此処彼処見聞控-ここかしこみききのひかえ

興味の赴くままに見聞きするあれやこれやを綴ります。

伝統芸能情報館で予備知識を…ということ

2016-06-09 12:01:01 | 日記

…ということで、中村橋之助主演「魚屋宗五郎」@国立劇場を見てきましたけれど、
何分には古典芸能には疎い方でありますので、いささかの事前学習が必要ということで、
国立劇場の建物の裏手にある伝統芸能情報館を予め覗いておいたのでありますよ。

公演が「歌舞伎鑑賞教室」と銘打ってある折も折、同館情報展示室では
「歌舞伎・文楽入門展-舞台のうら・おもて-」なる展示が開催中でなのありました。
そこで目にした歌舞伎の歴史のあたりをちと復習しておくといたしましょう。

「歌舞伎・文楽入門展-舞台のうら・おもて-」展@国立劇場伝統芸能情報館

歌舞伎は出雲の阿国に始まるてなことは、
確かむかぁし「日本史」の授業だかでやったような気がしないでもありませんが、
どうやらそれは慶長八年(1603年)と言いますから江戸幕府が開かれた年。
歴史のうねりと言っては大仰に過ぎますけれど、転換点だったのでしょうなあ。

ですが、出雲の阿国が立ち現われたのは江戸ではなくして京都であったと。
まあ、幕府も開かれたばかりの頃はまだまだ往時に江戸からは程遠い、
田舎でしたろうから、文化の中心は京都であったということでしょう。

とまれ「かぶき者」の男装をした阿国の「かぶき踊」は大いに持てはやされて、
そうなると「類似品」がそこここに出てくるのは必定、当然に江戸にも及んで
「遊女歌舞伎」なるものが大流行したのだそうで。

これが風紀紊乱を招くちして寛永六年(1629年)に幕府が禁令を出しますと、
女性がダメなら少年でというわけで、この辺り確信犯的仕掛け人がいたものと思いますが、
「遊女歌舞伎」に代わって「若衆歌舞伎」が登場してくる。

幕府禁令のいたちごっこは何事にも見られるところながら、
この「若衆歌舞伎」もまた風紀紊乱の廉によって、慶安五年(1652年)に禁止される。
ここに至って、それではと成人男性が演じる「野郎歌舞伎」の出番となるのですなあ。

今に続く演じ手が男だけの舞台はここに始まるわけですが、
あれもだめなら、これもだめと次々禁止された後のものだけに人気のほどを心配するも、
余計なお世話というべきか、元禄期(1688-1704)には江戸には初代市川団十郎、
上方では初代坂田藤十郎が出て、芝居人気を不動のものにしていったのだそうな。

一方、人形浄瑠璃は17世紀の後半に大阪で成立したといいます。
浄瑠璃姫と牛若丸の恋愛を描いた演目が大層人気を博した所から転じて、
この人形芝居を人形浄瑠璃と呼び慣わすようになったのだそうでありますよ。

人形浄瑠璃の人気がいかほどであったかは、
元来は人形浄瑠璃用に書かれた人気の作品を歌舞伎の方に移し替えていくことで、
つまりは演目に人気にすがる形で勢力挽回に努めたということで想像されましょう。
何しろ移し替えた演目には「仮名手本忠臣蔵」や「義経千本桜」といった
歌舞伎作品としても超有名作といえるものが含まれているわけで。

ただ、単に物語を借りてくるだけではなく、
人形浄瑠璃の表現とは違った歌舞伎ならではのスケールをより一層活かす工夫も
なされたのでありましょう、何しろ「廻り舞台」という装置は
世界のどこよりも早く歌舞伎に取り入れられたとか。
宝暦八年(1758年)のことだそうでありますよ。

今からすれば伝統の古典芸能と思うところながら、
歴史の中ではまま紆余曲折があり、伝統を守る以上に進取の気性に富んだ舞台人が
作り上げてきたのが歌舞伎ということにもなりましょうか。

庶民相手というにはちと敷居が高く感じられるようになってきてはいますけれど、
古典も良いけど新作にも取り組む姿勢もまた伝統となれば、
「スーパー歌舞伎」などの新作公演をあんまり際物と考えてはいけんのかもですね。
(ただ「ONE PIECE」を歌舞伎にと言われても…という気はしますが)

…てな具合で、公演前にいささかの予備知識を仕入れることのできた
伝統芸能情報館なのでありました。

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