近畿旅客鉄道 佐倉線

明日の鉄道員を夢見る男の物語

全線乗車旅行記 2011年~冬編-最終章

2011年01月08日 | 4番線:「鉄道旅行記」

前回は奈良駅から敦賀駅までの様子を紹介しました。
そして最後の今回は敦賀駅から大阪駅までの様子を紹介します。

特急列車を降りた時、私はある車両が停車していることに気付きました。
      
今年の3月を最後に引退する419系電車です。
国鉄末期に583系を近郊型車両に改造して誕生した車両です。

その時、別のホームには北陸本線の次期主力になると思われる車両が停車していました。
  
2006年の新快速の敦賀延伸とほぼ同時に登場した車両です。
また今年の3月には2両編成×20本が新たに投入されます。
(つまり415系や419系を置換えるという意味です。)

一抹の寂しさを感じた私は駅舎の外に出ることにしました。
  
現在、駅舎は福井県の整備事業に基づいて改装工事が行われています。
また駅舎の近くには「北陸新幹線の早期開通」を促す看板が立っていました。

そして午後16時53分。今回の旅行の最後を飾る列車がやって来ました。
  
今年の3月に営業運転を終える485系を使用した「特急雷鳥92号」です。
この列車で今回の旅の最終目的地の大阪駅を目指します。

大変長らくお待たせしました。往年の特急車両の車内の様子です。
      
車内には晩年の大改造で交換されたフリーストップ式のリクライニングシートが配置されています。
また指定席用の車両には座席間隔と窓割が合っていない座席がかなり存在します。
(自由席用の車両は座席間隔と窓割は合っています。)

続いて普通車の座席の様子です。
      
座席は現代の特急車両とは異なり、リクライニング角度が大きい点が特徴です。
また座席の後部には足置きと思われる「蹴り込み」部分が存在します。

またサニータリ―スペースも改造時期と場所によっては多くの相違点が存在します。
    
こういった微妙な違いを観察する事もまた面白いものです。

その他の車内設備も晩年の大改造で大きな変化が表れています。
        
改造に改造を重ねた結果、古典的な物から最新型の物までが入り混ざる結果となりました。

やがて列車は敦賀駅を後にしました。
      
太陽も完全に暮れた夜陰の中の湖西線を列車は高速で疾走します。
(写真1枚目と2枚目は敦賀駅~近江塩津の区間の様子です。)

そして列車は京都駅、新大阪駅と停車していきます。
  
両駅共に新幹線の乗り換え駅ということもあり、大半の乗客が下車します。
(終点まで乗車していた乗客は座席定員の約4割程度でした。)

午後18時20分。あと数分で終点の大阪駅に到着する事を告げる車内放送が流れます。
(この動画はハイビジョン画質で再生可能です。)

車内放送の前後に鉄道唱歌が流れている点も見所です。

車内放送から約3分後の午後18時23分。ついに最終目的地の大阪駅に到着しました。

約13時間に渡る長旅が間も無く幕を下ろします。

そして列車が到着した途端に撮影大会が始まりました。
  
大勢の撮り鉄が特徴的な先頭部分を写真に収めようとしています。
やはり約半世紀に渡って活躍した列車だけに引退に「物淋しさ」を感じます。

その後、私は雷鳥号(回送列車)の出発を見送った後に後続の新快速と快速で宝殿駅を目指しました。(割愛)
(余談ですがこの日の晩飯は米原駅で購入した駅弁です。)

最後に今回の旅行の結果は以下の通りです。


 ・新規走破路線…阪和線、関西空港線、和歌山線、桜井線、湖西線

 ・新規乗車距離…276.1㎞ 

 ・乗車達成率…21.571%⇒27.103%
  (JR西日本管内)


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