鐘馗(しょうき)さんと名城めぐり&好古揮毫石碑紀行

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NHK大河ドラマ「真田丸」に関する城を辿る・城郭の中最も完成された形を残す大坂城(復興天守第1号)その2

2016年10月19日 | 伊予松山歴史散策

森之宮方向から観た大阪城公園。

大阪城の石垣を散策した。
近世に入り城郭の中に石塁を取り入れたのは、観音寺城と言われているが織田信長が築城した安土城に大掛かりな石積みをし、これに携わったのは穴太衆だと言われている。
その後天守を持った城が現れるが西日本を中心に城郭建築に石垣を用いる事は増えていった。
それは、花崗岩を採掘できる瀬戸内海の島々が近くにあったからではないでしょうか。
江戸幕府が築城した2代目の大坂城の石垣は日本最大で、観ればみるほど興味が深まる。
ブログ:城郭の中最も完成された形を残す大坂城(復興天守第1号)その3で小豆島の採石現地の画像を掲載します。


私の手元に、「穴太衆の石積」の書籍があります。
平成21年5月、滋賀県大津市坂本にある「穴太衆石積研究所」に行った時購入しました。
その時、400年を誇る伝統の石積技を、現代建築に生かす、古式特技法穴太流穴太衆石垣石積・城郭・社寺・邸宅・石垣積工事、株式会社粟田建設社長・粟田純司社長さんが揮毫をしてくれました。
「亡己利他」己を忘れて他を利する。
粟田家の家訓である「石の声を聴け」との関連から私が好きな言葉の一つであり、その意味で書かせて頂きました。・・言われ揮毫してくれました。

この書籍にも大坂城の石垣の事も記載されております。


書籍「穴太衆の石積」の見返紙に揮毫いて頂きました。
亡己利他 平成二十一年五月吉日 穴太衆積十四代石匠 粟田純司
そして落款を押して頂きました。

古式特技法穴太流穴太衆石垣石積・城郭・社寺・邸宅・石垣積工事、株式会社粟田建設社長・粟田純司社長さんが揮毫をしてくれました。
「亡己利他」己を忘れて他を利する。
現在は、穴太衆積十五代 粟田純徳さんが継承されています。
粟田建設の祖先は、阿波屋喜兵衛、阿波国の石工で見習い職人として坂本(滋賀県大津市坂本)に移り住み現在の粟田建設の基礎を築かれた。
愛媛県では、平成18年、今治市が今治城築400年祭を記念して、鉄御門(くろがねごもん)や多聞櫓5棟が江戸時代の史実に基づき復元された。
鉄御門、多聞櫓周辺の石垣の復元を15代粟田純徳さんが指揮を執り若い穴太衆が成し遂げた。


これから観ていく大坂城の石垣は、織田信長が築城した安土城の石垣、天主台を築いた石工「穴太衆」達、またその技を継承した次世代の穴太衆が築いたものでは?。
2代目大坂城天守は、何といっても石垣の構築である。徳川2代将軍秀忠は、藤堂高虎に普請総指揮を命じ、北国・西国の64の諸大名に石高に応じた手伝い普請を命じた。

10年の歳月を掛け、寛永6年(1629)に築城完成、将軍は第3代家光の時代になっていた。
日本の城郭の80%の石垣は、穴太衆の技法によるものと言われており、各地の石工さんにも手伝ってもらったはずで、その結果全国各地に穴太積みの技法が伝承され技が残った。
大坂城築城には64の諸大名が連れて来た石工達は穴太衆積の技をすでに習得しており、その集大成が大坂城の石垣築造にあるのではないか?・・こう考えると最近日本100名城巡りをされるお城大好きな皆さん方、建造物もよろしいが、石垣も大変興味深いものである。「穴太積みは野面積の一技法と言われている。」

昭和30年代から40年代に10年余りをかけて発掘調査がされ、それによると、大坂城の全石垣に使用された石の個数は、水面下にある石垣の石の数も含めると約100万個と推定されており、地上に露出しているものは約50万個で、石垣の長さは、11km、石垣に記されている刻印の種類は125種あるという。普請場を割り当てられた各大名の石工たちが、他の大名たちの運んだ膨大な量の石と混同しないように刻まれたという。築造法は穴太積みが多かったとある。


大阪城で2番目の巨石で「京橋門枡形」にある。
大きさは、高さ5、5m 横部14、0m 表面積54、17㎡ 推定厚さ0、9m 推定重量約120屯
産地は、讃岐小豆島で、岡山城主池田忠雄が築造したとある。

石垣について・・世界大百科事典では下記の説明がある。
言葉の本来の意味は,石で築いた境界の工作物であるが,斜面の土止めなどのために石で築いた壁も石垣と呼ぶ。石崖(いしがけ)と呼ぶこともあり,古くは石畳(いしだたみ)という表現も使われた。日本の石垣は,桃山時代の城郭でもっとも大規模なものに発達したが,この場合も,防御用の境界工作物であるとともに,斜面の土止めの役割を果たしている。その構造の多くは,粗い加工をした石や,自然のままの石を,すき間をかなり残しながら積んだもので,エジプト,中国,ヨーロッパなどの石造建造物(石造建築)のように,精巧に加工した石材をすき間なく積んだ例は少ない。・・とある。


大阪城で2番目の巨石で「京橋門枡形」にある。


大阪城で3番目の巨石で「桜門枡形」にある。
大きさは、高さ4、2m 横部13、5m 表面積53、85㎡ 推定厚さ0、9m 推定重量約120屯
産地は、備前犬島で、岡山城主池田忠雄が築造したとある。
大阪城の巨石は殆どが、岡山城主池田忠雄と熊本城主加藤忠広が、石切場から海岸に出し、船積み、海上輸送、陸揚げ、現地(大坂城)での石積み加工工程は、巨石がゆえに難工事であったと思われる。
当時の石工さん達の高度な技術は凄いなと感心するばかりである。


昭和20年3月13日深夜から大阪大空襲が始まった。その後7回空襲に見舞われた。
その時、大阪城も空襲に遭遇し天守台付近に1屯爆弾が投下され天守台の石垣の一部が崩壊した。
色の白い石は崩壊した石垣(天守台)を修復した跡で、場所は、南西の隅。後ろの石垣は天守入口の石垣。


昭和20年3月13日深夜から大阪大空襲で、天守台付近に1屯爆弾が投下され天守台の石垣の一部が画像の様に爆風でずれている。現在もその当時のままにしてある。場所は、天守台北西の隅。


画像は、大阪城大手門の西側にある「西外護城河」で、櫓は「千貫櫓」。
大阪城の外堀の石垣は10年掛けて積み上げられ、最初に積み始めたのが大手門向かって左回りから積み始め、大手門右側の石垣が積み終わりの石垣である。
大手門の入口から見ると左の石垣と、右の石垣の積み方が違うのが良く分かる。穴太積みの積み方も月日が経つと技法も変わるのかなと思いながら見分した。


画像は、大手門右側の石垣。・・10年の差、石垣の積み方の違いが良く分かる。
(打込み接ぎに近い積み方)


64の諸大名に石高に応じた手伝い普請を命じた。
城内の石垣の石には、各藩ごとに分担して積み上げているが、石には刻印がされている。
この刻印は、伊予大洲城主加藤家の家紋である。


珍しい、石垣に施行された「狭間」。


狭間を大きくした。当時は石垣の上に続塀があった。


大手門の枡形にある石垣で続塀にも狭間があり、その下の石垣にも狭間が施行されている。

狭間(さま)とは、おもに日本の城の天守や櫓の壁面、塀などに開けてある防御用の穴や窓のこと。銃眼、砲門とも。内側から外側に向かって円形・三角形・正角形・長方形などの穴が開けられており、戦闘の際はそこから弓矢や鉄砲などで攻撃する。


2代目大坂城天守は、10年の歳月を掛け、寛永6年(1629)に築城完成したが、初代大坂城天守は、豊臣秀吉が天正11年(1583)築城したその上に盛土をして徳川は城を築いた。
画像の円形の構造物は、初代大坂城時代の石垣調査の立て坑入口で、場所は本丸にある。


大阪城公園、豊国神社前に立つ「豊臣秀吉の立像」、大坂の民よ息災であるか・・と問いかけている様な姿に見える。


平成18年、今治市は、今治城築400年祭を記念して、鉄御門(くろがねごもん)や多聞櫓5棟とその石垣を江戸時代の史実に基づき復元された。
鉄御門、多聞櫓周辺の石垣の復元を、粟田建設15代粟田純徳さんが指揮を執り若い穴太衆が成し遂げた。粟田建設は穴太積みを継承する滋賀県大津市坂本にある穴太積み集団。


平成18年、今治市は、今治城築400年祭を記念して鉄御門(くろがねごもん)や多聞櫓5棟とその石垣を江戸時代の史実に基づき復元された。
画像の大きな石が、築城に功績があった勘兵衛を称し与えたえ名付けられた勘兵衛石と呼ばれる重量16トンの巨石、以前は城内に置かれていたが、鉄御門の再建の際、もとの場所とされる鉄御門の石垣の中に据えられた。


藤堂高虎の騎馬像と今治城天守で、現在の天守は昭和55年(1980)に今治市政施行60周年記念事業として5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられた。
史実に基づかない模擬天守で、天守風建物の展望塔と言われてもしようがない。
藤堂高虎が築いた天守は、層塔型天守であったのに現天守は、望楼型天守で、位置も違うとされている。高虎は、家康の命により今治から伊勢国の津に移り、その時今治城天守を解体し家康に寄進、丹波亀山の天守としたとされている。その後江戸城や多くの城の普請を担当し、大坂城も普請総指揮を命じられた。

藤堂高虎は外様大名でありながら、譜代大名の如く手厚く持て成された。
今治藩から伊勢国の津藩に移り、以後国替えがなかった。

伊予松山藩15万石最後の城主、松平定昭は、藤堂高虎の血を引く藤堂家から養子に来ている。
関ヶ原の戦い後、徳川家康は、伊予国を二分し、半分20万石を藤堂高虎に与え今治藩を構築、あと半分20万石を加藤嘉明に与え伊予松山藩を創った。

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