格竹 - 维基百科。
先生曰:「眾人只說「格物」要依晦翁,何曾把他的說去用!我著實曾用來。初年與錢友同論做聖賢要格天下之物,如今安得這等大的力量:因指亭前竹子,令去格看。錢子早夜去窮格竹子的道理,竭其心思至於三日,便致勞神成疾。當初說他這是精力不足,某因自去篛格,早夜不得其理,到七日,亦以勞思致疾,遂相與嘆聖賢是做不得的他大力量去格物了。及在夷中三年,頗見得此意思,方知天下之物本無可格者;其格物之功,只在身心上做;決然以聖人為人人可到,便自有擔當了。這裏意思,卻要說與諸公知道。」 (『伝習録』下線は引用者)
「格竹」の「格」、あるいは王陽明自身の言葉を借りれば「窮格」は、はたして具体的にはどのような行動を指していたのだろう。竹林の竹を目の前に、矯めつ眇めつしながらもただ子細に眺めていただけなのか、それとも割り、裂き、剥き、抉って、その構造や内外の質感を確かめてみようとしたのか。
先生曰:「眾人只說「格物」要依晦翁,何曾把他的說去用!我著實曾用來。初年與錢友同論做聖賢要格天下之物,如今安得這等大的力量:因指亭前竹子,令去格看。錢子早夜去窮格竹子的道理,竭其心思至於三日,便致勞神成疾。當初說他這是精力不足,某因自去篛格,早夜不得其理,到七日,亦以勞思致疾,遂相與嘆聖賢是做不得的他大力量去格物了。及在夷中三年,頗見得此意思,方知天下之物本無可格者;其格物之功,只在身心上做;決然以聖人為人人可到,便自有擔當了。這裏意思,卻要說與諸公知道。」 (『伝習録』下線は引用者)
「格竹」の「格」、あるいは王陽明自身の言葉を借りれば「窮格」は、はたして具体的にはどのような行動を指していたのだろう。竹林の竹を目の前に、矯めつ眇めつしながらもただ子細に眺めていただけなのか、それとも割り、裂き、剥き、抉って、その構造や内外の質感を確かめてみようとしたのか。