原発問題

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【フクシマ見聞録】どうしてそんな所にいるんですか「放射能が来るので避難したんです」 ※56回目の紹介

2016-12-28 22:52:12 | 【フクシマ見聞録】

1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。56回目の紹介

【フクシマ見聞録】

どうしてそんな所にいるんですか

「放射能が来るので避難したんです」

Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年12月12日のツイートから


福島行-「どうもありがとうございました。」
松江院長の話が終わると司会の事務の方が言った。

「ええと、院長の報告についての質問等におきましては、
休息を挟んでいちおう3時から質疑応答の時間約1時間半ほど
とってありますので、みなさんのほうから
積極的に質問等を出していただきたいと思います-

 

-「つづきまして、今日、、講演をいただきます
崎山比佐子先生をご紹介いたします。

、、国会事故調査委員会として、とりわけ低線量放射線の健康影響を
担当されておられます。

1990年から高木学校のスタッフの一人として参画されておりまして、
福島の原発事故にも、本を数多く出版されております。-

 

-「今日は『原発事故による健康障害』と題しまして、約2時間、
スライドを中心に使った先生のご講演を拝聴してゆきたい、
とこう思います。よろしくお願いいたします-」そう紹介されると、
ベージュを基調とした服をみにつけた崎山比早子氏がマイクの前に立った。-

 

-懐かしい、というと顔見知りのように思われてしまうから
おかしいけれども、なつかしい、という印象をもった。

それまで原発はおろか放射線についてまるで知識を入れて
こなかった自分が、なかば必然的になにが起きているのか
知らざるを得なくなり、かじりつくようにして見ていた数少ない情報源の-

 

-一つが原子力資料情報室だった。彼らがウェブ上で
流す動画に彼女もしばしば現れ、放射線が遺伝子連結に与える作用を
話していた。雨の降っていた3月14日の福岡に一人たどり着き、
ホテルの一室に収まった自分はフロントにパソコンを借りて、
その日の彼らの解説内容を要約して、-

 

-SNSで誰彼構わず伝えるということをしていた。
あの頃の緊迫状態が思い出された。

やがて別のホテルに移らざるを得なくなり、そこはパソコン貸出しがなく、
ロビーにあった10分使用100円のパソコンに硬貨を次々投入して
重要と思われる事を文字起こしていた。

今とやっていることに変わりがない-

 

-3月12日から自分は三日間の休暇を無理言ってもらっていた。

それは自分の絵について取材を受ける予定が入っていたからで、
予定されていた独仏合弁のアート系のメディアとの収録は、
半端なかたちで流れた。

混乱したドイツ人数人を逃がす手はずをした後、
空いた休日は、福岡への避難で費やされた。-

 

-やがて、その三日間の休日も終わり、もどるかどうか逡巡した末に、
自分は福岡でとどまることを選んだ。三日間のあいだに電話がかかってきて、

会議があるから出るように言われたのだが(介護物資の
補給が途絶えたことについて話し合ったのだろう)、
自分は福岡にいて向かえない、と伝えた。-

 

-「どうしてそんな所にいるんですか」てきぱきとした上司が電話口で言った。
「放射能が来るので避難したんです」「、、、。」

あの時のやり取りを思い出す。やがて三日間が過ぎ、
もどるかどうか逡巡した末、自分は留まることを選んだ。

その旨電話して伝えると、馘首を言い渡された。-

 

-福岡の渡辺通りにあるスーパーで電池があるどうか見にゆくと、
異常なく棚に溢れていた。介護用の襁褓も同じようにしてあり、
失職してはいたが再度電話をかけて送ろうかと言うと、
その頃には物資補給のめどはついているとのことだった。

スーパーを出たときは晴れていた。大通りに面していて-

 

-いくぶん肌寒さの残る日差しのなかで、保険が失効したことを伝えらると、
いっそう流浪の感じが強まったことを覚えている。

ホテルに戻ると、パソコンを見つめ、自分の知らなかった専門家たちが
話す内容を炙られるようなきもちで文字起こしていた。

ふくしま共同診療所は崎山氏を呼んでいたのだが、-

 

-この日、まったく同刻に、この報告会があった場所から歩いて5分ほどの
場所に矢ヶ崎克馬氏が呼ばれていた。

集団疎開裁判の方たちが催した会が開かれていたのだった。
(一緒にやればいいじゃないか-)自分は思うのだが、
事情はそれを許さないのが現状だった。-

 

-「あの、崎山です。今日は、あのふくしま診療所の開設9ヶ月の報告会に
お招きいただきましてありがとうございます-」崎山氏が言った。

国会事故調の委員として、日本各地で講演をされており、
その内容はウェブ上でも見ることができる。

診療所はもともとの診療所という性格上、目立った宣伝になる-

 

-ようなことを控えている。したがって診療所での発言映像はウェブ上にはない。

診療所で語った内容をこの間確認して、ほかで語られた内容と合わせてみると、
ほとんど内容は変わらなかった。

このツイッターという媒体に参加している方は、
おそらく世の一般より放射線に対する意識も高いと思われる。-

 

-そうした方々すると、彼女の発言に新味というものはおそらく
無いのかもしれない。

だが、自分の視点からはなれて、2013年9月段階の福島市現地の方々に
何を伝えたのかという点から見ると、またちがった意味合いがでてくる。

福島市から避難したこどもの割合は1割程度と3月の段階で聞いた。-

 

-自分が持っている前提と福島に住む多くの人間の前提はおそらく
だいぶ違うものだろうということは街をゆく人々との会話から感じていた。

行き過ぎかもしれないが、かつての自分のように原発をめぐる
国や企業の在り方になんの疑いも無かった人間に内実を伝える話として、
崎山氏は話してゆく。その内容も記録しておこうと思う。-

 

 ※次回に続く

 2017/1/4(水)22:00に投稿予定です。 

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