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東日本大震災の津波避難の成功失敗。特養老人ホーム・不老園。野蒜小。定林寺。高齢者デイサービスNPO

2017年01月02日 | 東日本大震災津波とゲリラ洪水の対策成功失敗
東日本大震災の津波避難の成功失敗。特養老人ホーム・不老園。野蒜小。定林寺。高齢者デイサービスNPO

相川哲弥ブログ。 http://blog.goo.ne.jp/jp280


  目次
1節。 引用元。
2節。 「避難中の車に津波が」。特養老人ホーム・不老園 の東日本大震災の津波避難
2-1節。 相川の意見。
2-2節。 2~5節の位置を記入した国土地理院地図。
3節。 「体育館に誘導した後悔」。野蒜省の津波避難。東日本大震災の津波避難
4節。 「体育館に誘導した後悔」。野蒜小の津波避難。東日本大震災の津波避難
5節。 「お年寄りを守り抜く」。高齢者向けのデイサービスや宅老所などを運営するNPO法人。。東日本大震災の津波避難

  1節。 引用元。
2~5節は、NHKのホームページの引用です。

  2節。 「避難中の車に津波が」。特養老人ホーム・不老園 の東日本大震災の津波避難

氏名:大泉 照男 さん(64)
不老園 臨時職員(当時)
場所:宮城県東松島市
番組名:あの日 わたしは
取材時期:2013年4月17日

NHK 東日本大震災アーカイブズ
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  1。 避難中の車に津波が
NA:宮城県東松島市、海のすぐ近くにあった特別養護老人ホーム・不老園。津波に襲われ、多くのお年寄りや職員が犠牲になりました。

NA:不老園の臨時職員をしていた大泉照男さん。お年寄りを避難所へ連れて行く途中、津波に襲われました。

NA:あの日、大泉さんは、お年寄りの入浴のケアをしている時、激しい揺れに襲われます。

大泉:ストレッチャーに乗せて、覆いかぶさるようにして、こんな状態になりました。そのうちに地震が収まりましたら、(館内)放送がありまして、「釜石の方に津波が来ているから、すぐ利用者を避難させてください」ということで。

NA:大泉さんは、4人のお年寄りと女性職員2人を車に乗せ、指定避難場所になっていた野蒜(のびる)小学校へ向かいます。2キロ離れた小学校へは、ふだんなら5分ほどで到着するはずでした。

大泉:対向車はそんなになかったんですけど、野蒜小学校に行く方面は渋滞していました。

NA:急いで避難したい状況の中、小学校の200メートルほど手前にある踏切で、遮断機が下りていました。

大泉:津波が来るという焦りがありました。そのうちにサラサラサラと波が来たんですよ。ちょうどタイヤのホイールの半分ぐらいまで来まして。「ああ、このぐらいの津波かな」と思っていたら、一瞬真っ暗になったんです、ドバーッと。

  2。 4人を乗せて沈んだ車
大泉:どうしようもないという感じで、このまま死ぬのかなと、一瞬それは思いました。そうしたら、助手席に乗っていた女子職員が、左のドアを開けたら、本当に10センチぐらいですか、「ドアが開いたよ」ということで。

NA:大泉さんと2人の女子職員は、車の外に脱出します。その時、水かさは足が着かないほどになっていました。すると、目の前に民家の屋根が流れてきました。3人は、屋根に登ろうとします。その直後、車が沈み始めます。大泉さんたちは、どうすることもできませんでした。

大泉:車が気になったので後ろを向いたら、この状態でブクブクと沈んでいきました。「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝りながら、自分たちは屋根に上がりました。

NA:日が暮れ始め、雪が降る寒さの中、大泉さんは救助を求め、向かいにあった民家の2階へと移動します。

大泉:「すみません、すみません」と、誰もいなかったんですけど、声かけしながら2階に上がって、そこの2段ベッドの上の毛布を取り出して、裸になって、そこで暖をとった。

NA:夜、水が引いた後に集まってきた住民たちの助けを借り、屋根に残っていた女性職員を救助することができました。

  3。 助けられなかった後悔
NA:2日後、車の中から4人のお年寄りが遺体で発見されました。お年寄りを助けることができなかった大泉さん。今も後悔の念を抱き続けています。

大泉:助けられなかったということが一番苦になりますね。できれば、生きてもらいたかったです。残念に思います。

  2-1節。 相川の意見
2-2節の地図の、(野蒜小に行かないで)特養・不老園 のすぐ北の黄色の道路(県道。「奥松島パーク・ライン」)に入って、左(西)に行けば、途中の道路は標高10~15メートルの場所もあるから、助かったような気がする。
 野蒜小に行く道は、たくさんの車が押しかけて、渋滞して、動けなくなくなった。
車で避難するときは、例えば、東名駅から野蒜駅までの住宅範囲の住民全員が、何個もの避難場所に分散して避難する訓練を、前もって、繰り返さないと、うまくいかない。

「急いで避難したい状況の中、小学校の200メートルほど手前にある踏切で、遮断機が下りていました」
と、あるが、踏切の遮断機は、電気で動く。東日本大司祭の時は、広い範囲で、停電になった。
『踏切の遮断機は、停電すると下がる(閉じる)ように、できている。』開いたままだと、車や人が、「列車が来ない」と、勘違いして、踏切を渡りかけると、列車が来てはねられる事故が起きる、のを防ぐために。

それでは、いつでも踏切手前で足止めされるうちに津波に襲われる恐れがあるので、東日本大震災の時は、民間人が、遮断機の棒を上げて通らせたニュースもある。
自動車運転者は、上記の『~~』のことを、覚えておくべきです。

  2-2節。 2~5節の位置を記入した国土地理院地図
次の地図の中の赤色文字「定林寺 5。8M」は、「標高が5点8メートル」





この地図画像は、少し、不鮮明です。次の地図を表示するとよい。

国土地理院地図。    クリック 

Yahoo地図。    クリック 

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  3節。  「体育館に誘導した後悔」。野蒜小の津波避難。東日本大震災の津波避難

氏名:伊藤 礼子 さん
場所:宮城県東松島市
番組名:あの日 わたしは
取材時期:2013年4月19日

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  1。 

氏名:伊藤 礼子 さん
場所:宮城県東松島市
番組名:あの日 わたしは
取材時期:2013年4月19日

  1。 体育館に誘導した後悔
NA:宮城県東松島市・野蒜(のびる)地区で暮らしている伊藤礼子さん。避難先の小学校で、近所の人たちを誘導中に津波に襲われました。

NA:伊藤さんは、夫とともにボイラーの販売や修理を行う会社を営んでいます。あの日、激しい揺れの後、伊藤さんは保育所に2人の娘たちを車で迎えにいきます。そこで園内の混乱した状況を目にします。

伊藤:ベビーカーじゃなくてカートがあるんです、立ったまま乗るやつ。で、それに5人じゃないです、もう本当にぎゅうぎゅう詰めという感じで乗っていて、先生が押していくんですよね。でも、その姿がどうしても(目に)焼き付いてしまって。ああ、大丈夫かな、大丈夫かなという感じでいたんですね。

NA:その後、娘たちを連れて、避難所に指定されている野蒜小学校に到着した伊藤さん。合流した夫に子どもたちを見てもらい、後から来る園児たちを心配して、誘導を始めます。

伊藤:ここに校門があったんですけど、校門の間に車止めがあった。「先生、まっすぐ行ったら、あそこの校門の所に車止めがあって入れないから、ここの道路を入っていってください。ここしか行けないです」と言って、ここから先生たちが入っていったんです。

NA:伊藤さんは、避難所に指定されていた体育館へ通じる脇道にう回するよう声をかけます。

  2。 津波が体育館を襲う
NA:地震発生からおよそ1時間後。10メートルを越える津波が、野蒜地区を襲います。その時、伊藤さん一家は校庭にいました。

伊藤:「津波だ、逃げろ」という声だけが、すごく大きく響いていたんですね。で、この辺まで来ました。

NA:伊藤さん夫婦は、娘たちの手を引き、とっさに海から遠い校舎に向かいます。

伊藤:「どこに逃げるんだ」って、みんなからいろいろな声が聞こえてくるんだよね。私の耳にも入ったの。だから「校舎!」って。「どこから入るんだ」って言う人もいたんです。だから「昇降口!」と言って。

NA:校庭にいた多くの人たちが、校舎の2階、3階へと駆けあがります。伊藤さん夫婦は、津波に飲まれた住民の救助に奔走します。

伊藤:ぬれた人たちが目の前にいるので、まずカーテンでくるんで、運動着をかき集めて、「これを着てください」というふうに。

NA:その最中、小学校の先生から、体育館に逃げた人たちがだめだったという話を聞きます。

伊藤:その時は本当に、どうしよう、どうしよう。助けられなかった、自分のせいだな、というのがあって。

  3。 無事だった子どもたち
NA:指定避難所だった体育館は、3メートルの津波に飲まれ、自力では歩けないお年寄りなどが犠牲になりました。しかし、保育所の子どもと先生たちは、2階のギャラリーに上がるなどして全員無事でした。自分が誘導したために、保育所の人たちを危険な目に遭わせてしまったかもしれない。伊藤さんは、長い間そのことを気に病んでいました。

伊藤:たまたまこの間、ある人から「礼子さんのおかげで、私たち体育館に逃げて助かったんだよ」。でも、その人は、自分も保育所の子どもさんもずぶぬれだし、ものすごい怖い経験しているんですけど、それでも私が誘導して、体育館に入れたから、「だから礼子さんのおかげで助かったんだよ」と言われて、号泣しましたけど。申し訳ない思いしかないですね、そこは。

  3-1節。 相川の意見。
体育館は、1階建てだから、
避難住民を、体育館に避難しないで、校舎に避難すれば、校舎は2~3階あるから、津波に人間が襲われなかった。
校長が、校舎の、いくつかの、入り口に鍵をかけていたので、住民が校舎に入れなかった。このことを住民が裁判に、訴えたというニュースがあった。

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  4節。 「体育館に誘導した後悔」。野蒜小の津波避難。東日本大震災の津波避難

氏名:後藤 元栄 さん(69)
定林禅寺 住職
場所:宮城県東松島市
番組名:あの日 わたしは
取材時期:2014年11月7日

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  1。 幼稚園バスを寺に誘導
NA: 宮城県東松島市・野蒜(のびる)地区の高台にある定林禅寺(じょうりんぜんじ)。地区で亡くなった人の慰霊碑が建てられています。

NA:この寺の住職、後藤元栄さんです。幼稚園バスを寺に誘導し、園児たちの命を救いました。

NA:あの日、後藤さんは法事を行うための準備をしている時に、今まで体験したことのない激しい揺れに襲われます。

後藤:最初の揺れの時は「ああ地震だな」と。いつもどおりなら、大体テレビを見ているうちに終わると思っているから。終らずにいたので、テレビが動き出したので、慌てて立って、テレビを押さえた。

NA:すぐに津波が来ると考えた後藤さんは、一緒に暮らしていた幼稚園児の孫が心配になりました。寺は海から2キロほど離れた高台にありますが、幼稚園は海沿いにあったからです。後藤さんは、孫を迎えに行こうと、車で幼稚園に向かいます。川沿いの道を走っている時、海から津波が押し寄せてくるのが見えました。

後藤:ここで曲がったら、水が来ていた。「あ、津波だ」と思って、それでバックした、あそこの所で。

  2。 後方から迫る津波
NA:津波から逃れようと、内陸に向かう後藤さん。地域の避難所になっていた小学校の前まで来た時、幼稚園の送迎バスを見つけます。道路は、小学校に入ろうとする車で渋滞し、バスは立ち往生していました。

NA:当時、バスに乗っていた幼稚園の赤間法子(あかま・のりこ)先生です。

赤間:もういっぱい、避難者の方でいっぱいで、車もいっぱい。私たちもここに避難しようと思ったんですけれども、とても入れる状態じゃなかったんですよね。

NA:もっと高い所に行かないと危ない。後藤さんはバスに合図を送ります。

後藤:「前、行けー!」ってね。クラクション、どんどん鳴らしてね。

NA:前の方向を指さし、高台にある自分の寺に行くよう指示します。渋滞の列を離れ、高台へ向かったバス。後ろには津波が迫っていました。

赤間:黒い水が、バーッと流れてきて、屋根も流れてきているし。もうパニック状態ですよね、子どもたちも。泣くわ、わめくわわめくわ、大変でした。ここから(津波が)見えました、全部。

NA:後藤さんのとっさの指示によって、バスに乗っていた孫を含む12人の園児は助かりました。小学校に押し寄せた津波は、渋滞の車を押し流し、体育館に避難していた人たちも犠牲になりました。

後藤:(バスと会う)タイミングがよかったんですね。あれが5分も違っていたら、たぶん津波に飲み込まれていたかもしれないです。

  3。 犠牲者の名を刻む
NA:園児たちを助けた後藤さん。しかし、他にも救えた人がいたのではないかという思いを消すことができません。

後藤:何とも言えないですね。言葉で言いきれないですよ。あの時点では、あれが精いっぱいで、そこまで集中した行動はできなかったですね。

NA:平成25年4月、後藤さんは寺の敷地内に慰霊碑を建てました。この地区で亡くなった人たちの名前を刻み、ずっと供養していこうと考えています。

後藤:やっぱり未曾有の震災で、こういう狭い所で500人以上も亡くなっているのであれば、それを後世に、風化させないためにも記録しておこうと。そういう意味合いも含めて、そういう思いで発想した供養碑なんです。


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  5節。 「お年寄りを守り抜く」。高齢者向けのデイサービスや宅老所などを運営するNPO法人。。東日本大震災の津波避難

氏名:伊藤 壽美子 さん(65)
NPO法人 代表
場所:宮城県東松島市
番組名:あの日 わたしは
取材時期:2014年9月3日

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  1。 お年寄りを守り抜く。
伊藤:もう津波が来るというのは間違いないと。後は早く、利用者様の命を守るという仕事がありましたので、戻って避難させなくちゃ、という思いでした。

NA:東日本大震災により、180人以上が犠牲になった宮城県東松島市・東名(とうな)地区。この地区で高齢者向けのデイサービスや宅老所などを運営しているNPO法人の施設です。

NA:代表の伊藤壽美子さん。地震の後、すぐに避難を始め、施設のお年寄りたちの命を守りました。

NA:あの日、伊藤さんは、車で移動中、今まで経験したことのない大きな揺れに襲われます。

伊藤:尋常でないということを感じましたので、津波という思いが、その時に一番先に響いたんですけども。

NA:急いで施設へと戻った伊藤さんは、職員と利用者のお年寄り、合わせて50人ほどに、すぐに避難するよう呼びかけます。

伊藤:高い所。それでより近い所といったら、一番近いのが、ここの道路だと思ったので、県道の方に上がっていきました

NA:数台の車に分乗して、坂の上へと全員避難させた後、津波が押し寄せます。伊藤さんは、津波に飲まれていく街をぼう然と眺めているしかありませんでした。

  2。 医者もない、薬もない。
NA:津波は、内陸にまで達し、伊藤さんの施設も大きな被害を受けました。その後、伊藤さんたちは、津波を免れた系列の施設に身を寄せます。しかし、そこも周囲は冠水し、施設は孤立していました。

伊藤:ここに着いてからは地獄だったんです。

NA:定員39人の施設には、周辺住民も合わせて、多い時で137人が身を寄せていました。環境の変化によるストレス、薬が無いことへの不安から、てんかんや心臓の発作を起こす人もいました。

伊藤:お医者さんが常駐していませんし、薬は一切ありませんので。その発作を、どうしたら止めることができるかということで。肩をなでながら、「申し訳ないです。お薬をお持ちしなかったので」。お水で穏やかになっていただきたいと思ったので、「ゆっくりと飲んでいただけませんか」とお願いしました。そして、ゴクンゴクンとゆっくりと飲んでいただいて、そして発作が止まったんです。

NA:ライフラインも寸断されたため、トイレは、施設脇のため池から泥水をくんで、流しました。入浴もできず、感染症も広がりました。ギリギリの状態の中、伊藤さんたちは、かろうじてお年寄り全員の命を守ることができました。
伊藤:仕事への気持ちがすごくあったので、それが“元気になるもと”というか、支えてくれたのかと思います。

  3。 新たな防災対策。
NA:4か月後、伊藤さんは被災した施設を修繕し、デイサービスと宅老所を再開します。利用者の安全のため、新たな防災対策にも取り組んでいます。毎日の散歩は、避難訓練を兼ねたものになりました。県道の坂道を上ることで、いざという時、歩けるお年寄りは、自分で避難できるようにするためです。

NA:伊藤さんは、体が続くかぎり、この仕事を続けていこうと考えています。

伊藤:大勢の方々が亡くなった中で、生かされている役割というのを考えた時に、やっぱり、もう一度この仕事をやらせていただくために残ったのかなという思いが、今一番強いです。

  5-1節。 相川の意見。
2-2節の地図の、(野蒜小に行かないで)特養・不老園 のすぐ北の黄色の道路(県道。「奥松島パーク・ライン」)に入って、左(西)に行けば、途中の道路は標高10~15メートルの場所もあるから、助かったような気がする。
 野蒜小に行く道は、たくさんの車が押しかけて、渋滞して、動けなくなくなった。
車で避難するときは、例えば、東名駅から野蒜駅までの住宅範囲の住民全員が、何個もの避難場所に分散して避難する訓練を、前もって、繰り返さないと、うまくいかない。

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  9節。資料出典。
別の記事『インターネット版のニュース記事を、記憶容量が最小のファイルに保存・整理』(2010年2月19日)
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NHK  「」  2017年1月2日
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