原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

電話が鳴った。東京の友人「政府が言うほど安心できない」2011.3.12すぐ避難(宇宙飛行士「秋山豊寛」さん)

2014-08-19 18:22:17 | 放射能汚染

電話が鳴った。東京の友人「政府が言うほど安心できない」

2011.3.12すぐ避難(宇宙飛行士「秋山豊寛」さん)

秋山豊寛『原発難民日記』
http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2011/12/post_372d.html より引用
2011/12/11

原発難民日記
秋山豊寛 著
岩波ブックレット No.825

 著者は日本最初の宇宙飛行士、あの「普通のおじさん」である。
 当時TBSの記者であった秋山さんは1990年、ソ連のソユーズロケットに乗り、宇宙から生中継を行なった。
 その第一声が「これ本番ですか?」
 それから21年が経つ。
 
 秋山さんはその後、福島県で有機農業を営んでいた。福島第一原発から32キロのところにある阿武隈高地の滝根町で、米と野菜を無農薬で作り、原木栽培の椎茸を売って自給自足をめざしていた。
 原発事故は秋山さんの暮らしを一変させた。翌日、空気中からセシウム検出のニュースを知った。
 この小冊子は、東日本大震災の3月11日から、福島第一原発事故による放射能から逃れ、原発難民として綴った日記の抜粋である。
 
 電話が鳴った。東京の友人が「テレビを見てるか」と言う。「セシウムが出た。事態は政府が言うほど安心できないということだ」と言う。(3月12日)

 すぐに自宅から避難。現在は群馬県の知人の家に身を寄せている。
 「人と自然を守るために有機農業をしてきたのに、もう消費者に〝安心して食べてください〟と言えなくなりました」

 ゴジラが誕生したのは、一九五四年。日本のマグロ漁船第五指竜丸の乗組員をはじめ、多くの日本漁船が被曝した年だ。ビキニなどでの核実験で、海底深く生き延びていた古代恐竜が、怪獣となって大都市に反撃するため東京にやって来た物語だ。
 内部被曝している可能性のある多くの福島県民は、ゴジラになる可能性を秘めているかもしれない。
(9月28日)
 
 秋山さんはこのほど、京都造形芸術大の芸術学部教授に迎えられ、近々京都に移り住む。
 「京都でも、原発から逃れることはできません。京都市中心部から約60キロのところに若狭湾の原発があります。(中略)私はあと30年は生きたいと思っています。セシウム137が半減するまで生きてことの経過を見届け、日本の自然を破壊し、福島の農家の暮らしをめちゃめちゃにした東電に一矢報いたい、と考えています」(『赤旗日曜版』12月11日)

(引用終了)

 

20130313 with夜ラジ

「原発事故難民のあの時、そして今」②・秋山豊寛
http://www.youtube.com/watch?v=7BHHKQ6OjwI&feature=player_embedded より一部文字起こし

3月12日の午前中には、ガソリンが売り切れていた。

インターネットの情報等で、危険を察知した人たちは、

3月11日の夜中のうちから、避難し始めていたから。


日本列島の真ん中を幹線道路が通っているわけですが、
避難する車が、村を通過していく、

それを見た人たちも、おかしいなと思った人たちが、
ネットなどで調べたりして、避難し始めたのだと・・、

避難する人達の波ができていた。


地元の記者に知り合いがたくさんいて、情報を得た。

(政府から、避難指示が発表される前)

そして友達からは、こんな話を聞いた。

・関西空港からの外国行きの便が外国人でいっぱいになってる

・福島空港(いままで臨時便が飛んだことが無い)から
 一日、数便という形でものすごい人たちが移動している

地図をみたら
70、80キロ圏内で安全なところはほとんどなかった。

(文字起こし終了)

 


===『3・11原発事故 避難』に関する過去記事===

2011.3後半、羽田空港は東京脱出組でごった返し、

いつもはガラガラの四国松山空港便が満席。地元TV局が取材
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/b5df7b71191ce5fbf114a3eee975aa8e
2014-06-03

 


(あの夜、仏の軍用機で日本から避難)

フクイチ3号機のMOX燃料を作ってる仏『危険性を認識』一番早く逃げた
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/e27df78ae9af541ee1becadeef249d32
2014-07-21

 


<2011年3月東京から逃げる人でごった返していた!!>

子供にビニール袋を頭からかぶせて
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/2c74abdc4be2ba4fc3e5045d804b1376
2014-01-28

あの時は浜岡ルートを避けるため東名でなく中央道を使い避難してましたね。

子供を乗せた黒い高級車がひっきりなしに走っていました。

東名でなかったので目立たなかったんですかね。

問題なのは、1号機が爆発したのが3月12日の15時36分ですが、正午頃から車の量が増えたことです。
知ってる人は知っていたと言うことです。

 

電力会社の社員から電話

「もしお孫さんがいるのなら、

東京から離れて、西日本に行ったほうがいいですよ」
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/e8a494674abea90f98189d47cb0b73d9
2014-06-18

「3.11の後1週間以内に、具体的 に名前を言えませんが、

私のもとにある電力会社の社員から、

私の本を読んでいる読者だと称する人から電話がありました。

「保阪さん、お孫さん いますか」、「あなた、誰ですか」、

私は何電力の何々でこういう者ですと言う。」  

 


2011.3.16 羽田→那覇JAL 14時以降が、急に満席に。

それから怒濤のように西への便が埋まった
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/25f796821193f02d56279459dad5191d

福岡便の8~9割方は、母親とその子供
と通常の搭乗では有り得ない客層でした。

他の便もそうだと思いますが、あの日2時間程で
急激に空席が埋まって行ったのは、
然るべきところには情報が流れたのでしょうかね?

 

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