素早い判断が生徒を救う。 宮城の小学校(山下第二小。中浜小)。東日本大震災の津波避難成功例
相川哲弥ブログ。 http://blog.goo.ne.jp/jp280 2011年5月26日
1節。
福島県境にある宮城県南部の山元町。津波は高さ約6.2メートルの防波堤を越え、美しい砂浜とのどかな田園が広がる町を襲った。いずれも海岸から約300メートルの低地にある町立の山下第二小(児童数202人)と中浜小(59人)は津波で校舎が壊れ、児童は25日からの新学期を別の学校で迎えた。あの日、山下第二小は先生が児童を車に乗せて逃げ、中浜小は全員が2階建て校舎の屋上に駆け上がった。それぞれの学校が誘導した児童は全員無事だった。子どもたちの命を守ったのは、判断の速さと、幸運だった。【遠藤浩二、澤木政輝】
2節。 山下第二小学校。
◇確認作業打ち切り
3月11日午後2時46分。激しい揺れに山下第二小の作間健教頭(55)は校内放送のマイクをつかんだ。「机の下にもぐりなさい」。テレビをつけたが、揺れがひどく見られない。教務主任の太田久二男教諭(52)は職員室を飛び出し、1年生の教室に走った。泣き声が聞こえる。
揺れが収まり、訓練通り全員が校庭へ出た。巡視係の太田教諭は校舎を一巡し、全員の避難を確認して最後に校舎を出た。その直前、1年生の教室のテレビで大津波警報が出ているのを知った。
午後3時10分。校庭に保護者が次々に駆け付けた。学校は身元を確認せずに子どもを引き渡せない。氏名や家族構成、連絡先を記載した「非常持ち出し簿」と照合して児童を引き渡した。
◇車でピストン輸送
怒声が響いた。「何やってんだ。早く逃げろ。津波が来るぞ」。走ってきた男性が言った。
太田教諭は振り返る。「こんなことやってる場合じゃないと気付いた。もしあの時、あの一声がなければ、逃げ遅れて全滅していたかもしれない」
瓦ぶきの校舎で屋上避難はできない。渡辺孝男校長(52)は確認作業を打ち切り、即決した。「車を出せる先生は車で子どもを役場へ。他は残った子と歩いて役場へ」。役場は学校から約4キロの小高い場所にある。保護者の迎えがなく残った児童は約70人。太田教諭ら6人が車6台に子どもを乗れるだけ乗せ、残った30人ほどを作間教頭ら5人が連れて役場へ急いだ。
PTA会長の岩佐政公さん(38)は学校に向かう途中、小走りの作間教頭と子どもたちに会った。「車が足りない。頼みます」。作間教頭の言葉に、自宅にワゴン車を取りに戻り、児童の列に追いつきドアを開けた。その瞬間「どでかい雷がずっと続くような音」を聞いた。津波だ。乗ったばかりの十数人の子どもたちが泣き始めた。
◇家のむ青波「先生、早く早く」
教員の車6台は、役場と徒歩組の間を往復し、児童をピストン輸送した。学校の北西約500メートルのJR山下駅近くで、車に乗れた3年の渡辺志乃さん(9)は「乗車後、家をのむ青い波が見えた。『先生、早く早く』ってせかした」。
JR山下駅付近で徒歩組の最後に車に乗った作間教頭は「駅に津波が来たのはそれから5〜10分後だったと聞いている。全員が歩いていたら、とても間に合わなかった」。
渡辺校長は一人で学校に残った。その後に来る保護者に児童の避難を伝えるためだ。校門で20人前後に対応し、振り返ると、約300メートル先の防波堤を越える津波が見えた。2階に走った。水は2階に届かなかったが、図書室の本棚から本を出した。「万が一の時はいかだにするつもりだった。でももっと波がきたらアウトだと覚悟していた」。翌朝、渡辺校長は自衛隊のヘリで救出された。
3節。相川の意見。
地図1。 Yahoo地図。 クリック
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『山下第2小』の文字が見えrて、左端に、『山元町役場』が見える。
『山元町役場』が『山下第2小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『400m』と書いてある。この物差しを使うと、『山元町役場』と『山下第2小』の間は、2キロ半くらい。
地図2。 国土地理院地図。 クリック
この地図を表示したら、まず、地図の右端の垂直スクロールバーを、ドラッグすることによって、もっとも下に下げる。
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『文』記号が有る。これが『山下第2小』です。左端に、『○』印がある。これが『山元町役場』です。この○印のすぐ下に『3角点42.0』と書いて有るので、町役場の敷地は、標高42メートルであることがわかる。
『山元町役場』が『山下第2小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『250m』と書いてある。この物差しを使うと、『山元町役場』と『山下第2小』の間は、2キロ半くらい。2節の記事文章の『4キロ』は書き間違いかも。
2キロ徒歩だけだと、津波に襲われたかもしれない。
『山下第2小』ノ、スグそばには、高台も、土盛り式の高速道路もないから、2キロ半の避難場所は、危ないかも。今回は、色々な幸運が重なったが。
4節。中浜小学校。
◇「低学年の足では間に合わぬ」屋上へ避難 中浜小
山下第二小から南に約5キロ。中浜小の井上剛校長(53)は、強い揺れに校長室を飛び出した。職員室のテレビは津波到達予想時刻を10分後と流している。
中浜小の危機管理マニュアルは津波到達まで20分以上の場合、北西約1.5キロの町立坂元中への避難を定めている。しかし、時間は10分。「低学年の足では間に合わない」。井上校長は校内の全員に校舎の屋上に上がるよう指示した。
児童、教職員に近所の人たちも加わり、90人が屋上に。20分、30分……。津波は来ない。井上校長は「学年別に1列に座っていた子どもたちも保護者もおしゃべりしたり、海を見たりしていた。だが誰も『下りよう』とは言わなかった」と振り返る。井上校長は「必ず来る」と思っていた。既に到達した場所があると、テレビが伝えていたからだ。
笹森泰弘教頭(50)は第1波が浜辺の松をなぎ倒したのを「午後3時40分」と記憶している。「キャー」「お母さん」。悲鳴が上がった。子どもたちと保護者を屋上にある約200平方メートルの屋根裏部屋に入れた。
◇「終わりだ」つぶやき聞こえた
第1波は津波対策で高さ約2メートルにしていた校舎の土台がつかる程度。だが約1分後に来た第2波は2階に届いた。5年生の小林裕己さん(11)は「ガシャガシャ、ダーン、とガラスが割れたり机が倒れるものすごい音がした。耳をふさいでいる子も多かった」。
緊張は極限に達する。沖合に第2波の倍以上ある巨大な波が見えた。「終わりだ」。見張っていた笹森教頭は誰かがつぶやくのを聞いた。「そのまま来たら屋上も丸ごとのまれる」。井上校長は、引き波が第3波を崩すことを祈った。
次の瞬間、1〜2キロ沖で、第3波は引き波とぶつかり、波が小さくなった。それでも第3波は2階に達し、しぶきは屋上に降った。
翌12日朝、自衛隊のヘリに全員が救助された。日下泰憲教諭(37)はヘリから見た風景が忘れられない。「学校以外は何も残っていなかった。よく無事だったなと、今でも思う」
(肩書と学年、年齢などは当時)
5節。相川の意見。
地図3。 Yahoo地図。 クリック
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『中浜小』の文字が見える。青色丸印の位置です。『坂元中』も見える。
『坂元中』が『中浜小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『400m』と書いてある。この物差しを使うと、『坂元中』が『中浜小』の間は、1キロ半くらい。
地図4。 国土地理院地図。 クリック
この地図を表示したら、まず、地図の右端の垂直スクロールバーを、ドラッグすることによって、もっとも下に下げる。
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『文』記号が有る。これが『中浜小』です。左上の『文』記号は、『坂元中』です。
『坂元中』が『中浜小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『250m』と書いてある。この物差しを使うと、『坂元中』と『中浜小』の間は、1キロ半くらい。
9節。資料出典。
別の記事『インターネット版のニュース記事を、記憶容量が最小のファイルに保存・整理』(2010年02月19日)
クリック
を使って、
(記事がインターネットから削除されないうちに)ファイル保存・整理してください。
毎日新聞 『<東日本大震災>素早い判断、児童救う 宮城の2小学校』 2011年4月25日
相川哲弥ブログ。 http://blog.goo.ne.jp/jp280 2011年5月26日
1節。
福島県境にある宮城県南部の山元町。津波は高さ約6.2メートルの防波堤を越え、美しい砂浜とのどかな田園が広がる町を襲った。いずれも海岸から約300メートルの低地にある町立の山下第二小(児童数202人)と中浜小(59人)は津波で校舎が壊れ、児童は25日からの新学期を別の学校で迎えた。あの日、山下第二小は先生が児童を車に乗せて逃げ、中浜小は全員が2階建て校舎の屋上に駆け上がった。それぞれの学校が誘導した児童は全員無事だった。子どもたちの命を守ったのは、判断の速さと、幸運だった。【遠藤浩二、澤木政輝】
2節。 山下第二小学校。
◇確認作業打ち切り
3月11日午後2時46分。激しい揺れに山下第二小の作間健教頭(55)は校内放送のマイクをつかんだ。「机の下にもぐりなさい」。テレビをつけたが、揺れがひどく見られない。教務主任の太田久二男教諭(52)は職員室を飛び出し、1年生の教室に走った。泣き声が聞こえる。
揺れが収まり、訓練通り全員が校庭へ出た。巡視係の太田教諭は校舎を一巡し、全員の避難を確認して最後に校舎を出た。その直前、1年生の教室のテレビで大津波警報が出ているのを知った。
午後3時10分。校庭に保護者が次々に駆け付けた。学校は身元を確認せずに子どもを引き渡せない。氏名や家族構成、連絡先を記載した「非常持ち出し簿」と照合して児童を引き渡した。
◇車でピストン輸送
怒声が響いた。「何やってんだ。早く逃げろ。津波が来るぞ」。走ってきた男性が言った。
太田教諭は振り返る。「こんなことやってる場合じゃないと気付いた。もしあの時、あの一声がなければ、逃げ遅れて全滅していたかもしれない」
瓦ぶきの校舎で屋上避難はできない。渡辺孝男校長(52)は確認作業を打ち切り、即決した。「車を出せる先生は車で子どもを役場へ。他は残った子と歩いて役場へ」。役場は学校から約4キロの小高い場所にある。保護者の迎えがなく残った児童は約70人。太田教諭ら6人が車6台に子どもを乗れるだけ乗せ、残った30人ほどを作間教頭ら5人が連れて役場へ急いだ。
PTA会長の岩佐政公さん(38)は学校に向かう途中、小走りの作間教頭と子どもたちに会った。「車が足りない。頼みます」。作間教頭の言葉に、自宅にワゴン車を取りに戻り、児童の列に追いつきドアを開けた。その瞬間「どでかい雷がずっと続くような音」を聞いた。津波だ。乗ったばかりの十数人の子どもたちが泣き始めた。
◇家のむ青波「先生、早く早く」
教員の車6台は、役場と徒歩組の間を往復し、児童をピストン輸送した。学校の北西約500メートルのJR山下駅近くで、車に乗れた3年の渡辺志乃さん(9)は「乗車後、家をのむ青い波が見えた。『先生、早く早く』ってせかした」。
JR山下駅付近で徒歩組の最後に車に乗った作間教頭は「駅に津波が来たのはそれから5〜10分後だったと聞いている。全員が歩いていたら、とても間に合わなかった」。
渡辺校長は一人で学校に残った。その後に来る保護者に児童の避難を伝えるためだ。校門で20人前後に対応し、振り返ると、約300メートル先の防波堤を越える津波が見えた。2階に走った。水は2階に届かなかったが、図書室の本棚から本を出した。「万が一の時はいかだにするつもりだった。でももっと波がきたらアウトだと覚悟していた」。翌朝、渡辺校長は自衛隊のヘリで救出された。
3節。相川の意見。
地図1。 Yahoo地図。 クリック
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『山下第2小』の文字が見えrて、左端に、『山元町役場』が見える。
『山元町役場』が『山下第2小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『400m』と書いてある。この物差しを使うと、『山元町役場』と『山下第2小』の間は、2キロ半くらい。
地図2。 国土地理院地図。 クリック
この地図を表示したら、まず、地図の右端の垂直スクロールバーを、ドラッグすることによって、もっとも下に下げる。
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『文』記号が有る。これが『山下第2小』です。左端に、『○』印がある。これが『山元町役場』です。この○印のすぐ下に『3角点42.0』と書いて有るので、町役場の敷地は、標高42メートルであることがわかる。
『山元町役場』が『山下第2小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『250m』と書いてある。この物差しを使うと、『山元町役場』と『山下第2小』の間は、2キロ半くらい。2節の記事文章の『4キロ』は書き間違いかも。
2キロ徒歩だけだと、津波に襲われたかもしれない。
『山下第2小』ノ、スグそばには、高台も、土盛り式の高速道路もないから、2キロ半の避難場所は、危ないかも。今回は、色々な幸運が重なったが。
4節。中浜小学校。
◇「低学年の足では間に合わぬ」屋上へ避難 中浜小
山下第二小から南に約5キロ。中浜小の井上剛校長(53)は、強い揺れに校長室を飛び出した。職員室のテレビは津波到達予想時刻を10分後と流している。
中浜小の危機管理マニュアルは津波到達まで20分以上の場合、北西約1.5キロの町立坂元中への避難を定めている。しかし、時間は10分。「低学年の足では間に合わない」。井上校長は校内の全員に校舎の屋上に上がるよう指示した。
児童、教職員に近所の人たちも加わり、90人が屋上に。20分、30分……。津波は来ない。井上校長は「学年別に1列に座っていた子どもたちも保護者もおしゃべりしたり、海を見たりしていた。だが誰も『下りよう』とは言わなかった」と振り返る。井上校長は「必ず来る」と思っていた。既に到達した場所があると、テレビが伝えていたからだ。
笹森泰弘教頭(50)は第1波が浜辺の松をなぎ倒したのを「午後3時40分」と記憶している。「キャー」「お母さん」。悲鳴が上がった。子どもたちと保護者を屋上にある約200平方メートルの屋根裏部屋に入れた。
◇「終わりだ」つぶやき聞こえた
第1波は津波対策で高さ約2メートルにしていた校舎の土台がつかる程度。だが約1分後に来た第2波は2階に届いた。5年生の小林裕己さん(11)は「ガシャガシャ、ダーン、とガラスが割れたり机が倒れるものすごい音がした。耳をふさいでいる子も多かった」。
緊張は極限に達する。沖合に第2波の倍以上ある巨大な波が見えた。「終わりだ」。見張っていた笹森教頭は誰かがつぶやくのを聞いた。「そのまま来たら屋上も丸ごとのまれる」。井上校長は、引き波が第3波を崩すことを祈った。
次の瞬間、1〜2キロ沖で、第3波は引き波とぶつかり、波が小さくなった。それでも第3波は2階に達し、しぶきは屋上に降った。
翌12日朝、自衛隊のヘリに全員が救助された。日下泰憲教諭(37)はヘリから見た風景が忘れられない。「学校以外は何も残っていなかった。よく無事だったなと、今でも思う」
(肩書と学年、年齢などは当時)
5節。相川の意見。
地図3。 Yahoo地図。 クリック
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『中浜小』の文字が見える。青色丸印の位置です。『坂元中』も見える。
『坂元中』が『中浜小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『400m』と書いてある。この物差しを使うと、『坂元中』が『中浜小』の間は、1キロ半くらい。
地図4。 国土地理院地図。 クリック
この地図を表示したら、まず、地図の右端の垂直スクロールバーを、ドラッグすることによって、もっとも下に下げる。
この地図の上下方向の、真ん中の、 右端に『文』記号が有る。これが『中浜小』です。左上の『文』記号は、『坂元中』です。
『坂元中』が『中浜小』の津波避難場所です。地図の右下スミに距離モノサシがあって、『250m』と書いてある。この物差しを使うと、『坂元中』と『中浜小』の間は、1キロ半くらい。
9節。資料出典。
別の記事『インターネット版のニュース記事を、記憶容量が最小のファイルに保存・整理』(2010年02月19日)
クリック
を使って、
(記事がインターネットから削除されないうちに)ファイル保存・整理してください。
毎日新聞 『<東日本大震災>素早い判断、児童救う 宮城の2小学校』 2011年4月25日










僕は、おかげで今年から中学校になります。
先生、みなさん、ありがとうございました。
僕の小学校が山下第二小学校でよかったです。
僕は山二小でよかったです。
僕は山二小でよかったです。
今こうして振り返ってみると、あのときの恐怖よりも、もっと恐ろしい感覚がわいてくる。
その日は中学校の卒業式で、早く家に帰ってきていた。
私の家にも津波がやってきたが、二階に避難し無事に助かった。
夜に父がびしょぬれになって家に迎えに来てくれた時は、涙が出るのも忘れるくらいほっとした。
先生方、みんなの命を、そして妹の命を救ってくれて、本当に本当に感謝しています。
山二小は強い。頑張れ!!