書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

秦剛平訳 『七十人訳ギリシア語聖書 イザヤ書』

2017年02月20日 | 西洋史
 出版社による紹介

 「翻訳は学問的業績に値しない」とか、「原書ではなくて翻訳を資料に使うのは研究者として失格」とかと仰る向きは、この本などはもちろん価値はないし、この訳を利用する当該分野の研究者は失格、と仰るべきである。そしてさらに、そもそも聖書研究という営為自体が、『七十人訳』以前に原語テキストを遡るのが近年になるまで非常に難しかったのだから、聖書研究は学問として基本的に無価値で聖書研究者は研究者として失格と断言されてはどうか。それがご自身にとり論理的な言動である。また「それしかないのならそれでやるしか仕方がないだろう」という意見は、もし心中思っておられたり、まして口にされれば、相当な蔑みになるのは認識されておられるだろうか。

 頭も創意もあって目障りな部下は、彼が上げてきた書類や行った仕事を、理由を言わずに駄目だしして何度もやりなおしさせると、完全にやる気をなくしてすべて上司の指示を仰ぐようになると、管理職(設定)のアカウントがだいぶ前に部下操縦の秘訣として書いていた。大学の研究室でも通用する手である。それがどの組織、世界にせよ、自分のことしか考えていないのならいい手だ。

 最初にあげたことどもは、あと研究会での質問と称したマウンティングなどとともに、この角度から理解すればそれでよく、こと足りるのかもしれない。

 今回は話がややそれた。秦氏のこの訳注は、同業者(翻訳者としても、研究者としても)のはしくれとして、ただ頭を下げるしかない労作であり偉業である。

(青土社 2016年10月)
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