心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

尾張西部檀信徒協議会護法大会

2016年09月19日 | 日蓮宗

先日、尾張西部檀信徒協議会護法大会が開催されました。尾張西部地域の日蓮宗寺院の檀信徒が集まって、それぞれの信仰を再確認しようという集まりです。

会場は、一宮市丹陽町九日市場の妙法寺。

写真右側の石柱には、「関西小松原 御法難霊像奉安地」とあります。

小松原法難の地(現在の千葉県)で刻まれた日蓮聖人の尊像が、長い年月を経て、現在はこのお寺で大切に守られています。

年に一度、小松原法難会(11月11日)の折にご開帳されます。

日蓮聖人の御生涯 日蓮宗ポータルサイト

護法大会が開催された本堂。立ち見の人もあります。

法要の後、香川県妙応寺御山主高岡完匡上人のお説教がありました。

「大曼荼羅ご本尊を渇仰恋慕する」という題でしたが、苦しみと喜び、災いと幸い、善と悪は表裏一体、どちらか一方だけが存在するのではなく、楽があれば苦がある、生があれば死がある、どちらか一方にとらわれず、苦を忌避せず、楽を手放す勇気を持てば、人生は少しずつ違った様相を呈してくるというお話でした。

心がけがいいから楽ばかりを体験するのでもなければ、心がけが悪いから苦ばかりを体験するのでもない。人生は、苦と楽、幸と不幸の両方を体験するようになっているとのことでした。

まさにそうですね。私たち日蓮宗の僧侶は「煩悩即菩提 生死即涅槃」という句をしばしば唱えます。天台大師の摩訶止観に基づく言葉のようですが、私は、「煩悩を滅したり、生死を乗り越えたりしないと悟りの境地には達しない」のではなく、「煩悩と菩提」「生死と涅槃」は常に表裏一体に存在し、「煩悩に悩まされるから、悟りを求めようと努力する、生きる苦しみがあるから、心の安らぎを求めようと精進する」という意味だと解釈しています。

中国の古典「史記」や「漢書」にも「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえばあざなえる縄の如し」「それ禍と福とは、何ぞあざなえる縄に異ならん」などの言葉があります。東アジアには、人生をこのようにとらえる見方があります。

現代の世界には、一方を絶対的な悪と見なして、その悪を滅しない限り、世界の平和は実現しないと考えて、徹底的に「敵(悪)」を滅ぼそうとしている人たちがあります。

それでは、いつまで経っても世界の平和はおとずれないと思います。

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