しています。

 

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