原発問題

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『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~原発技術者~> ※26回目の紹介

2016-07-27 22:00:00 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。26回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

原発技術者

(前回からの続き) 

 広田さんは1983年から原発で働いてきた。変圧関係の技術者として、日本全国、新潟、宮城県と各地で仕事をしてきた。広田さんの勤務先は東芝の下請け企業で、本社は福島県外にある。社長は地元の人で、従業員は5,6人のみだった。

 専業農家を営んでいたが子供を高校に通わせるため、毎月の現金収入が必要になり、農業より原発の仕事が主体になった。(中略)

 原発事故後は事故収束作業に携わり、2013年11月、65歳になったのを機に原発の仕事から退いた。農業と年金で老後の生活を送るつもりだったが、原発から約20キロメートルにある自宅は、原発事故から3年が過ぎても放射線量が高いままだった。2015年春の米の作付け再開をめぐって地区で話し合った結果、地区としては作付けしないことに決まった。「本当は作付けするつもりだったが、全国的に米価が下がって、卸売業者から『この地区の米はいらない』と言われた」。

 冬場の貴重な収入源だったシイタケの栽培もできなくなった。地域は全国有数の原木シイタケの産地だった。だが、その原木が放射性物質によって汚染され、使い物にならなくなった。「米は売れない、野菜はダメ、じゃあ何をやればいいのかという状態だ」。

 働く場所もない。

 ※「第2章 原発と生計「原発技術者」」は、次回に続く

2016/7/28(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


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