書籍之海 漂流記

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朱子の『孟子集註』「離婁章句下」について雑感

2017年07月16日 | 思考の断片
 同項の「孟子曰、天下之言性也、則故而已矣。故者以利爲本。所惡於智者、爲其鑿也」の条の解釈は面白い。
 はっきり言ってこのくだりをそう解釈するのは無理と思う。だがそれよりも、紀元前4-3世紀の孟子の言を約1500年隔てた後の世の朱子がそう解釈したというのが面白いのである。

 性者、人物所得以生之理也。故者、其已然之跡。若所謂天下之故者也。利、猶順也。語其自然之勢也。言事物之理、雖若無形而難知、然其發見之已然、則必有跡而易見。故天下之言性者、但言其故而理自明。猶所謂善言天者、必有驗於人也。然其所謂故者、又必本其自然之勢。如人之善、水之下、非有所矯揉造作而然者也。若人之爲惡、水之在山、則非自然之故矣。

 そして20世紀の武内義雄御大は『孟子』原文のここの「利」(故者以爲本)は「智」と改めるべしと言い、継いで金谷治師は同じくここの「故」を、「過去の事実」ではなく、『淮南子』(紀元前2世紀成立)に見える用例をもとに、「理性」であるとした。折々の解釈の変遷と、そして解釈そのものが、逆に、解釈する側を映し出す鏡となっているかのようで、じつに興味深い。さらに山田慶児先生は、孟子が「鑿」と表し朱子が「穿鑿」と敷衍したなにごとかを、「理性」を用いて分析し推論することとされるのである(「中国の文化と思考様式」『混沌の海へ』筑摩書房1975/10所収)。
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