書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

古松崇志 「10~13世紀多国並存時代のユーラシア (Eurasia) 東方における国際関係」

2013年07月27日 | 料理
 『中国史学』21、2011年10月、113-130頁。原文旧漢字、以下同じ。

 例えば、外交のさいの言語については、契丹や金では北方の諸国・諸集団との交渉において支配者集団の言語である契丹語や女真語も使用しており、宋との交渉でもっぱら用いられた漢語がすべてだったわけではない。外交儀礼については、契丹・宋間の儀礼をはじめとして、中国王朝の賓礼の影響が強調されているが、前後の時代も含めたユーラシア諸国家との儀礼との比較考察はまったく不十分である。澶淵の盟締結により両国皇帝家どうしが取り結んだ擬制家族関係にしても、10世紀の契丹と沙陀の関係にさかのぼるものであり〔略〕、中央ユーラシアのテュルク系遊牧民の風習との関連を想起させる。いずれにせよ、外交関係のさまざまな要素について、今後は、狭い意味での中国史の範囲を越えて、ユーラシア規模の視野から再検討していく必要がある。 (「4. 多極化時代のユーラシア東方をどうとらえるか――『澶淵体制』の提起」124頁。下線は引用者)

 下線部のみ疑義あり。北宋―遼の皇帝は兄弟の関係であるが、契丹―沙陀のそれは親子関係だった。しかもそれは契丹から与え下した関係である。ちょっとちがうのではないか。沙陀―漢人(あるいは沙陀―沙陀)の義児(仮子)関係は、結局は主従関係の強化形態であるから、対等者同士の関係であった遼―北宋のそれとは意味が異なるのでは。