書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『明治学院デジタルアーカイブズ 聖書和訳デジタルアーカイブス』 

2017年12月14日 | 人文科学
聖書和訳史概説 明治元訳の完成ー日本初の聖書全訳『新約聖書』

1872年(明治5)9月、横浜居留地39番のヘボン邸で宣教師会議が開かれ、各派共同での翻訳を決定し、翻訳委員社中を結成した。

委員長をS.R.ブラウン(オランダ改革派)とし、ヘボン(長老派)・グリーン(組合派)・マックシー(メソジスト派)・N.ブラウン(バプテスト派)・パイパーとライト(イギリス教会宣教会)の7名で発足したが、事実上ヘボン・S.R.ブラウン・グリーンが中心となり、日本人補佐人は奥野昌綱・松山高吉・高橋五郎・井深梶之助であった。

翻訳を成し遂げた聖書は1876年より順次分冊刊行して、完訳は1880年(明治13)である。

この明治訳は、漢字交じりの格調高い文体であり、本文の正文はかなである。漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、翻訳を補助した日本人の知識層は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた。

新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版があり、言葉が定まらない時代に実践的にどのような文字表現が良いかも試している。この明治訳は、漢字交じりの格調高い文体であり、本文の正文はかなである。漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、翻訳を補助した日本人の知識層は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた」「新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版があり、言葉が定まらない時代に実践的にどのような文字表現が良いかも試している。
 (太字は引用者)

 太字にした部分、『井深梶之助とその時代』では書かれていなかったことを、結果だけ、しかしきっちりと書いている。私にとって肝心の過程が書いてないと、うっかり読み飛ばすところだった。これから推測ができる。